2013年10月24日

言語過程説から言語学史を問う(1/5)

〈目次〉

(1)言語学はどのように発展してきたか
(2)古代ギリシャから中世までの言語学史
(3)17世紀の言語学
(4)18世紀以降の言語学
(5)言語過程説こそ真の言語学構築への道標である


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(1)言語学はどのように発展してきたか

 みなさんは普段何気なく使っている言葉というものについて深く考えたことがあるでしょうか。おそらく、普段から言葉について真剣に考えている人はあまりいないのではないでしょうか。

 しかし言葉というものは非常に重要な役割を持っています。私たちは日常の中で、自分が考えていくことを伝えたり、逆に相手の考えていることを受け取ったりしながら生活しています。こうしたコミュニケーションが成立するのも、言葉があるからにほかなりません。

 また、小さいころから大人になっていく過程において、私たちは様々なことを学びます。学校や会社などの社会的な約束事、具体的には人に会ったら挨拶しましょうとか、時間は守らなければなりませんとか、道路を渡るときのルールとか、人のものを取ってはいけませんとか、色々な規範を学んでいきます。それだけではなく、社会や歴史や生物や物理や化学や数学や国語などといった、人類が築き上げてきた文化遺産も学んでいきます。こうした学びの過程において果している言葉の重要性は、少し考えただけでもお分かりいただけるでしょう。

 言葉というものはこのように、人間が生活を維持発展させていくうえで不可欠な存在だと言えるでしょう。だからこそ、国家レベルでも言葉に関する調査が行われ、言葉に対する関心を呼び起こしたり、啓蒙活動を行ったりしているのです。

 この調査というのは、文化庁が実施している「国語に関する世論調査」です。最近、2012年度の調査結果が発表されました。この中では、ビールがよく冷えている状態を「きんきん」と表現するのを聞いたことがある人が76%あったとか、カタカナ語を使っている場合が多いと感じることが「よくあるか」「たまにあるか」を合わせると7割台半ばで、07年度比10ポイント以上減であったなどの調査結果が発表されています。新聞の社説などでも取り上げられて、例えばカタカナ語について、「一般的な言葉として定着してきており、使っているのに多く用いているという自覚が薄れているのがわかる。」(毎日新聞 2013年9月26日社説)などと分析されています。

 国家レベルの意識調査のほかにも、いわゆる言語学者たちが言葉=言語について色々な研究を行っています。言語を対象として、大学の教授や研究者たちが大勢研究活動を行っているのも、言語の重要性を示すものと言えるでしょう。

 では、言語というものはどういうものであるのか、現代の言語学は解明し尽くしているのでしょうか。残念ながら、現代の言語学では、言語の表面的、現象的な把握にとどまっていて、本質的な体系として構築されていないのが現状です。

 例えばということで、みなさんは小学校の時に〈名詞〉とはどういうものだと教わりましたか。〈名詞〉というのは物の名前で、「が」などを伴って文の主語になる品詞だと教わらなかったでしょうか。この説明からすると、「いつやるの?」という表現における「の」というのは当然、〈名詞〉ではないということになります。ではこの「の」は何かと言えば、「疑問」を表す〈終助詞〉の「の」であると説明されます。

 また、文を「文節」なるものに分けさせられた覚えはないでしょうか。例えば、「今日、学校へ行くと、もう数人の児童が教室にはいました。」という文を、「今日/学校へ/行くと/もう/数人の/児童が/教室には/いました」という具合に、8つの「文節」に分けるというものです。そうして「文節」間の修飾・被修飾関係を考える等の作業をさせられたことはないでしょうか。

 こうした説明は、言語を表面的・現象的に捉えたもので、語の文中の役割(〈名詞〉は主語になる品詞であると定義するとか、「文節」間の修飾・被修飾関係を問題にする)や、文の最後に用いられ、独立しては用いられずに活用もしないという語の形式(文の最後に用いる「の」を〈終助詞〉と捉える)を中心に言語を説明するものです。しかし言語とは、本来的には自分の思考を相手に伝え、相手の思考を受け取って、精神的な交通を行うためのものであるはずです。語の機能や形式よりも、その中身こそが問題にされるべきものです。

 ではどうしてこのような機能的、形式的な言語観が横行し、言語の内容に基づく理論がでてこないのでしょうか。

 実は内容主義の言語理論ともいうべきものが、この日本で、しかも半世紀以上前にすでに提出されているのです。それは三浦つとむさんの言語過程説という言語理論です。三浦さんは認識論を深く研究することで、言語を表現の一種として明確に位置づけ、対象→認識→表現という過程的構造において言語を把握することが可能となりました。この把握に基づいて、言語の意味を、対象→認識→表現という過程的構造をとって現れる客観的な関係であるとして、言語の本質を内容に求める言語過程説を構築したのでした。

 筆者もこの言語過程説の立場に立っていますが、残念ながら機能的、形式的な言語観が現在、主流を占めていることは事実です。

 それでは、これまでの言語研究の歴史においては、一体言語をどのように捉えてきたのでしょうか。言語の本質を内容に求めるような言語理論は提出されたことがないのでしょうか。こうした言語学史の論理的流れを概観することが本稿の目的となります。

 言語を対象としてその謎を究明し、それを学といえるレベルで体系化しようと志している筆者にとって、言語研究の歴史から論理を導き出し、今後の言語学構築の指針として活用しようとすることは、かつての成果をしっかり汲み取り、かつての誤謬に陥らないように注意して研究を進めていくという意味で、非常に重要な仕事だと感じています。ただし、何の基準もなくやみくもにこうした取り組みに入って行ったのでは、道に迷い、途方に暮れてしまう可能性があります。そこで、言語の本質をどのように考えるのかという視点でこれまでの言語研究を振り返り、さらにこうして振り返った内容を言語過程説の観点から評価することで、今後の研究の確かな指針としての言語学史の論理を導き出したいと考えています。ここで言語学の大きな流れをアバウトにみてみると、当初は経験的内容主義で言語現象が説明されたが、その限界(表現主体が対象をどう捉えているかを取り上げられない、認識の立体的なあり方を取り上げられない)によって、機能主義あるいは形式主義に移行して、三者の折衷によって言語現象を説明するようになり、やがて、認識論の実力不足に規定される形で、形式主義に傾き、行き着くところまで行き着いてしまう、という大きな流れがあります。ここの流れを、もう少し詳しく、特に言語学史上のターニングポイントとなった17世紀後半のポール・ロワイヤル文法やロックの言語論を中心として、その前後の発展を含めて概観していきたいと思います。
posted by kyoto.dialectic at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 言語学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
 ・高木彬光『邪馬台国の秘密』を認識論から読み解く
 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
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 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
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 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
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 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか