2013年08月12日

カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える(5/5)

(5)スミスの影響はカントを経てヘーゲルにまで及んでいる

 本稿は、カントが自身の歴史哲学を構想していく過程において、アダム・スミスの『道徳感情論』から何らかの示唆を得たのではないか、という問題意識の上に立って、スミス『道徳感情論』における人間観および社会観と、カント「世界公民的見地における一般史の構想」における人間観および社会観とを比較検討し、スミスの議論をカントがどのように発展させようとしたのか、考えていくことを目的としたものでした。ここで、これまで説いてきた流れを簡単に振り返っておくことにしましょう。

 スミスの『道徳感情論』における議論も、カントの「一般史の構想」における議論も、いずれも出発点に人間本性の二重性(矛盾)についての把握がおかれている点で共通していました。もう少し具体的にみてみるならば、人間の本性は、スミスの議論においては、利己心(自分のことが何よりも大事だ)および共感の原理(他人のことも気にせずにはいられない)の二重性において把握されていましたし、カントの議論においては、社交性(相集まって社会を形成しようとする傾向)および非社交性(他者の抵抗を排して一切を自分の意のままに処理するために仲間から離れて一人になろうとする傾向)の二重性において把握されていました。スミスにおける利己心がカントにおける非社交性に、また、スミスにおける共感の原理がカントにおける社交性に、それぞれほぼ対応するものだといってよいでしょう。

 さらに重要なのは、スミスにおいてもカントにおいても、人間本性における二重性(矛盾)についての把握は、社会の過程的構造を解いていくための出発点としての位置づけを与えられていたのだ、ということです。スミスもカントも、神によって人間本性に内在させられた矛盾が、みずからを実現すると同時に解決する形態を創出していく過程的構造を解いたのだということができます。その形態とは、スミスにおいては「公平な観察者」による利己心のコントロールであり、カントにおいては「公民的共同体」による非社交性のコントロールでした。スミスもカントも、こうした矛盾の解決形態の創出によって、個々人の利己的な行動が社会全体の利益――スミスの場合は社会の繁栄(国民の富の増加)と存続、カントの場合は理性と意志の自由の全面開花――へと導かれていくようになる、という社会観を抱いていた点では、共通していたのでした。

 このように、カントの「一般史の構想」における基本的な観点については、人間本性の二重性すなわち矛盾の把握を出発点においた点においても、その矛盾が自己を実現すると同時に解決する形態を創出していく過程を解こうとした点においても、また、その形態の創出の結果として自然(=神)の意図が個々人の利己心のぶつかり合いをつうじてこそ貫徹されていくようになるという発想をもっていた点においても、スミスの人間観・社会観に酷似したものが認められるのです。これはもちろん、カントがスミスと共通の時代背景、問題意識を有していたために、偶然に同じような結論に到達したのだ、と考えられなくもありません。しかし、本稿の初回で確認したとおり、カントがスミスの思想に関心をもち、それなりに高い評価を与えていた形跡があることからすれば、カントが「一般史の構想」をまとめるにあたって、スミスの人間観・社会観が大きなヒントとなった可能性は大いにある、ということができたのでした。

 とはいえ、この両者の議論には、無視できない相違点もありました。スミスの『道徳感情論』は、人間本性の二重性から規範(道徳的なルール)が生成し発展していく過程について、あくまでも論理的に究明しようとしたものであり、超歴史的な(特定の歴史的条件に縛られない)論の展開となっていました。これにたいして、カントの「一般史の構想」は、人間本性の二重性から規範(国家および国家連合)が生成し発展していく過程を、人類の歴史の大きな流れをつらぬく法則的な発展方向として捉えようとしている点に独自性があるのです。カントの「一般史の構想」は、人類の歴史の流れそのものを直接に正面に据えて学問的に把握していこうという試みに道を開いた点で、学問の歴史における偉大な貢献をなしたということができるでしょう。

 ここで指摘しておかなければならないのは、カントの「一般史の構想」は、ヘーゲル『歴史哲学』の直接の原型といえるのだ、ということです。したがって、スミスがカントの「一般史の構想」に影響を与えていたとすれば、その影響はヘーゲル『歴史哲学』にも間接的に及んでいるということもできるのです。実際、ヘーゲルの「理性の狡知」の議論――絶対精神の理性が、諸個人の利己的目的の実現をめざした情熱のぶつかり合いを手段として用いながら、みずからの計画をしだいしだいに実現していく、という議論――は、スミスの「見えざる手」の議論につうじるものがあるといえますし、世界歴史を構築する二大契機として理性的意志(絶対精神の意志)と主観的意志(具体的な個人の意志)とを示したことも、カントやスミスによる人間本性の二重性把握につうじるものがあるといってよさそうです。この点について、筆者は、ヘーゲル『歴史哲学』の序論(前半部分)を扱った京都弁証法認識論研究会の2013年3月例会の感想文において、次のように認めておきました。

