2013年12月05日

2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む(4/10)

(4)ヘーゲル『歴史哲学』ゲルマンの世界 第3篇の要約B

 前々回より,ヘーゲル『歴史哲学』の「第4部 ゲルマンの世界/第3篇 近世」の要約を掲載しています。前回は,「第2章 宗教改革が国家形成に及ぼした影響」を要約したものを紹介しました。ここでは,宗教改革や宗教戦争を経て,プロテスタント教会に属する国家=プロシアがヨーロッパの独立の一勢力として台頭した経緯を中心として説かれていました。

 今回は,「第3章 啓蒙と革命」のうち「T、思惟の原理」と「U、啓蒙」の部分を要約したものを紹介したいと思います。ここでは,思惟の原理や理性の性格について論じられ,絶対自由の意志について検討されていきます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第3章 啓蒙と革命
T、思惟の原理

1、思惟の原理の出現
 プロテスタント教においては、内面性の原理の把握とともに悪としての内面性に対する信仰が生じ、カトリック教会においても、意志の内面性とその動機に関するうるさい穿鑿が持ち込まれた。ここで結局最後に残るのは、内面性そのものの純粋活動、精神の抽象的な要素、すなわち思惟にほかならない。元来、思惟は一切のものを普遍性の形式で考察するものであって、その点で思惟は普遍者の活動であり、普遍者の生産作用である。私が思惟する場合、私は対象を普遍性にまで高めないではおかないのであり、このことこそ、すなわち絶対的自由にほかならない。純粋自我は純粋な光と同様に、完全に自分自身の許に(bei sich)あるものだからである。こういう把捉、すなわち最も内的な自己確実性をもってする他者の把握は、そのまま宥和の意味をもっている。すなわち、そこには思惟とその他者との統一が即自的な形で存在しているのである。というのは、理性こそ意識のみならず、また外的存在、自然的存在の両者の実体的根底をなすものだからである。この意味で、われわれに対立するものも、もはや彼岸ではなく、われわれとちがった実体的性質をもつものではない。

2、経験と経験科学
 精神は、神が自然、世界を創造したものである以上、自然または世界もそれ自身、理性を有するに相違ないということを認識する。そこで、現存の世界を考察し、これを知ろうという一般的関心が起る。自然の中に潜む普遍者は、これをその現象的な姿に還元すれば、即ち種、類、力、重力、等である。こうして経験が世界に関する学問に取り入れられることになった。思惟の意識は、デカルトによってはじめて、思惟の詭弁から脱した。ロマン民族によって、内面的分裂性という性格と関連する抽象がはじめてつかまれたのである。経験科学はロマン民族の間で、新教をとるイギリス人もその仲間に加わって、急速の進歩を遂げた。次にまた思惟は、その目を精神の面にも向けた。権利とか人倫とかが、聖書の中に記された神の律法として外的に命ぜられるものとしてではなく、人間の意志という現実的な地盤に基づくものと見られるようになったのである。


U、啓蒙
1、理性の性格
a、新しい理性
 こういう現実的で、明瞭な意識に基づく普遍的諸規定、自然の諸法則と、正しくまた善なるものの内容とを人々は理性と呼んだ。そして啓蒙とは、これらの法則を人々に承認させることを意味した。この啓蒙はフランスからドイツに入り、そこに新しい観念の世界が出現した。いまや宗教的な信仰とか、既成の法律とか、特に国法などの権威の絶対的基準は、その内容が精神そのものによって自由にハッキリと現実的に洞察されるということにあった。

b、思惟の原理――同一原理と矛盾原理
 しかし、この思惟の原理も、はじめはまだ普遍性の形をとり、抽象的な形で現われ、矛盾の原理と同一性の原理とに基づくものであった。そのために却って、内容は有限的内容として立てられることになり、啓蒙は人間的な事物と神的な事物の中から思弁的なものを一切合切、追放し、絶滅してしまうという結果になった。しかし、こういう抽象原理では生きた精神、具体的な心情は満足させられない。

