(1)古代ローマ・中世の文法家の業績を概観する
(2)ワロー
(3)プリスキアヌス
(4)エルフルトのトマス
(5)言語過程説から古代ローマ・中世の文法学を評価する
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(1)古代ローマ・中世の文法家の業績を概観する
今回から5回にわたって、言語研究史上にその名を連ねる文法家を取り上げ、その言語研究における成果や後の時代への影響などを紹介する「文法家列伝」シリーズの第2弾を連載します。前回は「文法家列伝:古代ギリシャ編」と題して、プラトン、アリストテレス、そしてディオニュシオス・トラクスの3人を取り上げました。簡単に振り返っておきましょう。
まず、科学的な言語学を構築することで、筆者自らが言語学者と名乗れるレベルに自分を創造していくんだ、という決意を述べた後、古代ギリシャの言語研究を概観しました。古代ギリシャにおいては、語を中心とした文法が研究されました。品詞について、プラトンは二分法、アリストテレスは三分法の立場をとり、最終的にアレクサンドリア学派のディオニュシオス・トラクスによって八品詞(名詞・動詞・分詞・冠詞・代名詞・前置詞・副詞・接続詞)に区別されました。
また、語形変化と派生語を1つの概念として括る認識から、徐々にそれらを区別する認識に到達していきました。ここには語形変化に一般的に現れる「合則性」(アナロギア)と、派生語を形成する際の「不規則性」(アノマリア)を対立する概念として把握する過程が存在していて、ディオニュシオス・トラクスの著した世界最古の文法書とされる『テクネー・グランマティケー』にも影響を与えました。
言語の起源をめぐっては、物事についている名前は自然本来的なものであるという自然説と、誰かが何かにつける名前はどんなものであってもそれが正しい名前であるという慣習説の対立がありました。この対立はプラトンの『クラテュロス』で詳細に展開され、アリストテレスは習慣によって言語が生まれたとしました。
こうした古代ギリシャの文法学は、以後の欧米の通俗的な文法学に通説として取り入られる考え方を多分に提出したといえるでしょう。まず、品詞を経験的・直観的に捉えた意味で分類し、それで説明できない場合は形式的機能的説明で補足しました。次に、言語の最小の単位を語とし、最大の単位を文として、文章を言語学の対象から除外しました。最後に、文は内容的には「完全な思想の表現」としましたが、形式的には名詞と動詞の結合とされ、一語文は不完全な文として考察の対象外とされました。また、言語規範を言語の本質とみなす言語道具説や、個々の言語の個別的な意味を無視して、個々の言語に共通した「一般的な意味」を言語の意味と解釈する一般的意味説という欧米言語学の宿痾の原基形態も生成したのでした。
さて今回は、古代ローマから中世にかけて活躍した3人の文法家を取り上げたいと思います。ワロー、プリスキアヌス、エルフルトのトマスの3人です。おそらくほとんどの方が、この3人とも初めて聞く名前ではないかと思います。しかしこの3人とも、ラテン語を中心とした教会や学問の世界であるルネサンスまでのヨーロッパに、少なからぬ影響を残した人物です。
各人の具体的な研究成果は次回以降に展開するとして、ここでは古代ローマ・中世における言語研究の展開の大きな流れを押さえておきたいと思います。
古代ギリシャでは、先に振り返ったように、名前の由来に関する議論にせよ、品詞分類にせよ、語形変化と派生語の区別にせよ、語中心の文法を展開していきました。つまり、語はどのように発生したのか、語をどのように認定するのか、認定した語はどのような基準で区別するのか、という形で語の形式的側面を語の内部構造のみから論じる形態論が発展していきました。
古代ローマ・中世に至っても、もちろんこの形態論というものは、品詞分類を中心にして議論されていくわけですが、ここにもう1つの新たな側面が加わってきます。それは統語論という領域に関する議論です。統語論というのは、文の中での複数の語同士の関係を論じる研究分野です。名詞の主格と動詞の関係や形容詞と名詞の関係などが議論されたほか、そもそも文にはどのような原理が働いているのかといった研究もなされました。
こうして、古代ギリシャでは個々の語自体をそれのみで研究していた形態論中心の言語研究から、古代ローマ・中世では個々の語の研究を踏まえて、語と語の関係を追究していく統語論が発展していくことになったのでした。事物自体の研究から事物間の関係の研究へと発展したのです。
こうした流れを受けて、中世には言語を対象や認識との関係において捉える試みの萌芽が、スコラ哲学の影響を受けた文法理論として登場してくることにもなります。
以上を踏まえて次回以降は、ワロー、プリスキアヌス、エルフルトのトマスの順でそれぞれの文法家がどういう成果を挙げたのかを中心に概観し、言語学の歴史の論理を明らかにする一助にしたいと思います。