2013年01月08日

科学はどのように発展してきたのか(2/13)

(2)科学の歴史をどのような視点から捉えていけばよいのか

 前回は、わが研究会が昨年一年間をかけてすすめてきたシュテーリヒ『西洋科学史』の学びを意味あるものとして次の課題へとつなげていくためには、本ブログに毎月掲載してきた「例会報告」を単なる「例会報告」のままに放置しておくのではなく、ある月の「例会報告」からその翌月の「例会報告」へ、さらにその次の月の「例会報告」へ……という流れを、あらためてアタマのなかで振り返ってしっかりと反省することにより、ひとつにつながった大きな流れとしてまとめ直していく作業が絶対に必要になってくるのだということを確認しました。これはより具体的にいえば、「例会報告」の羅列というレベルで記録が残されている『西洋科学史』の集団的な学びの過程について、あらためて一本の論文としてまとめなおすことにより、主体的に自分のもの(実力)にしていく努力がもとめられているのだ、ということです。

 さて、『西洋科学史』にかんする毎月の「例会報告」の羅列でしかないものを、科学史にかんするひとつの論文といってよいほどのものにまでまとめあげていくためには、どういう視点から科学史に向かって問いかけていくのか、明確に設定しておかなければなりません。そのために今回は、科学の歴史をたどり直していくための大前提として、そもそも科学とは何か、なにゆえに科学的な認識が成立させられることになったのか、科学の発展とはどういうことなのか、といった基本的な問題について、おおまかなイメージを描けるようなレベルで、整理しておくことにしましょう。

 そもそも科学とは何でしょうか。医学者の瀬江千史さんによれば、「科学とは、事実から論理を導きだし、一般的法則にまで高め体系化した認識である」(瀬江千史『医学の復権』現代社、p.25)ということになります。この科学の定義にかかわって、まず注目すべきなのは、「事実から論理を導きだす」ということです。ここでいう論理とは、端的には諸々の対象に共通して潜んでいる性質を把握したものです(たとえば、鉛筆、ボールペン、万年筆という複数の対象に共通して含まれる筆記用具としての性質を把握した認識が論理です)。この論理をアタマのなかでつくりだして対象におしつけてしまうのではなく、徹底して事実(実際にあること・あったこと)そのものから導きだそうとする姿勢こそが、科学的な認識の成立の大前提となるわけです。科学については、対象の運動を予測したりコントロールしたりすることを可能とする認識だという説明がなされる場合もありますが、こうした対象の予測・コントロールという科学の機能も、結局のところは、科学が徹底して事実から論理を導きだすことによって成立しているからこそのものであるということができるでしょう。

 それでは、そもそも人間はなぜ、対象を科学的に認識しようとするのでしょうか。科学とは対象の運動を予測したり・コントロールしたりすることを可能とする認識だという捉え方からすれば、その答えはそれほど難しいものではありません。なぜならば、この捉え方は、科学という認識が、人間の労働にかかわって生み出されたものであることを示唆してくれているからです。そもそも労働とは、人間がアタマのなかに描いた目的像にしたがって、諸々の対象を生活上の目的に沿った形で変化させていくことにほかなりません。対象のあり方を思いどおりに変化させていくためには、その対象がいかなる構造をもったものであるのか、事実に即してしっかりと把握しておかなければなりませんから、「事実から論理を導きだす」ことが必須になってくるのです。

 このように、人間が科学的認識を成立させなければならなかった根本的な理由は、労働(対象の意識的な変革)における必要性であったのではないかと考えることができるのですが、ここではさらに、人間の認識のあり方ということに焦点をあてて、もう少し突っ込んで考えてみることにしましょう。

 人間以外の動物が、いわば先天的に組み込まれたプログラムに従って動かされているだけなのにたいして、人間は対象を問いかけ的に反映させて描いた像をもとに自由で創造的な行動をとることができるようになりました(だから人間は労働することができるのです)。しかし、対象に向かって諸々に問いかける認識を主体として行動するということは、未知なるものとの遭遇によって不安という感情が惹起されてしまうという大問題を必然的にともなうものであったのだということが注目されなければなりません。つまり、能動的認識を誕生させた人間は、得体の知れない諸々の対象に取り巻かれているという不安に、つねに悩ませつづけられることになったのです。

 人間は、こうした不安を解消するために、諸々の対象にそれらしい説明をあたえて、ともかく“分かったことにしてしまう”ようになっていきます。これは当初は、神々や精霊たち(自然の諸力を擬人化したり、人間の精神的諸力を実体化して外部に持ち出したりして創りあげた空想的な産物)のはたらきによって身のまわりの諸現象についての説明を試みるという形でスタートしました。ここから、この世界(当時の人々が見たかぎりでの世界ですが)の成り立ちそのものを神々のはたらきとむすびつけて理解しよう(分かったことにしてしまおう)とする神話的な世界観が成立していくことになったのでした。

 もちろん、神話的な世界観の大枠のなかにあっても、労働対象となる諸々の事物・事象の構造については、それなりに「事実から論理を導きだす」ことが試みられなければなりませんでした(そうでなければ、対象をまともに変革することはできません)。しかし、労働による自然的対象物へのはたらきかけがそれほど複雑なものでないかぎり、労働対象にかかわっての諸々の論理の把握(諸対象に共通して含まれる性質の把握)は、個々の事例のみに限られた経験的なものの蓄積で充分だったのです。異種の諸対象をつらぬいて作用している一般法則を把握したり、さらにこうした一般法則を体系的に組み上げていったりするような作業を「事実から論理を導きだす」という姿勢に徹しておこなう必要はさらさらなく、世界全体のつながりやその成り立ちについて、神話的な世界観としてそれなりの観念があたえられれば、それでよかった(心の平安が保たれていた)のです。

 しかし、人間は、活動範囲を大きく広げていく過程において、従来の神話的な世界観ではとうてい説明できないような事物・事象にぶつかったり、あるいは他民族との接触によって自分たちが信じているのとはまったく枠組みの異なる神話が存在することに気づかされたりするようになっていきます。こうして、しだいしだいに、従来の神話的な世界観による説明では納得できない(未知の対象についての不安を解消できない)人々が登場してくることになってきたのです。こうした人々は、一見して不可解な事物・事象について、神々や精霊たちといった空想的な産物に頼るのではなくて、あくまでもその事物・事象そのもの(目で見たり耳で聞いたりできる事実)から説明しようと、必死に試行錯誤を積み重ねていくことになりました。こうした試行錯誤のなかから、あくまでも「事実から論理を導きだす」という姿勢に徹して、異種の諸対象をつらぬいて作用している一般法則を把握しようとするような姿勢が芽生えてくることになったのでした(*)。いうまでもなく、これこそが科学のはじまりです。

 以上を要するに、人間の認識のあり方ということに焦点をあててみるならば、科学とは、徹底して事実にもとづいて対象の構造を究明していくことをつうじて「そうか、分かったぞ!」という認識に到達することをめざした営みであり、まさにそのことでもって対象にまつわる諸々の不安を解消していこうという営みであったということができるでしょう。この原点から考えてみれば、科学の歴史とは「そうか、分かったぞ!」の中身、あるいはそこに到達するための方法が発展していく歴史にほかならなかったのだと考えることができます。また、科学が究極的には“不安の解消”をめざした営みであったとするならば、科学史上のいかなる理論も、何らかの問題意識に対応した解答としてつくられていったものだったのだということができます。つまり、その時代その時代でいったいどのようなことが問題とされていたのかを把握しなければ、その時代その時代につくられた理論の歴史的な意義をまともに理解することはできないのだということです。

 本稿では、おおよそ以上のような観点を念頭におきながら、昨年一年間、シュテーリヒ『西洋科学史』の内容にかかわってなされた要約、例会への報告、例会で提示された論点をめぐってなされた討論などをしっかりと振り返りつつ、それを小論というひとつの流れをもったものにまとめなおすことによって、数千年にわたる科学の歴史の全体像を描き出すように努めていきたいと考えています。

(*)ここにはさらに、自然的対象へのはたらきかけがしだいに複雑な過程となっていく(たとえば、痩せた土地での集約的農業や、高度な航海技術を要する広範囲の海上交易の発展など)ことによって、労働対象にかかわっての論理の把握をより高いレベルでなすことが時代の要求となってきたのだという事情も反映していると考えることができるでしょう。
posted by kyoto.dialectic at 06:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界歴史・日本歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
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 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
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 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言