2014年08月30日

もう一人の自分を育てる心理療法(1/5)

目次

(1)心理療法は観念的二重化にどのように作用するのか
(2)自分を客観的に見るセルフモニタリング
(3)特定の他者の立場に立つロールプレイ
(4)さまざまな立場への移行を促す認知再構成法
(5)現実をよりリアルに幅広く見られるようになる

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(1)心理療法は観念的二重化にどのように作用するのか

 みなさんは「心の理論」と呼ばれているものをご存じでしょうか。これは心理学の用語であり,端的には,「他者の信念や考えを把握する認知の能力」(『心理臨床大事典』)のことです。もう少し詳しくいうと,以下のようなものです。

「心の理論(こころのりろん,英: Theory of Mind, ToM)は,ヒトや類人猿などが,他者の心の状態,目的,意図,知識,信念,志向,疑念,推測などを推測する心の機能のことである。

定義
 「心の理論」はもともと,霊長類研究者のデイヴィッド・プレマックとガイ・ウッドルフが論文「チンパンジーは心の理論を持つか?」("Does the Chimpanzee Have a "Theory of Mind")において,チンパンジーなどの霊長類が,同種の仲間や他の種の動物が感じ考えていることを推測しているかのような行動をとることに注目し,「心の理論」という機能が働いているからではないかと指摘したことに端を発する(ただし,霊長類が真に心の理論を持っているかについては議論が続いている)。この能力があるため,人は一般に他人にも心が宿っていると見なすことができ(他人への心の帰属),他人にも心のはたらきを理解し(心的状態の理解),それに基づいて他人の行動を予測することができる(行動の予測)。」(『ウィキペディア』)


 すなわち,他者の心を認め,その働きを理解して,他者の行動を予測できる能力のことを,心理学では「心の理論」と呼ぶわけです。

 この「心の理論」が発達してきているかどうかを確認する課題として,「サリーとアン課題」と呼ばれるものがあります。これは以下のような課題です。

「サリーとアン課題
1.サリーとアンが,部屋で一緒に遊んでいる。
2.サリーはボールを,かごの中に入れて部屋を出て行く。
3.サリーがいない間に,アンがボールを別の箱の中に移す。
4.サリーが部屋に戻ってくる。
 上記の場面を被験者に示し,「サリーはボールを取り出そうと,最初にどこを探すか?」と被験者に質問する。 正解は「かごの中」だが,心の理論の発達が遅れている場合は,「箱」と答える。」(『ウィキペディア』)


 これはすなわち,サリーの立場に立って事態を眺めることができるかどうかの課題だということができます。サリーの立場に立てば,自分が知らない間にボールがかごから別の箱に移されているわけですから,部屋に戻った時,自分がボールを入れたかごの中を調べるはずです。1〜4までの流れを観客的な立場に立って眺めていた自分からすると,ボールはアンが別の箱に移してしまったのですから,かごの中を探してもボールが見つかるわけはなく,箱を探さないと見つからないことは自明です。しかし,その場にいなかったサリーにしてみれば,そのことを知らないのですから,当初自分が入れておいたかごの中にボールがあると思っているはずであり,当然,かごの中を探すはずなのです。

 この課題にしっかり答えを出せるかどうかは,認識論的にいうと,観念的二重化の実力の問題である,ということがいます。観念的二重化とは,人間の認識特有の運動のあり方のことであり,学問的には以下のように規定されています。

「観念的二重化とは,端的には自分の観念を二重化すること,つまり自分の頭のなかでもう1人の自分を創りだすことである。自分がみている世界が,『現実の目』がみている像と『頭のなかでの目』がみている像との二重になることを,現実と観念(頭のなか)との二重になることをいうのである。

 この観念的二重化は,自分が現実の自分と頭のなかの自分とに分けられるので『自己の二重化』ともいい,またこの『観念的二重化=自己の二重化』は,自分が相手の立場に立って行なわれるばあいが多いだけに『自分の他人化』といわれる。さらにその構造を説くならば,観念的二重化はそのなかに『自分の二重化』があり,その自分の二重化には『自分の自分化』と『自分の他人化』の二重構造があり,そしてこれは『自分の自分化から自分の他人化へ』の過程性としてとらえることができるものである。」(海保静子『育児の認識学』,現代社,pp.355-356)


 要するに,観念的二重化とは,頭の中にもう一人の自分を創り出し,現実の目が見ている世界とは別の世界を見ることが可能となるような,認識の運動形態のことをいうのです。たとえば,夕食時に明日の運動会のことを想像している子どもを例に考えると,現実の自分は,食卓について,目の前の夕食を眺めているのですが,頭の中に創り出したもう一人の自分は,未来の時点の世界に旅立って,そこで運動会を体験しているのです。

 先ほどのサリーとアン課題でいうと,観客的な立場で眺めている現実の自分を否定して,頭の中に創り出されたもう一人の自分がしっかりとサリーの立場に立ち,サリーの立場で同じ事態を眺める,これができてこそ,観念的二重化が適切に行えているということですし,この課題を正しく解くことができるということなのです。自分の立場を否定できず,自分の立場のまま考えてしまうと,「箱を探す」と解答してしまいます。なぜなら,現実の自分はボールが箱に移されたことを知っているからです。これはいってみれば自分の自分化レベルであり,観念的二重化の実力が未熟だということがいえます。これに対して,現実の自分の立場(ボールが箱に移されたことを知っている立場)を否定して,サリーの立場(ボールがかごから移されたことを知らない立場)に立って正解を出せた場合,これを自分の他人化といってよいのです(自分の他人化の中でも非常にレベルの低いものですが)。

