2014年05月13日

2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章(1/10)

目次

(1)報告者から提示されたレジュメ
(2)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章要約@
(3)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章要約A
(4)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章要約B
(5)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:アリストテレスはプラトン哲学をどのように発展させたのか?
(8)論点2:アリストテレス哲学の諸基本概念の関係はどういうものか?
(9)論点3:ストア学派やエピクロス学派が登場した歴史的必然性とは?
(10)参加者の感想の紹介

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(1)報告者から提示されたレジュメ

 我々京都弁証法認識論研究会では今年、シュヴェーグラー『西洋哲学史』(岩波文庫)を一年かけて通読し、哲学の歴史を概観することで、自らの学問を歴史的に位置づけるべく、哲学の歴史の像を明確化することを共通の目標として取り組んでいます。これは昨年学んだヘーゲル『歴史哲学』とセットで理解すべきヘーゲル『哲学史』を理解するための準備作業としての意味合いも持ちます。

 3月例会では、シュヴェーグラー『西洋哲学史』の第12章から第14章まで、すなわちソクラテスからプラトンまでの内容を扱いました。ここを踏まえて4月例会では、通常「万学の祖」といわれるアリストテレスやその後のストア学派、エピクロス学派を中心に扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱ったテキストの要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメを紹介することにしましょう。

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京都弁証法認識論研究会4月例会
シュヴェーグラー『西洋哲学史』古アカデメイア〜懐疑論と新アカデメイア(上巻pp.195-277)

当時の社会状況
 ペロポネソス戦争以後、ギリシャはポリス同士が覇権を巡って争い合う、混沌とした闘争の地と化した。こうしたギリシャの混乱に乗じて勢力を伸ばしてきたのがマケドニアである。マケドニアは北方に取り残されて文化の発達が遅れていたが、フィリッポス王の時代にギリシャの統一に成功した。その子アレクサンドロスの時代になると、ギリシャ統一を固めた後、ペルシャ征服に乗り出した。さらにインドにまで軍を進めて、東西の諸民族を融合した一大帝国を建設したが、アレクサンダーが急死したのちは、帝国は分裂した。

第15章 古アカデメイア
 古アカデメイアのうちには一人として創造的な精神は見出されない。わずかの進展以外にはプラトン的哲学思考の沈滞と退歩とがあるばかりである。プラトンの唯一の真の弟子はアリストテレスであった。

第16章 アリストテレス
 アリストテレスは紀元前384年トラキアのギリシャ植民地スタゲイラに生まれた。17歳でアテナイへ言ってプラトンの門に入り、20年間その教えを受けた。プラトンの死後、前343年、マケドニア王フィリッポスに招かれて、当時13歳であった王子アレクサンドロスの教育にあたった。アレクサンドロスがペルシャ遠征の途についたとき、アリストテレスはアテナイへ帰り、リュケイオンで教えた。

 アリストテレスは非常に多くの著作を遺したが、これらは口述された講義を弟子達が編集したものだと推測される。

<報告者コメント>
 アリストテレスの哲学形成を考える上で、マケドニアのフィリッポスに仕えていたという点は非常に重要なポイントである。ギリシャ世界への進出を進めていたマケドニアにおいて、直面していく様々な問題を解決し、その国家的発展を担わされたこそ、アリストテレスの哲学が完成したと言えるだろう。現実の世界の統括と観念の世界の統括をパラレルに見ていく必要がある。

論理学と形而上学
 アリストテレスは形而上学(Metaphysica)を「第一哲学」と呼び、自然学を「第二哲学」とした。第一哲学は、他の諸学が特定の具体的存在を取り扱うに反して、存在としての存在を研究する。これと、『オルガノン』という名称のもとに一括されている諸著作に述べられている学を、アリストテレスは論理学という名称のもとに総括している。

 論理学の根本任務は、推理し、推理を判定し、推理によって証明することである。推理はその目的および内容から言って、厳密に論証されうる確実な真理を含んでいる必然的推理と、蓋然的で異論の余地のある真理を目的とする弁証論的推理と、誤ったものを正しい推理のように見せかける詭弁的推理とに分かれる。彼が悟性の論理的諸機能を意識し、表象的思考から素材的なものを捨象したということは、きわめて価値のある仕事であったが、学的に導出と基礎づけとがまったく欠けていたのも著しい事実であった。

 『形而上学』はプラトンのイデア論および数論に対する反駁が全体を貫いている。アリストテレスはイデアを「永遠化された感覚物」と名づけ、イデア説は感覚的なものと非感覚的なものとして定立し、それに不変という述語を与えているにすぎないと異論を唱えた。感覚物の生滅に関係させて考えるばあいも、イデアは生成や運動の原理を少しも含んでいないのだから、その中には生起をひき起こすべき原因も現実の生起を説明すべき原因もないと批判している。このようにイデア説を批判した結果、アリストテレスは、普遍が個物のうちに内在するものと考えた。ただ、普遍的なものだけが真実在であり個物の本質であるとするプラトンの根本観念からはなれたのではなく、それにつきまとっている抽象性から解放し、それをいっそう密接に現象界と結びつけたのである。

