2014年02月04日

ヘーゲル『歴史哲学』を読む(13/13)

(13)真の唯物論的歴史観の確立へ向かって

 前回は、ヘーゲル『歴史哲学』の内容について、本稿でこれまで説いてきた流れを簡単にまとめておきました。ここで改めて強調しておかなければならないのは、ヘーゲルによる「哲学的歴史」と日本弁証法論理学研究会によって構築された「生命の歴史」(『看護のための「いのちの歴史」の物語』現代社白鳳選書など)との間に、見事なまでの構造的共通性が存在していることです。端的にいえば、「生命の歴史」も「哲学的歴史」も、代謝過程あるいは精神が地球環境あるいは他在としての自然に埋没していた状態から抜け出し、それ自身の実力を高めて主体性(自在)を確立していく、という大きな流れとしては共通した構造を有しているのです。さらにいうならば、「生命の歴史」も「哲学的歴史」も、大きく2部構成になっているという構造的な共通性を指摘することができます。すなわち、「生命の歴史」は、〈単細胞⇒カイメン⇒クラゲ⇒魚類〉の各段階によって構成される前半部分(水中での発展過程)と、〈両生類⇒哺乳類⇒人類〉の各段階によって構成される後半部分(陸上での発展過程)との2部構成になっており、「哲学的歴史」もまた、〈ペルシャ世界⇒ギリシャ世界⇒ローマ世界〉によって構成される前半部分(地中海世界での発展過程)と、ゲルマン世界の歴史を描く後半部分(ヨーロッパ内陸部での発展過程)との2部構成になっていると捉えることができるのです。もう少し詳しく説明するならば、以下のようになります。

 まず、「生命の歴史」の前半部分(単細胞から魚類まで)は水中での進化過程であり、後半部分(両生類から人類まで)は陸上での進化過程です。水中における生命体の発展過程の最高の到達点は魚類であり、ここで運動器官と代謝器官とに二重化した体全体を統括するための中枢器官として、脳が創出されます。これによって、生命体は水中での最高の運動性を獲得したのでした。生命体は、その最高の成果(運動器官・代謝器官・統括器官という身体の基本的構造)をひっさげて、陸上という全く異なる環境へと進出していく(地球環境の激変で陸上生活への移行を余儀なくされる)ことになります。生命体は陸上において一旦は運動性を低下させざるを得ませんでしたが(魚類の俊敏な動きにたいする両生類の緩慢な動き)、やがて陸上を自由自在に駆け回りながら全身を運動性そのものとして創出していき(哺乳類の誕生)、ついに頭脳の描く認識によって能動的に地球環境を変革するほどの実力を創出していくことになったのでした。

 一方、「哲学的歴史」の前半部分は、自然に埋没していた精神がはっきりと自然から脱却するまでの過程であり、その最高の到達点は、人間と神とは本質において同一であるとするキリスト教の原理が啓示されたことです。これに対して、「哲学的歴史」の後半部分(ゲルマン世界)は、主客未分の(自分と他者との区別が不明確である)いわば赤ん坊のような精神状態にあったゲルマン民族がこのキリスト教の原理を受け入れることでスタートします。ここでは、キリスト教の原理を現実の世界に浸透させていき、国家権力によって社会の全体が統括される(諸個人が各々の内面的良心において国家意志を主体的に受け容れて行動する)という構造を確立することによって、精神の本性たる自由を真の意味で実現していくことが課題となったのでした。

 以上のように整理してみると、ヘーゲルの『歴史哲学』と「生命の歴史」との間に、見事なまでの構造的な共通性があることが理解していただけるのではないでしょうか。このようにわれわれは、日本弁証法論理学研究会によって構築された「生命の歴史」を導きの糸としてヘーゲル『歴史哲学』に挑んでいったことにより、ヘーゲルの描く「哲学的歴史」の過程的構造を非常に明確に把握することができたのでした。

 ただし、残された課題もあります。唯物論の見地からの世界歴史の把握は如何にあるべきか、という問題については、ヘーゲルの歴史把握と対比させる形で、国家的労働の発展という本質的な把握の重要性をくり返し確認するレベルに止まってしまった感があります。もちろん、部分的には(例えば十字軍の評価など)、唯物論的な見地からの歴史把握を具体的に試みた場面はあったのですが、全体として如何なる世界歴史像が描かれるべきなのか、という問題については、充分に議論を深めることができませんでした。この問題は今後の大きな課題としてわれわれに残されたのです。そこで、本稿を終えるに当たって、『歴史哲学』についての学びの成果を踏まえた上で、真の唯物論的歴史観の確立に向けて、われわれは如何なる課題に取り組んでいくべきなのか、確認しておくことにしましょう。

 そもそもヘーゲル『歴史哲学』の最大の意義は、世界歴史についての本質的な規定(世界歴史とは精神が自己自身へと復帰していく過程であり、自由の実現過程である)を明らかにした上で、一本につながった大きな流れとして描ききった点にこそあるといえます。世界歴史の本質論から筋を通して体系的に説いていくということは、唯物論の立場からしっかりと継承していかなければなりません。世界歴史の本質(世界歴史とは何か)について、唯物論の立場からはすでに、「世界歴史とは人類の歴史であり、我々人類が社会的労働によって地球との相互浸透をはかり、自らの手で自らを発展させてきた道のりを、社会的生活およびその中核をなす文化に焦点をあてて説くものである」(加藤幸信「世界歴史とは何か」)という規定がなされています。われわれはここから出発しなければなりません。つまり、ヘーゲルが観念論的立場から絶対精神こそ人類の歴史における発展の主体にほかならぬ、としたのに対して、われわれは唯物論の立場から、社会的労働(社会的認識にもとづいた地球的自然への働きかけ)を統括する文化こそが人類の歴史における発展の主体にほかならぬ、としなければならないわけです。

