2013年12月03日

2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む(2/10)

(2)ヘーゲル『歴史哲学』ゲルマンの世界 第3篇の要約@

 前回は,わが京都弁証法認識論研究会の11月例会の場において,報告担当者から提示されたレジュメを紹介しました。今回からはヘーゲル『歴史哲学』(武市健人訳、岩波文庫)の今回扱った部分(「第4部 ゲルマンの世界/第3篇 近世」)の内容を要約したものを,4回に分けて紹介していくことにします。

 今回は,「第1章 宗教改革」の部分です。ここでは,教会が没落して宗教改革が起こったこと,その宗教改革の精神とは何か,宗教改革の影響やその結果はいかなるものであったか,ということが論じられていきます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヘーゲル『歴史哲学』 第4部 ゲルマンの世界

第3篇 近世〔ゲルマン世界の第3期〕

序説 近世の3期の区分
 ゲルマン世界の第3期から自由を自覚した精神の時期にはいる。この第3期は、宗教改革、宗教改革後の社会状勢の展開、18世紀末以来の3つの区分で考察される。

第1章 宗教改革
T、序――教会の堕落
1、教会の堕落
 宗教改革は教会の堕落から生まれた。教会の堕落の原理は、例のこのもの〔キリストの現在〕が感性的な形で教会の中にあるという点、外面的なものが生まの形で教会そのものの内部に存するという点にある。教会はこれを精神的主観性にまで浄化しない。世界精神は、すでに教会を乗り越えてしまった。というのは、精神は、外面的なものが外面的なものであることを知り、有限的存在の中にあって有限的な仕方で活動し、まさにこの活動の点で自分の分限を知った、正当な主観性として、自分自身の足下を見失わないようなところまで来たからである。

2、堕落の諸相
 教会に潜んでいた堕落の要素は、教会がもはや自分に抵抗するものをもたなくなり、教会が確乎とした組織となるに及んで、必然的に堕落となって教会の中で繰り展げられることになった。教会の信仰心の中心には一般にいって迷信があり、それは感性的なもの、卑近な事物に結びついたものであるが、いろいろな形態をとって現われている。権威の奴隷、馬鹿馬鹿しい奇蹟の信仰、支配慾、淫蕩、あらゆる種類の野蛮と卑怯、偽善、詐欺。

3、免罪符
 教会の内部における2つの面の対照、悪辣な所業や情慾と、すべてを捧げるところの魂の崇高さとの対照は、いまや人間が自分の主観的な力を強く感じるようになって、自分が自由であることを知るようになるだけ、鋭く感ぜられて来る。――ところが一方、人間の魂を堕落の淵から救う任務をもつ教会は、この救済そのものをひとつの外面的な方法で処理するほどまでに堕落してしまった。つまり、罪の赦免、神との冥合の確かさという最も内面的なものが、ただ金銭で買うという軽薄至極な仕方で人間に授けられるというのである。しかも、これは自分達が逸楽にふけるという実にけしからん目的のために行われるのである。

U、宗教改革の精神
1、ルターの信仰の意味――聖餐の否定
 ドイツ民族の誠実の精神が、一介の僧の身をもって、この改革を成しとげる使命を引き受けた。ルターの教えは次のような簡単なものであった。すなわち、無限の主観性、真の精神性、つまりキリストは、決して外的な形で現在し、実現するものではなく、一般に精神的なものとして、ただ神と宥和するときにのみ、――ただ信仰と享受の中でのみ――獲得されるというのである。信仰とは、永遠なもの、絶対的に存在する真理、即ち神の真理に関する主観的確信である。ルターは、外面的なものの中にすべてを見ようとする、カトリック教会の聖晩餐説に対しては一歩も譲歩できなかったが、キリストを単なる記念であり追憶であるとするカルヴィン派の改革教会の説にも同意することができなかった。彼は、キリストは単に歴史的人物とみなされるべきではなく、人間は精神の中でキリストと直接的な関係を結び得ると説いたのである。

