2014年08月09日

アダム・スミス「天文学史」を読む(5/5)

(5)スミスは認識の能動性に着目することでイギリス経験論の限界を突破した

 本稿は、スミスの若き日の論稿「哲学的研究を導き指導する諸原理――天文学の歴史による例証」(通称「天文学史」)において、如何なる議論が展開されているのか、より具体的には、イギリス経験論のぶつかっていた壁を突破する可能性がどのように示されることになったのか、検討することを目的としたものでした。ここで、アダム・スミスの「天文学史」における議論を、改めて簡単に振り返っておくことにしましょう。

 スミスは、この論文の冒頭で「驚異 wonder、驚愕 surprise、驚嘆 admiration は、しばしば混同されるけれども、……相互に区別される、諸感情を示す語である」と述べ、「この論文の企図は、これらの感情それぞれの性質と原因を個々に考察することにある」としていました。この論文におけるスミスの問題意識は、あくまでも感情の問題、もう少し正確にいえば、哲学的探究の動機としての感情の問題にあるのです。スミスが、哲学的探究の直接の動機となると見なしたのは、驚異と呼ばれる感情でした。端的には、新奇な現象、あるいは、通常ではありえないような(想像力がなじんでいるのとは全く異なる)事物・事象の繋がりに出会ったときに抱かれる「どうしてこんなところにこんなものが!?」という驚異の念こそが、「自然の結合諸原理の科学」たる哲学の出発点である、というのがスミスの主張なのです。

 それでは、こうした驚異の念は、如何にして「自然の結合諸原理の科学」へと繋がっていくことになるのでしょうか。このことを確認するためには、ヒュームの観念連合の議論にまで遡ってみなければなりません。スミスに大きな影響を与えたヒュームは、2つの事象の連続が繰り返し観察されるならば、それらの2つの事象についての観念どうしが結びつけられようになる、と論じていました。しかし、もっぱら心のなかを見つめたヒュームは、ある観念と他の観念とが習慣によって直結されることを指摘するにとどまり、客観的世界において2つの事象が必然的に結びついていることは否定する立場をとったのです。ところが、習慣によって2つの観念が結合されているだけだ、というヒュームの議論の到達点(イギリス経験論の最後の帰結ともえいます)は、スミスにとっては、自身の議論の出発点でしかありませんでした。スミスは、諸現象が習慣的な連関と全く異なる順序で現れるならば、想像力が先行する現象から後続する現象へと滑らかに移行することができなくなる、という極めて重大な指摘を行うのです。スミスによれば、想像力は、それら2つの事象の間に隔たりがあることに驚き不安を感じて、両者を繋いでくれる目には見えない鎖のようなもの――「中間的諸事象の鎖」を想定することで、何とかして安らぎを得ようするのです。こうして、「世界で生じる様々な変化の全てを結合しようと努力する科学」(「古代論理学と古代形而上学の歴史による例証」)である哲学が誕生することになります。

 このように、ある事象の観念と他の事象の観念とを心のなかで直接に結びつけて「それでよし!」としてしまった(?)ヒュームに対して、人間の想像力はある事象と他の事象との媒介を追究せずにはいられないものである、ということを明らかにしたのが、スミスの「中間的諸事象の鎖」論だといえます。決定的に重要なのは、この「中間的諸事象の鎖」は、客観的な現実世界への能動的な問いかけの出発点になる、ということです。スミスによる天文学史の概観は、まさにこのことを明らかにするためのものであったといわなければなりません。

 スミスは、古代ギリシャ以降、天体現象を統一的に説明するために様々な「体系(system)」が模索されてきたこと、換言するならば、太陽の運動、月の運動、恒星の運動、惑星の運動というバラバラな天体諸現象を統一的に説明するための「中間的諸事象の鎖」が様々に想定されてきたことを論じています。より具体的には、古代における同心天球の想定、ヒッパルコス=プトレマイオスによる離心天球と周転円の想定、イスラムにおける探求と中世ヨーロッパのスコラ学を間に挟んでコペルニクスによって地動説が提唱され、ケプラーによる惑星の楕円軌道の提唱やデカルトの渦動論を経てニュートンの万有引力論が確立されていくまでの流れが概観されているのです。スミスは、天文学の歴史をこのようにざっと概観することによって、既存の「体系(system)」では説明できない新奇の現象(例えば、惑星の運動)に直面させられたとき、既知の現象と新奇の現象とを結びつけて統一的に説明できるような新しい結合原理にもとづく新しい「体系(system)」が構築されていくという過程が繰り返されることによって、人間が天体現象についての認識を段々と深めていったことを明らかにしたのでした。

