2014年08月25日

道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想(1/5)

○目次
(1)中世の教育思想は道徳教育の観点からどう評価することができるか
(2)アウグスティヌスは神を人生の絶対的規準として位置づけた
(3)トマス・アクィナスは教会のために生きることを理論的に正当化した
(4)ルターは人生の絶対的規準としての聖書を個人の内面に持つことを主張した
(5)中世は主体性の確立という人生観の萌芽が現れた時代である

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)中世の教育思想は道徳教育の観点からどう評価することができるか

 現在、道徳の教科化が大きな話題となっています。滋賀県大津市でおきた中学生いじめ自殺事件を受けて、第2次安倍内閣のもとに設置された教育再生実行会議は、2013年2月、「いじめ問題等への対応について」という提言を出しました。その中で「道徳を新たな枠組みによって教科化し、人間性を深く迫る教育を行う」という提案がなされたのです。

 この新たな枠組みによる教科化とはどういうことでしょうか。これを確認するために、そもそも現在の教育課程はどうなっているのかを見ておきましょう。現在、(小学校の)教育課程には5つの柱があります。各教科(国語、算数、社会・・・)、道徳(の時間)、外国語活動、総合的な学習の時間、特別活動(行事や学級活動など)です。そのうち、教科には3つの条件が必要とされています。教科書があること、評価をすること、専門免許状があることです。例えば、国語の先生になろうと思ったら、大学で国語の先生の資格を取り、国語の教科書を使って子どもたちに教え、その結果をテストなどで評価します。これが教科の条件です。ところが、道徳の時間には教科書はなく、評価もせず、免許状もありません。これを変えていこうというのが現在の議論です。しかし、教科書の作成や評価の実施はともかく、専門の免許状を作るとなると、大学の教職課程から変えていかなければなりません。それは流石に難しいので、「新たな枠組みによる教科化」とされているのです。

 こうした提案を受けて、2013年3月、文科省に「道徳教育の充実に関する懇談会」が設置されました。10回の審議が行われた結果、2013年12月に「今後の道徳教育の改善・充実方策について(報告)」が出され、「特別の教科 道徳」の設置が提案されました。これを受けて、中央教育審議会に「道徳に係る教育課程の改善等について(諮問)」が出され、現在検討がなされています。なお、現場レベルでは、これまで使用されてきた「心のノート」を大幅に改訂した「わたしたちの道徳」という冊子が作成され、各小中学校の子供一人ひとりに配布されています。読み物資料が追加されるなど、教科書を意識したような構成になっており、道徳が教科になるのは確実だと考えられています。

 では道徳を教科にすれば、いったいどのようなメリットがあると考えられているのでしょうか。「今後の道徳教育の改善・充実方策について(報告)」では、現在の道徳教育の問題点として、道徳教育の目標にかかわる概念相互の関係が不明確であることや、指導方法が心情理解の型にはまったものになっており、具体的な行動に関する教育が不十分であることなどが指摘されています。道徳を教科にすれば、こうした事柄に関する研究・開発が進むとされています。

 しかし、道徳教育の目標や指導方法にかかわっての研究を進めるためには、そもそも道徳教育とは何かという本質から押さえていく必要があります。その点を踏まえて、現在の道徳教育の問題点を描き出そうとしたのが、小論「ヘルバルト『一般教育学』を読む」でした。そこでは道徳性とは意志による本能の統括であり、その意志の創出と使用こそが道徳教育には必要なのであり、現在の道徳教育は意志の創出という側面が抜けているのではないかという問題提起をしました。しかし、一口に意志といってもそこには社会的に妥当とされる意志もあれば、自分勝手な意志も存在しています。一方、抑えるべきものは本能に基づくものばかりとは限りません。それを踏まえれば、この結論はあまりにも大まかな把握だったと言えます。

