2014年01月10日

歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う(5/5)

(5)戦争か革命か――歴史的な岐路に立つ世界と日本
 
 本稿は、目前に迫っているかもしれない破局を回避し、希望ある未来を切り拓いていくための道を模索しなければならない、との問題意識から、現代の日本が一体如何なる歴史的情況の下におかれているのか、可能な限り明瞭に描き出すことを試みてみることを目的としたものであった。ここで、これまで説いてきた流れを簡単に振り返っておくことにしよう。

 まず、世界歴史の流れを根底から大きく規定している要因として、資本主義経済の歴史的変容という問題を検討した。第二次世界大戦後の資本主義諸国は、高度成長の果実を労働者階級にも手厚く分配するという“階級的妥協”によって、安定的な政治経済体制を創出したのであったが、内需主導型の高度成長が限界に突き当たることにより、こうした“階級的妥協”は放棄され、労働組合への攻撃、規制緩和、公営事業の民営化、社会保障の削減などといった一連の改革が進められていくことになったのであった。その結果、貧困と格差は著しく拡大し、分厚い中間層に支えられた安定的な国内需要は崩壊してしまった。こうして、資本主義経済は、金融市場の肥大化によって仮想的な需要を創り出すほかなくってしまい、デフレとバブルを周期的にくり返すという極めて不安定な情況に陥ってしまったのであった。このこととは同時に、政治的な体制の安定を揺さぶるものでもあった。将来への希望が失われ、生活不安が蔓延していくことは、不平等をもたらす体制への不満が爆発しかねない情況を創り出していく。こうしたなかで各国の支配層は、自立・自助・自己責任というイデオロギーを殊更に吹聴するとともに、共同体としての一体性を醸成するために、場合によっては排外的なナショナリズムを煽りながら上から強権的に抑えつけていく、という方向へと追いやられていったのである。

 つづいて、国際関係というレベルで現代世界を捉えてみるならば、どのような構造が浮かび上がってくるのか、検討した。端的には、第二次世界大戦後の世界の安定を体現していた「パクス・アメリカーナ」が崩壊過程に入るなかで、新興大国として中国が大きく台頭してきたことが、世界情勢の大きな変動をもたらしているということであった。日本においては、「日米同盟VS中国」という対決構図が確固として成立するかのように考えられがちであるが、話はそう単純ではない。露骨にいうならば、アメリカにとっての日本とは、中国との戦略的な関係――単純な敵対関係でも単純な同盟関係でもない関係――を深めていくための手駒のような存在にほかならないのである。アメリカのアジア戦略は、決して中国をとるか日本をとるかといった平面的なものではなく、「日米同盟」を基礎としつつも中国との戦略的な関係を深めていくことを何よりも重視する、という重層的かつ立体的な構造をもつものとして捉えられなければならないのであった。

 世界的な情勢についての以上のような把握を踏まえつつ、安倍政権の動向について検討した。端的にいえば、第2次安倍政権は、新自由主義がもたらした社会の荒廃に対応する強権的な国家体制づくりという歴史的課題を担わされて登場してきた政権であるといえるのであった。その最大の目標は、いうまでもなく日本国憲法の全面改定である。ここで警戒すべきなのは、例えば尖閣諸島で軍事衝突を引き起こすことで一気に世論を固め、その上で改憲国民投票に打って出る、といった謀略的行動の可能性であった。安倍政権は当面、アメリカのアジア戦略(日中が友好的に接近するより、ほどほどに敵対している方が何かと都合がよい)の大枠のなかで、日本版NSCの創設、秘密保護法の制定、国家安全保障戦略の策定など、軍事的な体制強化をはかりつつ、アメリカの対中戦略をより強硬な路線へと転換させることを狙って、尖閣諸島での軍事衝突を引き起こすことすら想定しているのかもしれないのである。たとえ現時点の安倍政権にそこまで明確な意図がないにしても、今後の事態の展開次第では、そういう方向へと流されていく危険性は決して小さいものではない。

 尖閣諸島をめぐって日中が軍事衝突した場合、米軍の介入を待つまでもなく、わずか数日間で日本側の圧勝という結果に終わる、というシュミレーションもなされているようである。我々は現時点において軍事的な知識を充分に持ち合わせていないから、これが全くの妄想であるなどと断定することは差し控えたい。しかし、たとえこのシュミレーションにそれなりの根拠があるにしても、事態がそこで収束する可能性は極めて低いのだ、ということだけは厳しく指摘しておきたい。尖閣諸島における軍事衝突で一度敗北したからといって、中国側はそれで引き下がるのであろうか。いずれ時をみて、尖閣諸島を「奪還」すべく攻勢に出てくるに違いない、と考える方が自然であろう。中国は広大な国土と豊富な資源と膨大な人口を抱える大国である。数日間で片付くはずの軍事衝突が、数十年にも及ぶ泥沼の戦争の入口であった、ということにならないとも限らないのである。事態が最終的に、日本の全面降伏、中国による日本占領という最悪の結末に至ってしまうことだって、絶対にあり得ないことだとはいいきれない。

