2014年07月12日

半年間の育児を振り返る(2/5)

(2)子どもの実体の成長・発達

 本稿は,自らの半年間の育児を振り返って,弁証法・認識論的にどのような学びがあったのかをしっかりと認めることによって,自らの実力向上を果たし,今後の育児の指針を得ることを目的とするものである。前回は,瀬江千史『育児の生理学』と海保静子『育児の認識学』を復習して感想文を書いたことを紹介し,その一部を引用して,「生命の歴史と科学的認識論をふまえて,赤ん坊の外界を整え,外界からの働きかけとして目的意識的に,格闘レベルで育児を行うことによってこそ,対象の構造に分け入っていける実力がつくのであるし,大きな視点に立った人間観を再措定していくことも可能となる」という内容を押さえた。さらに,半年間の育児を振り返る観点を3つ設定した。すなわち,子どもの実体の成長・発達という観点,子どもの認識の成長・発達という観点,親の認識の変化・発展という観点の3つである。

 今回は,このうちの第一の観点である子どもに実体の成長・発達という観点から半年間の育児を振り返ると,どのようなことが見えてきて,どのような学びがあったといえるのか,考察していきたいと思う。

 まず,現象的な変化を追ってみたい。赤ん坊の体重は約3kgから8kgへと倍以上になった。髪の毛は,はじめはかなり薄かったが,徐々に濃くなってきた。顔つきや表情も,みるみる変わっていった。特に笑顔が出る頻度が上がっていった。生まれたばかりの時は,泣くこととおっぱいを吸うこと以外は全くといっていいほど何もできなかった赤ん坊であったが,それが徐々に首が座り,寝返りができるようになり,お座りもしばらくはできるようになっていった。

 このような運動形態の変化には,どのような意味があるのだろうか? 瀬江千史先生が『綜合看護』に連載されていた「看護のための生理学」では,このような赤ん坊の運動形態の発達を「生命の歴史」における系統発生と絡めて説かれていた。すなわち,赤ん坊は母胎内で実体として系統発生をくり返して生まれてくるが,誕生後は機能として系統発生をくり返す必要があると説かれていたのである。今回はこの論理を,自らの育児の事実でしっかりと確認したい。

 まず,ここに関して,以前本ブログで次のようにまとめておいた。

「今回までで説かれた赤ん坊の運動とそれに対応する「生命の歴史」の段階をまとめてみると,以下のようになる。

<単細胞段階のうごめき運動>
 泣く オッパイを飲む

<カイメン段階の固着運動>
 仰向けに寝て,手足を動かす

<クラゲ段階,魚類段階の運動>
 母親に抱かれて揺らされたり速やかに場所を移動したりする

<両生類段階のできないことをできるように頑張る運動>
 (寝返り お座り) ハイハイ」(一会員による『綜合看護』2013年1号の感想(4/5))


 ここでは触れていなかったが,首が座るというのは,脊椎動物のスタート地点としての魚類段階に相当する気がする。首が座る前は首がぐにゃぐにゃであり,いわばクラゲ段階といえるような状態であるのに対して,首が座ると,しっかりと骨と筋肉で首を支えることができるし,うつ伏せにさせても,首を骨と筋肉で持ち上げることができるからである。すなわち,首が座って初めて,骨が骨としてきちんと機能しはじめるということである。それ以前は,首の骨はあっても,頭を支えるという本来の機能を完全には果たしていないのである。したがって,首が座るというのは,骨と筋肉が創出されて,この両者によって全身が崩れないように支えることができるようになる魚類の段階に相当するのではないかと感じるのである。

 また,ここではお座りを仮に両生類段階に分類していた。確かに,できないことをくり返すことによってできるように頑張っていく過程の一つとして,両生類段階と位置付けることもできると思うが,その場でじっとして,バランスが崩れかけても元の状態でいられるように保っているという点では,クラゲ段階の運動と共通する側面もあるように感じた。クラゲも,少しくらい水の流れであればそれに抗して,その場でじっと漂っていられるように運動できるものであるし,それこそが後の魚類の力強い運動を可能にする,前提としての運動形態であるからである。要するに,その場でじっとしているだけに見えても,それはそれでじっとしていること自体が一つの大運動であるという点で,お座りもクラゲ段階も同じであると思うのである。

