2014年07月16日

2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章(1/10)

目次

(1)報告者から提示されたレジュメ
(2)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章要約@
(3)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章要約A
(4)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章要約B
(5)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:ロックのいう「実体」とは
(8)論点2:経験論はどのように発展したか
(9)論点3:ホッブスの人間観にはどのような意義があるか
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)報告者から提示されたレジュメ

 本年,わが京都弁証法認識論研究会は,ヘーゲル『歴史哲学』とセットで理解すべきヘーゲル『哲学史』を理解するための準備段階として,南郷継正先生も著書で推薦されているシュヴェーグラー『西洋哲学史』(岩波文庫)を一年かけて読破し,哲学史のアバウトな流れを把握し,それを主体的に掴み取ることを例会の目標として掲げています。

 6月例会では,「第27章 観念論と実在論」から「第33章 フランスの啓蒙哲学と唯物論」までを扱いました。ここでは,主としてロックに始まるイギリス経験論からフランスの啓蒙哲学までの流れが説かれていました。

 本例会報告では,まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと,扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し,次に,参加者から提起された論点について,どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に,この例会を受けての参加者の感想を紹介したいと思います。

 今回はまず,報告担当者から提示されたレジュメを紹介することにしましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27章〜33章(イギリス経験論とフランス啓蒙哲学)

【時代背景――市民革命の時代】
 イギリスでは、伝統的に議会の勢力が強く、島国という条件に規定されて王権の基盤となる常備軍(陸軍)が形成されなかった。一方で、地代の金納化による独立自営農民層の形成や牧羊業・毛織物工業の発展など、新興勢力の形成が早くから進んだ。17世紀に入ると、これら新興勢力(敬虔なピューリタン派が中心)が、議会を足場にして国王の権力を制限する革命を遂行していくことになる。より具体的には、国王の処刑にまで突き進んでしまったピューリタン革命(1649年)、その反動としての王政復古(1660年)とピューリタン派への弾圧、議会主権に基づく立憲王政を確立した名誉革命(1688年)というように、政治的・宗教的に激しい党派闘争を経ながら、国家主権の概念が明確化され、漸進的に議会制民主主義が確立されていくことになったのである。
 これに対して、ヨーロッパ大陸の中心に位置し、たえず隣接諸国との紛争を抱えていたフランスでは、強大な陸軍を保持する必要があったために、王権は極めて強大なものとなった。また、地代が長く物納にとどまっていたために、農民は農奴の地位に縛り付けられ、(農民所得の低迷による国内需要の低迷のために)商工業の発展も阻害された。このため、新興勢力の成長はイギリスに比して大きく後れた。また、フランスでは議会の勢力が弱く、そもそもほとんど開かれていなかったため、国民の政府への不満が高まっても、それを正当に代表する方法が存在しなかった。このため、イギリスのように政治体制を漸進的に改革していく道が閉ざされてしまい、政治の腐敗が極端にまで進んで、暴力的な革命によって一挙に矯正されるよりほかに途がなくなったのである。


【1】一元論の完成に向けた課題――唯物論か観念論か
 デカルトは実体(他のものに依存せずそれだけで存在するもの)として精神と物質の2つを掲げ、両者の媒介を要請したが、自身はそれを果たすことができなかった。デカルトの後継者たちも成功しなかった。精神と物質との媒介は、スピノザが試みたように両者を無限の実体(=神)のうちで1つにすることではなく、対立した2つの側面そのものに即して、すなわち、物質の側に立つか(精神的なものを物質的なものによって理解するか)、精神の側に立つか(物質的なものを精神的なものによって理解するか)でなされなければならなかった。ここから、一面的な実在論(経験論、感覚論、唯物論)と一面的な観念論という並進する2つの発展系列がはじまる。