2、キリスト者の自由と自由の精神
 主観的精神は真理の精神をその中に受け容れ、これをその中に住ませるようにしなければならない。こうすることによって、宗教そのものにふさわしい魂の絶対的誠実と教会における自由とが獲得されるのである。主観的精神は、この真理の中で自由となり、自分の個別性を否定して、自分の真理の中で自分自身に到達することになる。ここにキリスト教的自由が実現されるのである。
 ここに、自分自身の許に(bei sich selbst)という旗印が掲げられることになったが、この時以後の時代、この原理を文字通りに世界の中へ滲透させ、世界をこの原理にしたがって作り上げることだけが、われわれの事業となったのであった。法、所有、倫理、統治、国家組織等は、それが自由意志の概念に適合し、理性的なものとなるためには、普遍的な契機と形態をもつものでなければならない。主観的な自由精神が高揚して自分を普遍性の形式にまで高めようとするところに、はじめて客観的精神が現われることもできるのである。この意味で、国家と法律とは現実世界の諸関係の中に現われたところの宗教にほかならない。

3、宗教改革の本質――聖書中心
 ルターは教会の権威を否定して、これに代えるに聖書と人間精神の証とをもってした。各人は聖書に学ぶべきであり、その良心の源を聖書の中に求めなければならない。これは原理の大変革である。教会の全伝統と建物は疑われることになり、教会の権威という原理は顛覆された。ルターのやった聖書の翻訳の事業はドイツ国民にとっては測り知れない意義を有した。ドイツ国民は、これによってカトリック世界の如何なる国民も有しなかったところの国民の書(Volksbuch)をもつことになった。カトリック国民はたくさんの祈祷書はもっていたが、国民を教えるための教典というものはもたなかったのである。


V、宗教改革の影響
1、最洗礼派の反抗と農民一揆――カトリック教会への影響とエズイット派
 教会の権威の非認によって分裂は必至のものとなった。各地に教会の世俗的支配に対する反抗が起こり、教会外のいろいろの状態にかんする世俗的な改革も行なわれた。ミュンスターでは再洗礼派が司教を追放して自ら支配権を握るようになるし、農民は一揆を起して自分等にのしかかっていた圧力を払いのけることになった。しかし、当時は世界はまだ教会改革の帰結であるところの政治的変革になるまでには熟していなかった。――宗教改革はまたカトリック教会に対しても深刻な影響を及ぼした。教会は盛んに非難された〔権威〕濫用の排除につとめるとともに、これまでは平気で手をつないでやって来たような多くの事柄〔学問、芸術等〕を今度は斥けることになった。すなわち、教会は次第に隆盛に向かいつつあるところの学問、或いは哲学や人文主義文学と手を切り、のみならず、やがては学問に対して敵意を示すようにまでもなった。教会はコペルニクスの新発見に反対を表明し、ガリレオはその罪の赦免を乞わなければならなかった。ギリシア文学は教養の基礎とはせられなくなり、教育はエズイット派に委ねられた。こういうわけで、カトリック世界の精神は一切合切沈滞していったのである。

2、宗教改革の各国への影響とその限界――その影響がゲルマン諸国民だけに止まった理由
 何故に宗教改革の伝播は単に2、3の国民に限られて、全カトリック世界に行き亙らなかったのか。ドイツに端を発した宗教改革は純ゲルマン民族〔ドイツ以外ではスカンディナヴィアとイギリス〕に受け容れられたにすぎず、ロマン国民とスラヴ国民はその圏外にあった。スラヴ民族は耕作民であったが、耕作は主人と奴隷の関係をともなうものであり、自然の役割が大きく人間の勤労とか主観的活動というものの占める重要さの割合は比較的すくない。だから、主観的自己という根本の感情の覚醒が非常に立ち遅れていたのである。ロマン国民は、ローマ人とゲルマン人の混血から生まれたのであり、その魂の奥底に分裂をもっている。彼らの感情は特定の興味に堕していて、精神の無限性はその中にはない。この彼らの自分の内面を託する他所の場所が、即ち教会なのである。