 ヘーゲルは観念論者(最初から認識、精神が存在しているという立場)でしたから、精神がそれ自体として予め定められたゴール(自己自身への復帰)に向かって発展していくという前提で世界歴史を説きました。なぜ精神が発展していくのかといえば、もともと精神とはそういう性質をもっているのだ、ということでしかなかったのです。このため、世界歴史を担う場所が次々と移動していくことの必然性を説くことができなかったのです。これに対してわれわれは、40億年近くにおよぶ生命と地球との相互浸透的発展の流れのなかで社会的労働なるものが創出されたことこそが人類の歴史の原点にほかならないことを明確につかんだ上で、この社会的労働が特定の国家の枠組みを超えて、すなわち場所を移動しながらの繰り返しを積み重ねて、みずからを維持しつつ多様に分化しながら体系的な構造を創出していく過程を辿っていかなければなりません。これこそが唯物論の立場にもとづいた学問(本質論によって統括された論理の体系)としての世界歴史の構築なのです。

 本稿の冒頭で触れたとおり、人類史的な危機ともいえる事態が進行している現代、「新しい未来を発見するために過去から学ぶ」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』講談社現代新書、p.267)ことが切実に求められています。そのためにも、世界歴史の流れの内部にある発展の必然性を理解し論理をつかんで、それを未来の創造という実践に役立てていくための指針となりうるような、学問としての世界歴史の構築が必須となっているのです。そもそも学問とは、端的には、国家という枠組みをもった社会の維持・発展をはかっていくためのもの、より具体的には、国家(社会)が現実によって突きつけられてくる諸々の問題を的確に解決していくためのものにほかなりません。われわれはここで、『歴史哲学』を説いたヘーゲルが、情熱的な政論家としての側面を持っていたことを想起すべきでしょう(ヘーゲル『政治論文集(上・下)』としてまとめられたものが岩波文庫から出ています)。ヘーゲルの最初期には「ドイツ国制論(憲法論)」(「ドイツはもはや国家ではない」で始まることで有名)という論稿がありますし、ヘーゲルの生涯最後の論稿は、イギリスの選挙法改正について論じたものでした。端的にいえばヘーゲルは、当時のドイツをまともな国家たらしめることを強く希求していたのであって、そのためにこそ歴史哲学の構築へと向かっていったわけです。ヘーゲルの『歴史哲学』は、プロイセン国家を歴史の到達点としてしまったという点においてしばしば批判されるのですが、これはあくまでも自身の生きる時代的社会の諸問題を解決せんとするヘーゲルの強烈な意志の現われであったことを、われわれは正当に評価すべきでしょう。当時のドイツが抱える諸問題を世界歴史的な背景から解いていくためにこそ、哲学的歴史の構築が試みられたわけであり、それ以外ではありません。ヘーゲルがその稀有な学問的な実力を創出していく上で、この政論家としての側面が大きく寄与していたであろうことを、絶対に見逃してはならないのです。

 われわれが唯物論の立場から世界歴史を構築するのも、激動する世界情勢のなかで日本という国家の維持発展をしっかりとはかっていくためであり、端的には、現代の日本をまともな国家たらしめるためにほかなりません。現代の世界情勢を、できあがった事物の複合体としてではなく、あくまでも過程の複合体として把握するためにこそ、学問的な世界歴史の構築が必要とされるのです。この観点をしっかりと把持し続けなければ、学問的な世界歴史の構築に向けた努力が魂を欠いたものになってしまいます。もっといえば、われわれの日々の生活はあくまでも日本という国家的な枠組みにおいて営まれているのであり、学問的に解決が迫られている諸々の問題(経済問題、教育問題、言語の問題、心の病の問題など)も、そういう国家的な生活のヒトコマとして存在させられているものにすぎません。数千年以上にわたる世界歴史(人類文化の歴史)の論理的な把握は、そのような諸々の問題を解きうる学問体系を構築していくための必須の作業でもあるのです。

 本年、われわれは、世界精神の発展過程(成長過程)として世界歴史を論理的に把握したヘーゲル『歴史哲学』の学びの成果をしっかりと踏まえつつ、大きく学問(哲学)の歴史に焦点を当てて、その流れの構造的な把握に努めていくことを大きな目標としています。もう少し具体的にいうならば、ヘーゲル『歴史哲学』と一体のものとして理解されるべきヘーゲル『哲学史』(国家的生活の発展過程と哲学の発展過程とはあくまでも一体のものとして理解されなければならない!)に挑戦していけるだけの実力を集団的につくり上げていくことを目指して、シュヴェーグラー『西洋哲学史』(岩波文庫)を軸にしつつ、哲学の発展過程を国家的生活の発展過程と一体のものとして把握していくことです。本年の毎月の例会における議論を通じて、この課題において大きな成果を挙げていく決意を表明し、本稿を終えることにします。

(了)


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 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言
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