2014年03月16日

2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章(1/10)

目次

(1)報告者から提示されたレジュメ
(2)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章要約@
(3)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章要約A
(4)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章要約B
(5)シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章要約C
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:ソクラテス以前の哲学者たちの問題意識とは?
(8)論点2:タレスやパルメニデスの認識は如何なるレベルであったか?
(9)論点3:アナクサゴラスやソフィストの意義とは?
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)報告者から提示されたレジュメ

 本年,わが京都弁証法認識論研究会は,ヘーゲル『歴史哲学』とセットで理解すべきヘーゲル『哲学史』を理解するための準備段階として,南郷継正先生も著書で推薦されているシュヴェーグラー『西洋哲学史』(岩波文庫)を一年かけて読破し,その内容を主体的に掴み取ることを例会の目標として掲げています。1月の例会では,主として哲学の歴史の全体像を確認しました。

 これを踏まえて2月例会では,いよいよシュヴェーグラー『西洋哲学史』の実質的な内容に入っていきました。具体的には,本書の第3章から第11章まで,すなわち,イオニア自然哲学者からソフィストまでの内容を扱いました。本例会報告では,まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと,扱った範囲の要約を4回に分けて掲載し,次に,参加者から提起された論点について,どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に,この例会を受けての参加者の感想を紹介したいと思います。

 今回はまず,報告担当者から提示されたレジュメを紹介することにしましょう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

京都弁証法認識論研究会 2014年2月例会
シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3章〜第11章
(イオニア自然哲学からソフィストまで)

【歴史的背景】 
古代オリエント世界の辺境に位置していたギリシャは,オリエントをはじめとする諸民族との交通関係(戦争と交易)を何重にも積み重ね,オリエントの先進的な文化(知識・技術)を学びながら独自の文化を形成していった。紀元前8世紀以降,エーゲ海から地中海,さらには黒海方面にかけて,活発な植民活動,交易活動が行われるようになり,この流れのなかで,小アジア沿岸部イオニア地方の植民都市が,その地の利を活かした交易活動によって大きな富を蓄積し,ギリシャ本土に先んじて豊かな文化の花を開かせることになった。

 ギリシャ本土のアテネは,アッティカ地方の各村落共同体から,甲冑で自ら武装できるだけの経済力を保持した貴族的市民(村落的共同体を構成する独立自営農民のなかでも特に有力な層)が集住することで形成されたポリスであり,彼ら貴族たちが政治の中心にいた。しかし,イオニア植民市との交易をつうじて手工業や商業(貨幣流通)が発展して鉄製武器が次第に安価になっていくと,平民たちも重装歩兵として戦場で活躍できるようになり,ポリス社会における発言力を強めていくようになった。伝統や慣習に依拠した支配が揺らいできたのである。


現象的・感覚的な世界の多様性,変化性を捨象していく過程

 タレスを筆頭とする前期イオニア自然哲学者は,自然の変転きわまりない形態,多様な現象の根底に恒存する原理を求めて,どんな自然の元素が根本元素かと問うた。タレスは水を,アナクシマンドロスは「無限定なもの」を,アナクシメネスは,空気こそが根源的な物質であると考えた。その発展のうちには,物質の特定の質を捨象する傾向が示されている。

この捨象化をさらに進めていくと,物質の質的規定性そのものがなくなり,量的規定性(数),空間的関係だけが残る。これがピュタゴラス主義の原理である。その根本思想は,自然の諸現象のうちには合理的秩序と調和と合則性があり,これら自然の法則は割合と数とによって表現されうる,というものである。
この捨象化の過程を最後まで徹底して進めて,存在のあらゆる有限な規定性,あらゆる変化,あらゆる変転を否定したのがパルメニデスおよびゼノンによって代表されるエレア学派である。「有のみがあり,非有,成はまったく存在しない」。しかし,エレア学派はすべての存在の多様性を唯一の究極原理に還元しようとしながらも,現存するもの,現象界を徹底的に否定することもできなかった。

