2013年07月04日

一会員による『綜合看護』2013年2号の感想(6/6)

(6)われわれも論文体の修行を行っている

南郷継正「なんごう つぐまさが説く看護学科・心理学科学生への“夢”講義(58)」

南郷氏が論文を連載した『試行』は,当時の第一級の論者を擁した真の学問誌であった。『試行』の廃刊後,その復興をめざし新たに発行されたのが,『学城』である。今回は,『試行』の連載で論文体の執筆が可能となった経緯を述べながら,学問を志す人たちに向けてその学び方を説く。

(1)連載が長びくと欠陥を分かることがなかなかできなくなる
(2)私は論文体の修行に十分なる時間が持てた
(3)滝村隆一から学問的論文の指導を受けた
(4)エンゲルスの説く唯物論は初心者用である
(5)哲学上の実力とは観念論とは何かを十分に理解できる実力のこと


 本論文では初めに,南郷継正先生が論文体の執筆が可能となった経緯が説かれている。南郷先生は,自分の連載論文が単行本として出版されたときに,その作品を他人のものとして読んでみて欠陥を把握し,それを反省して次の論文に取りかかるという。「それだけにその連載が長びくと,その欠けたる箇所を分かることがなかなかできなくなる」(『綜合看護』2013年2号,p.89)ので,連載は長くならない方がいいと説かれている。

 これを読んで,自らの態度を反省した。まず,われわれは本ブログでそれなりの文章を継続して書き続けているが,私個人としては,「連載」と呼べるほど継続的に論文を書けているわけではない。習作レベルのものも含めても,最近は正直,あまり文章を書けていない。ここは素直に反省して,何とか継続的に文章を書くための工夫をしていく必要があると感じた。

 また,すでに書いた論文も,書きっぱなしになっていることが多い。しっかりと読み返して,その論文のレベルを常態化・常識化してく努力も必要である。さらに,単に読み返してそのレベルを常識化するだけでなく,南郷先生が説いておられるように,「他人のものとして読んでみる」必要があると痛感させられた。自分なりに苦労して,必死の思いで実力を出し切って論文を書いたのだ,というのは,他ならぬ自分の立場である。その自分の立場を否定して,あくまで他人の立場に立って読み返す(これは直接に他人の書いたものとして読み返すことを意味する)のである。そうすると,論理の飛躍や説明不足が見えてきたり,反論の余地があることが分かってきたりする。そこをしっかりと反省して,次の論文の執筆に取りかかっていく,このようなサイクルで論文体の執筆が可能となっていくのだ,ということだと理解した。

 続いて南郷先生は,自身が第一級の論文体がきちんと書けるようになっていった理由を二つ挙げて,説いていかれる。一つは,南郷先生が連載されていた『試行』誌は商業誌ではなく不定期の発刊だったため,論文体の修行に十分なる時間が持てたことだという。もう一つは,滝村隆一直々に世界一のプライベートな学問的論文の指導を何年にもわたって受けることができていったことだと説かれている。

 このように説かれているのを読んで自らのことを反省してみると,われわれも学生時代から考えると,それなりに論文体の修行期間をしっかり持てていたと思う。今でこそ,ブログを毎日更新しているが,その準備期間においてはぽつぽつと文章を書いていただけであるし,現在においても主に4人のメンバーが執筆しているので,それなりに時間的余裕をもって執筆できているということはいえると思う。

 さすがに滝村隆一氏に直々に指導いただくことは能わないが,われわれの論文執筆の直接の師は,南郷継正先生に以下のように大絶賛された湯浅俊夫先生である。

「『論座』7月号に載った書評は「『認識とは何か』を原点に構築された保育の理論」というタイトルで論じられているのですが,その論文が見事なまでに『論文』となっているのにびっくりさせられました。といいますのは以下のことです。

 『実は,私はかつて39歳になったころ,……ある高名な学者に論文の書きかたを教わることにしました』と連載三回目の“夢”講義に書きましたが,そのとき教わった論文の書きかたの全きそのままの書き出しで驚かされ,そして全体としての論の展開も,その内実も『お見事!』そのものであり,私はうなりっぱなしでした。

 筆者は湯浅俊夫さんといい,予備校講師とありましたが,こんな先生に教わっている生徒は幸せだろうな,としみじみ思ったことでした。

 とにかく,その論文の言葉の一つ一つに一言の反論とてなく……,あまりにもの完璧な『育児の認識学』の紹介になっていたのです。一瞬,あたかも自分がその筆者であるかのような錯覚すらおこしたものです。」(南郷継正『なんごう つぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義(1)』現代社,pp.166-167)

 ここで説かれていることを読むと,滝村隆一氏が南郷先生に教えた論文の書き方を,(当然,それと知らずに)湯浅先生は全くそのまま実践されていたということである。しかも湯浅先生は,予備校で論文の書き方を指導する立場であるから,目的意識的に,滝村氏が教えた書き方を究明し実践されていることになる。その湯浅先生からわれわれは論文の書き方を学んでいるのであるから,この点でも,われわれが見事な論文体がきちんと書けるようになるための必要条件を満たしていると考えてもいいのではないか。

 論文体の修行の予備的学習についても触れられていた。その部分を引用しておく。

「とにかく,恩師滝村隆一による本物の指導という中身(構造)を端的に説くならば,毎回毎回同じ欠点を指摘され,かつ叱られながら,徹底的に論文体なるものを叩き込まれていく何年かだったということです。もっとも,それを為すにあたっての予備的学習も当然ながらあったことです。

 それは,端的には文章の中身を一言で読みとる訓練,すなわちある長い(何十頁もの)文章に適切な題名を付けることから,始まったものでした。これらの3著作についての恩師滝村隆一からの学びには,実に偉大ともいえる内容が存在していました。」(『綜合看護』2013年2号,p.92)

 最後に書かれている「3著作」とは,『共産党宣言』,『空想から科学へ』,『フォイエルバッハ論』である。少し後に,これらは岩波文庫のものでは絶対に駄目で,大月書店の国民文庫版のものを使用するようにと滝村氏から指示があったことが紹介されている。これはおそらく,岩波文庫のものは,訳者による見出しが予めついているからであろう。

 論文体の修行の予備的学習として,書くのではなく,長い文章で説かれている内容を端的に読み取る訓練があったというのは興味深い。論文体で書かれた文章を読みながら,結局何が言いたいのか,どのように論理が展開されているのか,ということを意識しながら読み取っていくことは,自分が論文体の文章を書く際の「予備的学習」,すなわち前提になる,ということではないかと思った。

 さて,本論文の後半では,エンゲルスの説く唯物論は初心者用であり,それだけではカントやヘーゲルの観念論哲学に立ち向かうことはできない,哲学上の実力とは観念論とは何かを十分に理解できる実力ということである(から,エンゲルスレベルの唯物論にとどまっていては哲学上の実力はつかない),というようなことが説かれている。ここは正直,よく分からなかったので,引用されている『反デューリング論』の序文などをくり返し読み返すとともに,研究会のメンバーとも討論して,次号に備えたいと思う。

(了)
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 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言