「ヘーゲルは、世界歴史について、理性的意志と主観的意志との統一として構築されていくものだとの見方を示していたが、非常に興味深く感じた。すなわち、歴史というのは、絶対精神がもつ理性的意志だけで成り立つものでも、個々の人間の利己的な情念に規定された主観的意志だけで成り立つものでもなく、あくまでもこれら対立物の統一として構築されていくものだ、ということであろう。たとえてみるならば、理性的意志とは設計図に相当するものであり、主観的意志とは建築資材に相当するものであって、そのどちらを欠いても現実の建物は成り立たない、といったことなのではないだろうか。
 このように考えてみることで、マルクス、エンゲルスは、この設計図に相当する部分を、絶対精神という空想的な存在ではなく、現実の歴史そのものに潜む客観的な法則性として捉え返そうとしたかったのではないだろうか、ということもみえてくるように思う(もちろん彼らがその過程で、歴史の原動力を経済的な要素に矮小化してしまった、という問題は指摘されるべきであろうが)。
 また、ヘーゲルに先行するアダム・スミスの人間観・社会観についても、示唆を得ることができるように感じた。スミスは、『道徳感情論』において、各人の胸中に利己心をコントロールする「公平な観察者」が存在することを論じたが、これは、神的な理性(ヘーゲルのいわゆる理性的意志)が個々人の精神のなかに取り込まれたものであると捉えることができるであろう。スミスは、けっして個々人の利己心そのものを否定しなかったが、これもまた設計図だけでは現実の建築は成り立たない、といった意味合いにおいて捉えられるべきものであろう。つまり、個々人の利己心には社会をつくる現実的な素材とでもいうべき位置づけが与えられているのではないだろうか。」


 このようにみてくると、アダム・スミスの影響はカントを媒介にしてヘーゲルにまで及んでいる、という主張が、あながち突飛なものではないことは納得していただけるのではないでしょうか。もっとも、ヘーゲルは『法の哲学』を講義・執筆するにあたって、スミスの『国富論』をそれなりに熱心に検討した形跡がありますから、「理性の狡知」の発想につながるヒントを、『国富論』の「見えざる手」の議論から直接的に得ていた可能性もあるでしょう。

 以上、本稿では、カントが自身の歴史哲学を構想していく過程において、アダム・スミスの『道徳感情論』から何らかの示唆を得たのではないか、という問題意識の上に立って、スミス『道徳感情論』もカント「一般史の構想」も、人間本性の二重性把握を出発点にしながら、諸個人の利己的な行動が全体としては社会の利益につながる方向へと導かれていく、という見方をとっていたことをあきらかにしてきました。スミスやカントにおける人間本性の二重性把握は、人間はあくまでも個としてしか存在しないにもかかわらず、社会的な関係のなかでしか生きていけない、という人間の本源的な矛盾を見事に把握しえたものだといえます。カントもスミスも、人間本性に内在するこうした矛盾が、みずからを実現すると同時に解決する形態を創出していく過程的構造を解明しようとしたわけです。この矛盾を解決する形態というのは、端的には、個々人を統括する規範(社会的認識)の形成にほかならないのですが、それをスミスは個々人の認識の内部(胸中の「公平な観察者」)に着目して把握し、カントは社会的組織(公民的共同体)に着目して把握したのだ、ということができるでしょう。

 このように、人間本性の二重性(根源的な矛盾)についての把握を、社会の過程的構造を解いていくための出発点にしっかりと据えることができたということは、スミスやカントの偉大さを示すものであるといえます。本稿をつうじて、社会科学の黎明期にあたる18世紀から19世紀にかけて、スミスからカントへ、カントからヘーゲルへというつながりにおいて、人間本性の二重性にかんする把握を大きな結節点として、社会の過程的構造の究明が大きく進展していくというイメージを描くことができました。今後、弁証法的唯物論の見地をしっかりとふまえつつ、スミス、カント、ヘーゲルの議論をセットにして捉えながら、さらにはそこからマルクス、エンゲルスへのつながりをも視野に入れつつ、人類史の過程的構造についていっそう深く検討をすすめていく決意を表明して、本稿を終えることにします。

(了)
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 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言