*悠季真理「古代ギリシャの学問とは何か(3)〜(5)」(『学城』第3〜5号)では,タレスおよびパルメニデスがポリスを指導統括する立場にあったことが強調され,彼らの主張した「原理」なるものが,ポリスの維持発展に命懸けで取り組む過程で到達した認識にほかならぬことが説かれている。タレスの「万物のアルケーは水」というのは,タレスにとっての世界,すなわち,ミレトスを取り巻く自然環境を一般的に反映させた上での表現(ポリスの維持発展にとって水をコントロールすることが肝要,との認識の表現)であり,パルメニデスの「一」とは,諸々の具体的問題を解決しつつポリスを一つにまとめなければならない,との認識の表現であった。

◆報告者コメント

自然環境に恵まれた古代オリエント世界の中枢部においては,個々の問題を個々のやり方で解決できるだけの知識・技術(経験的に蓄積されたもの)があれば充分だったのに対して,こうした知識・技術を学びつつ,それらをより自然環境の厳しいところに適用してポリス社会の維持発展を主体的に図っていかなければならなかった古代ギリシャの政治指導層にとっては,個別的に観察され記録された諸事実の間に如何なる連関が存在するのか,ということこそが問題となってきたのであろう。だからこそ,物質の特定の質(多様性・変化性)を捨象して根源的なものを把握しようという過程がスタートしたのだと考えられる。

『学城』第10号では,指導統括の二重性,すなわち,学問体系における(本質論による)指導統括と組織における指導統括の問題が全篇にわたって説かれており,南郷継正先生がこの両者を直接に一体のものとして成してきたことが強調されている。この指導統括の二重性を,哲学(学問)成立過程の端緒というべきタレスやパルメニデスに見てとることができるのは非常に重要なポイントであると感じた。学問とはあくまでも国家的生活の維持発展のためのものであり,国家による現実的世界の統括をまともになすためには哲学による観念的世界の統括が必須となる(逆に,前者があってこそ後者が発展する),という関係にあるのであろう。


現象的・感覚的な世界の多様性,変化性の説明を試みる過程

エレア学派は純有という原理のために,すべての有限な存在,世界の存在を犠牲にしてしまったが,現実の世界の存在を否認しとおすことは不可能であった。ヘラクレイトスは,有と非有の統一である成こそ原理であるとしてこの問題を解決しようとした。しかし,ヘラクレイトスの成はエレア学派の純有を裏返したものでしかなかった。パルメニデスがあらゆる成を絶対に不変な存在へ消失させたのに対して,ヘラクレイトスはあらゆる出来あがった存在を絶対に流動的な成へ解消した。感覚が誤る理由について,パルメニデスは不変の存在を変化するものと捉えてしまうからとしたのに対して,ヘラクレイトスは,変化しているものを不変なものと捉えてしまうからとした。成を主張するだけでは,なぜあらゆる有は成であるか,なぜ一は永久に多に分れるか,説明されたわけではない。この問題に答えること,言いかえれば,有の原理を前提しながら成を説明することがエンペドクレス(四元素説)およびアトム論者たちの哲学の立場であり課題となったのである。

 エンペドクレスやアトム論者は,成の必然性を説明するために,これを有と非有の2つのモメントに意識的に分解した。アトム論者においては,有は不変・不可分の微粒子たるアトム(絶対的充実)として,非有は相互接触を妨げているアトム間の空虚な空間として実体化されたのである。諸アトムは空虚な空間を漂いながら相互に衝突することで渦巻き運動が生じ,この運動によってアトムの集合・分離が行われる。この過程がすなわち生成にほかならない。アトムが分割できず自立的であり絶対的に充実していること,アトムそのものは生成も消滅もしないことは,エレア的である。アトムが多数で種々であること,非有が実在するとした(空虚な空間の存在を主張した)こと,運動と無限の結合能力を主張したことはヘラクレイトス的である。アトム論者によって,自然のまったく機械的な説明が完成されたということができる。

