2013年05月14日

2013年4月例会報告:ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)を読む(1/10)

目次

(1)報告者から提示されたレジュメの紹介
(2)ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)の要約@
(3)ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)の要約A
(4)ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)の要約B
(5)ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)の要約C
(6)改めての要約と提示された論点の紹介
(7)論点1:有機的自然物の発展と精神の発展との相違点は?
(8)論点2:実体的自由とは何か? 主観的自由とは何か?
(9)論点3:「世界史の区分」は何を説いているのか?
(10)参加者の感想の紹介

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(1)報告者から提示されたレジュメの紹介

 2013年4月の例会では、ヘーゲル『歴史哲学』(武市健人訳、岩波文庫)「序論」の後半部分(「第一篇 一般的序論/二、世界史の理性観/C、世界史の行程」および「第二篇 世界史の地理的基礎」「第三篇 世界史の区分」)を扱いました。

 今回の例会報告では、まず例会で報告されたレジュメを紹介したあと、『歴史哲学』序論(後半部分)の要約を4回に分けて掲載し、ついで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介していきます。最後に、この例会を受けての参加者の感想を紹介します。

 今回は、まず報告担当者から提示されたレジュメを紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヘーゲル『歴史哲学』序論(後半)

C、世界史の行程
 自然界の変化が循環の絶えざる繰り返し以上のものではないのに対して、精神界では、実際にモノを変化し得る能力、ヨリ良いものへの変化の可能性、――完全性への衝動が見られる。

a、発展の概念
 自然物が自分を本来の自分にするのと同じように、精神も自分自身を形成して精神になる。ただ、有機的自然の発展は直接的な、対立のない、疎外のない形で行われるのに対して、精神は自分自身の中において自分に対立し、自分自身を真に自分自身に敵対する障害として克服しなければならない。こうして、精神は自由の概念から見た精神という目的を達成する。
 世界史は自由の意識を内実とする原理の発展段階を叙述するものであり、第一の段階は、精神の自然性の中に没入した状態である(一人の者が自由である)。第二の段階は精神が自由の意識へと進展した状態である(若干の者が自由である)。第三の段階は、特殊的な自由から自由の純粋な普遍性への高揚である(人間が人間として自由である)。
 現実存在の中では、進展は不完全なものから完全なものへの進歩という形をとるが、不完全なものの中に、完全なものを萌芽としてもっていると見なければならない。

b、歴史の端初
 精神の歴史の端初については、仮説的反省の薄明の中で作られた歴史的実存の仮定がなされたり、歴史的事実を高く買いすぎたことによる行きすぎた見解が出されたりする。
 哲学的考察としては、歴史の端初は合理性が世界の存在の中に現れはじめる所である。それは自由(自由の意識)が芽生えたところであり、それによって国家が産み出されたところである。それ以前の出来事は歴史の範囲外に属する。
 そもそも歴史とは、出来事であるとともに歴史物語である。ここから歴史的物語は本当の歴史的な行為や出来事と同時に現れるものと見なければならない。歴史の散文に適するのみでなく、歴史そのものをも同時に作り出すような内容は、国家になってはじめて出てくるのである。

c、発展の経過
 世界史は自由の意識、自由の精神の発展と、この意識によって産み出される自由の実現の過程とを叙述する。発展は段階的な行程であり、事物の概念から生ずる自由の諸規定の前進的な系列であるという意味をもつ。発展の各段階は、それぞれ特有の原理――それぞれの民族精神をもつ。歴史の中では、民族精神は具体的なものとして、その意識と意欲、その全現実性のすべての側面を表現する。したがって、歴史の中に現われる個々の事実を通して、一般的な特性(民族の特殊的原理)が発見されなければならない。
 民族精神こそ民族のあらゆる行動と方針を指導し、自分を実現し、自分を享楽し、自分を把捉するものにほかならない。精神の最高の使命は、自分自身の思想にまで達することで自分を知るところにあるが、この使命の達成は同時にまた、その精神の没落であり、他の精神、他の世界史的民族の出現であり、世界史の他の時期の出現なのである。このような各民族、各時代間の推移と連関は、われわれを全体の連関、すなわち世界史そのものの概念に導く。