◆報告者コメント
 哲学とは、この世界のあらゆる存在を1つのもの(根源的存在)から体系的に説いていくもの、すなわち、一元論(世界の一切の現象はある一元的なものの生成進化発展の結果であるとする思想)として完成されなければならない。結局のところ、哲学史とは一元論の完成を目標として展開されていくものなのである。ところで、この一元論は、究極的には、観念論(世界の全てを精神という一元的なものの生成進化発展の結果として説く)あるいは唯物論(世界の全てを物質という一元的なものの生成進化発展の結果として説く)として成立するほかない。したがって、一元論が成立するための大前提として、この世界の全存在が精神と物質という2大存在に整理されなければならなかった。デカルトは、この世界の全存在を精神と物質という2つの実体に纏めきったことによって、自分自身は二元論にとどまってしまったものの、二元論を克服する(=一元論を完成する)ための課題を明確にしたということができるであろう。
 シュヴェーグラーはこういう見通しを明瞭にもって哲学史の流れを描いているからこそ、「唯物論と観念論を理解された後の通読書としては分り易い書物である」(『南郷継正 著作・講義全集 第十巻』p.19)との評価が与えられることになったのではないか。そのような観点から、デカルトの二元論を哲学史の流れにおける重要な結節点として押さえておく必要があるだろう。


【2】イギリスにおける経験論の発展
 実在論(経験論、感覚論、唯物論)の発展系列の創始者は、イギリス人ジョン・ロックであるが、かれの偉大な先駆者に同国人トマス・ホッブスがある。ホッブスは、哲学の任務は事物の感覚器官への作用を説明することであり、この作用は運動以外のものではなく、あらゆる認識は感覚とその痕跡である記憶から生じるとした。
 ロックは生得観念を否定し、われわれの認識はすべて経験に由来するとした。かれは、経験を感覚(外的対象の感覚器官を媒介にした知覚)と反省(心の内面的な働きの知覚)とに2大別し、この2つのものから全ての観念を導き出し説明することを試みた。そのためにロックは、悟性は、諸々の単純観念(感覚と反省によって受動的に得られた単純で混じりけのない観念)を様々に結合して能動的に複合観念を作るのだとした。
 ロックは、実体の観念について、諸々の単純観念を束ねている基体として想定されたものにすぎないとする一方、それが客観的実在をもっているとも主張した。これは、主観的思考が創り出した観念が客観的世界に持ち込まれ、事物の客観的状態を創り出すのだ、というに等しい主張であり、経験論のそもそもの見地と整合的ではなかった。心はもともと白紙であり、認識の全内容は経験から得られたものだとすれば、経験から直接に得ることのできない実体の観念は主観の勝手な創造物だとしなければならず、主観をまったく空虚なものとして、物質的世界の上に立とうと要求するようなものをまったく主観から取去ってしまわねばならない。因果関係の概念の批判(必然性の関係をあらわすあらゆる概念、事物の実在的連関の認識と思いこまれているあらゆる認識は、結局観念の連合にもとづいているにすぎない)によって、このような徹底した経験論への歩みを進めたのがヒュームであった。ヒュームは実体概念の否定からさらに自我の概念の否定にまで導かれた。ヒュームの懐疑論はロックの経験論の徹底である。すべての知識が経験からのみ得られるとすれば、当然普遍性とか必然性とかいう諸規定はなくならざるをえない。それらは感覚のうちに含まれていないからである。

◆報告者コメント
 イギリス経験論(哲学というより認識論)は、端的には、ニュートンによって自然科学の領域で確立された方法を人間精神の解明に導入することを試みるものであったということができるだろう。あらゆる認識を感覚と反省という2大源泉から説明しきろうとしたロックの姿勢は間違いなく画期的なものであるし、あくまでも人間の観念そのものを対象に、その運動・変化のあり方を観察するところから法則性を導き出そうとしたヒュームの姿勢もまた見事なものだといえよう。
 しかし同時に、彼らの認識論の限界も押さえておかなければならない。その限界が端的に現れているのが、ロックによる実体の観念の捉え方であり、ヒュームによるその批判である。諸々の観念を(原基形態としての)単純観念にまで分解し尽くそうとしたロックは、実体という複雑観念について、諸々の単純観念を束ねている基体として想定されたものに過ぎないとする一方、それが客観的な実在性を持つことも否定できなかった。そのため、主観の産物である実体観念が客観的世界に持ち込まれて事物の客観的状態を創り出すのだ、というに等しい状態に陥ってしまったのであった。ロックのように、受動的な反映論にとどまって、対象に向かっての能動的な問いかけということを把握できなければ、(感覚器官で直接には捉えきれない)客観的世界の法則性が認識されるとはどういうことなのか理解できなくなってしまう。結果、普遍性だとか必然性とかいった規定については、主観的な産物に過ぎないとするほかなくなる。そのように割り切ってしまった(開き直ってしまった)のが、ヒュームの懐疑論にほかならない。
 客観的法則性とは、認識の側からの能動的な問いかけによって、いわば"現象させる"ものである。この客観的法則性の認識可能性という問題に対して、純粋に理論的に考察し、認識の側に備わっているカテゴリーが物自体の世界に問いかけて現象世界を成立させるのだ、という形で解いたのがカント『純粋理性批判』であるといえよう。一方、アダム・スミスは、「天文学史」を著すことを通じて、人類の学問的認識の発展史を具体的に検討する方向から、この問題に接近したということができるだろう。