◆報告者コメント

 南郷継正『武道哲学講義W』において,学問を志す人間が論文を書くときには,相手の論の欠点を指摘するだけではなく,その欠けたるところを補い正当な論として正してやることが重要なのであり,これを行ってこそ自分の学の形成となり体系化につながっていく,と説かれている。こうした個体発生における学問形成過程に対応する,系統発生における学問形成過程の端緒が,エレア学派に対するヘラクレイトスの登場なのではないだろうか。厳しくいえばヘラクレイトスはエレア学派に対立する主張を打ち立てた(エレア学派の欠点を指摘した)だけであり,そこからエンペドクレスやアトム論者が,なぜ成なのか(エレア学派の欠けたるところを補い正当な論として正してやるにはどうすればよいか)という問題に取り組んだのだといえそうである。もちろん,アトム論者がこれを解決したわけではなく,これが一応の解決に至る(現象論レベルで学問が体系化される)にはアリストテレスの登場を待たなければならなかったのであろう。

 われわれが,研究会活動においてお互いに指導し合うということを実践する上でも,こうした学問形成過程についてしっかりと念頭においた上で,相手の論の欠けたるところを補い正当な論として正してやることをきちんと目標に据えておかなければならないであろう。

なお,アトム論者の論については,物(一体性的物一般=物自体)の一つのあり方(機能)でしかないものを実体化して捉えている(有=アトム,非有=空虚)といえそうであり,認識の発展過程における一つの必然的な段階として,興味深いものがある。



精神と自然を区別して精神を優位においていく過程

アトム論者のように,質料を動かす力を無意識の必然性として理解するのでは,自然における生成の合目的性が説明されない。アナクサゴラスは,自然を支配する力としての精神的存在を要求し,これをヌースと名づけた。かれは,諸事物を構成する大量の根本的構成要素(原物質,種子)の混沌とした塊に,ヌースが永遠に続く渦巻き状の運動を生じさせ,この運動によって同質的なものがもとの混合から分化して一緒に集まるようになった,と考えた。ヌースは,万物をそれぞれの本性にしたがって排列し,万物を,存在の種々様々な諸形態を包括している宇宙につくり上げていく。

アナクサゴラスのヌースの原理(非物質的な原理)の登場により,古代ギリシャ哲学の実在論的時代が閉じられ,ソフィストとともに新しい原理,主観性の原理があらわれる。すなわち,物とは,それが自我にそう見えるものにすぎず,普遍的に妥当する真理は存在しない,という思想である。ソフィストは,何が真・正・善であるかは個々の自我(経験的・個別的な主観性)が全く任意に決定できる,としたが,これは,ペロポンネソス戦争中のギリシャにおける全実際生活の理論的表現である。最初のソフィストとして知られているプロタゴラスは,人間は万物の尺度である,と説いた。これに対して,人間が万物の尺度であるが,普遍的な,思考する理性的な人間がそうなのだということ――これがソクラテスの教えの根本思想であり,この根本思想によってそれはソフィスト的原理の積極的な補足をなしているのである。

◆報告者コメント

海保静子『育児の認識学』においては,主体性ある子どもを育てるためには,まずもって内なる感情を,外へ外へ大きくださせることであり,ついで,それらを1つずつまともな社会関係のなかでととのえさせていくことが大切だ,と説かれている。このような認識の個体発生における過程に対応する,学的認識の系統発生における過程が,ソフィストからソクラテスへの流れであるといえるのではないだろうか。すなわち,平民が力をつけてきて貴族による支配が揺らいできたとき,伝統や慣習に依拠した貴族による答えを不要なものとして,「自分で答えを出したい!」となっていったのがソフィストの段階であり,これが社会的関係のなかで次第に整えられていく過程がスタートしたのがソクラテス以降のことである,といえるのではないだろうか。アダム・スミス的にいえば,利己的自分がはっきりと確立されるのがソフィスト的段階であり,そこから観念的自己分裂によって「胸中の公平な観察者」が形成される過程がスタートするのがソクラテス以降のことだ,ということになるであろう。


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 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
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 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
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 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
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 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
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 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
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 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
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 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む