 日米同盟があるからアメリカは日本に加担してくれるに違いない、というのも楽観的にすぎる。たとえ日本と中国が決定的な対立関係に入ったとしても、アメリカはそれに引きずられるようにして中国との決定的な敵対関係に入ることは望まないだろうし、そもそも中国と本気で事を構えるだけの財政的余裕もないのである。極端にいえば、日本と中国が戦争でお互いにつぶし合ってくれれば、アメリカの国益にとってこれほど望ましいことはない、という判断が生じる可能性だってあるのである。また、日中間の軍事的な衝突の過程のなかで、「反日的」な中国共産党政権が崩壊することを期待する向きもあるが、これまた楽観的にすぎる見方というほかない。仮に共産党政権が崩壊したとして、代わりに親日的政権が成立して広大な領土に対して安定的な統治をなすという保証がどこにあるのか。より反日的な政権ができて、尖閣諸島を「略奪」した日本への復讐心を煽ることで国民的な一体感を醸成しようとする可能性だってあるのではないか。

 このように考えてくるならば、中国との緊張を煽って軍事的な体制強化に突き進もうとしている安倍政権の動向が、日本という国家の存亡を脅かしかねない危険極まりないものであることは明らかである。安倍政権の暴走はストップさせなければならない。しかし、ただ単に、安倍政権の個々の政策に反対し、安倍政権打倒を叫ぶだけではいけない。ここでしっかりと踏まえておかなければならないのは、安倍政権は、資本主義経済の深刻な行き詰まりという世界歴史的な危機のなかで、ある一定の解決方向を模索する役割を担わされている存在にほかならないのだ、ということである。端的にいえば、事態はもはや、戦争か革命かという選択が迫られるほどに緊迫してきているのである。いうまでもなく、戦争による解決という路線を象徴するのが、現在の安倍政権にほかならない。社会の荒廃をもたらす新自由主義的政策の延長線上に、戦争によって国家的共同体をムリヤリに「再建」するという方策を展望しようという安倍政権の路線(必ずしも安倍がそうした役割に自覚的だというわけではなく、客観的に見ればそのように評価するしかない、という意味である)に本当の意味で対抗しようとするならば、歴史的な危機に瀕している資本主義的な経済のあり方を根本から変革していく道が模索されなければならないのである。

 変革のためには、変革のための理論的指針――社会のあり方を体系的に解ききる学問体系――が必須となる。例えば、経済問題に限って見ても、経済政策が右往左往してきたのは、科学的な経済学体系がなかったからに他ならないのであり、その創出こそが社会を安定的に発展させる土台となるのである。20世紀においては、社会を根本的に変革するための理論的指針が、マルクス主義の革命思想(科学的社会主義)という形で与えられていると信じられていた。しかし、ソ連崩壊後の世界に生きる我々は、マルクスやレーニンらによって、資本主義社会を乗り越える新たな社会の展望がすでに与えられているなどと、素朴に信じるわけにはいかない。新しい社会を建設していくための理論的指針は、ヘーゲルからマルクスおよびエンゲルスへ、さらには三浦つとむから南郷学派へ、といった学問的伝統を受け継ぎながら、我々自身の手でこれから創出していかなければならないものなのである。人類が動物的生存条件から脱して真に人間らしい生活へと入っていくためには、換言すれば、人類が本当に意識的に自分で自分の歴史をつくれるようになるためには、まずもって、自然の法則性・社会の法則性・精神の法則性についてしっかりと把握しきった学問一般を体系的に構築しなければならない。こうした学問の創出こそ、我々の歴史的使命であることを確認して、本稿を終えることにする。

(了)
posted by kyoto.dialectic at 07:13| Comment(1) | TrackBack(0) | 新・情況への発言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 
 ありがとうございました。
 五回終了比で較的短い論でしたが、
 とても感慨深いものがありました。
 人生一寸先は闇なのですね…
 そんな闇の中でも先を見通せる認識力が必要なのですね。
 今後も学ばせて頂きます。
 宜しくお願いします。
Posted by 自由びと at 2014年01月10日 10:58
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 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
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 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言