2014年06月12日

2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章(1/10)

目次

(1)報告者から提示されたレジュメ
(2)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章要約@
(3)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章要約A
(4)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章要約B
(5)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:新プラトン学派の歴史的な意義をどのように考えるか
(8)論点2:キリスト教は哲学の歴史にどのような影響を与えたのか
(9)論点3:デカルトの哲学の歴史的な意義をどのように考えるか
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)報告者から提示されたレジュメ

 本年、わが京都弁証法認識論研究会は、ヘーゲル『歴史哲学』とセットで理解すべきヘーゲル『哲学史』を理解するための準備段階として、南郷継正先生も著書で推薦されているシュヴェーグラー『西洋哲学史』(岩波文庫)を一年かけて読破し、その内容を主体的に掴み取ることを例会の目標として掲げています。

 5月例会では、「第20章 ローマ人」から「第26章 スピノザ」までを扱いました。ミレトスのタレスによる探究からスタートした古代哲学がどのように終焉を迎えざるを得なかったのか、また、キリスト教の出現が哲学の発展過程に如何なる影響を及ぼすことになったのか、カトリック教会の絶対的権威が崩壊していくなかで近代哲学がどのようにしてその歩みをスタートさせたのかが、説かれていました。

 今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱ったテキストの要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメを紹介することにしましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20章ローマ人〜第26章スピノザ

【歴史的背景】
 アレクサンドロスの帝国が分裂した後、ヨーロッパ世界の覇権を握ったのはローマ帝国であった。一都市国家であったローマは、イタリア半島の諸都市国家を統一、さらに地中海に覇権を伸ばして広大な領域を支配するようになった。紀元前1世紀から帝政に移行し、パックス・ロマーナといわれる平和な時代が続いた。392年にキリスト教を国教化し、395年、東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂。西ローマ帝国はゲルマン人の侵入に抗せず476年に滅亡、東ローマ帝国は1453年、オスマン帝国により滅ぼされた。
 西ローマ帝国滅亡後、ゲルマン人が建てた国が乱立したが、その中でもフランク王国が有力であった。ヨーロッパ世界の舞台は、地中海世界から内陸部へと展開していった。カロリング朝のカール大帝は、800年、ローマ教皇レオ3世より西ローマ帝国皇帝に戴冠されたが、カール大帝の死後ほどなく、帝国は分裂し、後のフランス、ドイツ、イタリアへとつながっていくことになる。
 中世ヨーロッパでは、ゲルマン民族によるキリスト教の受容と、封建制の確立が大きな要素である。キリスト教はアリストテレスの哲学と結びつき、トマス・アクィナスによって神学として大成された。封建制は閉鎖性・固定性・割拠性が支配する厳格な身分制度の枠組みであった。
 十字軍の遠征による東方文化との接触、東ローマ帝国の滅亡によるギリシャ学者たちの移住、さらに新しく発明された印刷術による古典の普及などにより、ヨーロッパは新たな局面を迎えた。ルネッサンスによって古代ギリシャや古代ローマの文化が復興された。宗教改革によって教皇権と皇帝権の闘争の中で徐々に没落していった教会への不満が爆発した。科学革命(自然科学の台頭)によって自然観が大転換し18世紀の産業革命につながった。

【1】哲学とキリスト教の接近
 ポリス社会の崩壊により、ヘレニズム時代の哲学は単に個人の安心立命を目的とし、究極においては人間の無力さを痛感し、人間を超える絶対者を求める傾向に至った。神の絶対性と神への絶対的帰依とを要求したのである。こうした傾向は、神と隣人を愛し、悔い改めることで誰もが救われると説くキリスト教を受容する基盤となった。
 キリスト教は当初、ローマ帝国において迫害を受けた。しかし、キリスト教は本来、政治的な意図はなく純粋に人間の内面性を問題にしたものであり、ローマ帝国の支配と矛盾するものではなく、むしろ帝国統治に有用であるという見方が出てきた。その結果、ミラノ勅令(313年)により信仰の自由が保障され、392年にはテオドシウス帝によって国教としての地位を獲得したのである。その後、ローマ帝国内に広く行き渡るにつれ、教会組織が誕生し教義を確立することが必要になってきた。また異教徒に対してキリスト教を保護する必要もあり、ここからキリスト教神学が生じてきたのである。
 キリスト教の教義を確立したのは5世紀前半に活躍したアウグスティヌスである。彼は、神は何らの材料も用いることなく全くの無から世界を創造したと主張した。こうした教義を認めた上で、これらの教義を如何にして証明しまた秩序づけ体系化、合理化していくかという課題に取り組んだのが、スコラ哲学であった。
 11世紀後半にアンセルムスは、絶対的な信仰を知識によって基礎づけうることを確信し、「知らんがために我信ず」という言葉を残した。彼は信仰と知識との一致を確信しており、信仰はすべて理性的に証明できると考えたのである。

<報告者コメント>
 哲学とキリスト教、知識と信仰、という対立物の統一、矛盾が発展の原動力となって、中世期の思想の流れを形成しているように思う。三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』には、「矛盾の本質は、ある事物が対立を「せおっている」という関係です。」「対立物の統一ということが矛盾の構造です。」(p.276)とあり、さらに「世界が過程の複合体であり、それぞれの過程が矛盾を原動力として発展している」(p.290)とある。キリスト教は当初、哲学という対立物を背負うことによって、その対立物たる哲学と調和的に発展していった、といえるのではないか。