 このように述べると,「人間の発達の順序としては,当然,首が座ってからお座りができるようになるのに,首が座るのが魚類段階で,お座りがクラゲ段階というのでは,順序が逆になってしまうのではないか?」との疑問が出されるかもしれない。確かに,個体発生としての機能の発展と,系統発生としての機能の発展を機械的に対応させると,そのように順序が逆になるとの批判が出るのは当然であろう。

 しかし,個体発生と系統発生は,最終的なゴール(この場合であれば,人間として二足歩行できるという運動形態)に向けて,必要な段階を論理的に踏んでいくものであり,個体発生においては系統発生が多重にくり返されていると考えられる。分かりやすく言うと,系統発生のくり返し@と系統発生のくり返しAと系統発生のくり返しBというような,三重のくり返しがあるとすると,@における魚類段階がBにおけるクラゲ段階よりも先行する,というようなことがありうるのである。したがって,機械的にある段階と別の段階を取り上げて,系統発生と順序が逆になる,という批判は意味がないのではないだろうか。

 現に,首が座るための重要な一過程としての縦抱きに関して,瀬江千史先生は,次のように説かれている。

「さらにもう一つ,大事なことがあります。みなさんも,木の登り降りを想像してみてください。その時は,木にそって体がタテになっているでしょう。つまり端的には地上をかける哺乳類は,背骨が地上に対してヨコになっているのに,木に登る,あるいは木から降りる時のサルは,背骨が地上に対して,すでにタテの姿勢をとることができていたのだ,ということです。

 だからこそ実は,赤ちゃんを抱っこするのも,タテ抱きが当然ながら重要となってくるのだとわかってもらえるでしょうか。これがどれほどに大切かをお母さん方にはぜひ知ってほしいもの! と願っているのです。」(瀬江千史「看護のための生理学・40」,『綜合看護』2011年4号,p.69)


 すなわち,縦抱きというのはサル段階にも対応しており,背骨が地上に対して縦の姿勢をとるという意味でも大切なのだ,ということである。まだハイハイ(両生類段階)も全くできない状態の赤ん坊を縦抱きすることの意義の中に,背骨を縦にする(サル段階)ということも含まれるのであるから,ここだけを取り出してみれば,個体発生は系統発生と順番が違う,ということになってしまう。

 しかし,同じ縦抱きにも二重の意義があり,二足を歩行を可能にするための前提として背骨を縦にするという意味ではサル段階ということもできるし,首が座るために首の筋肉や骨を鍛えるという意味ではクラゲ段階から魚類段階のあたりということもできるのであろう。このように,個体発生においては系統発生が多重にくり返されており,ある段階と別のある段階を比較して順序が逆だなどというような批判は当たらないのだと考えられるのである。

 今回,半年間の育児を行っていて気づいたもう一つのことは,お座りの重要性である。お座りができて初めて,両手が自由になり,両手を人間らしい運動形態におくことが可能になるからである。というよりも,両手を人間らしい運動形態におくためにこそ,お座りという段階が存在しているのだ,と捉える方が正解に近いと思う。

 お座りに至るまでには,縦抱きによって背骨が立った状態に慣れさせること,赤ん坊用の椅子に座らせて,バランスがとれるようにすること,実際にお座りをして転ぶことをくり返すことによって,お座りの状態でい続けようとする意志を育てること,などが大切だと思った。

 そして,お座りの状態でいると,手が自由になるから,おもちゃなどを手に取って遊ぶようになる。最初はうまく掴めないものも,くり返しその対象と関わることで,しっかりと掴めるようになる。つまり,徐々に器用になっていくのである。このように手をコントロールするにも,脳細胞の機能たる認識の発展が前提となる。対象と関わることによって認識が発展し,その発展した認識が,徐々に器用に手を動かすようになっていくわけである。対象の重さも質感も違うし,それがその対象と関わることによって,しっかりと反映していくことによっても,認識は豊かに発展していくはずである。このように,両手を人間らしい運動形態におくことによってこそ,実体も認識も人間らしく発展していくのであり,その前提として,しっかりお座りができるということがあるのだと実感した次第である。
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 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言