2013年12月02日

2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む(1/10)

目次

(1)報告者から提示されたレジュメの紹介
(2)ヘーゲル『歴史哲学』ゲルマンの世界 第3篇の要約@
(3)ヘーゲル『歴史哲学』ゲルマンの世界 第3篇の要約A
(4)ヘーゲル『歴史哲学』ゲルマンの世界 第3篇の要約B
(5)ヘーゲル『歴史哲学』ゲルマンの世界 第3篇の要約C
(6)改めての要約と提示された論点の紹介
(7)論点1:経験科学がロマン民族で発達したのはなぜか
(8)論点2:啓蒙がフランスからドイツに入ったとは具体的にいかなることか
(9)論点3:「近世」を「生命の歴史」や唯物論的歴史観から捉えるとどうなるか
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)報告者から提示されたレジュメの紹介

 2013年11月の例会では,ヘーゲル『歴史哲学』(武市健人訳、岩波文庫)「第4部 ゲルマンの世界」の「第3篇 近世」を扱いました。ここでは,宗教改革から説き始め,宗教戦争や啓蒙の時代を経て,ヘーゲルが生きていた時代のフランス革命とその影響までの流れが扱われています。

 この例会報告では,まず例会で報告されたレジュメを紹介した後,『歴史哲学』の当該部分の要約を4回に分けて掲載します。次に,参加者から提起された論点について,どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に,この例会を受けての参加者の感想を紹介する予定です。

 今回はまず,報告担当者から提示されたレジュメを紹介することにしましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヘーゲル『歴史哲学』 第4部 ゲルマンの世界
第3篇 近世〔ゲルマン世界の第3期〕

第1章 宗教改革


 宗教改革が異議を申し立てた教会の堕落とは如何なるものであり、宗教改革は世界精神の発展過程に対して如何なる課題を提起するものとなったのか。

 教会の堕落の原理は、キリストの現在が感性的な形で教会の中にあるとする点にあった。これに対してルターは、キリスト(無限の主観性、真の精神性)は決して感性的な形で現在するものではなく、一般に精神的なものとして、ただ信仰の中でのみ獲得されるとした。信仰とは、神の真理(永遠な、絶対的に存在する真理)に関する主観的確信である。主観的精神は、この真理の精神を受け容れることによって自由となり、自分の個別性を否定して、自分の真理の中で自分自身に到達することになる。ここに、自分自身の許に(bei sich selbst)という旗印が掲げられることになったが、この時以後、この原理を文字通りに世界の中へ滲透させ、世界をこの原理にしたがって作り上げることだけが、われわれの事業となったのであった。宗教改革以後における精神の発展と進歩は、人間と神との間に起る媒介を通じていまや自分が自由であることを意識した精神が、客観的な過程こそ神の本質そのものであることを確信しながら、あくまでもこの過程を把捉し、世俗的なものを益々発達させて行くという点にある。

 しかし、当時の世界はまだ教会改革の帰結であるところの政治的変革になるまでには熟していなかった。宗教改革は、まず差しあたって修道院、司教職等の廃止などというような直接的な変革に限られ、国家とか法律組織などの改革はすこしも行なわれなかったのである。しかも、ドイツに端を発した宗教改革は、純ゲルマン民族に受け容れられたにすぎず、ロマン国民はその圏外にあった。ロマン国民は、ローマ人とゲルマン人の混血から生まれたのであり、その魂の奥底に分裂をもっている。彼らの感情は特定の興味に堕していて、精神の無限性はその中にはない。この彼らの自分の内面を託する他所の場所が、即ち教会なのである。

◆報告者コメント

 カトリック教会が、キリストの現在(真の精神性)を感性的な外物の形で捉えたために、かえってキリスト教の原理を世俗世界と画然と区別された領域に閉じ込めてしまったのに対して、プロテスタント(ルター派)は、それを徹頭徹尾、自らの精神そのものの中に把握した(世界を創造した神との本質的同一性を自分自身が有することを自覚した)だけに、キリスト教の原理を主体的に捉えて、この原理を生活のあらゆる領域に浸透させつつ、社会的生活のすべてを改革するという課題を明確につかむことになったのであろう。例えていうならば、カトリック的姿勢では、弁証法を本で知識的に学んでいるだけ(日常生活と切り離された領域に死んだ知識として蓄積されるだけ)になってしまうのに対して、プロテスタント的姿勢においては、生活のあらゆる場面に弁証法を応用し、あらゆる問題を弁証法によって解決しながら弁証法的に生きることこそが弁証法の学びである、ということになるのではないか。これぞまさに主体的ということである。