c、歴史の最後の段階
 だが、この形式的な絶対的原理とともに、われわれは歴史の最後の段階に、われわれの世界に、われわれの時代に到達する。

2、絶対自由の意志
 世俗性は現存在の中にある精神の国であり、現実存在に歩み出た意志の国である。正義や人倫は本質的な、即自的に〔それ自身で〕ある意志に属し、それ自身において普遍的な意志に属する。真に正しいものを知るためには、われわれは特殊的なものとしての癖、衝動、慾望を捨てて、意志そのものを見なければならない。意志そのものは、好意とか援助とか協同とかいった衝動や、それらに対抗する多くの衝動(これらは意志の現象的内容としての特殊性である)とを超越するものである。けれども、そのすべてを超越する点で、意志としての意志は抽象的である。意志は他のものを、外的なものを、自分と別のものを意志せず、ただ自分自身を(意志)を意志する限りにおいてのみ自由である。自分を意欲する意志こそ一切の権利といっさいの義務との根拠であり、したがってまた一切の法律、義務命法、及び責任の根拠である。それは人間を人間たらしめるものであり、したがって精神の根本原理である。――そうすると、ここに早速起る問題は、この意志がいかにして規定性〔具体的形態〕をとるようになるかという問題である。この世にはいろいろの権利と義務とが存在するから、意志はまた特殊的なものをも意志する。純粋意志は自分を自分の対象とするものであり、自分が自分自身の内容であって、何ら内容でない内容だから、われわれは意志の特定の内容、その規定性を要求する。意志の理性とは、まさに自分を純粋な自由の中に保持するものであり、いかなる特殊的なものの中でも、ただこの純粋な自由を求め、権利を権利のために、義務をただ義務のために意志するものにほかならない。ドイツ人にあっては、これがどこまでも冷静な理論にとどまっていた。ところがフランス人は、これを実践的に実現しようとした。ここに2つの疑問が起こる。1つは、何故にこの自由の原理が単に形式的なものにとどまったかということであり、もう1つは、何故にフランス人だけがこの原理の実現に突進し、ドイツ人はこれをやらなかったかということである。

3、自由意志の検討
a、何故に自由の原理が形式的であったか
 形式的原理ではあっても、そこにはまた一層内容に充ちたカテゴリーが産み出された。それは社会ということであるが、社会の目的は自然権(法律の前における権利の平等)を正しく維持しようとするものである。平等とは自由であるところの人間の根本規定が同一だということである。けれども、この原理は抽象的思惟、悟性から出て来たものであって、差しあたっては純粋理性の意識であり、直接的なものとして抽象的だから、形式的である。それはまだ宗教には一般に対立し、具体的な絶対的内容に対立しているから、まだちっとも自分から外に出て展開していない。  

b、自由の原理は何故にドイツ人によってでなく、フランス人によって実現されたか
 ドイツにおいては、哲学の形式的原理に対して内的に満足を得た精神の要求と落ち着いた良心とをもつ具体的な世界と現実とが、どっしりと坐っている。というのは、一方には思惟を自覚の絶頂の意識にまで進めたプロテスタント世界自身があったが、他方では、そのプロテスタント主義は人倫世界と法的現実界とに心情の平安を与え、心情は宗教とひとつになって、私法と憲法〔国家組織〕との一切の法的内容の源泉となっていたのだからである。だから啓蒙はドイツにおいては神学の味方であったが、フランスにおいては真先に教会に反対の態度をとった。ドイツでは現実〔世俗界〕の一切が、すでに宗教改革によって改善されていた。したがって思惟の原理は、すでに相当に融和されていたのである。のみならず、プロテスタント世界の人々は、前に〔宗教改革によって〕掲げられた宥和の中に正義〔法〕の具体的な発達のための原理が出ているという意識をいだいていた。

c、カトリックの二重真理と原子論的意志
 プロテスタント主義は二重の真理を認めなかったが、カトリックの世界には神聖な真理〔超自然的、啓示的真理〕が一方に立ち、他方には宗教と相容れない抽象、いいかえると宗教的な迷信や宗教的な真理に反対するところの抽象〔自然的、理性的真理〕が立っている。そうして、いまこの〔宗教に反対する〕形式的な個人意志が根底とせられることになったのである。ここで基礎となるものは意志の原子〔個別的意志〕であり、各々の意志こそ、そのまま絶対的な意志と見られる。
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 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言