 私たちは、スミスによって描かれた天文学史の流れから、次のような結論を導き出すことができるでしょう。人間は、バラバラの諸現象を繋げて理解するために、想像力を使って、何らかの結合原理(同心天球、離心円と周転円、エーテルの渦、万有引力など)を創り出します。しかし、心のなかで、結合原理を媒介にしてバラバラの諸現象が繋げられればそれで終わり! ということではありません。その結合原理が妥当かどうかは、あくまでも現実の諸現象と突き合わせることによって検証されていかなければならないのです。仮に、何らかの新奇な現象の登場によって既存の結合原理の不充分さが露呈してしまったならば、そのことが新たな不安を喚起するのであり、その不安を静めるために、より確かな結合原理が模索されていくことになります。人類は、このような過程をくり返すことで、客観的世界に存在する法則性についての認識をより確かなものにしてきたのでした。

 本稿の連載第2回で触れたように、スミスは、天文学史についての考察をスタートさせる前に、過去の学者たちが採用してきた諸々の「自然の体系(system)」について「実在との一致・不一致を顧慮することなく」考察していく、もう少し詳しくいえば、科学的な理論や仮説が客観的実在と一致しているか否かというイギリス経験論のぶつかっていた大きな壁については、とりあえず脇に置いて考察を進めていく、としていました。ところが、ニュートンの体系に関する考察を終えた段階で、ニュートンの想定した鎖を自然界のなかに現実的に存在する真の鎖であるかのように説明せざるを得なくなった(そういうつもりではなかったのに!)、という感想をもらしていたのでした。「実在との一致または不一致を顧慮することなく」論じようとしても、天文学史の最高の到達点たるニュートンの万有引力論については、あたかもそれが客観的世界の真の姿と当然に一致するものであるかのように論じざるを得なくなる――スミスは、このようにいうことで、人間の認識は客観的世界の法則性を間違いなく認識しうるのだ、という結論を読者に強く印象づけようとしていたのではないかと考えることができます。

 以上のように振り返ってみることで、スミスが、イギリス経験論の最後の帰結ともいうべきヒュームの因果律批判を出発点にしながら、イギリス経験論の限界を事実上突破するような議論を展開したことがお分かりいただけるのではないでしょうか。ヒュームのように、自然科学的認識の根底にある因果律を主観的な信念にすぎないとしてしまうと、プトレマイオスの説よりもニュートンの説の方がより的確に客観的世界の姿を掴んでいるなどとはいえなくなってしまいます。スミスの「天文学史」は、古代ギリシャ以来の天文学の発展史を具体的に辿り、人間の認識が客観的世界の法則性をだんだんと掴んでいくあり方を明らかにすることによって、こうしたヒュームの因果律批判を事実上、ひっくり返してしまったのです。

