2013年08月24日

2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む(2/10)

(2)ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界の要約@

 前回は,わが京都弁証法認識論研究会の8月例会で報告担当者から提示されたレジュメを紹介しました。今回から,ヘーゲル『歴史哲学』(武市健人訳,岩波文庫)の今回扱った部分(「第三部 ローマの世界」)の内容を要約したものを,4回に分けて紹介していくことにします。

 今回は「概観」の部分と,「第1篇 〔第1期〕第2次ポエニ戦役〔前218-201年〕に至るまでのローマ」のうち「第1章 ローマ精神の諸要素」の部分の要約です。ここではまず,政治的普遍性と個人各自の抽象的自由というローマを形成する二つの要素を中心に,ローマの一般的性格が語られます。ついで,ローマの成立と貴族と平民の関係,ローマの家族関係や散文性などが説かれていきます。最後に,内面的宗教心と全く外面的な合目的性を要素としてもつローマの宗教について説かれていきます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第3部 ローマの世界

概観

1,序説――ローマの一般的性格
 ローマの世界は,政治の威力によって人倫的個人を鎖につなぎとめておくとともに,すべての神々と,すべての精霊とを世界支配のパンテオン(万神廊)に集め,もって抽象的普遍性を作り出すために選ばれたのであった。個人の人倫生活は挙げて国家の犠牲に供するというのがローマの国家目的であったために,世界は悲哀の底に沈んでしまった。そこにある世界史的契機は普遍性という抽象体であって,情も涙もなく冷酷一途に追求される目的は,ただこの抽象体を世界に伝播し,扶植するための世界統治の野望にほかならない。こうして心情は打ちくだかれ,精神の本性は踏みにじられ,悲嘆の情にうめくのであったが,この感情の中から,はじめてキリスト教の超越的な精神,自由の精神が生まれることができたのであった。

2,政体
 ローマでは,民衆に背を向けた,傲然と構えた貴族政治が政治生活の根本規定であった。偉大な個人の指導するあの後期貴族政治も,もとをたどれば,全体を分裂において和解を阻む諸原理の中から生じてきたものである。この二元論こそ,ローマの最も内面的な本質を表わすものにほかならない。

3,古代ローマ史
 学者はローマの歴史をいろいろな見地から考察して,実に様々の相反する見解を立てた。抹消的な下らないことがほじくり廻された結果,この領域はいまや博識ぶりの競演場と化してしまった。

4,地勢
 ローマ世界の中心であるイタリアは,ギリシアと同じような半島であるが,ただ屈曲の少ない点がちがう。この国の都がローマであるが,その位置は中部イタリアと下部イタリアの中心にはなり得ても,上部イタリアの属領に対しては,ただ術策と権力とでその地位を維持するほかないところであった。ローマの国家は歴史的にも地理的にも,権力の契機の上に立っているのである。

5,主観的内面性の展開
 ローマ史の行程は,主観的内面性が実在世界の外面性にまで栄えていくところにある。具体的には,この内面性が抽象的人格性にまで純化されて私有財産という点で実在性の形態をもつようになる。これら冷淡な孤立的人格は,ただ専制的な権力によって結びつけられるしかない。この意味で,ローマ世界の一般的行程は,神聖な内面的存在から,その反対への推移である。しかし,これは必ずしも堕落ではなく,かえって原理そのものによって要求され,打ち立てられたものなのである。

6,区分
 いずれの世界史的民族の歴史も3つの時期に区分されるが,この原則はここでも守られねばならない。第1期では,安らかな統一の中に眠っていた本質上相対立する規定が対立を強めて,そこに国家による強大な統一が現れる。第2期においては,国家はこの力をたずさえて外部に向かって進出し,世界史の舞台に上る。先の世界史的民族〔ギリシア人〕との接触はこの時期のことである。しかし,この版図の拡大は,その衰亡を準備するものであった。対立は自己矛盾となり,全く両立し得ないところまで発展するとともに,遂に内部の破綻が爆発する。しかし,この破綻は,第3期の特色である専制主義によって止めを刺される。ローマの権力の内面に腐朽が深く食い込んでいたために,この帝政と同時に起ったキリスト教が非常な流布を見るに至った。つづいて世界史の舞台に登場するはずのゲルマン諸民族との接触も,この第3期に現れる出来事である。


第1篇 〔第1期〕第2次ポエニ戦役〔前218-201年〕に至るまでのローマ

第1章 ローマ精神の諸要素

T,ローマの成立と国状

1,ローマの成立
 ローマはそもそもの始めから作り上げられたもの,暴力的なものであって,自然発生的なものではなかった。ローマの成立についてはもろもろの伝説があるが,ローマの丘には早くからそれぞれの首領に率いられた牧人達が彷徨していたという点,そこでローマの最初の共同体は盗賊国家の形で結成されたという点,したがってそこから多くの困難を重ねて近隣に散在する住民を共同生活に統一して行ったという点では,歴史家の意見はみな一致している。

2,貴族と平民
 このような国家建設の経過は,極めて過酷な規律と団体の目的のための犠牲を要求することになった。ローマの徳は勇気であるが,それは個人的な勇気ではなく,共同体の団結に本質的な意味をもつ勇気であって,それはどんな暴力行為と結びつけられてもよかった。盗賊的牧人と各種の浮浪民との寄り合いによって出来上がったローマには,後に攻略され滅ぼされた都市の住民も連れて来られたが,弱い者や新参者は,国家を最初に建設した勇気あふれる者達に対して,軽侮と従属の関係に立たされた。こうして,貴族と平民との区別と,その争闘が現れることになった。平民の貴族に対する従属は法律的な関係であると同時に,神聖な関係でもあった。平民は貴族のやる神聖な行事とか占卜とかにはかかわらなかったのである。


U,人倫性

1,家族関係――内的人倫の面
 盗賊的牧人であった初期のローマ人は,その妻を暴力によって略奪した。ギリシアの生活が家族愛とか家族の結合を基礎にしていたのとは異なり,ローマの生活の基礎には家族関係に対する冷たさ,我利我利の無情があり,これが後のローマの慣習や法律の根本規定となった。ローマ人にあっては家族関係は愛と感情の美しい自由な関係ではなく,ここでは信頼に代わって冷酷,服従が顔を出す。妻は夫の所有物であり,父子の関係は奴隷関係と同等に見られた。

2,公共関係――外的人倫
 ローマ人の私的な面における非人倫な能動的殺伐,苛酷には,必然的にその国家目的のための団結の面における受動的な殺伐,苛酷が対応している。ローマ人は,国家において受ける苛酷を,家庭の中で埋め合わせていたのである。ローマの国家の一方の側には奴隷があり,他方の側には暴君があったが,このことは,ローマの偉大さを築き上げた元でもあった。その特徴は,個人と国家,国法と国家命令との統一の点における水ももらさぬ堅牢さにあった。ローマの兵士,将軍は,躊躇も逡巡もなく,その全感情と全思想とを挙げて,ひたすら国家と国家の命令のままに動いたし,貴族に反抗して立った平民でさえ,法律的秩序を何よりも尊重した。こうした精神は後から作り出されたものではなく,その根本的性格として,あの最初の盗賊社会からの生成の中に,また,その当時の世界精神の意義と役割の中に,存していたものなのである。

3,ローマ人の一般的性格――散文性
 このローマ精神の極端な散文性は,芸術の中に見い出される。技巧は完璧で,自然を忠実に写しているにもかかわらず,そこにはギリシア的な観念性と美は欠けている。この散文性は,ローマ法の精巧や宗教の中にも見ることができる。

4,ローマの法律
 東洋では生まのままの人倫的で,道徳的な関係が法令にせられており,ギリシアにおいては慣習が同時に法律であったために,国家組織は全く慣習と心情に依存し,移ろいやすい個別的主観性に対して,確固たるものとはなりえていなかった。これに対して,ローマでは,国家組織と個別的主観性を切り離すことで,非人情な法の原理を発見した。こうして彼らは,われわれに形式上偉大な贈物をしてくれたわけであるが,彼ら自身は,この悟性〔分離〕の犠牲となってしまったのである。


V,ローマの宗教

1,抽象的悟性の束縛,秘密,二重性
 ローマ人はギリシアの神々を取り入れたものの,ローマの宗教はギリシアの宗教とは異なる。ギリシア人の宗教が自由な空想の朗らかさをもっていたのに対して,ローマ人の宗教の特性は抽象的悟性の束縛にある。ギリシア人は,自然に対する畏怖を自由な空想的姿態にまで作り上げ,自然の関係を自由と明朗さの関係にまで作り上げた。しかし,ローマ人は,愚鈍な内面性にとどまったため,外的存在は客体にすぎず,自分とは別の,秘密の存在であった。ローマ人は秘密を大事にし,何事につけても何か隠されたものを信じ求めた。彼らは対象の中に,対象そのものと同時に,隠されたものを見ようとしたのである。

2,主観的確実性――良心――sacra
 ローマ人においては,宗教的畏怖が展開されず,意識が精神の中から自分の宗教的内容を汲み取るところまで行かなかった。ローマ人においては,良心という空虚な主観性が,その一切の行いや企画の中に顔を出し,契約,国事,義務,家庭関係等の中でモノをいう。これら固い団結を宣誓するために,無暗に多くの儀式がなされる。いかなる場合にも,sacra〔神聖〕ということが極めて重要な役割を演ずる。まるで下らない,とりとめのないことにまで sacra が持ち出され,何でも sacra に祭り上げられてしまう。

3,散文的,功利的神性
 ローマ人はこの sacra のおかげで敬虔きわまるものと見られてきたが,しかし敬虔の念にあって一番肝心なのは,その内容である。ローマ人の敬虔は,どこまでも形式的なものでしかなかった。ローマの宗教の根本性格は自分達の望む一定の目的がチャンとある点にある。彼らはそれぞれの目的が神々の中にそっくりあるものと見なし,これを絶対的な力としての神々に要求するのである。したがって,彼らは,このそれぞれの目的に応じて,それぞれ自分の希望の面から,それぞれの神にすがるのである。それ故に,ローマの宗教は制限性,合目的性,利益から成る全く散文的な宗教である。

4,神殿の建立
 ローマ人は,必要に迫られて神に祈ったり,神饌を捧げる祭りを催したりした。災厄にあっては,それを救ってもらうために,外国の神々と宗儀を取り寄せた。多くの神殿は,こうして必要,急迫,誓約と義務的な感謝から建てられたのであり,利害を離れた感謝の念から生じたものではない。

5,祭礼
 こうした中でいくらか興味をひくのは,田園生活と関連した祭礼である。それは牧畜生活や農業に関係をもつところの自然の経過という特殊な要素に基づいているが,自然力に対する深い見方にまでは至っておらず,外的な卑しい利益がくっついていて,そこにある娯楽も道化に堕している。

6,ギリシアの神々の借物
 ローマ人はギリシアの神々を取り入れたが,この空想の美わしい神々の崇拝も,彼らにおいては,血の通うていない,外面的なものであったように見える。

7,競技
 競技の点でも,ローマ人はギリシア人と本質的にちがう。ローマ人は競技の場合は単に看客にすぎなかった。競技は彼らにあっては他所事であって,自分で心から参加するということはなかった。奢侈の増長とともに,動物や人間の格闘に対する嗜好が特に盛んになった。何百何千という動物,剣客が娯しみのために屠られたのである。人間の苦悩は人生の矛盾から起り,運命の中で僅かにその解決を見出し得るものであるが,そういう心情と精神の深みとから来る人間の苦悩の代りに,ローマ人は肉体的苦悩という残酷な現実をわざわざ仕立てて,流れる血潮,死者の呻き,断末魔のあえぎを見世物にし,それを楽しんだのである。だが,このような徒な殺生にすぎない冷酷な残忍さは,同時に精神的な客観的目的の内面的な殺生をも意味した。

8,要約
 ローマの宗教の要素をなすものは,内面的宗教心と全く外面的な合目的性である。世俗目的は全く自由に放任されていて,宗教によって制限をうけるどころか,かえってそれによって認可を受けている。この宗教の内面性の中には同時に恣意の原理が含まれている。神聖化された所有の恣意に対して,さらにまた神聖そのものに敵対するところの恣意が現れることになる。神聖の中に入り込んできた不平等こそ,宗教から国家生活の現実態への推移を促したものであった。すなわち,意志と特権的所有の神聖化された不平等こそ推移の根本的役割を演じたのである。
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 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言