2014年08月15日

2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章(1/10)

目次
(1)報告者から提示されたレジュメ
(2)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章要約@
(3)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章要約A
(4)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章要約B
(5)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:ライプニッツの哲学の歴史的必然性とその意義とは何か
(8)論点2:バークレの哲学とはどのようなものか
(9)論点3:ドイツ啓蒙思想とはどのようなものか
(10)参加者の感想の紹介
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1)報告者から提示されたレジュメ

 本年、わが京都弁証法認識論研究会は、ヘーゲル『歴史哲学』とセットで理解すべきヘーゲル『哲学史』を理解するための準備段階として、南郷継正先生も著書で推薦されているシュヴェーグラー『西洋哲学史』(岩波文庫)を一年かけて読破し、哲学史のアバウトな流れを把握し、それを主体的に掴み取ることを例会の目標として掲げています。

 7月例会では、「第34章 ライプニッツ」から「第38章 カントへの移り行き」までを扱いました。ここでは、主としてライプニッツに始まるドイツ観念論からドイツ啓蒙思潮までの流れが説かれていました。

 本例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し、次に、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介したいと思います。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメを紹介することにしましょう。


京都弁証法認識論研究会  2014年7月例会

シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34章〜38章

【時代背景:17、18世紀のドイツ】
 ドイツは中世以来、「神聖ローマ帝国」として古代ローマ帝国の後継者をもって任じていたが、実質的には封建諸侯の寄せ集めにすぎなかった。西ヨーロッパに民族国家が成立したのに対して、ドイツでは民族的な統一が遅れ、政治的に分裂したままだったのである。このようにドイツの発展が遅れた一番大きな原因は、地理上の発見に伴う商業の世界的な拡大にドイツが参加できなかったことにあるといえる。ドイツはイタリアと並んで、中世末期にはもっとも都市の栄えた国であったが、新しいアジア貿易と新大陸貿易が西ヨーロッパ諸国に次々に富強を与えたのに反比例して、ドイツの商工業は衰退の一途をたどったのである。

 これに加えて、16世紀初めにルターが宗教改革を起こして以来、ドイツでは新旧両派の対立である宗教戦争が絶え間なく続き、特に最後で最大の宗教戦争である三十年戦争(1618〜48)によってドイツの中心部は完全に荒廃してしまい、人口も1800万人から700万人に激減したといわれている。講和条約によって諸侯の主権がほぼ完全に承認されたため、帝国における諸侯の分立状態は決定的となり、神聖ローマ皇帝の権威は有名無実となった。

 三十年戦争後、ドイツの東北部にあって戦争の被害が比較的少なかったプロイセンが急速に台頭し始め、名目的には皇帝の下に立つ諸侯の一つでありながら、事実上一つの独立の強国として、他のヨーロッパ諸国と肩を並べる地位に立つにいたった。18世紀前半にこの国を治めたフリードリヒ・ヴィルヘルム1世はプロイセンの絶対王政の基礎をつくりあげた。彼は官僚制度を整備し強力な常備軍を設立した。プロイセンは18世紀の後半に至り、フリードリヒ2世(大王)の力によって一層の飛躍を示したのである。


【1】ライプニッツからバークレへの主観的観念論の発展

 一面的な実在論の諸体系と平行して進んでいる観念論の発展継列は、ライプニッツに始まる。実在論の立場とは逆に、観念論では、物質的なものがその下に包摂されるように精神の概念を理解することに努める。物質は粗大にされた精神的なものであり、精神(心)と表象(観念)とのみが存在するとされる。観念論の立場は、精神的な存在、自我を実体とし、すべての認識は精神自身のうちからの創造であると主張する。認識作用は能動的行為であるとし、自然における生成を観念論的な規定根拠から、すなわち目的論的に説明しようと努めるのである。このような観念論の立場は、ライプニッツの哲学的立場の特徴をも示している。

 ライプニッツの学説の根本特徴はそのスピノザ主義への対立である。スピノザが無規定の普遍者としての実体を唯一の積極的なものとしていたのに対して、ライプニッツは実体を生き生きとした活動、能動的な力として捉え、その実体は個物、すなわちモナド(単子)であるとし、多くのモナドが存在するとした。モナドはだいたいにおいてアトムに似ているが、一つ一つ質的に異なっている点、本当に分割できない点、生動的で霊的な存在である点で、アトムとは著しく相違している。モナドは生き生きとした変化と活動とのうちにあり、無数のモナドの各々は1つの小宇宙であり、存在し生起する全てのものの姿をモナド自身の自発的な力によって映す鏡である。したがって、モナドは万物をいわば萌芽的に、自分の内に観念的にもっている。世界は、表象する存在であるモナドの総和であるが、表象作用の程度に応じて、すなわち、反映の完全不完全の相違に応じて、一定の諸段階に分けることができる。しかし、各々のモナドは同じ宇宙を反映しているのであるから、すべてのモナドの変化は互いに平行しており、神によって予定された宇宙の調和が実現されているのである。魂と肉体も、正確な2つの時計が互いにまったく無関係でありながらまったく一致するのと同様、完全な並行関係があり、調和している。ライプニッツの認識論はロックの経験論への対立によって規定されている。ライプニッツは生得観念を弁護し、観念は素質として潜在的にのみ精神のうちに存在しているのであって、精神は自分の内から観念を生み出す能力を持っているとした。

 ライプニッツは観念論者にちがいないが、実在論からまったく手を切ってはいない。主観的観念論の最後の帰結は、物体を単なる現象、根底に何ら客観的実在のない単に主観的な表象として、客観的な感性的な世界の実在性をまったく否定してしまうことである。このような帰結を引き出し、主観的観念論を完成させたのがバークレである。バークレは我々の感覚はまったく主観的なものであり、いわゆるものとは我々の表象のうちにのみあるのであって、それが存在するとは知覚されていることにほかならないという。物質的外界というようなものはなく、存在しているのはただ精神、すなわち思考的存在だけであるとした。バークレは、神が観念を我々に与えるのであると主張し、神のうちにある観念を原像、我々のうちにある観念を模像と呼んだ。ここから彼は、自然とは観念の継起あるいは連関にすぎず、自然法則とは観念連合の法則にほかならないとした。

◆報告者コメント
 ライプニッツは、世界は表象する存在であるモナドの総和であり、モナドは各々異なり、自立的に変化・運動すると考えている。これはスピノザの説が実体を唯一の存在とするものであるのに対して、実体は無数に存在するとする考えである。極端な考え方が生まれれば、他方、対立する極端な考え方が生まれるというのは、歴史的な必然性といえるのではないだろうか。
 観念論的一元哲学の完成者たるヘーゲルの哲学から眺めれば、あらゆる物質的存在も、精神的存在であるモナドによって構成されていると考えており、独自の意志(?)によって変化・運動していると考えている点はよしとしても、各モナドの調和が、単に予定調和としてしか説かれていない点が不十分だといえるだろう。ヘーゲルにあってはここを、絶対精神の自己運動という形で、全てを統一的に説ききることができたのであるが、ライプニッツでは、世界の部分同士の連関をしっかり把握し、説ききるまでには至らなかったということではないだろうか。


【2】ヴォルフとドイツ啓蒙思潮

 バークレの観念論はそれ以上に発展させるものがなかったが、ライプニッツの哲学はヴォルフが継承し発展させた。ヴォルフの歴史的功績は3つある。第一に、彼は知識の全領域を再び哲学の名において要求し、体系的な学説を与えようと試みた。第二に、彼は再び哲学的方法そのものに注意を向けた。最後に、彼は哲学にドイツ語で語ることを教えたが、哲学は以後それを忘れることがなかった。ヴォルフは哲学を可能なものそれ自身に関する学問と定義した。彼のもっとも独自な功績である存在論では、カテゴリー、すなわち思考の根本概念が扱われている。今日行われている哲学上の用語の多くは、彼がはじめてこれを確定して哲学の術語中へ導き入れたものである。