〔世界史の概念〕
 世界史は一般に時間の中における精神の展開だといってよい。ある時期の間存在して、やがて消えて行く個人や民族の絶えざる変転から、まず第一に出て来るカテゴリーは、一般に変化ということである。この変化という概念にそのまま結びついている規定は、没落であるところの変化が同時に新しい生命の産出にほかならない、ということである。
 精神は自分を客観化するとともに、この自分の存在を思惟することによって、一面では、自分の存在の規定性を破壊するとともに、他面では、その存在の普遍的本質を把握し、そうすることによって自分の原理に新しい規定を与える。このような推移の思想を会得することこそ、歴史の把握とその哲学的理解にとってもっとも肝要である。個人と同様にまた民族も、その精神が普遍的段階に達するまで種々の段階を通過していく。そしてこの過程の中に変化の内的必然性、概念の必然性が存在するのである。すなわち、これをつかむことこそ、歴史の哲学的把握における核心であり、その鍵である。

第二篇 世界史の地理的基礎
一、一般的諸規定
 自然的な関係が精神の活動のための地盤である。したがって、われわれは民族の類型と性格に密接に関係するものである地理的位置の自然類型を学ばなければならない。
 これに関して一言するならば、寒帯と熱帯とは世界史的民族の舞台ではない。そこでは、普遍的なものに眼を向ける余裕がないからである。世界史の真の舞台は気候の温和な地帯、それもその北部に限られる。

二、新世界
 世界は旧世界と新世界とに分けられる。新世界という名称は、アメリカやオーストラリアとが、ずっと後になって知られたところから来たものである。しかし、この新世界は、一般にその自然的、並びに精神的状態のすべての点から見ても新しいのである。
 報告によれば、アメリカ原住民の文化は全く自然的なもので、精神がそれに近づくや否や、直ちに消滅するといった種類のものであることがわかる。アメリカは、懸命に働きてもヨーロッパではその場所が見出されないといった人々にとって、格好の活躍の舞台となっている。アメリカは未来の国であるから、今日まで世界史の行われてきた地盤からは除外しなければならない。

三、旧世界
 旧世界の三大部分は互いに本質的な関係をもち、一個の全体を形成している。その特徴は、三大部分が地中海を取り囲む格好になっていて、交通の便がよいという点にある。広大な東方アジアは世界史の行程からは離れていて、それには与らない。同様に北方のヨーロッパも、後になってはじめて世界史の中に顔を出す。

T、地理的区別
1 高地 ― 未開状態のままに自分の中に閉じこもっている
 中央アジアがこれにあたる。特徴は族長生活であり、個々の家族に分裂している点にある。固有の生存の原理をもたない。

2 峡谷地帯、盆地 ― 文化の中心点を形成するが、まだ封鎖的な独善性を帯びている
 バビロニアやエジプトがこれにあたる。国家の基礎と土台とが、ここにできる。国家は土地の所有に関係する法律関係の中ではじめて可能となる。

3 沿海地方 ― 世界の連関をつけるとともに、これを維持する
 陸地、平地は人間を土地に縛り付け、窮屈な思いをさせるが、海は人間にその枠を越えさせる。人間を征服と略奪とに向かわせると同時に、営利と貿易の念をも起こさせる。また、海は生命そのものをも奪うことがあるので、営利の分野に勇気の要素が入る。さらに、海は不確かで、詐りに満ちた自然であるから、狡知が必要とされる。