3、新教と世俗性との関係
 宗教改革以後における精神の発展と進歩は、人間と神との間に起る媒介を通じていまや自分が自由であることを意識した精神が、客観的な過程こそ神の本質そのものであることを確信しながら、あくまでもこの過程を把捉し、世俗的なものを益々発達させて行くという点にある。前には、世俗的なものはまるで悪と見られ、善はあくまでも彼岸にあるものと考えられていた。ところが、今度は国家の中にある人倫と法もまた神的なものであり、これ以上に神聖なものは存在しないということが意識されてきた。この点からして、独身が結婚よりも優るとは言い得ないことになる。人間は家庭を通じて共同生活に入るものであり、社会における相互依存の関係に入るのだから、この結合は人倫的なものである。また、働かないことももはや神聖なものとは見られないことになった。人間がその依存の状態の中にあって、活動と知性と勤労とによって自分を独立のものとすることの方がずっと尊いことだと見られるようになった。産業、商工業は、こうして人倫的なものとなり、教会の側からそれらに加えていた障害はなくなった。カトリック教会における神聖の第三契機である盲目的服従も同様に斥けられた。いまや意欲と行為の中にある理性としての国法に対する服従が原理として立てられるようになった。人間は自身で良心を持ち、自分の自由意志から服従する。これによって理性と自由との発達と普及との基礎ができたのである。


W、宗教改革の結果
1、国家と教会
 しかし、この国家と教会との宥和は、まだ単独に直接的に現われたにすぎなかった。国家とか法律組織などの改革は、すこしも行なわれなかった。宗教改革は、まず差しあたって修道院、司教職等の廃止などというような直接的な変革に限られた。神と世界との宥和は、はじめはまだ抽象的形式の中にとどまっていて、まだ人倫の世界の組織にまでは進まなかった。

2、宥和の原理――プロテスタントにおけるその主観性の一面化
 宥和は、まず差しあたって主観そのものの中に実現される必要がある。主観は自分の中に精神が宿っていることを確証しなければならない。人間は生れながらにして、そのあるべき本性に達しているものではない。人間は変革の過程を通じて、はじめて真理に達するものである。人間の心がそのままでは、あるべきところのものではないということこそ、それのもつ普遍的な要素であり、思弁的な契機である。だからこそ、人間は自分が悪であること、しかもその中には善い精神が住んでいることを知るべしと要求される。宥和がこういう抽象的な形式をとるものであるために、人間はその罪業に関する意識をもつことを強いられることになり、したがってまた無理に自分を悪として知るという苦悩の中に立たされた。この悪を知るという義務には、実はそれと反対の義務、すなわち、自分の中に善い精神が宿っていることを知るという義務が伴っている。ところが人々は、本来的にあるものを知ることと、現実的にあるものを知ることとの間の大きな区別を見落としていたために、善い精神が人間の中に宿っているかどうか不確かであるという苦悩が生ずることになった。プロテスタント主義はこのことを重大視したために、長い間に亙って内面的苦悩と悲惨を誇張する傾きが生じた。

3、内面的抽象性の擡頭――魔女審問
 人間の主観性の意識、人間の意欲の内面性の意識が目覚めて来た結果、世俗の怖ろしい力としての悪に対する信仰が起ってきた。この信仰は、あの免罪符の販売と軌を一にするものである。すなわち、永遠の福祉を金で買うことができたと同様に、今度は自分の福祉を代償にして悪魔と契約を結ぶことによって、世界の富、並びに慾望と情慾を思いのままにするところの力を買い取ることができるという信仰が生じたのである。ここにおいて、この世俗のけしからん、珍妙な力に対する信仰、悪魔とその奸策に対する信仰に関して、カトリック国においても、プロテスタント国においても実に無数の魔女審問が行なわれることになった。
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 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言