【3】フランスにおける唯物論の発展
 18世紀フランスの哲学者たちは、絶対王制下における政治と宗教と風習の腐敗堕落に対して、理性からの要求を突きつけた。フランス啓蒙哲学は、あらゆる既成宗教に対して闘争を挑んだヴォルテールから、鋭い機智をもって(概して臆病な暗示にとどまりながらも)自然から精神と神とを否定し去ったディドロ、人間の心は脳髄の思考繊維の機能に過ぎぬとしたラ・メトリーの人間機械論を経て、哲学における唯物論的方向の代表である『自然の体系』(ドルバックの著作)に至った。
 『自然の体系』は、物質と運動のほかには何ものも存在せず、両者は不可分に結合されているとした。その上で、牽引と反撥という運動の2種類によって諸々の運動が生じ、事物の多種多様な結合とあらゆる多様性とが生れるのであって、これこそ永遠不変の法則であるとした。ここから、思考は脳髄のある運動に過ぎないこと、自然のなかには精神的存在(神)などありえないこと、人間は世界全体の必然的連関に支配されていること、真の道徳は自愛を基礎にした利益の体系として打ち立てられるべきであることなどが結論される。
 『自然の体系』で述べられているような徹底した一面的な唯物論は経験論的方向の極点を示すものであり、したがって、ロックにはじまった一面的な発展系列はここに終る。ロックは最初に観念の世界を物質の世界から説明し導き出そうとしたのであるが、これは唯物論において、精神的なものをすべて物質的なものに還元し、精神的なものを否定することをもって終ったのである。

◆報告者コメント
 フランス啓蒙哲学が唯物論にまで突き進んだのは、国家権力と癒着した既成宗教が著しく腐敗堕落して社会を閉塞させているという情況を、思想(理性)の力で一挙に打破しなければならなかった、という事情によるものであろう。こうした啓蒙思想によって推進されたフランス革命が、人類社会の進歩にとって巨大な意義をもったことは改めていうまでもないことである。
 とはいえ、この当時の唯物論は、世界を歴史的に発展し進化する過程として理解することができない機械的な唯物論であったことに注意が必要である。『弁証法はどういう科学か』の関連する部分を引用しておけば、以下の通りである。

「18世紀の古典力学が完成した時代には、植物・動物はもちろんのこと、人間さえも一つの機械として解釈するような傾向があり、世界を歴史的に発展し進化する過程として理解することができず、自然は絶対的に不変であるという考え方の上に立った独特の世界観がつくりあげられました。」(『弁証法はどういう科学か』p.58)

 哲学史における最重要問題――精神を根源的存在として一元論を打ち立てるか、物質を根源として一元論を打ち立てるか――に即していえば、フランス啓蒙哲学の「唯物論」的到達は、精神的なものを物質的なものへと簡単に解消し尽くして、体裁だけ整えたに過ぎないタダモノ論レベルであった、ということができるであろう。フランス啓蒙哲学の到達点たる『自然の体系』は、この世界のあらゆる存在を物質に還元したという意味では確かに一元論を打ち立てたものであるといえる。しかし、それは、物質の発展のなかで精神なるものが如何にして誕生させられてくるのか、まともに説くことを放棄してしまったものだといわなければならないのである。そういう意味では、全ての具体的存在を根源的存在たる抽象的一者に解消し尽くして無理やり一元論の体裁だけを整えた新プラトン学派と共通するものがあるともいえるだろう。

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 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて