2014年02月05日

2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について(1/10)

目次

(1)報告者から提示されたレジュメ
(2)加藤幸信「学問の発達の歴史」要約@
(3)加藤幸信「学問の発達の歴史」要約A
(4)加藤幸信「学問の発達の歴史」要約B
(5)シュヴェーグラー『西洋哲学史』「哲学史の概念、区分」要約
(6)改めての要約と論点の提示
(7)論点1:個体発生が系統発生を繰り返すのはなぜか?
(8)論点2:学問(哲学)は国家的生活の如何なる部分を占めるのか?
(9)論点3:時間とは何か? 空間とは何か?
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)報告者から提示されたレジュメ

 この2014年、わが京都弁証法認識論研究会は、世界精神の発展過程(成長過程)として世界歴史を論理的に解ききったヘーゲル『歴史哲学』の学びの成果をしっかりと踏まえつつ、大きく学問(哲学)の歴史に焦点を当てて、その流れの構造的な把握に努めていくことを大きな目標としています。もう少し具体的にいうならば、ヘーゲル『歴史哲学』と一体のものとして理解されるべきヘーゲル『哲学史』(国家的生活の発展過程と哲学の発展過程とはあくまでも一体のものとして理解されなければならない!)に挑戦していけるだけの実力を集団的に創出していくことを目指して、シュヴェーグラー『西洋哲学史』(岩波文庫)を軸にしつつ、哲学の発展過程を国家的生活の発展過程と一体のものとして把握していくことを大きな目標としているわけです。

 2014年1月の例会では、このような目標を改めて確認しつつ、シュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びに入っていく前提として、哲学史(学問史)の全体像を概観することを試みました。具体的には、加藤幸信「学問の発達の歴史」(『綜合看護』1996年3号)およびシュヴェーグラー『西洋哲学史』の「第1章 哲学史の概念」「第2章 区分」を扱いました。今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、扱ったテキストの要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回はまず、報告担当者から提示されたレジュメを紹介することにしましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

学問(哲学)の歴史の概観について

加藤幸信「学問の発達の歴史」『綜合看護』(現代社、1996年3月号所収)

1.個体発生は系統発生を繰り返す
 なぜ社会学を専攻している者が学問の歴史を講義するのか。第一に、何を先行しているにせよ、学問の構築のためには学問の歴史を自分の一身に繰り返す必要があるのであり、そのためには学問の歴史を知らなければならないからである。とりわけ学問の最高形態であり、世界そのものを対象とした哲学の歴史を学ばなければ、自分の対象とする分野を世界の中に位置づけられなくなる。第二の理由は、学問は時代の学問であり、その時代的社会を無視しては語れないだけでなく、時代的社会の論理的な統括としての性格をも持っているからである。

2.「狭く深く」では学問になれない
 学問はまず古代ギリシアに始まる。世界史的に見ると古代オリエント世界が大繁栄するが、ここではまだ技術や知識が集大成されておらず、またその技術はあまりにも生活に密着していたために、学問は生まれなかった。
最初の学問はイオニアで始まる。ここで、世界そのものを学問的に把握しようという探求が始まったのである。イオニアで哲学が始まった一番の原因は古代オリエントの技術や知識が集まってきたことだと思われる。これにより、宗教・神話の世界観から抜け出して、自分の力で自分が納得できるような世界の起源を説くだけの、説こうとさせるだけの技術、知識が集まったのだろう。もう1つの原因は、イオニアが商業都市として繁栄していただけに、世界の起源を考えるだけのゆとりがあったということである。さらに、商人の都市であるから、合理的に考えようとする雰囲気はあったものと思われる。

3.弁証法の誕生
 物質の起源を問題にする中で、次はどうしてそれが今あるもののようになってきたかが新しい問題となった。一つのものから現在ある無限ともいえるものができあがったと説明することが難しかったため、根源の数を増やすか、根源という考え方を否定するかという形で解決が図られた。そうした中でエレア派のパルメニデスは「今あるものは昔からあるのであって、万物は不変、不可分」だと唱えた。これに反対する形で、「万物は流転する」と唱えたのがエフェソスのヘラクレイトスである。ヘラクレイトスは有を非有と同じと考えたのであり、変化こそが本質であると主張した。
 これは事実から離れた観念上のものだっただけに、激烈な論争になることができた。この論争の中で弁証法が誕生する。弁証法はもともと世界の運動を対象としていたのである。この出発点となったのが、パルメニデスの弟子ゼノンである。
ゼノンは、時間と空間という物質の有する二大側面から運動を止めてみせた。時間と空間を統一して捉えることができないと、物質つまり世界が把握できないのであるが、ゼノンは両者を切り離して空間の構造に入ることによって運動を否定したのである。運動ということが真に理解されるためには、運動がゼノンによって否定され、これがカントによって思惟における矛盾ではなく現実の矛盾、つまり二律背反にまで高められ、それがさらにヘーゲルによって否定されなければならなかったのである。

4.学問の場はアテネへ
 このあと学問の場はアテネに移る。ここで、ソクラテス、プラトン、アリストテレスと学問は発展していく。アテネにおいて哲学の対象は自然から社会、精神にまで拡大される。プラトンは社会や精神に眼を向けたのはよかったが、結局イデア論を説くことになってしまい、後世の観念論哲学の起源となる。これに対して、アリストテレスはイデアの存在は認めたが、これは個体とともに存在するとした。彼の説では、事物は質料因と形相因から成り、形相因がプラトンのイデアにあたる。そして運動、変化を説明するのに、動力因、目的因という概念を提出した。また人間の魂は植物霊魂、動物霊魂、人間霊魂からできているとした。このように世界のすべてを見事に体系化したのがアリストテレスである。ただし、彼らは先人たちとは無関係に自分の説をつくりあげたわけではなく、これまでの哲学の流れを踏まえているのである。
 しかし、アリストテレスの学はまだ現象論的一般論である。対象の現象形態を一般的にすべてひっくるめて論じているにすぎない。まだ対象の構造を踏まえて説くことはできなかったのである。ただし、アリストテレスの哲学があったからこそ、人類の学問が発展したのである。
 以上のギリシア哲学の歴史から、哲学や弁証法は世界全体を扱ったものであること、哲学は自然哲学から始まり、偉大な哲学者は自然の研究を重視したことを学ばなければならない。社会や人間は自然から誕生したものだからこそ、自然を無視したのでは説けないのである。

5.神学からベーコン、デカルトへ
 ギリシアの文化はローマに伝えられ、その後ヨーロッパとイスラム世界に伝わる。異民族の侵入で混乱したヨーロッパで精神的なよりどころとなったのがキリスト教であったから、ヨーロッパ中世の学問は神学が中心になった。ここで大きな影響を持ったのがプラトンのイデア論であったが、やがて十字軍によりアリストテレスが伝えられると、アリストテレス哲学がプラトンにとってかわっていく。こうして、13世紀にトマス・アクィナスがアリストテレスの学問を基礎に神学を完成させた。
しかし実念論と唯名論の争いにおいて唯名論が勝利する中で、アリストテレスはスコラ哲学と切り離され、その学問そのものが研究されていく。個別研究が進みアリストテレスの説いたことが実験的に否定されるようになる中で、近代哲学の祖とされるベーコンとデカルトが出てくる。ベーコンは「事実は力なりと」主張し、やがてその主張は経験論と呼ばれた。しかし、イギリス経験論では経験から法則性の認識への認識の発展のあり方を説明できず、やがて懐疑論になった。一方、大陸ではデカルトが登場する。彼は時代的制約もあり、肉体と精神を分離させる二元論に陥ったが、彼の「方法的懐疑」は新しい哲学を創りだすための懐疑であったと理解しなければならない。

6.哲学の完成に向けて
 次に取り上げるべき哲学者はカントである。カントはベーコン以来の経験論の流れとデカルト依頼の合理論の流れを一身に繰り返し、それまでの学問の流れを「二律背反」としてまとめあげた。彼は純粋に感性だけを究明しようと、感性的認識から対象の具体性に関わるものをすべてはぎとった結果、空間と時間が残った。これらは統一的に捉えられなければならないが、個々の物質だけを見ていたのではこれは不可能である。なぜなら、どちらかに着目しなければ対象が見えてこないからである。カントは世界全体についても、正しく認識できない、けれども、対象の有する論理性や法則性も否定できないという苦しい立場に置かれた。そこでカントは、世界の本質である物自体は認識できないが、現象としての対象は認識の二段階を経てきちんと秩序づけられる、つまり認識できるといったのである。
 最後にヘーゲルが登場する。彼によって哲学は一応の完成を見る。彼は絶対精神の自己運動という形で、カントが解けなかった問題を解決する。カントとの違いを述べると、カントは一般的に世界の構造を究明しただけであり、抽象的になりすぎて二律背反になってしまったのに対して、ヘーゲルはきちんと構造にわけいって世界を説いたのである。
 学を構築する場合、以上の哲学の歴史に学ばなければならない。1つには自分の学も哲学が構築されていく過程と論理的に同じ過程を通って構築しなければならないということであり、もう1つは構築する学を学一般から位置づけなければならないということである。


シュヴェーグラー「哲学史の概念」「区分」『西洋哲学史(上巻)』(岩波書店、1939年所収)

第1章 哲学史の概念
 哲学と個別的な経験科学との相違はどこにあるのであろうか。
 両者は与えられた経験の世界、現実を素材とする。しかし、個別的な経験科学はその素材を経験から直接にとりあげるのに対して、哲学では、与えられたものをその最後の諸根拠にまで追求し、あらゆる個別的なものを究極原理に関係させ、知識の総体のうちに制約された一分肢として考察する。哲学は経験的なものの総体を思想的に組織された体系という形で考察するのである。
 したがって、哲学と経験的諸科学は交互作用をなす。哲学は経験的諸科学を制約するとともに、経験的諸科学に制約される。したがって、完成された経験的知識が存在しないと同様、完成された哲学は存在せず、時代哲学という形でのみ存在する。哲学史が述べなければならないのは、このさまざまな時代哲学の内容、順序、および内的連関である。人類の全歴史的生活が、精神的および知的進歩という理念によって結合されており、発展段階の連続的な系列を示しているように、個々の哲学体系は、1つの有機的な運動、合理的な、内的に組織された体系、一系列を表現している。この発展は、自分の存在を次第に意識的な存在、知識へと高めようとする。
 ヘーゲルはこのような思想をはっきり言い表したが、この根本的見地を誇張し、人間の行為の自由や偶然の概念、すなわち非理性的なものを否定した。彼は歴史のうちに見られる諸哲学体系の順序は、論理学の体系のうちに見られる論理的カテゴリーの順序と同一だと主張した。しかし、歴史は自由と必然の交錯であるから、細かい点となると無数の偶然のたわむれである。さらに、歴史の発展と概念の発展とはほとんどいたるところで食い違っている。思考する精神が歴史的にとった行程を概念的に再現する場合、歴史の主要な諸段階において思考の合理的な進歩が明らかになり、哲学史家が発展の系列を概観してそのうちに実際に哲学的な収穫を見いだせば、それで満足しなければならない。内在的な合法則性および合理的な組成という要求をあらゆる過渡的および媒介的段階にまで、あらゆる細部にまで適用しないようにしなければならない。

第2章 区分
 究極の哲学的原理、存在するものの最後の根拠がはじめて哲学的方法をもって探し出されるところにおいて哲学がはじまる。それゆえ哲学はギリシア哲学とともに始まる。キリスト教的中世の哲学は、近世哲学の多くの体系に根本的な影響を及ぼしているから、まったく顧みないというわけにはいかない。
 このようにして残された材料はおのずから二つの部分にわかれる。古代哲学と近世哲学とがこれであって、その間に中世の哲学が簡単にさしはさまれる。
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 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編