【2】哲学とキリスト教の分離
 スコラ哲学を大成したのはトマス・アクィナスである。彼はアリストテレスの哲学を取り入れ、これを教会の正統的見解と適合させることで、キリスト教神学の体系を構築したのである。「理性は信仰によって完成される」という彼の言葉は、「哲学は神学の婢」というキリスト教信仰・キリスト教神学の優位性を物語るとともに、哲学と神学とが調和する関係にあることを表している。
 ただし、スコラ哲学の完成は没落への第1歩であった。トマス・アクィナスは、理性によって認識されるものは真理であり、それは神学と必然的に一致するが、逆に信仰の内容は全て理性によって認識されるとは限らないとして、信仰独自の領域が存在することを認めたのである。ドゥンス・スコートゥスに至っては、神の意志は理性以上のものであり、神が意志したことが善であるという非決定論の立場に立ち、信仰は決して理性的に基礎づけることはできないという知識と信仰の分離を主張したのである。
 さらにウィリアム・オッカムは、唯名論的な立場で、抽象的知識に対して直観的知識を重視し、神学をこうした経験的な直観的知識の上に基礎づけることはできない、信仰の内容は決して理論的に証明されないとして、ここに知識と信仰の分離は決定的となったのである。
 信仰と知識との一致を目指して、神学を哲学的に基礎づけようとしたスコラ哲学は、哲学と神学との完全な分離を説くに至り、ここにスコラ哲学は崩壊していったのであった。

<報告者コメント>
 三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』には、「宗教がその存在理由を主張するためには、どうしても科学に限界のあることを宣言しなければなりません。ここまでは科学でとりあげることができるが、ここからさきは科学は無力で、宗教によってはじめて解明できる分野なのだと、科学に対して境界線を通告しなければなりません。昔からヨーロッパの神学者や観念論者が、この境界線を設定してきました。」(p.14)とある。当初、哲学と調和的に発展していったキリスト教は、神学の価値を認め教会の権威を守るためには、どうしても哲学と離れざるを得なかったのではないか。「根本的矛盾が次第に激化した形態をとってくる」(p.294)ことによって、非敵対的矛盾として調和的に発展していった哲学とキリスト教は、ある側面では敵対的矛盾としての関係を浮上させていったのではないか。


【3】大陸合理論の成立
 スコラ哲学の崩壊は、哲学はもはや教会の教義に束縛されるものではなく自由に探究を行うことができるものであることを示している。ここに全く新しい近世哲学が誕生することになる。
 近世哲学が誕生する契機は他にもあった。まず挙げられるのがルネッサンスである。十字軍の失敗や中央集権的近代国家の成立によって、ローマ教会の権威は失墜し、ここに今まで異教的と考えられていた古代ギリシャを中心とする古代哲学が再発見された。折しも東ローマ帝国の滅亡により、多くのギリシャ学者たちがイタリアに移住し、古典研究が盛んに行われた。
 また、没落しつつあった教会への批判が宗教改革として爆発したことも一因である。ルターは人間が神と関係を持つのは、教会を通してではなく信仰そのものを通してであることを主張した。人間を救うのは教会ではなく、聖書のみが信仰の基準であるとしたのである。宗教改革は人間精神の教会という権威からの決別を意味したのである。
 もう1つの契機は、自然科学の進歩によって、人間は自然に存在する法則性を認識しうるとの考え方が広まっていったことである。中世までの「何故に」を問う方向から「如何にして」を問う方向へ、自然のあり方の探求が向かうことで、自然現象の本質が数学的機械論的に把握されていったのである。こうした考え方に基づき、自然に対する人間精神についても、同様の数学的機械論的な把握の仕方が模索されていったのであった。
 このように、古代ギリシャ哲学の再発見、これまで哲学を規定していた教会勢力の没落、さらには数学的機械論的自然観の人間精神把握への浸透の結果、フランスやオランダを中心にした大陸合理論が形成されていったのである。
 デカルトは、少しでも不確実だと思われるものは全て疑うという態度で哲学を開始している。これは、絶対確実で疑いようのない神を中心にした中世世界観からの脱却を意味している。自然科学と同様、根本的な確実な命題を発見し、そこから全ての真理を見出そうとする演繹的方法論が、大陸合理論の大きな特徴である。

<報告者コメント>
 大陸合理論の成立には、一方で中世的世界観の中心であったローマ教会の権威が失墜し、「哲学は神学の婢」という状態から哲学が相対的に独立していく過程が影響し、他方では、自然科学の台頭によってもたらされた数学的機械論的自然観が成立していく過程が影響していたのではないか。自然は神の現れだとして自然を従属的に捉えていた中世的自然観から、ルネサンスによる神は自然に内在するという自然観へ、さらにはガリレイ等による自然を全く神から独立するものと見なし、それ自身の法則性を持つものと見る自然観へ、と大きく自然の把握の仕方が変遷していった。神=理性という捉え方から、自然=理性、すなわち自然にはそれ自身の法則性が存在するという捉え方へ、「理性」の把握の仕方が変遷していった、ともいえよう。こうした変化に対応する形で、自然に対立する人間精神のあり方をどのように把握するのか、という問題が浮上してきた。この問題に1つの回答を与えようとしたのが大陸合理論ではないか。精神をも、自然と同じように機械論的に解釈して捉えることができるのではないか、という考え方が大陸合理論に繋がっていったのではないか。
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 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
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 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
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 ・一会員による『学城』第10号の感想
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 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
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 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
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 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
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 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
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 ・古代ギリシャの経済思想を問う
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 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
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 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史