 このイデア説の批判から直接に、アリストテレスの体系の枢軸をなしている質料および形相という2つの根本規定が生まれてくる。アリストテレスは、形而上学的原理あるいは原因を4つ挙げているが、これらは質料と形相との対立に還元される。質料と形相との対立は固定したものではなく、ある関係において質料であるものも他の関係においては形相である。このような見地からすれば、存在全体は一般に、少しも形相を含まぬ第一質料を最下段とし、少しも質料を含まず純粋な形相である究極の形相(絶対的、神的な精神)を頂点とする、一つの段階をなしているはずである。これがアリストテレスの自然観の根底にある見地である。

 質料と形相との関係は、これを論理的に理解すれば、デュナミスとエネルゲイアとの関係である。可能的に存在するものが現実的に存在するものになるということのうちには、生成の概念が顕現的に示されているのであって、アリストテレスの体系は生成の体系であり、ヘラクレイトスの原理がより豊かにより発展したかたちで復帰しているのである。

 アリストテレスは、彼が「第一に動かすもの」とも呼んでいる絶対的精神の概念を、デュナミスとエネルゲイアとの関係に結びつけながらいくつかの方面から基礎づけようとしている。その中で「第一に動かすもの」あるいは最高の世界原理は一であり、活動している自己目的すなわちエンテレケイアである。これは思考の思考、すなわち思考と思考されるもの、認識と認識されるものを一身に統一しているもの、絶対的な主観即客観であると定義している。

自然哲学
 アリストテレスの自然哲学は、質料の形相への発展、生動的存在としての自然が個別的な魂となるために経過する諸段階を追求している。アリストテレスによれば、すべての生成は目的をもっているが、目的は形相であり、絶対的形相は精神である。したがって彼は、地上の自然の目的および中心は実現された形相としての人間、しかも男性であると考えた。

 あらゆる自然の存在の普遍的条件である運動、空間および時間についても、デュナミスおよびエネルゲイアに還元している。運動は可能的に存在するものの活動、したがって可能的存在と完全に実現された活動との中間にあるものと定義されており、空間は運動の可能態、したがって無限に分割されうる性質をもち、現実的にではないが可能的には無限に分割されうるものと定義されており、時間は同じく無限に分割されうるもの、数で言いあらわしうる運動の尺度、先後にしたがっての運動の数と定義されている。

 こうした運動の概念から、アリストテレスは全宇宙に関する見解を導き出している。彼は円運動を最も完全だとし、全体としての世界は円運動に制約されており、自分自身のうちで完結しており、球形をなしているとした。この球形の宇宙の中では周辺にあって完全な円運動をなしている圏がすぐれた圏であり、中心に静止している圏は劣った圏である。前者が天、後者が地球であって、両者の中間に遊星圏があると考えた。

 狭義の自然は、元素の活動の舞台である。それは元素的なものから植物へ、植物から動物界へというように、一つの段階関係、連続的な移行を示している。生命のない自然物が最下位にあり、これはたんなる元素混合の産物である。生物には、生物をしてエネルゲイアへ到達させる運動が組織する原理として宿っており、この運動は、自分を維持する活動として、完全な有機的組織をめざしてはたらきつづけている。魂は有機体のエンテレケイアである。人間の魂は栄養的、感覚的、運動的である上になお認識的である。

 栄養、感覚、場所的運動は魂の発展の諸段階であって、先立つものはそれぞれそれに続くものの必須の条件であり、時間的にその前提をなしている。しかし、理性は魂の低次の諸能力からのみ作り出されたものではない。それは純粋な叡智的活動であるから、少しも肉体の諸器官を媒介とすることなくはたらいている。アリストテレスは、理性の内部で能動的理性と受動的理性とを区別し、後者はしだいに思考的認識へ発展するにすぎないとしている。しかし、思考が現実態においてあらゆる形相、したがってあらゆる事物となるとすれば、それは自分がなるすべてのものに自分で自分をなさねばならない。したがって受動的に規定されている人間の理性は、すべて本源的に能動的な理性に依存している。

倫理学
 アリストテレスは、ソクラテスやプラトンよりも緊密に倫理学を自然学にむすびつけている。倫理を純粋に叡智的なものと考えないで、むしろ自然的なものの昇華、自然的なものが精神化され倫理化されたものと考えており、徳を知識と理解しないで、自然的本能が正常に完成されたものと理解している。魂の最初の根柢は自然によって規定された欲求であり、思慮に支配されている欲求が正しい行為を作り出す。したがって、人が善を習得するには練習と習慣が必要だと考えた。

