2013年06月07日

2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む(1/10)

〈目次〉

(1)報告者から提示されたレジュメの紹介
(2)ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)の要約@
(3)ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)の要約A
(4)ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)の要約B
(5)ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)の要約C
(6)改めての要約と提示された論点の紹介
(7)論点1:インドに国家はないとはどういうことか?
(8)論点2:なぜインドは夢想的になるのか?
(9)論点3:シナとインドは世界史にどのように位置づけられるのか?
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


(1)報告者から提示されたレジュメの紹介

 2013年5月の例会では,ヘーゲル『歴史哲学』(武市健人訳,岩波文庫)第一部 東洋の世界の前半部分を扱いました。ここには序説的な部分と,「第一篇 シナ」「第二篇 インド」が含まれています。

 今回の例会報告では,まず例会で報告されたレジュメを紹介します。その後,『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)の要約を4回に分けて掲載したいと思います。次に,参加者から提起された論点について,どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に,この例会を受けての参加者の感想を紹介する予定です。

 今回は,報告担当者から提示されたレジュメを紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヘーゲル『歴史哲学』 第一部 東洋の世界

【東洋世界においては法律と道徳、宗教と国家が未分化である】
 東洋世界の特有の原理をなすのが、人倫の実体性である。内面的なものが存在しないために、法律と道徳、宗教と国家とは未分化であり、政体は概して神政政治(Theokratie)である。歴史の対象となるアジア世界は、シナ、インド、ペルシア、エジプトの4つの部分に分けられる。

【シナには運動のない一者があり、インドには統一のない不安がある】
 シナにおいては、天子としての皇帝にすべてが帰一することで国家組織が完全に統一されている。インドにおいては、そのような完全な機構が崩れているが、個々人はカストの区別に縛られ、それが宗教によって抽象的に統一されるために、流浪的な、統一のない不安が生じる。

【ペルシアは諸々の原理を自由放任して温和に統一することで世界史の外面的過渡となる】
 この両者に対して現れる第三の偉大な形態がペルシアである。ペルシアの精神は純粋な光明の精神であり、多くの異民族の上に君臨しながら、それを自分の普遍性の温和な力の下に統一する。諸々の特殊原理をそのまま許して自由放任するペルシアが世界史における外面的過渡をなす。

【エジプトは対立する原理の融和を課題として提出することで世界史の内面的過渡となる】
 世界史における内面的な過渡となったのはエジプトである。この地では諸々の抽象的対立が遍ねく行きわたり、それらの真の融合を産み出すことを自分の課題として掲げ、謎として提出した。この謎の解決はギリシアの世界で果たされる。

第一篇 シナ
【シナには客観と主観の対立がないために歴史的な発展もない】
 シナは歴史の記録の残る最古の国であるが、古代においてすでに今日のような状態に達していた。客観的な存在と主観的な運動との対立がないために、変化というものが一切なく、いつまでも同一のものが繰り返されるという停滞性が、歴史的なものに取って代わっている。

【シナの国家は家族的な敬愛心に基づいている】
 シナにおいては、個人は内面(道徳的心情)をもたず、無反省に、普遍的意志(外的権威)に服従する。皇帝は、父が子に対するような仕方で、権利を行使する。皇帝の慈父の心と、自立的な自由を主張することを許されない子としての精神とが相俟って、全体を一個の国家に形成している。シナにおいては皇帝の他すべてが同列(平等)で、貴族とかの特権階級はなく、ただ行政の手腕をもつ者だけが政務に参与するにすぎない。

【皇帝こそ国家の中心であり国土と国民の安寧は皇帝にかかっている】
 シナには平等はあっても自由はないから、そこに生まれる統治形態は専制政治である。個々人の利害はそれとしては認められず、統治は皇帝から発し、皇帝はこれを役人の機構として動かす。皇帝は一切のものがそれを廻って回転し、またそれに帰一するところの中心であり、国土と国民の安寧は一つに皇帝にかかっている。

【シナ人は人間扱いされないために卑屈になり不道徳に陥ってしまう】
 シナの法律制度については、@臣下が未成年者と見なされ、すべて上から監督される(自由な感情などない)、A家族関係の外面性がほとんど奴隷状態に近い(妻や子供が物品のように扱われる)、B刑罰の多くが体刑である(内面的意識に働きかけようとする問責ではなく単なる躾であり、名誉心がないためにそれほど過酷とは見なされない)、といった特徴を指摘することができる。シナ人は皇帝の前では一様に人間扱いされないために卑屈であり、自暴自棄の意識をもってしまうために、甚だしく不道徳である。

