2013年08月21日

2013年7月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』ギリシアの世界を読む(9/10)

(9)論点3:観念論的歴史観と唯物論的歴史観における古代ギリシアの位置づけは?

 前回は、古代ギリシアにおいて民主政体が適していたのは何故かという論点について議論した内容を紹介しました。

 端的には、個人の主観性がまだ十分には発達しておらず、市民はそれぞれの思いで動くものの、それがそのままに共同体の利害につながるような段階であったからだ、ということでした。このような段階であったからこそ、共同体の利害を市民の意思と決断とに委ねることができたのでした。さらに、都市国家という狭い共同体だったために、市民の間に共通の文化が生まれたことが民主政体の成立の大きな要因であったことを確認しました。

 今回は3つ目の論点、観念論的歴史観と唯物論的歴史観における古代ギリシアの位置づけは、という問題についてなされた議論を紹介します。

 まずは論点を改めて確認しておきましょう。

 古代ギリシアとはヘーゲルの歴史観(観念論的歴史観)において、どのように位置づけられるのか。それは古代ギリシアの特徴である「美」とどうつながるのか。

 また、われわれがヘーゲル『歴史哲学』を学んでいるのは、あくまでも弁証法的唯物論の見地から世界歴史の構造把握を成し遂げていくための手掛かりとして、である。そのことをふまえて、ヘーゲルの観念論的歴史観におけるギリシアの位置づけと対比させながら、唯物論的歴史観において古代ギリシアをどのように位置づけておくべきなのか、考えておきたい。


 まず観念論的歴史観における古代ギリシアの位置づけを取り上げました。これに関しては、精神が自然から抜け出たものの、完全に抜け出ることができたわけではなく、自然に縛られている部分もあったということになるのではないか、という意見が出されました。実際、ヘーゲルが説明している箇所を確認しました。

「ギリシア精神が如何なものであるかについて要約してみると、その根本的な特徴は、精神の自由が制約されたものであり、自然の刺激と離るべからざる関係をもっているという点にある。」(p.126)

 例えばゼウスが雷という自然的な性質を持っているように、ギリシアの神々は自然との関わりを持っています。東洋世界に比べれば、ギリシア世界は精神が自然から抜け出ていると言えますが、このギリシアの神々の例が示すように、精神は完全には自然から抜け切れていないという段階なのだということを確認しました。サルからヒトへの発展の過程に喩えて言えば、サル(東アジア)→サル的ヒト(エジプト)→ヒト的サル(ギリシア)→ヒト(ローマ・ゲルマン)という形で位置づけられるのではないか、という意見も出ました。

 ではなぜ古代ギリシアにおいて「美」が誕生したのかという論点に関しては、メンバーの一人が、「そもそもヘーゲルにおいて精神=美であり、その精神が自然から抜け出た段階だからではないか」という意見を出しました。これと対比する形で、別のメンバーが、「まだ精神の抜け出ていない段階の東洋の世界では、芸術が醜かったとヘーゲルは言っていたように思う」と発言し、以下の箇所を確認しました。

「ギリシアの芸術は美の形式を崩さずに、美の形式の中で精神のいろいろの特殊な性格の面を表現する術を心得ていた。だから、理解のために人間の容貌を不具にする必要はなかった。ところが、エジプト人は神々を人間の姿で表現する場合でさえも、動物の首や動物の仮面による説明を用いた。」(p.84)

 つまり、ギリシアでは美の形式を崩さずに表現することができたにも関わらず、エジプトではそれができなかったということです。それは精神が自然に埋もれているか抜け出しているかの違いであるということです。

 また、ギリシアの美に関して、以下のように訳者が解説していることも確認しました。

「ギリシアの人倫の世界においては、個人主観と普遍的、客観的な人倫との対立はなく、二つは一つであるから、そこにいわゆる道徳はない。道徳は個人的、主観的なものだからである。その点でギリシアの人倫の立場は、まだ近世的主観性の立場には至らない。それは一面では精神的、主観的であるが、他面では、やはり自然に制約されている。ギリシア精神は、こういうものとして調和の立場であり、『美わしい個性』(人倫に対立する主観をもたないという意味で)である。」(ヘーゲル『歴史哲学』p.326)

 これは前回の論点において確認したように、ギリシアのおいて主観的な自由が芽生えつつあるものの、まだまだ反省や熟考を行うようなレベルではなく、それぞれが自由に行動すれば、それが即、普遍的・客観的人倫に沿うものとなったのだということです。こうした調和が美として現れているのだということを確認しました。

 以上のように、観念論的歴史観では古代ギリシアを精神が自然から抜け出た段階と捉えているのですが、ではなぜ古代ギリシアにおいてそれがなされたのか、この点についてヘーゲルはどう考えていたのかを議論しました。しかし、それに関して詳しく触れている部分は見当たらず、結局、観念論的歴史観においては「東から西へと絶対精神が流れ込んでいく過程でギリシアはそういう段階に達したのだ」ということでしかないのではないか、という結論に至りました。

 一方、古代ギリシアを唯物論的歴史観において捉えるとどうなるか。続いて、この点について議論しました。そもそも唯物論的歴史観とは、すべてを物質の発展過程として捉える歴史観のことであり、この歴史観の立場からは、この世界全体の歴史的な発展過程が、自然・社会・精神という流れにおいて、より具体的に言い換えるならば、地球的自然と生命体との相互浸透的発展の結果として自然のなかに社会が形成され、その社会が国家的労働を媒介とした自然との相互浸透をつうじて発展していくなかで、しだいしだいに精神的なもの(文化)の果たす役割が大きくなっていく過程として、捉えられることになります。このことに関連して、南郷先生が次のような形で、古代ギリシアの位置づけについて説いておられることを確認しました。

「自然のなかに社会が誕生し、発展していく流れのなかで、ギリシャ時代のあたりから、精神的なものが大きくなっていった。」(南郷継正『武道哲学 講義・著作全集』第五巻、p.290)

 これは具体的には、古代ギリシアにおいて、学問の萌芽としての古代ギリシア哲学が誕生したことを指すものと思われます。つまり、古代ギリシアは、学問を誕生させたということによってこそ、自然・社会・精神という流れにおいて精神が芽生え始めた段階として位置づけられるのだということになるわけです。

 では、なぜ古代ギリシアにおいて精神が誕生したのか、逆に古代オリエントではなぜ精神が誕生しなかったのか、について議論を進めました。古代オリエントは大河川の周辺という地理的条件に規定されて、大規模な灌漑工事を行うことが国家的労働として求められました。そのための政治体制として、王が官僚を使って国民を労働させるという在り方が創られました。一方、古代ギリシアでは、海や山に囲まれているという地理的条件に規定されて、小規模な都市国家を形成していました。そこでは植民の結果、獲得した奴隷に生産労働を委ねたため、市民は国家の問題を解決に導くべく議論することに専念できました。こうした国家的労働のあり方の違いが精神の誕生に関わっていることを確認しました。それと同時に、唯物論的歴史観では、あくまでも国家的労働のあり方から説いていくことが求められることを確認し、議論を終えました。
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 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言