U、旧世界の三部分
1、アフリカ
 アフリカは三つの部分に分けられる。第一の部分はサハラ砂漠の南に位している本来のアフリカ、第二の部分は砂漠の北の部分、第三の部分はナイル川流域である。本来のアフリカはその地理的状況から他の世界との関連が立たれている。第二の部分は、独自の文化の一大中心となるように自然に運命づけられていた。ここはアフリカの中において孤立している。第三の部分はよい地方で、ヨーロッパにくっつけられるべきところだった。
 黒人の特徴は、彼等の意識がまだ一向に客観性の観念に達していない点にある。およそ人間性のひびきのあるものは、その性格の中には見いだされない。人間こそ自然力に対して命令を下したりすることのできるものだと考えている。この帰結として、人間自身に対して尊敬を払わない。むしろ軽蔑の念を抱いている。
 国家組織(憲法)も存在しない。国家を成立させることのできるものとしては、外的な暴力があるだけである。つまり、黒人は自制が欠如しており、しかも啓発と教化の不可能なものである。

2、アジア
 アジアはシベリアを除けば3つの地方に分かれている。第一は、原始的な高地で、世界最高峰のある山脈帯から成っている。この高い山脈帯を貫いて多くの河川が流れているが、これが広大な峡谷平野を形成している。さらに、高地と平野の混合が存在する。
 一般に牧畜は高地の生業であり、農業と産業とが平野の仕事であるのに対して、商業と海運は第三の原理をなす。これはアジアに当てはまる。族長的独立性は第一の原理と、私有財産と主従の関係とは第二の原理と、市民的自由は第三の原理と密接に結びついている。高地における牧畜は、流浪と不定の生活が特徴である。農業は流浪の終始の意味をもち、未来に対する用意と配慮とが芽生えとして捉えられる。つまり、一般的なものに対する反省が目覚めていると言える。しかし、海洋の原理を会得していなかったために、他の歴史と関連を持ち得なかった。

3、ヨーロッパ
 ヨーロッパは、アジアやアフリカのような地理的区別をもたない。これとは違った分類基準がある。第一の部分は地中海に面する南ヨーロッパである。第二の部分はヨーロッパの心臓(カエサルのガリア征服によって開かれたところ)であり、第三の部分はヨーロッパの東北の国々である。

第三篇 世界史の区分
 世界史は自然的な意志を普遍的なものと主観的自由とに訓育するものである。これは東から西に向かって進む。東洋はただ一人の者が自由であることを知っていたのみである。これに反してギリシアとローマの世界は若干の者が自由であることを、ゲルマンの世界はすべての者が自由であることを知っている。

a、東洋
 東洋世界の基礎にあるものは直接的な意識、実体的な精神性である。そしてこの実体的な精神性に対しては主観的な意志は最初は信仰、信頼、服従という関係をとる。この東洋の国家生活においても、現実的な理性的自由がなくはないが、それは主観的自由にまで進展しない。それは歴史の幼年期である。

b、ギリシア
 ギリシア世界は青年期に喩えることができる。ここに初めて個性が現れるからであり、これこそ世界史における第二の原理をなすものである。ここでもアジアの場合と同様に人倫的なものが原理となっているが、それは個性の中に植え付けられている人倫である。ここには人倫的なものと主観的意志との統一がある。

c、ローマ
 第三の段階は抽象的な普遍性の国であり、ローマ帝国がこれである。これは歴史の成年期にあたる。ここでは個人はただ、普遍的目的の中に没入し、自分自身の目的も、ただこの普遍的な目的の中でのみ達成する。

d、ゲルマン
 ゲルマンの国は人間の年齢に比較すると老年期にあたる。これは完全な成熟であり、精神はこの成熟の中で精神の統一へ帰っていく。
 ゲルマンの国は宥和をモットーとして興るが、当初は精神的な、宗教的な原理と野蛮な現実性との間の激しい対立からはじまる。世俗世界は精神的原理に適ったものであるべきものではあるが、ただあるべきだというにとどまった。やがて、宗教権力が世俗権力に屈服する中で、理性的思想という高次の形式が立ち現われてくる。世俗の原理だけに基づき、世俗の地盤だけの上に理性的なものを実現しうるようになる。
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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想