【シナにおいては天子としての皇帝の命令が絶対である】
 シナにおいては、皇帝は国家元首であるとともに宗教の長でもあり、皇帝の命令がそれ自身で絶対の正義である。独立性をもたないシナの個人は、宗教の中でも何かに依存しなければならないが、それは自然物であり、その最高のものが天である。皇帝は天の代理を務める本当の立法者=天子ということになる。

【シナの学問には内面的な自由の地盤が欠けている】
 シナでは、学問が極度に尊ばれているように見えるが、その学問には内面性の自由な地盤も本来の科学的関心も欠けている。

【まとめ――シナにおける平等は区別以前の低級な自己感情にすぎない】
 シナには身分の区別がなく、誰でも最高の地位に上り得るとしても、この種の平等は、内的な人間が苦闘によって戦い取ったものではなく、却ってそれはまだ区別にも達していない、低級な自己感情にほかならない。


第二篇 インド
【インドは夢想的精神を一般原理とする】
 インドには、一切を空想的なものに変えてしまう観念論が現れる。夢想的精神を一般的原理とするインドでは、人間が確乎とした自由な自立性、人格、自由をもたないと同様に、事物もまた合理性をもたず、原因結果の有限的な関連性をもたないのである。

【インドは憧憬の地として世界史の重要な契機となってきた】
 インドは一般に、地上にあるかぎり最も高価な宝(真珠、ダイヤモンド、香料、バラ油、象、ライオン等の自然の宝、ならびに智恵の宝)を蔵する憧憬の地として、全歴史の重要な一契機となってきた。どの民族も、この夢想の国に達する通路を発見しようという希望と野心とを抱いたのであり、この宝を西方に運んだ途は何時の時代にも世界史の舞台となり、しかもそれにはそれぞれの国民の運命が織り込まれている。

【インドでは区別が台頭するが、萎縮し死んでしまう】
 シナの平等に対して、インドでは区別が台頭し、独立的な主体が生れて来る。この区別は、職業上、身分上の区別としてのカストであるが、個人の主観的自由から生まれたものではないために、(有機的生命の場合のように)各部分が一個の魂を再構成して自由に成長させるということにはならず、萎縮し、死んでしまっている。

【梵は具体的内容とかけ離れ、宗教も倫理からかけ離れている】
 インドにおいて宗教上最高のものとされる梵は、単純な実体(神)であり、種々様々の自然物の形になるとされる。この抽象的統一と感性的特殊性との二様性に対応して、人間主観の神に対する態度にも二様の礼拝の仕方がある。一つは、実在的な自意識の滅却(感覚を滅して意識をなくす、あるいは難行によって生を断つこと)によって、もう一つは、淫逸に恣に耽溺(自然性の中に没入する)して自然から自分を区別する意識を滅することによって、自然と一つになろうとするのである。
 インド人は、人間行為の普遍的実体たる神の本体という観念をもたないため、それぞれの行為は定まった外的習慣でしかなく、内面的な自己というものの媒介による自由な行為にはなりえない。インド人の人倫状態が混乱の極に達している所以はここにある。

【インドには国家はなく無原則な専制政治だけがある】
 インドには、自然と精神との原理上の対立はなく、即自的にある意志としての自由も、主観的自由としての自由も共にない。したがって、ここには国家固有の地盤である自由の原理は全く存在せず、本来の意味での国家は存在し得ない。インドでは政治的生活と呼び得るものがあるとすれば、それは何の原則もなく、人倫と宗教の如何なる規則ももたない専制政治であるにすぎず、実に勝手気儘な、極めて野蛮な、全くの恥知らずの専制政治がのさばっている。
 このような民族にあっては、われわれが二重の意味で歴史と呼ぶもの〔事件そのものと、事件の記録〕を求めることはできない。彼らにあっては、一切の出来事は混乱した夢と化してしまうから、対象をありのままに見て、これをその悟性的、合理的連関から把握する能力をもたないのである。インド人は記録としての歴史をもたないために、また事件としての歴史をももたず、すなわち真に政治的な状態への発達過程をもたない。