 その原因は道徳というものにかかわってなされてきた歴史的な議論を踏まえられていなかったという点がありました。道徳教育にかかわると思われる議論は古代ギリシャの時代からなされています。ヘルバルトを見ていく上ではこのような歴史的背景をしっかりと押さえておかなければなりません。そうでなければ、ヘルバルトの歴史的な意義を見出し、そこから現代につながる論理を導き出してくるということは不可能です。ところが、この小論においては、このような歴史的な流れをしっかりと押さえていくということが欠けていました。

 そこで、「道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想」において、道徳教育の観点から古代ギリシャの教育思想を概観しました。古代ギリシャにおいては、ポリス社会の衰退とともに、個人の自発的な意志が芽生えてくる中で、「いかに生きるべきか」が大きく問われるようになり、徳の問題が取り上げられることになったのでした。つまり、道徳教育とは、いかに生きるべきかを教えるものだということができるでしょう。

 ソクラテスからプラトンにいたる流れの中で生き方の基準としてイデアが掲げられるようになり、それをつかむことが徳だとされたのでした。さらにプラトンからアリストテレスへ至る過程で知性的卓越性と倫理的卓越性の問題が論じられるようになったのでした。つまり、あるべき生き方のためには、いかに行動すべきか判断する必要があるとともに、その判断に自らの意志を従わせる必要があるということが説かれるようになったのでした。

 ここに関わって、前回の小論の結論として次のように書いておきました。

「そもそも人間は他の動物とは違って、本能ではなく、自らの認識に従って行動する存在です。サルから進化の過程で本能による統括から離脱が行われたのです。しかし、個々の人間が勝手な認識を描いて行動したのでは共同体が崩壊してしまうため、それを食い止めるために規範(社会的認識)が形成されるようになりました。この社会的認識と個人的認識の調和を個人の中になすことこそ、人類の歴史を貫く大問題だと言えるでしょう。

 ここにこそ道徳性とは何かを解く鍵があると言えます。自らが何らかの認識を描いて行動しようとするとき、それが果たして社会的に妥当だと言えるのかどうか、自らより高い視点に立って判断し、その判断に従って自らの認識や行動を整えていくということ、このような形で社会的認識と個人的認識を調和させること、これこそが道徳性にほかなりません。つまり、高い視点から妥当な判断を下すことと、その判断に従うことという2つが道徳性の構造だということになります。

 ソクラテスからプラトン、アリストテレスへと流れの中で形成された古代ギリシャの教育思想は、まさにそうした構造の把握につながるものであったということができるでしょう。」

 つまり、道徳性とは、より高い視点から自らの認識や行動を整えていくという形で社会的認識と個人的認識を調和させることです。これができるようにすることが道徳教育だと言えるでしょう。もう少し簡単に言えば、社会的認識(絶対的規準)に照らし合わせて自分の生き方を振りかえることができるようにすることです。古代ギリシャにおいて、いかに生きるべきかが追求されるようになり、その過程で道徳性の構造の把握につながる指摘がなされるようになったのでした。

 では、中世は道徳教育という観点からどのような特徴があるのでしょうか。端的には、神という存在が生き方の絶対的な基準として明確に定められたという点が挙げられるでしょう。神の救済を求めることこそ人間としてあるべき姿だとされたのです。つまり、神への絶対的な信仰が社会的認識として形成されていたのです。これを個人的認識と調和させることが中世の道徳教育だということになります。しかし、その具体的なあり方は時代の流れに伴う個人的認識の発展によって大きく変化していきます。本稿では、その過程をローマ帝国末期から中世初期、そして中世中期、さらに中世後期と3つに区分し、それぞれの時代を代表する人物であるアウグスティヌス、トマス・アクィナス、ルターの思想に焦点を当てながら、中世の教育や教育思想の変遷を明らかにしたいと思います。
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 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
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 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
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 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
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 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
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 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
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 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
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 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
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 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
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 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
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 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
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 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
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 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史