2013年10月07日

ヒューム『政治論集』抄訳(2/8)

(2)商業について

 本稿では、スミスに決定的な影響を与えたヒュームの経済思想について、『政治論集』の抄訳という形で紹介していくことにしています。抄訳の第1回目となる今回は、冒頭に収録された論説「商業について」を取り上げます。これは端的には、国家の強大さと国民の幸福は商業において不可分の関係にある、という命題の妥当性を検討(真理性を主張)したものです。

 この論説でヒュームは、国家の中身(国民生活)と容れ物(軍事力)の両面に的確に目を配った議論を展開している、と評価できるでしょう。ここでは、社会的総労働の配分による生産力の発展が、あくまでも国家の維持・発展という観点から論じられており、われわれが仮説的に掲げている経済本質論――経済とは、限りなく増大し多様化していく国民の諸欲求を継続的に満たしつづけるべく、社会的総労働を的確に配分していくことである――への接近を感じさせるものがあります。

 また、ヒュームが、よりよい生活を希求する人間の諸々の欲求こそ生産活動を発展させる原動力である、と指摘していることも注目されます。ヒュームは、奢侈の否定の上に成り立っていた古代の軍事強国のあり方が不自然であることと対比させながら、諸欲求に牽引された生産活動の発展を「事物の自然な成り行き」と表現しているのです。これは、生産活動を動かす人間の認識(感情のあり方)に着目したものとして、高く評価するに値するものでしょう。

 なお、ヒュームの政治論説において頻出するのが industry という語です。これについて田中敏弘氏は「インダストリーはたんに dilligience の意味における勤勉ではないことは明らかである。一言でいえば、インダストリーの増大は国民的生産性の増大の尺度とせられ、経済発展の指標とせられているのである。この意味からすれば、インダストリーはひろい意味での産業活動とも訳されるべき内容を示しているのである」(田中敏弘『社会科学者としてのヒューム』未来社、p.30)と述べています。また、小松茂夫氏の訳文(岩波文庫『市民の国について』)では industry にたいして、しばしば「生産への熱意」という訳語があてられています。今回の抄訳にあたっては、これらに示唆を受けつつ、頻出する industry には、文脈によって適当と思われる訳語をあてました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

商業について  Of Commerce

 個別的な問題を処理する場合には、議論を過度に精密にしたり結論の連鎖を過度に長くしたりすることは絶対に禁物である。しかし、一般的な問題に思索をめぐらす場合は、その思索が正しくありさえすれば、どれほど精密であっても精密すぎるということはない。凡人の判断は特殊なレベルにとどまり、視野を広げて普遍的な命題を形成し、そのもとに無数の個別的事例を包摂して一個の科学全体を唯一の公理によってまとめてしまう、ということなどできない。こうした事物の一般的な成り行きを考察することこそ哲学者の仕事であり、同じことは政治家の仕事についてもいえる。私が、商業、貨幣、利子、貿易差額などにかんする以下の論説に先立って、この序論が必要であると考えたのは、このような通俗的主題を論じるにしては精密にすぎるのではないかとの印象を与えるような原理が出てくるからである。

 一国の強大さとその国民(subjects)の幸福は商業にかんして不可分の関係にある、すなわち、私人は、公的な権力によってより大きな安全を保障される一方、公共(国家)は私人の豊かさと広範な商業に比例して強くなる、というのは、一般に認められた真理である。とはいえ、個人の商業と富と奢侈(生活の洗練)が、公共の力を増大させずに、その軍隊を弱小にしてしまうケースも事情によっては生じる。

 どんな国家であっても、その大半は農民と手工業者とに二分される。最初は農業の諸技術が社会の最大部分を雇用するが、時間と経験によってこの技術が改良されれば、土地は、直接の耕作者やこの人たちに不可欠な手工業製品を供給する人たちよりも、はるかに多くの人間を養うことができるようになる。

 これらの余分な人手が、奢侈(生活洗練)にかんする技術に従事すれば、国民の幸福は増すだろう。しかし、この余分な人手を海軍および陸軍に雇うという計画も立てられるのではないか? 土地所有者と直接耕作者の欲求(desires)や必要(wants)がより少なければ、奢侈の技術に雇われる人手が少なくなり、それだけ大規模に陸海軍を維持するだろう。したがって、ここでは国家の強大さと国民の幸福とのあいだに、ある種の対立があるように思われるのである。

 以上の推論は妄想ではなく、歴史と経験にもとづいている。例えばスパルタは、同数の人口をもつ現代のどの国家よりも強大な軍事力をもっていたが、これと同様のことはローマなどについてもいえる。古代の諸国家の近代諸国家にたいする軍事力上の優越は、商業活動と奢侈(生活洗練)の欠如という事実からしか説明できそうにない。農業生産者の労働によって生活を維持する工業生産者がほとんどおらず、したがってそれだけ多数の兵士が農業生産者の労働によって維持されえたのである。

