2013年06月18日

三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ(2/7)

(2)矛盾とはどういうものか

 本稿は、三浦つとむさんが1967年のソ連訪問の際、「マルクス・レーニン主義研究所」宛てに提出した公開質問状「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」に即して、マルクス主義の基礎理論、とりわけ問題解決の武器としての唯物論的弁証法についての三浦つとむさんの基本的な主張を再確認しておくことを目的にしたものです。

 今回は、矛盾の概念にかかわる質問(1〜5)について取り上げて検討していきましょう。まずは、これらの質問で扱われている問題を、三浦つとむさんの積極的な主張に即してまとめたものを再掲しておきます。

【質問1】 矛盾の本質は「ある事物が対立物を背負っている」という関係であって、「闘争」というのはその特殊なあり方にすぎない。

【質問2】 非敵対的矛盾とは矛盾の実現が同時に解決でもある矛盾であり、止揚(対立物の一方を破壊する)によって解決されるものではない。

【質問3】 敵対的矛盾はまず成立し、その次に解決される。

【質問4】 生物体における摂取と排泄の矛盾は調和的なものである。

【質問5】 対立物の相互浸透は、対立物の統一(矛盾の普遍形態)の特殊形態たる三法則の一つである。


 ここで取り上げられている論点は、大きく3つに分けることができるでしょう。第一に、そもそも弁証法でいう矛盾とは何かという問題。第二に、敵対的矛盾と非敵対的矛盾の区別と連関の問題。第三に、矛盾と弁証法の三法則との関係の問題です。これら3つの問題は絡み合ったものであり、これらを解き明かすことは、唯物論的弁証法の成立と歪曲の歴史を辿ることにもなります。

 三浦さんがこのような問題提起を行った背景には、レーニンの記した『哲学ノート』(レーニンがヘーゲル『論理学』などの哲学書を読みすすめていく際にとったノートをまとめて出版したもの)が絶対的な権威として認められていたという事情がありました。ここでレーニンは、次のように認めています。

「弁証法は簡単に対立物の統一の学説と規定することができる。これによって弁証法の核心はつかまれるであろうが、しかしこれは説明と展開とを要する。」(レーニン『哲学ノート1』、国民文庫、p.191)

「対立物の統一(合致、同一、均衡)は条件的、一時的、経過的、相対的である。たがいに排除しあう対立物の闘争は、発展、運動が絶対的であるように、絶対的である。」(レーニン『哲学ノート2』、国民文庫、p.327)


 このうち、対立物の統一が弁証法の核心であるという前者は的確な把握であったといえるのですが、対立物の統一は相対的であり対立物の闘争こそが絶対的であるとした後者は、特殊なあり方を度はずれに拡大するものであり、逸脱というべきものでした。ところが、スターリン体制下においてレーニンが神格化されるようになったため、ソ連の学者がレーニンの主張を疑うことは許されませんでした。それゆえ、レーニンの主張を擁護するように、弁証法は矛盾=対立物の統一と闘争を扱う学問であり、対立物が闘争して矛盾が克服され止揚されることこそが矛盾の解決であると解釈されるようになったのです。

 さらにここから、エンゲルスが『自然の弁証法』で挙げていた弁証法の三つの法則、すなわち、量質転化の法則、対立物の相互浸透の法則、否定の否定の法則と、レーニンがいう弁証法の核心との関係が問題になりました。結論からいえば、ソ連の学者たちは、エンゲルスのいう「対立物の相互浸透」とレーニンのいう「対立物の統一と闘争」が言葉の上でよく似ていることからこれを同一視し、後者は前者を発展させたものだと解釈したのです。しかし、エンゲルスが「対立物の相互浸透の法則」にはじめて言及した晩年の遺稿『自然の弁証法』は、レーニンの死後1925年になってはじめて出版されたものでしたから、レーニンはエンゲルスが「対立物の相互浸透の法則」を措定したこと自体を知りませんでした。ですから、レーニンの「対立物の統一と闘争」がエンゲルスの「対立物の相互浸透」を発展させたものであるというのは、コジツケ的な解釈でしかありません。

 三浦さんが登場する以前は、以上のような事情もあって、弁証法の根本的な部分について全く混乱した解釈がまかり通っていたのです。このようななかにあって、三浦さんはマルクスやエンゲルスの著作を丁寧に引用しながら、弁証法でいう矛盾とはどのようなものであるのかをきちんと整理し、論理的に提示したのでした。

 まずは、そもそも矛盾とは何かにかんして三浦さんが引用している部分を紹介しましょう。

「ある事物が対立を担っているとすれば、それは自分自身と矛盾しているわけであり、その事物の思想的表現も同様である。たとえば、ある事物がひきつづき同一のものでありながら、しかも同時にたえず変化するということ、「恒常性」と「変化」との対立をそれ自身においてもっているということは、一つの矛盾である。」(エンゲルス『反デューリング論1』、国民文庫、p.264)