【まとめ――カスト間の区別という実体が国家意志の恣意から個人を守っている】
 インドにあっては、ちょっとした業務の末に至るまでチャンとした区別が立てられているが、この区別こそがその下に包摂されている個々の意志の実体をなすとともに、その個々の意志を払拭する原理ともなっている。その結果、極端な、没理想的な空想が生ずる。この空想は、人間の価値と体面を忘れさせ、人間の幸福を踏みにじるようなもっとも残忍過酷な行為を義務として掲げてはばからないことにまでなるのである。区別がチャンとつけられているにもかかわらず、普遍的な国家意志としては全くの恣意以外には何も残らない。この全くの恣意の全能に対して個人を守り得るものは、ただカスト間の区別という実体だけである。悟性をもたないインド人にあっては、すべてが夢であり、夢の奴隷である故に、その全生涯と全観念とが、ことごとく迷信にほかならない。
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<講義一覧>

 ・2010年5月例会の報告
 ・2010年6月例会の報告
 ・日本酒を楽しめる店の条件
 ・交響曲の歴史を社会的認識から問う
 ・初心者に説く日本酒を見る視点
 ・『寄席芸人伝』に見る教育論
 ・初学者に説く経済学の歴史の物語
 ・奥村宏『経済学は死んだのか』から考える経済学再生への道
 ・『秘密諜報員ベートーヴェン』から何を学ぶか
 ・時代を拓いた教師を評価する(1)――有田和正氏のユーモア教育の分析
 ・2010年7月例会報告
 ・弁証法から説く消費税増税不可避論の誤り
 ・佐村河内守『交響曲第一番』
 ・観念的二重化への道
 ・このブログの目的とは――毎日更新50日目を迎えて
 ・山登りの効用
 ・21世紀に誕生した真に交響曲の名に値する大交響曲――佐村河内守:交響曲第1番「HIROSHIMA」全曲初演
 ・2010年8月例会報告
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 ・「菅・小沢対決」の歴史的な意義を問う
 ・『もしドラ』をいかに読むべきか
 ・現代日本における「国家戦略」の不在を問う
 ・『寄席芸人伝』に学ぶ教師の実力養成の視点
 ・弁証法の学び方の具体を説く
 ・日本歴史の流れにおける荘園の存在意義を問う
 ・わかるとはどういうことか
 ・奥村宏『徹底検証 日本の財界』を手がかりに問う「財界とは何か」
 ・「小沢失脚」謀略を問う
 ・2010年11月例会報告
 ・男前はなぜ得か
 ・平安貴族の政権担当者としての実力を問う
 ・教育学構築につながる教育実践とは
 ・2010年12月例会報告
 ・「法人税5%減税」方針決定の過程的構造を解く
 ・ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う
 ・年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを
 ・法人税減税の必要性を問う
 ・2011年1月例会報告
 ・武士はどのように成立したか
 ・われわれはどのように論文を書いているか
 ・三浦つとむ生誕100年に寄せて
 ・2011年2月例会報告:南郷継正『武道哲学講義U』読書会
 ・TPPは日本に何をもたらすのか
 ・東日本大震災から国家における経済のあり方を問う
 ・『弁証法はどういう科学か』誤植の訂正について
 ・2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会
 ・新人教師に説く「子ども同士のトラブルにどう対応するか」
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』誤植一覧
 ・新大学生に説く「大学で何をどう学ぶか」
 ・新大学生に説く「文献・何をいかに読むべきか」
 ・2011年4月例会報告:南郷継正『武道哲学講義W』読書会
 ・三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う
 ・新人教師に説く学級経営の意義と方法
 ・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
 ・横須賀壽子さんにお会いして
 ・続・三浦つとむとの出会いにまつわる個人的思い出
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 ・ブログ毎日更新1周年を迎えてその意義を問う
 ・2011年5・6月例会報告:南郷継正「武道哲学講義〔X〕」読書会
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 ・2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む
 ・新自由主義における「自由」を問う
 ・2013年5月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第一部 東洋の世界(前半)を読む
 ・三浦つとむ「マルクス・レーニン主義に関する本質的な質問」から学ぶ
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 ・一会員による『綜合看護』2013年2号の感想
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 ・2013年6月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』東洋の世界(後半)を読む
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 ・カント歴史哲学へのアダム・スミスの影響を考える
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 ・2013年8月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第三部 ローマの世界を読む
 ・アダム・スミスの哲学体系の全体像を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年3号の感想
 ・初任者に説く学級経営の基本
 ・カウンセリング上達過程における事例検討の意義
 ・文法家列伝:古代ギリシャ編
 ・ヒューム『政治論集』抄訳
 ・2013年9月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第四部 ゲルマンの世界を読む
 ・言語過程説から言語学史を問う
 ・2013年10月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』「第4部 ゲルマンの世界」第2篇を読む
 ・戦後日本の学力論の流れを概観する
 ・一会員による『育児の生理学』の感想
 ・文法家列伝:古代ローマ・中世編
 ・2013年11月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』第4部 ゲルマンの世界 第3篇を読む