 それでは、現代の統治者は、古代の政策原則に戻って、国民の幸福以上に自分たちの利益〔国家の強大さ〕を優先するような政策を採用することができるだろうか? それは不可能であろう。なぜなら、古代の政策は乱暴であり、事物のより自然で普通の成り行き(the more natural and usual course of things)に反しているからである。事物のもっとも自然な成り行きによれば、勤労(産業活動)と技芸と商業とは国民の幸福と同じく統治者の力をも増大させるのである。

 この世に存在するあらゆるものは労働によって取得(purchase)されるが、われわれの情念こそが、そのような労働の唯一の原因なのである。ある国民が、諸々の手工業と機械的技術を豊富にもつときは、農業生産者だけでなく土地所有者もまた農業を一個の科学として研究し、自身の勤労と配慮を倍加させる。こうして、土地はその耕作者を満足させるよりも、はるかに多くの生活必需品を供給するようになる。平和で安穏な時代には、この剰余は手工業者と学芸の改善者の扶養に向かう。しかし、公共にとっては、これら手工業者の多くを兵士に転換し、農業者の労働から生じる剰余で彼らを維持することも容易である。問題を抽象的に考えるならば、手工業者は、十分な労働を、それも公共が誰からも生活必需品を奪わずに要求できるような種類の労働を蓄えることによって、国家の力を増大させるのである。

 統治者の強大さと国民の幸福とは、このように商工業において深く結びついている。労働者に、自身とその家族を扶養するのに必要以上のモノを生産させようとして労苦を強いるのは乱暴であるし、たいてい実行不可能である。しかし、労働者に諸々の手工業製品と財貨を与えるならば、彼はみずから進んでそのような労働に努めるであろう。そうなれば、いつもなら彼が手にするはずの反対給付を与えずして彼の剰余労働を公役(軍務)に充当するのも容易というものである。彼はすでに勤労に慣れてしまっているので、いきなり何の反対給付もなしに労働強化を強制されるときほどには、苦痛を感じないであろう。

 商業活動(交易)と産業活動(勤労)は、実際には貯蔵されている労働(stock of labor)にほかならず、平和で安穏な時代には、個人の安楽と諸欲求の満足のために用いられるのであるが、国家の危急の際には、一部を公共のために転用することができるのである。ある一都市を要塞化し、各人にあらゆる困難に耐えうるほどの強い武勇の精神と公共善への情熱を吹き込むことができればよいのかもしれないが、それは人間の利害関心からあまりにかけ離れており、維持しがたい方針である。人々をもっと別の情念によって支配し、貪欲と勤労、技術と奢侈(生活洗練)の精神によって活気づける必要がある。

 これと同じように考え方をすすめていけば、国民の富と幸福と同様に国家の力を増大させていく上で、外国商業がいかなる利点をもっているのか、明らかになるだろう。外国商業は国民の労働の蓄えを増大させ、統治者はそこから必要な分を取り出して軍事に転用することができるようになる。外国貿易は、輸入をつうじて新しい手工業に原料を提供し、輸出をつうじて国内で消費されない財貨にかんしての労働を創り出す。

 歴史をみれば、ほとんどの国民の場合、外国貿易が国内手工業のあらゆる洗練に先行し、国内における生活洗練化(奢侈を生み出していくこと)の母胎となってきたことがわかる。外国貿易によって、人々は奢侈の快楽と商業の利益を知るようになるのであり、彼らの繊細な嗜好と勤労とがひとたび目覚めさせられると、外国貿易と同じく国内の商取引のあらゆる部門の発展が促されることになる。外国貿易は、人々を怠惰な眠りから目覚めさせるとともに、富裕層に彼らが以前には夢想さえしなかった奢侈品を提供することによって、祖先たちが享受したよりも素晴らしい暮らし方をしたいという彼らの欲求を掻き立てるのである。また、輸出入業務の秘訣を握った少数の貿易商人たちは巨額の利潤を獲得するが、これが多くの競争者を登場させ、模倣をつうじてこうしたあらゆる技術が広まっていく。そのあいだに、国内手工業が外国のそれと改良を競い、あらゆる国産品を完成の極致にまで仕上げていくことになる。

 機械的技術が多数あることが有利であるのと同様に、こうした諸技術の生産物の分け前にあずかる人々の数が多いこともまた有利である。市民のあいだの不均衡があまりに大きいと、どんな国家も弱体になってしまう。誰も、可能なら、自分の労働の果実を享受すべきであって、すべての生活必需品と生活便益品の多くを十分に保有すべきなのである。このような平等は人間本性にもっともふさわしいものであり、それが富者の幸福を減少させる程度は、貧者の幸福を増大させる程度にくらべてはるかに少ない。そのような平等によってこそ、どんな法外な租税や賦課金も、喜んで支払われるようになる。富が多数の人に分散されているときは、各人の肩にかかる負担は軽く感じられ、租税は誰の暮らし向きにもさほど目立った変化を生じさせないのである。さらにつけくわえるなら、富が少数者に集中しているところでは、この少数者がすべての権力を壟断することになり、彼らは共謀して全負担を貧者に転嫁し、貧者をいっそう圧迫することによってあらゆる勤労をダメにしてしまうだろう。
posted by kyoto.dialectic at 05:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
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 ・一会員による『学城』第13号の感想
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 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
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 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
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 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言