 それ自体のために追求される絶対の善は幸福である。人間の幸福は、人間に特有な性質、すなわち魂の理性的な活動を完全な現実態へ高める行為のうちにある。つまり、幸福とは魂の有徳な活動である。徳は行為における中庸の遵守ということができる。

 アリストテレスによれば、人間は「社会的動物」であるから、真に人間的な生活は共同体のうちでのみ可能である。しかし、人間生活を完全なものにするという国家の使命は、個人の権利や自由を犠牲にしておこなわれてはならない。彼は富でも頭数でもなく、十分な財産にもとづいて全面的な道徳教育をうけ、全体の保護と統治の能力をもつ人々が支配する国家を好ましいとし、さまざまな条件のもとで具体的に何がもっとも好ましいかを問題とした。

<報告者コメント>
 以前、ヘルバルトに関する小論の中で、道徳性とは意志によって本能が統括されることだと説いた。アリストテレスの「思慮に支配されている欲求」とはこの道徳性につながる見解だと言うことができるだろう。ソクラテスが思慮が必要であることを説いたのに対して、アリストテレスはそれだけでは不充分で、欲求のコントロールもなされなくてはならず、そのためには練習と習慣が必要だと主張した点は、古代ギリシャの教育思想を道徳教育の観点から見ていく上で、押さえておくべきポイントだと言えるだろう。

アリストテレス以後の哲学への移り行き
 アレクサンドロス大王以後、主観と客観的世界との一般的分裂に対応して、哲学は純粋な学問的関心をも政治的関心をも失うようになる。大きな普遍哲学から、一面的な主観主義哲学が表れ、宗教や形而上学や道徳の最高の諸問題についての哲学的確信、生活と行為を導く確固とした世界観を与えることが、哲学の役目となった。

第17章 ストア学派
 ストア学派は、キュプロスのゼノン、およびかれの後継者クレアンテスによって建設された。ストア学派にとって哲学とは倫理生活を律すべき諸原理に関する学であり、徳と学を同一視している。

 ストア学派の論理学においてもっとも注目されるのは、正しい表象と誤った表象とをはっきり区別することができるために、真理の主観的規準を求めたことである。ストア学派は、客観的経験に由来する真実の表象と、主観的な想像力がつくる誤った表象とを区別する規準としては、「心をうつ明証性」以外にはないと主張した。

 自然学においては、先行者たちとちがっている点は、すべての存在、すべての事物は物体的であって、非物体的なものは存在しないという原則をあらゆる方面で貫いている点である。精神や魂も肉体や物質とは種が違うだけだとした。その帰結は、世界は神の肉体であり、神は世界の魂であるという汎神論である。

 ストア学派の倫理学は、その自然学と密接に結びついている。われわれの努力の最高目標は、われわれが生活を普遍的な世界法則に適合させ、世界調和、自然に従って生活することにあるとした。これがストア学派の道徳原理である。ここからストア学派の倫理説の諸特徴が論理的必然をもって生じてくる。

第18章 エピクロス学派
 エピクロスは、哲学を概念と論証とによって幸福な生活をつくりだす活動とよんだ。したがって彼は哲学を倫理学に帰着させている。エピクロスによれば幸福とは快にほかならなかった。徳がわれわれにとって価値をもつのも、われわれに快適な生活を与えるかぎりにおいてのみである。

 その快について、全生涯の永続的な状態としての快を求め、肉体的な快不快よりも精神的な快不快をいっそう考慮すべきであるとした。また、積極的な快ではなく、苦痛や不快のないのをすでに快と見た。エピクロスの学説は、古代の快の概念を、できるかぎり高貴なものにしてはいるのである。

第19章 懐疑論と新アカデメイア
 主観性の方向をもっとも徹底したのが懐疑論である。客観的な真理、認識、および学を否定して、その賢人をしてまったく自分自身とその主観的意見とのうちへ引っ込ませるものである。

 ピュロンを祖とする古懐疑学派は、われわれがものをあるがままの形においてではなく、われわれに表れる形において知覚するにすぎない以上、なにものについても確実なことを語ることはできないとした。懐疑論をプラトン学派へ導き入れたアルケシラオスは、ストアの認識論に反対し、われわれの認識が真理であることがわれわれに確実となる規準の存在を否定した。アイネシデモスらによって、ギリシャ哲学がまったく衰微していた時代に、懐疑論がもう一度振興された。

<報告者コメント>
 アリストテレス以後の哲学が栄えたヘレニズム時代は、ポリス社会の崩壊により、ポリスを絶対視する考えが弱まった時代である。それに伴い、これまでのポリス社会における価値観が崩れ、個人としてどのように人生を過ごすことが幸福なのかということが大きな問題として浮上したと考えられる。このような個人の不安や悩みに応えるものとして、ストア学派やエピクロス学派などが登場してきたと言えるのではないだろうか。
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 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
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 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
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 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
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 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編