第2章 宗教改革が国家形成に及ぼした影響

 宗教改革は、諸国家の形成過程に如何なる影響を及ぼすことになったのか。

 宗教改革の結果として現われた事件の中で特に重要なものは、政治的存在を獲得しようとして戦ったプロテスタント教会の闘争であった。事態は徹底的に戦い、それによって決するほかないことになった。それが三十年戦争〔1618-1648〕として勃発したのである。ヨーロッパのあらゆる強国がドイツに向かって押し寄せ、自分達の宗家であるドイツに向って攻め上がることになった。こうしてドイツは、いまや宗教的内面性〔プロテスタント〕の権利と内面的分裂性〔カトリック〕の権利との決戦の場と化した。ウェストファーレンの和約〔1648〕によってプロテスタント教会は独立を認められ、ドイツの政治組織も確立された。けれども、この組織はこれまで分裂していた国々の私権の確立、全体の利害に反した行動をするという部分自身の利害が不可侵のものとして守られ保証されるという体制の確立でしかなかった。そのため、ドイツ帝国は、この和約の締結後、トルコと不面目な戦争を行ない、花形の諸州〔エルザスの大部分など〕をフランスに占領されてしまった。

 しかし、プロテスタント教会は次に、プロテスタント教会に属する国家の一つがヨーロッパの独立の一勢力として擡頭する点で、その完全な政治的保証を受けることになる。プロシア〔三十年戦争の結果、独立の地位を獲得したブランデンブルク候ホーエンツォルレン家〕がそれである。プロシアはフリードリヒ大王という人物を得て、七年戦争という、この確立と安定のための戦争を見つけ出したのであった。フリードリヒ大王は独力でもって、ほとんど全ヨーロッパの勢力、ヨーロッパの主な国々に対抗したが、それによってその威力を世に示した。フリードリヒ大王は単にプロシアをプロテスタント派の一勢力としてヨーロッパ列強の列に加えただけでなく、彼はまた哲学的な国王であった。フリードリヒはプロテスタントの原理を世俗の面から捉えたのであった。

◆報告者コメント

 プロテスタントの原理は、決してそれ自身として坦々と発展の歩みを進めてきたわけではなく、あくまでもカトリック諸勢力との激烈な闘争関係の中で自己を鍛え上げながら、政治的な生存保障を獲得するまでに至ったのだ、ということであろう。プロテスタントの発展過程には、その対立物としてのカトリックの存在が必須であったわけである。カトリックはプロテスタントにとって、悪く言えば反面教師だが、よく言えばライバル(好敵手)としての役割を果たしたのだといえるかもしれない。「負けてなるものか!」という反発心こそが人間を成長させるものであるという点は、我々も肝に銘じておくべきであろう。



第3章 啓蒙と革命

 精神が内面性の頂点たる思惟にまで到達した結果、社会はどのように改革されることになったのか。

 思惟は、内面性そのものの純粋活動、精神の抽象的な要素である。私が思惟する場合、私は対象を普遍性にまで高めるのであり、このことこそ絶対的自由である。そこには思惟とその他者との統一が即自的な形で存在しているのであり、われわれに対立する自然または世界も、われわれと同様に神によって創造されたものである以上、われわれとちがった実体的性質をもつものではないということが認識される。そこで、現存の世界を考察し、これを知ろうという一般的関心が起る。こういう現実的で、明瞭な意識に基づく普遍的諸規定、自然の諸法則と、正しくまた善なるものの内容とを人々は理性と呼んだ。そして啓蒙とは、これらの法則を人々に承認させることを意味した。この啓蒙はフランスからドイツに入り、そこに新しい観念の世界が出現した。いまや宗教的な信仰とか、既成の法律とか、特に国法などの権威の絶対的基準は、その内容が精神そのものによって自由にハッキリと現実的に洞察されるということにあった。

