2013年12月16日

古代ギリシャ経済の歴史を概観する(5/5)

(5)プラトン、アリストテレスは自給自足を理想とした

 本稿は、経済学の究極の原点ともいうべきプラトンやアリストテレスなどの著作をまともに読みこなしていくためには、現代資本主義経済とは大きく異なるものであったであろう古代ギリシャ経済の姿について、大雑把にでもイメージを描いておく必要がある、という問題意識から、古代ギリシャ経済の歴史について概観することを試みるものでした。ここで、本稿でこれまで説いてきた流れを振り返ってみることにしましょう。

 まず、古代ギリシャ社会の中核をなしていたポリスと呼ばれる共同体が、いかなる過程を経て形成されてきたのか、辿ってみました。古代オリエント世界の辺境に位置していたギリシャは、オリエントをはじめとする諸民族との交通関係(戦争と交易)を何重にも積み重ね、他の諸民族の文化と相互浸透することをつうじて独自の文化を形成していったのであり、そうした過程のなかから、しだいしだいにポリス社会の原型とでもいうべきものを創出していったのでした。紀元前8世紀以降になると、人口の増加によって農地や食糧の確保という問題が大きく浮上し、限られた耕地をめぐって無数の村落共同体が小競り合いをくり返すという情況が現出しました。こうした情況のなかで、複数の小共同体が統合・強化されていくという過程が進行していきます。こうした過程をつうじて、農地を防衛する戦士の共同体として形成されてきたものこそ、ポリスにほかならなかったのでした。ポリスといえば、「都市国家」という訳語が充てられることにも象徴されるように、都市というイメージで語られることが多いのですが、ポリス市民とは元来は独立自営農民のことにほかならなかったのであり、ポリスとは、そもそもの成り立ちからして、村落的・農耕的な性格が色濃いものだったということができるわけです。

 このように、人口増加によって農地・食糧の確保という大問題に直面させられたギリシャは、何よりもまず、内陸部で農耕的な共同体を強化していく方向へ向かったのでした。しかし、紀元前8世紀以降のギリシャ史は、もうひとつ、海上への進出という方向での展開もみせました。より具体的には、エーゲ海から地中海、さらには黒海方面にかけて、活発な植民活動、交易活動が行われるようになっていったのです。こうした流れにのって繁栄をきわめていったのが、小アジア沿岸部イオニア地方の植民市でした。イオニア植民市は、その地の利を活かした交易活動によって大きな富を蓄積し、ギリシャ本土に先んじて豊かな文化の花を開かせることになったのです。古代ギリシャ経済史の展開において注目すべきなのは、このイオニア植民市で発展させられた海洋的・商工的・都市的な要素が、交易関係をつうじて、内陸的・農耕的・村落的なギリシャ本土へと浸透していくことになったことです。このことによって、ギリシャ本土の諸ポリスは、大きく3つの形態に分化していったのでした。すなわち、商工的性格がほとんど浸透しなかったところ(スパルタなど)、著しく商工化されてしまったところ(コリントスなど)、およびその中間(アテネなど)です。このなかで、没落してしまったイオニア植民市に代わって大きく繁栄をきわめていったのが、第3の形態に属するアテネでした。端的にいえば、農耕的な性格(自給自足的な構造)を土台としつつ、商工的な性格を適度に取り込んだことが、アテネの政治的・文化的発展につながっていったのだということができるのでした。

 もともとアテネは、アッティカ地方の各村落共同体から、甲冑で自ら武装できるだけの経済力を保持した貴族的市民(村落的共同体を構成する独立自営農民のなかでも特に有力だった層)が集住することによって形成されたポリスであり、彼ら貴族たちが政治の中心にいました。しかし、イオニア植民市との交易をつうじて手工業や商業(貨幣流通)が発展して鉄製武器がしだいに安価になっていくと、平民たちも重装歩兵として戦場で活躍できるようになっていったのです。こうして、一般市民たちがポリスにおける社会的な地位を高め、発言力を強めていくようになったのです。また、安価な購買奴隷の使用が大きく普及したことにより、一般市民もまた生産的労働から解放される度合いが大きくなっていき、政治参加への条件が整っていくことになったのです。こうした経済的諸条件の変化を背景にして、アテネにおいて民主制が確立されていったのであり、また、学問・芸術の豊かな発展が可能となっていったのでした。紀元前四世紀のアテネについてみると、主食となる穀物の自給率は4割程度にすぎず、手工業生産の6割、鉄産出の8割が輸出されていました。古代アテネの市民たちは、国外から購入した奴隷労働力によって手工業製品や銀を生産し、それを輸出することで、自分たち(および在留外国人や奴隷たち)の生存を支える穀物などを輸入していたわけです。アテネ市民たちは、輸入された奴隷の労働に支えられることによって、政治的・文化的(学問および芸術)活動に専念することができていたのでした。こうした構造は、アテネの繁栄をもたらすとともに、同時にその存立基盤を非常に危うくとするものでもありました。それは、奴隷を輸入するルート、穀物を輸入するルートを押さえられてしまえばひとたまりもない! ということにほかなりません。実際、ペロポンネソス戦争で穀物輸入ルートを押えられたアテネは降伏を余儀なくされてギリシャ世界における覇権を失い、しだいに衰退へと向かっていくことになったのでした。