 このように,心理学的にいうと心の理論,認識論的にいうと観念的二重化の実力が欠けていたり,衰えたりしていると,自分とは違う他者の立場を理解することができないのです。人間は社会的な動物ですから,他者の立場を理解できないと,社会生活にうまく適応できないことはいうまでもないでしょう。社会生活にうまく適応できないさまざまな精神障害において,このような観念的二重化ができないために,問題が生じていることが多いといえます。例えば,自閉症の方々は,生まれつきこのような相手の立場を理解するのが難しいという特徴をもっているといわれています。

 観念的二重化(観念的な自己分裂)についてはかつて,三浦つとむさんが精神障害との関係で次のように指摘しておられました。

「精神病の医者の理論水準は世界的に低くて,まだ人間の観念的な自己分裂についての正しい理解がありませんから,正常な分裂から異常な分裂が生まれるとは考えずに,正常な精神活動には分裂はなく,分裂それ自体が異常な精神活動だと解釈します。正常な分裂から異常な分裂が生れると考えれば,どんな人間にも精神分裂と呼ばれる病気になる可能性があり,また適当な治療によって治癒するという結論が出て来ますが,分裂それ自体が異常な精神活動だと解釈すると,ふつうの人間にない分裂が起るのは生れつきで遺伝ではないかとか,治癒することはありえないのではないかとか,患者や家族にとってとても耐えられないような結論にもなってしまいます。最近では,分裂ということばは差別語であるから使うべきではないと主張する医者も出て来ました。これも正常な分裂を理解しないで,分裂はすべて病的なものと思いこんでいるところから出たものです。」(『日本語はどういう言語か』,講談社学術文庫,p.30)


 これは現在統合失調症と呼ばれている精神病について,観念的二重化(観念的な自己分裂)の観点から説いたものです。ここで説かれているように,正常な観念的二重化から異常な観念的二重化が生まれるのであり(それが精神病の発症といえます),そこから再び正常な観念的二重化ができるようになるのが病気の治癒ということができるでしょう。

 このように,人間の観念的二重化という問題は,精神的な問題や精神障害,およびそれらの生成(発症)・発展(増悪)・消滅(治癒)という運動・変化を考えるときには,非常に重要な問題だということがいえます。

 筆者がふだん,心理療法(カウンセリング)で関わることの多いうつ病の方も,観念的二重化の問題を抱えていることが多いといえます。うつ病は,気分障害の一種であり,気分が沈み気力がなくなるのが基本症状です。症状は朝の方が顕著で,夕方から夜にかけて軽減するケースが多いといわれています。笑顔がなくなり,口数は少なくなり,思考の流れは渋滞し,悲観的,自責的,厭世的な色彩を帯びてきます。自殺念慮をもち自殺行為につながることもまれではありません。これらの精神症状に加えて,不眠,食欲低下,性欲低下,疲労感,口渇,便秘など,さまざまな身体症状を伴うのがふつうです。このようなうつ病を認識論的に捉えると,観念的二重化の問題のために,生活上,さまざまな支障が生じてきて,悩んでおられることも多いと筆者は考えています。また,このうつ病に対して筆者が実施している心理療法は,ある意味,観念的二重化の問題に対してアプローチして,その問題の解決を図っているのだと把握することができます。

 そこで今回から5回にわたって,精神的な問題や精神障害に対する解決法・治療法として筆者自身が実施することが多い認知行動療法,とりわけ,うつ病に対する認知行動療法を取り上げ,それと観念的二重化の関連について考察していきたいと思います。すなわち,認知行動療法の各種の技法が,どのように相手の観念的二重化という認識の運動形態に影響を与え,どのように観念的二重化のあり方に変化をもたらして治癒につながっていくことになるのか,その過程的構造を明らかにしたいと思っています。

 本来なら,精神障害全般と観念的二重化の関わりについて,体系的に説くことができれば理想です。そもそも,正常な観念的二重化の実力はどのようにして育てられていくのか,それに対して,自閉症の場合,統合失調症の場合,うつ病の場合はそれぞれどのような特殊性があり,どのような形で観念的二重化の実力が歪んで発達したり変化してしまったりするのか,それを踏まえて,それは治療可能なのか,可能だとすればどのような方法になるのか,といったような問題を,体系的に説くことができれば一番良いといえます。しかし,筆者の現時点での実力ではそれは及びません。

 そこで本稿では,うつ病に対する特定の心理療法の技法を取り上げて,それが観念的二重化のあり方にどのような変化をもたらすのか,そしてそれがどのように治療的に働く(治療としての意味を持つ)のか,というテーマに絞って説いていきたいと思います。そうすることによって,筆者自身がより確かな認識論的な根拠をもって日々の臨床に臨むことができるようになることが期待できますし,筆者の観念的二重化の像もより深まっていくことが予想されます。このようなことを目指して,次回より具体的な内容を執筆していきたいと考えています。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 認識論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
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 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
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 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史