2014年07月26日

現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは(1/5)

〈目次〉

(1)「言語道具説批判」批判に対する私の感想および恩師のご指導
(2)小論の非弁証法性と言語の概念規定の曖昧さこそ「批判」の本質である
(3)言語の概念規定が曖昧なのは人間の本質が捉えられていないからである
(4)人間の本質が捉えられていないのは絶対的真理の弁証法がないからである
(5)「言語道具説批判」に欠けたるものとは


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(1)「言語道具説批判」批判に対する私の感想および恩師のご指導

 以前、本ブログ上に「現代の言語道具説批判――言語規範とは何か」という論考を掲載しました。この論考は「現代の言語道具説批判」シリーズの第1弾として、言語道具説が陥っている決定的な誤謬、つまり言語と言語規範とを混同していることを批判するために、言語規範とは何かについて論じたものです。本来であれば、シリーズ第2弾として、「現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か」を本日から掲載する予定でしたが、思わぬ事態が生じたため、予定を変更することにしました。

 その思わぬ事態とは何かといえば、「談論サロン天寿堂」という掲示板上で、サイト運営者である愚案亭主先生が「「言語道具説批判」に欠けたるものとは」と題した「批判」を行っておられることを知ったことです。他の会員からこのことを知らされたため、すぐにその「批判」を読んで、感想を認めました。その感想は以下の通りです。

「率直に言って、かなり厳しい批判をいただいたなという思いがしています。「言語道具説的な硬直さ」「絶対的真理の弁証法がない」「言語とは何かの規定は、…一体何の規定なのかさっぱり分からない」などなど、今の私の未熟さを徹底的に意識させられるような批判だと思います。

 問題になっている小論は、「言語道具説」において言語規範と言語とを混同している、論理的に分けて考察できていない、ということを問題として取り上げ、そこを大きく批判するという趣旨で執筆したものです。「認識の表現としての言語と、一般性として観念的に対象化された言語規範とを、別々のものとして硬直した対立においてのみ把えたように思える表現」という批判をいただいていますが、あえて言えば、言語と言語規範との区別を強調したのだ、ということになると思います。この区別が出来ていない、区別する能力がない、対象→認識→表現という表現の過程的構造の把握が全くない、表現の過程的構造における言語の特殊性、言語規範という社会的認識を媒介しなければ表現が成立しえない、という理解が全くない、言語とは表現であり、言語規範とは認識であるという原理的な把握ができていない、ということを述べたかったのです。

 とはいえ、弁証法の実力がまだまだであるという指摘として、しっかり受け止めなければならないと思います。「絶対的真理の弁証法」「相対的真理の弁証法」というのがどういうことなのか、はっきりした内容は分からないのですが、ともかく、「言語は使って創るものであり、言語規範は創って使うものである、という「言語道具説批判」の中にあるとても興味深い分析的論理」「最後の最後になってようやくその絶対的真理の弁証法が少し顔をのぞかせている…論を重ねて重ねて最後になってようやくその近くに辿り着いた」など、前向きな評価もいただいていると感じます。

 とにかく、こうして取り上げていただいているのは、このままでは道を踏み外しかねないぞというご指摘だと思いますし、こうしたご指摘を頂けるのは、まだまだ私自身の認識が発展可能だということを示していただいているものでもあると思いますので、じっくりと検討して、自らの言語学をしっかりと構築していけるようになりたいと思います。」

 この感想文に対して我々京都弁証法認識論研究会の指導者である恩師より、「愚案亭主さんの批判内容を詳細に検討し、その言わんとすることを再措定(言わんとすることをいかようにも説明できるレベルにする)し、その上で批判内容を自分の言葉で「要するに、こういう批判でした」と誰もが納得できるようにする」こと、「戦場にデビュー」したからには「こういった「批判」は当然に返ってくることになるの」だから、「今回のような「批判」が返ってくることを「当然のこと」とする認識ぐらいは最低の認識としておくべき」であり、「やるかやられるかという壮絶な戦いの場」に身を置いたのだという覚悟をしっかりと持つこと、という2点についてご指導いただき、その上で、「これを機会にじっくりと自らの「心技体」を省みて、一気に飛躍する絶好のチャンスとして欲しい」という激励をいただきました。

 せっかくわざわざ愚案亭主先生が私の小論を取り上げ、それに対して「批判」=「指導」していただいているのであるから、それをあっさり「厳しい批判」だとして終わりにしたり、「弁証法の実力不足」を乗り越えたいとしたり、「前向きな評価もいただいた」と楽観視したりするだけではなくて、愚案亭主先生の言わんとすることを論理的に辿りかえして、自らの実力と化すと共に、「言語道具説批判」についても一段進歩したものとして再構築することで、言語学構築という目標に近づく糧としなければならない、とご指導いただいたものと解釈しています。

 第2のご指摘については、「「〜批判」という内容のものを公表するということについての厳しさ」をしっかりと自覚しなければならない、というご指摘をいただいたものと思っています。今回のように、「現代の言語道具説批判」というようなものを公開するからには、当然、その相手方のみならず、第三者からの反駁も想定していなければならない、しかもそうした反駁に対して対応しきれるだけの「技術・体力を創って」おくことが必要である、というご指摘です。自らの論説に責任を持って、自らの人生の目的をしっかり見据えて、今後の執筆活動を行っていく中で、言語理論に関する深い認識を創出すると共に、それを駆使して体系的な言語学を構築すべく、継続的に取り組んでいきたいと思います。

 今回は、ご指導いただいた第1の点、愚案亭主先生の批判内容の再措定をこの場でしっかりと行っておきたいと思います。

 愚案亭主先生の「批判」は、次の3点にあると思います。まず、私が前稿で掲げた言語の仮説的一般論が曖昧であること、次に、人間の本質とは何かから言語の問題を取り上げられていないこと、最後に、絶対的真理の弁証法が欠けていること、の3点です。言語の概念規定が曖昧である理由は、人間の本質とは何かから言語を捉えられていないからだ、ということになると思います。それではなぜ、人間の本質とは何かから言語を捉えられていないのかと言えば、それは私の認識に絶対的真理の弁証法が欠けているからだ、となるのだと思います。

 この説明だけでは頭の中に「?」マークが一杯になってしまうと思いますので、この3点の中身について次回以降、順次「再措定」していきたいと思います。
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 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
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 ・一会員による『学城』第3号の感想
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 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史