 世俗性は現存在の中にある精神の国であり、現実存在に歩み出た意志の国である。正義や人倫は本質的な、即自的に〔それ自身で〕ある意志に属し、それ自身において普遍的な意志に属する。真に正しいものを知るためには、われわれは特殊的なものとしての癖、衝動、慾望を捨てて、意志そのものを見なければならない。意志は他のものを意志せず、ただ自分自身を(意志)を意志する限りにおいてのみ自由である。自分を意欲する意志こそ一切の権利といっさいの義務との根拠であり、したがってまた一切の法律、義務命法、及び責任の根拠である。それは人間を人間たらしめるものであり、したがって精神の根本原理である。ドイツ人にあってはこれがどこまでも冷静な理論にとどまっていたが、フランス人はこれを実践的に実現しようとした。ドイツでは現実〔世俗界〕の一切がすでに宗教改革によって改善されていたが、当時のフランスの社会状態は、思想や理性とはまるで相容れない特権の巣窟であり、人倫と精神とのひどい堕落の結びついた乱痴気の状態であった。改革が政府の手で行なわれなかったために、変革は勢い暴力沙汰になった。権利の思想、権利の概念がどっと一度に立ち上ることになったが、これに対して古い不正の陣営は何の抵抗もできなかった。そこで権利の思想に基づいて、いまや憲法が制定され、以後一切はこの基礎の上に据えられることになった。人間はここにはじめて、思想が現実的現実界を支配すべきものだということを認識する段階にまでも達したのである。フランス革命は、その後、紆余曲折を経ながらも、自由主義の実現という課題を一応は解決した。しかし、形式的、抽象的な自由主義は、原子の原理、すなわち個別的意志の原理を重んじ、一切は公明なガラス張りの力と公明な同意とによって行われなければならないと主張する。ここでは、自由とは個々の意志であり、恣意でしかないから、自由はいかなる政府にも反対する。多数の者の意志が内閣を顚覆して、その反対党が政府になっても、今度はその政府が再び多数の者を敵とすることになる。この衝突、葛藤、難問は現に歴史が直面しつつあるところのもので、それこそ将来において歴史が解決しなければならないものである。

 主観的意志どうしの衝突がある以上、心情の契機が問題にならざるを得ない。心情とは法律の内的意欲を意味し、単に慣習的に法律に服従することではない。むしろそれは、法律と憲法とが確乎としてあり、各人の特殊的意志をこれに服従させることが個人の最高の義務だという心情なのである。またそれは、国家に対する心情より高く神聖なものはないという心情である。宗教と国家とは内容の点ではちがうにしても、その根底においてはひとつである。したがって、法律も宗教の中に、その最高の保障を有している。この保障は、ただ理性的な憲法と矛盾しないような宗教の中にのみあり得る。

◆報告者コメント

 意志の自由の原理は、まずは「不正の国」であったフランスにおいて、抽象的かつ形式的な自由主義として爆発することになったということであろう。抽象的かつ形式的な自由主義というのは、あたかも個々人の機械的集合として社会(国家)が構成されているという発想に基づいたものであるといえそうである。これは、経済学をはじめとする諸々の社会科学のあり方にも影を落としているし、議会制民主主義の歴史的限界という問題にもかかわってくる点で、極めて現代的な問題であるといえるのではないか。橋下大阪市長をはじめとする“独裁的”とも批判される首長の登場や、アメリカ連邦議会での債務上限をめぐる混迷など、議会制民主主義のあり方を根本から問い直さなければならないような問題が頻出している中で、心情の契機を重視したヘーゲルの議論には、何らかのヒントになり得るものが含まれているかもしれない。



結論

 意識は以上のような段階にまで達した。そうして自由の原理が自分を実現するためにとった形式の主な諸契機、各段階は以上のようなものであった。というのは、世界史は自由の概念の展開にほかならないからである。世界史とは目まぐるしく変転する歴史の舞台の中で演ぜられる精神の道行〔展開行程〕であり、精神の現実的な生成であるということ、――これこそ真の神義論であり、歴史の中で神の義を証しすることである。過去に起ったこと、また日々起っていることは神なしにはあり得ないどころか、むしろ本質的に神の業そのものだという洞察のみが、精神を世界史および現実界と宥和させることができるのである。

◆報告者コメント

 『歴史哲学』全体の内容を、ヘーゲル自身が「自由の概念の展開」という一言でまとめた上で、それを神の業そのものにほかならないとしている。ヘーゲルの歴史観が観念論の立場から見事に筋を通したものであることを改めて感じるとともに、「ヘーゲルの思想はまことに哲学となったプロテスタンティズムであった」(中埜肇『ヘーゲル』中公新書)といわれることにも得心が行くように思った。


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 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う