 ヴォルフの哲学はまもなくポピュラーな哲学となって広い影響力をもつようになった。このようなライプニッツ・ヴォルフ哲学の影響を受けながら、しかもこれと直接の学問的つながりなしに、18世紀後半のドイツにおいて一種の折衷的な通俗哲学が形成された。これがドイツ啓蒙思潮である。これはフランス啓蒙思潮のドイツ的対照物であり、観念論の発展継列を極端な主観主義への傾向をもって閉じている。ここでは、経験的な、個々の自我そのものが絶対的なもの、唯一の是認されたものである。一般に、前面に押し出されているのは効用と目的の見地であって、効用が真理の本来の基準とされており、主体に役立たぬもの、その主観的目的に沿わぬものはわきへやられている。この時代の主観的な立場は、当時流行した自伝および自己告白という著作形式のうちに示されている。

◆報告者コメント
 哲学(学問)と言語の関係を考えるうえで、ヴォルフの哲学は重要だと感じた。ヴォルフは単にドイツ語で哲学用語を創っただけではなく、そのことが逆にドイツ語を鍛え、ドイツ語を使うドイツ国民の哲学的な実力向上に資したということも言えるのではないだろうか。言語と認識の相互浸透によって、ドイツの哲学的実力が向上し、それがのちのカントやヘーゲルの哲学として結実したのではないか。
 そうであれば、三浦つとむ・南郷継正先生によって学的言語としての日本語がレベルアップし、その日本語を使用している日本人の哲学的・学問的実力も、今後さらに発展していく可能性があるといえるのではないだろうか。


【3】カントへの移り行き

 これまでたどってきた観念論および実在論の発展継列は、いずれも一面性をもって終わっていたが、そこへカントが現れて、はなればなれになっていた2つの流れを、再び1つに合流させた。カントは、自我は実践的な自我としては自律的で自分自身の無制約的な立法者であるが、理論的な自我としては受容的であり経験の世界によって制約されているとした。さらに理論的な自我としても、一方で、あらゆる認識の素材が経験に由来するかぎりで経験論が正しいとすれば、他方で、経験するためにはア・プリオリに我々の悟性に含まれている概念が必要であるから、合理主義が認識のア・プリオリな要因・素地を強調するのは正しいと論じた。

 カントは人間の認識活動一般、我々の経験の起源を研究の課題とした。カントの『純粋理性批判』によると、認識は概念の枠に経験の素材をみたし、経験の素材を悟性概念の網に捕らえることによって、両者を合わせたものである。にもかかわらず、我々はものをあるがままに認識するのではない。第一に、我々は認識の材料として与えられた多様に、認識の形式である概念を付け加えるからである。第二に、悟性概念の枠のうちで捕らえる直観さえ、すでにあらゆる感官対象の普遍的な形式である時間と空間とを通過したものであるからである。ここから、次の3つの主要原理が導かれる。第一に、我々は現象を認識するにすぎず、物自体を認識するのではない。第二に、にもかかわらず、経験のみが我々の認識の範囲であって、無制約的なものに関する学は存在しない。第三に、それでもなお人間の認識が経験という自分に課せられた限界を踏み越えようとするならば、すなわち超越的となろうとするならば、それはこの上もなく大きな矛盾に巻き込まれる。このようなカントの消極的な方面の積極的な補足は、『実践理性批判』のうちに見出される。そこでは、理論的精神が必然的な法則に従う現象の世界に結びついていたとすれば、実践的精神はそれに本質的に具わっている自由、および絶対的な究極目的へ向かう方向によって、純粋に叡智的で超感性的な世界に属するという実践的観念論が説かれている。

◆報告者コメント
 カントの認識論は、認識の受動性と能動性を対立物の統一としてとらえたということができるのであろう。すべての意味ある哲学がカントへと流れ込み、カントからヘーゲルへの流れとなって、観念論的な一元論哲学が完成したという大きな哲学の発展史をしっかり踏まえることが、個々の哲学の学説を理解するうえで必須である、ということがここでも確認できたように思う。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 例会報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/403682086
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック

<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
 ・各種の日本酒を体系的に説く
 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・学びにおける目的意識の重要性
 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
 ・心理療法における外在化の意義を問う
 ・佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」CD発売
 ・新人教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2011年7月例会報告:近藤成美「マルクス『国家論』の原点を問う」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む
 ・2011年8月例会報告:加納哲邦「学的国家論への序章」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論1三浦つとむの哲学不要論をめぐって
 ・一会員による『学城』第8号の感想
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論2 マルクス『経済学批判』「序言」をめぐって
 ・2011年9月例会報告:加藤幸信論文・村田洋一論文読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論3 マルクス「唯物論的歴史観」なるものの評価について
 ・三浦つとむさん宅を訪問して
 ・TPP―-オバマ大統領の歓心を買うために交渉参加するのか
 ・続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2011年10月例会報告:滋賀地酒の祭典参加
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論4不破哲三氏のエンゲルス批判について
 ・2011年11月例会報告:悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か」読書会
 ・エンゲルス『空想から科学へ』を読む・補論5ケインズ経済学の歴史的意義について
 ・一会員による『綜合看護』2011年4号の感想
 ・『美味しんぼ』から何を学ぶべきか
 ・2011年12月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学、その学び方への招待」読書会
 ・年頭言:「大和魂」創出を志して、2012年に何をなすべきか
 ・消費税はどういう税金か
 ・心理療法におけるリフレーミングとは何か
 ・2012年1月例会報告:悠季真理「古代ギリシャ哲学,その学び方への招待」読書会
 ・バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く
 ・2012年2月例会報告:科学史の全体像について
 ・『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか
 ・一会員による『綜合看護』2012年1号の感想
 ・橋下教育基本条例案を問う
 ・吉本隆明さん逝去に寄せて
 ・2012年3月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第1章〜第4章
 ・科学者列伝:古代ギリシャ編
 ・2年目教師としての一年間を実践記録で振り返る
 ・2012年4月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第5章〜第6章
 ・科学者列伝:ヘレニズム・ローマ・イスラム編
 ・簡約版・消費税はどういう税金か
 ・一会員による『新・頭脳の科学(上巻)』の感想
 ・新人教師のもつ若さの意義を説く
 ・2012年5月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第7章
 ・科学者列伝:西欧中世編
 ・アダム・スミス『道徳感情論』を読む
 ・2012年6月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第8章
 ・科学者列伝:近代科学の開始編
 ・ブログ更新2周年にあたって
 ・古代ギリシアにおける学問の誕生を問う
 ・一会員による『綜合看護』2012年2号の感想
 ・クセノフォン『オイコノミコス』を読む
 ・2012年7月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第9章
 ・科学者列伝:17世紀の科学編
 ・一会員による『新・頭脳の科学(下巻)』の感想
 ・消費税増税実施の是非を問う
 ・原田メソッドの教育学的意味を問う
 ・2012年8月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第10章
 ・科学者列伝:18世紀の科学編
 ・一会員による『綜合看護』2012年3号の感想
 ・経済学を誕生させた経済の発展とはどういうものだったのか
 ・2012年9月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・人類の歴史における論理的認識の創出・使用の過程を問う
 ・長縄跳びの取り組み
 ・国家の生成発展の過程を問う――滝村隆一『マルクス主義国家論』から学ぶ
 ・三浦つとむの言語過程説から言語の本質を問う
 ・2012年10月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第11章
 ・科学者列伝:19世紀の自然科学編
 ・古代から17世紀までの科学の歴史――シュテーリヒ『西洋科学史』要約で概観する
 ・2012年11月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章前半
 ・2012年12月例会報告:シュテーリヒ『西洋科学史』第12章後半
 ・科学者列伝:19世紀の精神科学編
 ・年頭言:混迷の時代が求める学問の確立をめざして
 ・科学はどのように発展してきたのか
 ・一会員による『学城』第9号の感想
 ・一会員による『綜合看護』2012年4号の感想
 ・2013年1月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』を読む前提としての世界歴史の全体像
 ・歴史観の歴史を問う
 ・2013年2月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』をどのように読んでいくべきか
 ・『三浦つとむ意志論集』を読む
 ・言語学の構築に向けてどのように研究を進めるのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年1号の感想
 ・改訂版・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・2013年3月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(前半)を読む
 ・3年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
 ・言語は歴史的にどのように創出されたのか
 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
 ・ヒュームの提起した問題にカント、スミスはどのように答えたか
 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
 ・一会員による2013年上半期の振り返り
 ・認知療法における問いの意義を問う
 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
 ・2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む
 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む