 以上のように、もともと自給自足的な色彩の濃い村落共同体(の連合体)としての性格をもっていたポリスは、その自給自足的な構造をしだいしだいに壊して、対外依存の度合いを深めていくことによってこそ、繁栄をきわめていくことになったのでした。しかし、それは同時に、ポリス社会の存立基盤をきわめて脆弱にするものでもありました。戦乱が続いて奴隷・穀物の安定的な調達がままならなくなると、ポリス社会は衰退していかざるを得なかったのです。

 本稿の連載第1回において、「無限に発展していく社会的欲求を最大限に満たしつづけるべく、有限な社会的総労働を適切に配分していくこと」という仮説的な経済本質論を提示しました。この観点から、アテネの繁栄と没落という問題を考えてみることにしましょう。

 全盛期アテネの市民たちは、衣・食・住という物質的生活において、たんに生存を維持するレベルにとどまらず、それなりに洗練されたものを求めるようになっていたでしょうが、何といっても社会的欲求の中心は、精神的生活(政治・学問・芸術など)の領域で創造的な活動をなすことにあったというべきでしょう。そうした社会的欲求を満たすために市民に何よりも必要だったのは、生産的労働(物資的な生活資料を作り出す肉体的労働)から解放された余暇でした。だからこそ、物質的な生活資料を確保するための労働(直接に生活資料を作り出すための労働にくわえて、穀物輸入の対価となる製品を生産するための労働という媒介的なものも含む)を、ほとんどまるごと共同体(アテネの市民団)の外から確保してきた奴隷に任せる(押しつける)ようになっていったのでした。このような社会的総労働の配分、すなわち、精神的労働は市民が担って肉体的労働は(共同体の外から調達してきた)奴隷に担わせるという労働配分によってこそ、古代ギリシャの文化が豊かに花開いていくことになったのです。

 しかし、このような労働配分のあり方は、安定性・継続性という点で大きな弱点を抱えていました。奴隷労働力は共同体内の再生産だけで賄い続けることはできませんでしたし、市民の生存にとってもっとも基礎的な生活資料である(それを欠いてしまえば死ぬしかない!)穀物の供給ですら、外部に大きく依存することになっていたからです。経済とは何か(経済はどうあるべきか)と問うたときに、重要なポイントとのひとつなるのは、その安定性であり持続可能性ではないでしょうか。その観点からすれば、古代ギリシャ(全盛期アテネ)の経済構造は、経済のあるべき姿から逸脱していたのであり、それ故に没落せざるを得なくなったのだ、といえるかもしれません。

 一般的にいって、ある共同体は他共同体との相互浸透関係のなかでこそ発展していくことができます。経済的側面についていえば、他共同体との接触によって新たな欲求が喚起され、それを満たすための労働のあり方が創出されていく、という形での発展がなされていくのです。その意味で、交易関係は経済の発展にとって不可欠であるといえるでしょう。しかし、すべての命題は条件付きでのみ正しいのです。対外貿易の発展が、それなしには共同体の成員の生命維持すらままならない、というところにまで突き進んでしまうと、ちょっとしたきっかけだけで生活の生産・再生産の過程の進行が妨げられてしまうことにもなりかねないのです。

 個人の生き方(思想的発展)に例えるならば、我流の見方に固執して他者の意見に耳を傾けないようでは発展性をもてないが、かといって無定見に他者の意見に左右されるだけでもいけないのだ、ということができるでしょう。しっかりと主体性を保ちながら他者の思想との相互浸透をはかっていくことが大切なのです(もちろん、相互浸透する相手が学ぶに値するレベルであることが大前提ですが)。一国の経済の発展ということを考えたとき、対外的な交易というのはもちろん大切な要素なのですが、それは、生存の維持に最低限必要なものはそれなりに自給できるという土台を崩し去ってしまうものであってはならない、ということができるわけです。もしそうなれば、安全保障上の重大な弱点となってしまい、国家の存亡を危うくするでしょう。

 プラトンやアリストテレスが活躍したのは、過度に外部に依存した経済(社会的総労働の配分)の限界が露わになってきていた時代でした。彼らは、ポリス社会の衰退期にあって、いかにしてポリスの解体を食い止めるのかということを課題に据えて思索したのです。彼らの経済思想についていえば、いずれも欲求の無限の発展性に歯止めをかけ、ポリスの自給自足的な構造を再建することを主張した点に共通性を見出すことができるでしょう。プラトンの描く理想国家では、貨幣の使用は禁止され、財産は共有制でした。一方のアリストテレスは、プラトンの財産共有制の主張については批判したものの、ポリスは村の連合体であり村は自給自足的な家族の連合体であるべきだとした上で、クレマティスティケ(取財術。儲けの獲得を目的とした交換)の禁止を主張したのでした。彼らの主張は、一面的にすぎる嫌いはあるものの、ポリス解体期という時代背景を踏まえるならば、経済とは何か、経済はどうあるべきものなのか、という問題について、重要な一側面を鋭く突いたものだといえるのではないでしょうか。時代背景をしっかりと踏まえつつ彼らの著作を学ぶことは、現代における経済学の混迷した情況を打ち破っていく上で、大きな手掛かりとなるに違いありません。そのような観点からのプラトン、アリストテレスなどの経済思想の検討については、別稿において行うことにしましょう。

(了)
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 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
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 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
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 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言