 ここで注目したいのは、スミスが、感情や想像力に注目して天文学の発展を論じている点です。感情あるいは想像力というものは、古代ギリシャ以来の学問の歴史において、学的認識(真実の認識)を妨げてしまうものとして、たいがい負のイメージで語られてきました。「理性・知性・悟性などは、人間が真理を獲得するための高い認識源泉であるのに対して、感情・感性・想像力など総じて感性的なものは……仮象や誤謬の源泉であるという考え方は、近世哲学の真理観をつらぬく根本的な図式」(黒崎岩男『カント「純粋理性批判」入門』講談社選書メチエ、p.67)であったのです。認識の2大源泉のひとつとして感覚を重視したロックの『人間知性論』においてさえ、想像力には積極的な役割が与えられておらず、むしろ、心が諸々の観念を勝手気儘に弄んで、客観的実在とはかけ離れた不確かなイメージを創ってしまうような力として、捉えられている嫌いがあります。スミスがそこを大転換させるような見方を打ち出したのは、画期的なことであったといえるでしょう。客観的法則性というものは感覚器官で直接に捉えられるものでありませんから、ロックのような受動的な反映論にとどまるかぎり、なぜ認識が客観的法則性を把握できるのか、まともに解くことはできません。そこから、ヒュームのような因果律批判が生まれてくることにもなるのです。客観的法則性とは、認識の側からの能動的な問いかけによって、いわば“現象させる”ことによらなければ、そもそも把握しようがありません。それでは、認識の側からの能動的な問いかけを可能にするものは何かといえば、それは想像力であり、その想像力を駆り立てるのは感情にほかならない、ということになるのです。想像力を駆使してこそ感覚の限界を超えることが出来る、感覚器官を通じた直接的な反映では捉えきれないような対象の姿に迫ることが出来る――「天文学史」を著したスミスは、漠然とした形ではあれ、このようなことを掴みかけていたのではないでしょうか。三浦つとむさんは、『弁証法はどういう科学か』や『認識と言語の理論』などにおいて、私たちが観念的自己分裂によって現実から離れていくことは同時に現実に近づいていくことでもある、という矛盾を論じていますが、こういう三浦さんの把握に繋がる論がスミスにおいて芽生えていたのだといえるかもしれません。端的には、スミスは感情や想像力の果たす役割に着目して学問史を検討したからこそ、イギリス経験論の限界を突破することが可能になったといえそうです。

 学問体系は事実の体系ではなく論理の体系にほかなりません。事実とは実際にある(あった)ことですが、論理とは事実そのものではなく、それらの事実に共通する性質を導き出したもの、換言すれば、認識の側からの能動的な問いかけによって“現象させたもの”なのです(法則とは、そのような論理のなかでも、一定の領域で起こる諸現象を貫く基本的・普遍的・必然的な関係を掴んだ論理のことです)。したがって、論理の体系としての学問は、決して外界の受動的な反映によって成立するものではなく、能動的な問いかけによって、論理あるいは客観的法則性を現象させなければ、その形成の端緒にもつけないのです。さらにその形成過程を具体的に見るならば、〈想像力を駆使しての仮説の樹立→観察・実験によるその客観的妥当性の検証〉という過程の繰り返しにほかならないことが確認されなければなりません。スミスの「天文学史」は、天文学の歴史を具体的に検討することを通じて、こうした科学的認識の成立の過程的構造を究明したものであり、哲学の歴史上、大きな意義を有するものということができるでしょう。

(了)
posted by kyoto.dialectic at 06:46| Comment(1) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント


毎回毎回、ありがとうございます。
今回も、とても勉強になりました。

>人間は、バラバラの諸現象を繋げて理解するために、想像力を使って、何らかの結合原理(同心天球、離心円と周転円、エーテルの渦、万有引力など)を創り出します。しかし、心のなかで、結合原理を媒介にしてバラバラの諸現象が繋げられればそれで終わり! ということではありません。その結合原理が妥当かどうかは、あくまでも現実の諸現象と突き合わせることによって検証されていかなければならないのです。

これは、対象との、止める事のない目的意識的対立物の相互浸透の継続なのでしょう〜

>さらにその形成過程を具体的に見るならば、〈想像力を駆使しての仮説の樹立→観察・実験によるその客観的妥当性の検証〉という過程の繰り返しにほかならないことが確認されなければなりません。

この「そう想像力を駆使しての仮説」が重要だと思います。
これが、観念論的ですと、「凝り固まった自説→対象への使用」となってしまい、結果的に自説の根本的変化・運動が停止してしまう事になるのでしょう。

そうならない為には、

我も正しい、彼も正しい、では、その区別と連関は?
我も間違い、彼も間違い、では、その区別と連関は?

〜的な視点・観点的考察が必要だと、私は思っています。



Posted by 自由びと at 2014年08月09日 11:19
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 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言