 ここから三浦さんは、矛盾の本質はある事物が対立を背負っているという関係であること、対立物の統一が矛盾の構造であることを見抜きました。「恒常性」と「変化」の矛盾として、エンゲルスは、生物体の例を取り上げています。レーニン的な、対立物の「闘争」こそ絶対的だという解釈からすれば、「恒常性」と「変化」が闘争して、どちらか一方が勝ち残ればこの矛盾は解決する、「恒常性」だけか「変化」だけになってこそ生物の矛盾は解決されるのだ、などという珍妙極まりない解釈しか出てきません。つまり、レーニンの規定はエンゲルスの規定とはあきらかに食い違っており、現実の法則的な構造を的確に把握したものであるとはいいがたいのです。

 三浦さんは、質問2および質問4において、エンゲルスの『反デューリング論』での生物体の矛盾にかんするいくつかの記述、すなわち、生物がどの瞬間も同一のものであってまた同一のものではないとか、生物は摂取と排泄という対立物を調和的に実現しかつ解決しているとかの記述を引用しながら、闘争によって解決するのではない、実現そのものが直接に解決であるところの非敵対的矛盾の存在を指摘しています。また、質問2においては、マルクス『経済学批判』での貨幣にかんする記述も引用されており、貨幣が特殊な使用価値であると同時に一般的等価物であるという矛盾を実現すると同時に解決する形態であることが指摘されています。この貨幣における非敵対的矛盾の実現に関連して、「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」では紹介されていないものの『弁証法はどういう科学か』等ではくり返し引用されているマルクス『資本論』の一節を以下に紹介しておくことにしましょう。

「すでに見たように、諸商品の交換過程は、矛盾し互に排除し合う諸関連を含んでいる。商品の発展は、これらの矛盾を取りのぞくのではなく、これらの矛盾が運動しうる形態をつくり出す。これが、一般に、現実的諸矛盾が自己を解決する方法である。たとえば、一つの物体が絶えず他の物体に落下し、しかも同時に絶えずそれから飛び去るというのは、一つの矛盾である。楕円は、この矛盾が自己を実現するとともに解決する運動諸形態の一つである。」(マルクス『資本論1』、新日本出版社〔新書版〕、p.177)


 この記述は、三浦さんが言語についての研究をすすめていく上で、きわめて大きな手がかりとなりました。社会的な存在である人間は、自身の認識(超感性的なもの)を感性的な形で表現しなければ他者に伝えることができないという大きな矛盾を抱えています。三浦さんは、言語という表現において、あくまでも感性的なものであるところの音声や文字の具体的な形が、一定の種類に属するかぎり同一のものとみなされるという超感性的な面をも背負わされる(これを媒介するのが言語規範という社会的認識です)ことによって、この矛盾が実現されると同時に解決されていることを見抜いたのでした。

 このように非敵対的矛盾の重要性を見抜いていた三浦さんにたいして、マルクスやエンゲルスの著作を熱心に学んだ革命家たちは、資本主義社会の根本的な矛盾を克服し止揚することによって新しい社会を創造することを最大の使命と考えていただけに、何よりもまず資本主義社会の根本的な矛盾に代表されるような敵対的矛盾に着目することになりました。さらに、闘争こそ絶対的だとのレーニンの論が大きく持ち上げられていったという事情がくわわって、「官許マルクス主義」においては、矛盾といえば克服しなければならない敵対的矛盾であると捉えられるようになっていき、調和的に実現=解決されるような矛盾が存在することが無視されてしまうようになったのです。このような不当な一面化を是正して、正しい矛盾論を復権したのが三浦さんの大きな功績だったといえます。

 さらに三浦さんは、「対立物の統一と闘争の法則」などという混乱した規定を排して、弁証法の核心たる対立物の統一とエンゲルスの措定した三法則との関係を明快に整理しました。質問5ではこの問題が扱われています。ここでは、矛盾の普遍的形態(いわゆる「核心」)が対立物の統一であり、矛盾の特殊形態が三法則、すなわち量質転化、対立物の相互浸透、否定の否定であり、「『相互浸透』は『統一』の特殊形態の一つであり、三つの基本法則は『核心』で貫かれている」と説かれています。

 三浦さんは、言語論や芸術論などの領域における自身の研究に唯物論的弁証法を武器として使っていくなかで、非敵対的矛盾の理解、対立物の相互浸透の論理構造の理解が死活的に重要であることを主体的につかんでいったのでしょう。このような三浦さんであったからこそ、エンゲルスによって法則化された弁証法をしっかりと再措定することができ、人類の文化遺産として誰もが学べる弁証法の教科書を書くことができたのだということができます。
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 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言