 ・古代ギリシャ経済の歴史を概観する
 ・2013年12月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』のまとめ
 ・ヘルバルト教育学の全体像を概観する
 ・年頭言:歴史を切り拓く学問の創出を目指して
 ・歴史的な岐路に立つ世界と日本を問う
 ・一会員による『綜合看護』2013年4号の感想
 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
 ・ヘーゲル『歴史哲学』を読む
 ・2014年1月例会報告:学問(哲学)の歴史の全体像について
 ・一会員による『学城』第10号の感想
 ・世界歴史の流れを概観する
 ・現代の言語道具説批判――言語規範とは何か
 ・2014年2月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第3〜11章
 ・ヘルバルト『一般教育学』を読む
 ・新大学生へ説く「大学で何をどのように学んでいくべきか」
 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
 ・三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』学習会を振り返る
 ・『育児の認識学』は三浦認識論をいかに発展させたか――一会員による『育児の認識学』の感想
 ・2014年4月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第15〜19章
 ・4年目教師としての1年間を実践記録で振りかえる
 ・文法家列伝:『ポール・ロワイヤル文法』編
 ・2014年5月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第20〜26章
 ・道徳教育の観点から見る古代ギリシャの教育と教育思想
 ・古代ギリシャの経済思想を問う
 ・半年間の育児を振り返る
 ・2014年6月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第27〜33章
 ・現代の言語道具説批判・補論――「言語道具説批判」に欠けたるものとは
 ・心理士が医学から学ぶこと――一会員による『医学教育 概論(1)』の感想
 ・アダム・スミス「天文学史」を読む
 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
 ・2014年8月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第39〜40章
 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
 ・夏目漱石を読む@――坊っちゃん、吾輩は猫である、草枕
 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
 ・ルソーとカントの道徳教育思想を概観する
 ・アダム・スミスは『修辞学・文学講義』で何を論じたか
 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
 ・精神障害の弁証法的分類へ向けた試み
 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
 ・一年間の育児を振り返る
 ・近代ドイツにおける教育学の流れを概観する
 ・2014年12月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』のまとめ
 ・年頭言:弁証法・認識論を武器に学問の新たな段階を切り開く
 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
 ・哲学の歴史の流れを概観する
 ・『ビリギャル』から何を学ぶべきか
 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
 ・2015年1月例会報告:南郷継正「武道哲学講義X」
 ・夏目漱石を読むA――二百十日、野分、虞美人草、坑夫
 ・アダム・スミスは古代ギリシャ哲学史から何を学んだのか
 ・マインドフルネスを認識論的に説く
 ・道徳思想の歴史を概観する
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部の要約
 ・弁証法的に学ぶとはいかなることか――一会員による『医学教育 概論(3)』の感想
 ・一会員による『学城』第1号の感想
 ・新大学生への訴え
 ・2015年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論A
 ・心理職の国家資格化を問う
 ・5年目教師としての1年間を実践記録で振り返る
 ・文法家列伝:時枝誠記編
 ・2015年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』哲学史の序論B、C、東洋哲学
 ・夏目漱石を読むB――三四郎、それから、門
 ・臨床心理学のあるべき姿を考える――一会員による『医学教育 概論(4)』の感想
 ・アダム・スミス「模倣芸術論」を読む
 ・デューイの教育論の歴史的な意義を問う―『学校と社会』を通して
 ・2015年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ギリシア哲学史の序論、イオニア派の哲学、ピュタゴラスとピュタゴラス派
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 ・一会員による『学城』第12号の感想
 ・2015年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エレア派〜ヘラクレイトス
 ・何故言語学の創出が必要か―一会員による2015年上半期の振り返り
 ・事実と論理ののぼりおり――一会員による『医学教育 概論(5)』の感想
 ・夏目漱石を読むC――彼岸過迄、行人、こころ
 ・2015年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』エムペドクレス〜アナクサゴラス
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(上)
 ・デューイ教育論の歴史的意義を問う―『民主主義と教育』をとおして
 ・2015年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソフィスト派・ソクラテス
 ・アダム・スミス『法学講義』を読む
 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
 ・2015年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ソクラテス派、プラトン
 ・庄司和晃追悼論文―庄司和晃の歩みはいかなるもので、何を成し遂げたか
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編