2013年11月27日

文法家列伝:古代ローマ・中世編(1/5)

〈目次〉

(1)古代ローマ・中世の文法家の業績を概観する
(2)ワロー
(3)プリスキアヌス
(4)エルフルトのトマス
(5)言語過程説から古代ローマ・中世の文法学を評価する


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(1)古代ローマ・中世の文法家の業績を概観する

 今回から5回にわたって、言語研究史上にその名を連ねる文法家を取り上げ、その言語研究における成果や後の時代への影響などを紹介する「文法家列伝」シリーズの第2弾を連載します。前回は「文法家列伝:古代ギリシャ編」と題して、プラトン、アリストテレス、そしてディオニュシオス・トラクスの3人を取り上げました。簡単に振り返っておきましょう。

 まず、科学的な言語学を構築することで、筆者自らが言語学者と名乗れるレベルに自分を創造していくんだ、という決意を述べた後、古代ギリシャの言語研究を概観しました。古代ギリシャにおいては、語を中心とした文法が研究されました。品詞について、プラトンは二分法、アリストテレスは三分法の立場をとり、最終的にアレクサンドリア学派のディオニュシオス・トラクスによって八品詞(名詞・動詞・分詞・冠詞・代名詞・前置詞・副詞・接続詞)に区別されました。

 また、語形変化と派生語を1つの概念として括る認識から、徐々にそれらを区別する認識に到達していきました。ここには語形変化に一般的に現れる「合則性」(アナロギア)と、派生語を形成する際の「不規則性」(アノマリア)を対立する概念として把握する過程が存在していて、ディオニュシオス・トラクスの著した世界最古の文法書とされる『テクネー・グランマティケー』にも影響を与えました。

 言語の起源をめぐっては、物事についている名前は自然本来的なものであるという自然説と、誰かが何かにつける名前はどんなものであってもそれが正しい名前であるという慣習説の対立がありました。この対立はプラトンの『クラテュロス』で詳細に展開され、アリストテレスは習慣によって言語が生まれたとしました。

 こうした古代ギリシャの文法学は、以後の欧米の通俗的な文法学に通説として取り入られる考え方を多分に提出したといえるでしょう。まず、品詞を経験的・直観的に捉えた意味で分類し、それで説明できない場合は形式的機能的説明で補足しました。次に、言語の最小の単位を語とし、最大の単位を文として、文章を言語学の対象から除外しました。最後に、文は内容的には「完全な思想の表現」としましたが、形式的には名詞と動詞の結合とされ、一語文は不完全な文として考察の対象外とされました。また、言語規範を言語の本質とみなす言語道具説や、個々の言語の個別的な意味を無視して、個々の言語に共通した「一般的な意味」を言語の意味と解釈する一般的意味説という欧米言語学の宿痾の原基形態も生成したのでした。

 さて今回は、古代ローマから中世にかけて活躍した3人の文法家を取り上げたいと思います。ワロー、プリスキアヌス、エルフルトのトマスの3人です。おそらくほとんどの方が、この3人とも初めて聞く名前ではないかと思います。しかしこの3人とも、ラテン語を中心とした教会や学問の世界であるルネサンスまでのヨーロッパに、少なからぬ影響を残した人物です。

 各人の具体的な研究成果は次回以降に展開するとして、ここでは古代ローマ・中世における言語研究の展開の大きな流れを押さえておきたいと思います。

 古代ギリシャでは、先に振り返ったように、名前の由来に関する議論にせよ、品詞分類にせよ、語形変化と派生語の区別にせよ、語中心の文法を展開していきました。つまり、語はどのように発生したのか、語をどのように認定するのか、認定した語はどのような基準で区別するのか、という形で語の形式的側面を語の内部構造のみから論じる形態論が発展していきました。

 古代ローマ・中世に至っても、もちろんこの形態論というものは、品詞分類を中心にして議論されていくわけですが、ここにもう1つの新たな側面が加わってきます。それは統語論という領域に関する議論です。統語論というのは、文の中での複数の語同士の関係を論じる研究分野です。名詞の主格と動詞の関係や形容詞と名詞の関係などが議論されたほか、そもそも文にはどのような原理が働いているのかといった研究もなされました。

 こうして、古代ギリシャでは個々の語自体をそれのみで研究していた形態論中心の言語研究から、古代ローマ・中世では個々の語の研究を踏まえて、語と語の関係を追究していく統語論が発展していくことになったのでした。事物自体の研究から事物間の関係の研究へと発展したのです。

 こうした流れを受けて、中世には言語を対象や認識との関係において捉える試みの萌芽が、スコラ哲学の影響を受けた文法理論として登場してくることにもなります。

 以上を踏まえて次回以降は、ワロー、プリスキアヌス、エルフルトのトマスの順でそれぞれの文法家がどういう成果を挙げたのかを中心に概観し、言語学の歴史の論理を明らかにする一助にしたいと思います。
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 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
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 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
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 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
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 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
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 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
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 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言
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