2012年10月27日

国家の生成発展の過程を問う(13/13)

(13)学的国家論の構築をめざして

 前回は、本稿で説いてきた国家の歴史的発展過程をふり返った上で、「国家は何か」という根本的な問いにたいして、端的に「国家とは、社会が自立的に存在しつづけるためにとらなければならない形態にほかならない」という答えをあたえました。より詳しくいえば、ある社会がまともに存在しつづけるためには、対内的には諸階級・階層間の対立・抗争を一定の秩序の枠内に押しとどめつつ、対外的には他国家からの侵略を許さないように対峙していかなければならないのであって、それを可能にするものこそ、国家権力による社会の隅々までの統括なのである、というわけでした。

 しかし、ここで断っておかなければならないのは、本稿で参照してきた滝村隆一さんの『マルクス主義国家論』においては、国家についてこのような端的な規定があたえられているわけではない、ということです。

 それでは、滝村さん自身は、「国家とは何か」という問題について、どのような規定をあたえていたのでしょうか。この問題については、本稿の連載第5回の【補足】として、少しだけ触れました。端的には、『マルクス主義国家論』においては「国家」という語がさまざまに使い分けられており(〈狭義の国家〉と〈広義の国家〉など)、結局のところ「国家とは何か」がズバリと規定されていないのではないか、ということでした。

 この要因については、滝村さんの国家論が、国家とは階級抑圧の機構であるというマルクス主義の常識を当然の大前提として出発し、そこからしだいに国家についての究明が全面的なものになっていくにしたがって、(当初の概念を否定することなく)さまざまなレベルでの国家の概念が追加されていったからではないか、と指摘しました。ようするに、「人類の解放のためには革命によって現在の国家を廃絶しなければならない! そのためには打倒の対象となる国家(国家権力)の構造を究明しておかなければならない!」という特殊な角度からの強烈な問いかけによって国家についての究明をスタートさせたことが、「国家とは何か」についての端的で明解な規定を妨げてしまったのではないか、と考えることができるわけです。

 ならば筆者は何ゆえに、『マルクス主義国家論』に依拠した本稿での議論の結論として、国家についてあのような規定をなしえたのかといえば、それは、日本弁証法論理学研究会による国家の規定を参照したからにほかなりません。もっといえば、本稿において筆者は、あくまでも日本弁証法論理学研究会による国家の規定を念頭において、それをゴールと定めた上で、滝村国家論の再構成を試みた(“革命のための国家論”として出発した滝村国家論のなかに潜在している学的国家論につながる要素を浮き彫りにしようと試みた)のです。

 それでは、筆者が参照した日本弁証法論理学研究会による国家の規定とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。日本弁証法論理学研究会編集による学問誌『学城』創刊号(2004年刊)の巻頭を飾った論文(近藤成美「マルクス国家論の原点を問う――ヘーゲルから継承した市民社会と国家の二重性について」)では、次のように書かれています。

「国家とは何か、といえば端的には、社会の実存形態である。正確には社会が実存できる形態、である。言ってみれば、缶詰の中身が社会であり、その外側をかためるのが国家という缶である。
 簡潔に記したが、この国家についての規定は、日本弁証法論理学研究会の三十年にわたる研鑽において得た結論であり、学的検証を充分に踏まえたものであることを言明しておく。」(日本弁証法論理学研究会編集『学城』第1号、p.20)


 わかりやすいたとえでいえば、缶詰の中身が社会に相当し缶詰の缶が国家に相当するのであって、社会は国家によってしっかり守られてこそ厳しい国際環境のなかでまともに存在しつづけることができるのだ、ということです。社会とは「生活の生産におけるさまざまな協働によって結びついている人間の集団」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』講談社現代新書、p.160)のことですから、国民の生活を守るためにこそ国家という枠組みが必要とされるのだ、といってもよいでしょう。

 この規定の提示の背景にあった三十年にわたる学的研鑽とは、一方では、宇宙・太陽系の生成から地球と生命との相互浸透的な進化・発展過程のすべてに論理的な筋をとおしていくものとしての「いのちの歴史」の究明であり、他方では、そのような「いのちの歴史」の究明をふまえつつ(「いのちの歴史」の続編たる世界歴史という視点から)「人類にとって、社会にとって、そもそも国家とは何なのか」という問題を正面から問う(「人類の解放のために打倒しなければならない国家とは何なのか」という特殊な角度からの問いかけではない!)ことによって、ヘーゲル、マルクス以降の国家論の歴史を視野に入れつつ、滝村国家論についても批判的な検討をくわえていく、という流れであったのではないか、と想像されます。

 本稿の連載第1回において、日本をとりまく国際的な環境が厳しさを増すなか、「国家とは何か」という学問的な究明を土台にすえて国家戦略を考えていく必要があることを指摘しました。「国家は社会の実存形態である」との規定は、きわめて簡潔なものではありますが、「学的検証を充分に踏まえたもの」であるという以上、国家をめぐる現実的な諸問題を考えていく上で、たしかな手がかりとなるものにちがいありません。たとえば、本稿の連載第1回では、まともな国家論をふまえなければ、「何といっても国民生活が大切だ。国民生活を犠牲にする国家主義はけしからん」とか、「何はともあれ国家を防衛することが大事だ。国家を守るため、国土を防衛するために国民生活が犠牲になるのは仕方がない」といったそれぞれなりに一理ある諸々の主張が水掛け論的にぶつかり合うだけといった事態にもなりかねない、と述べましたが、「国家は社会の実存形態である」という規定をふまえるなら、前者の主張については、缶詰の缶と中身とが敵対的な関係にあるかのようにとらえてしまうようなもの(まわりに缶がなくても食料をまともに保存できるかのように錯覚してしまうもの)だということができるでしょうし、後者の主張については、前者への感情的な反発から「ともかく缶が大事なのだ!」と強調するあまり、缶がそもそも何のためにつくられたのかを忘れてしまったものだ(中身が腐っていても気にしない!)ということができるでしょう。

 学的国家論からすれば、国民の生活を守るためにこそ国家という枠組みが存在しているのであって、国民の生活はあくまでも社会が国家という形態をとって自立していることによってこそ守られるのだ、ということができます。一方では、缶詰の缶が存在しているのは何よりもまず中身の食料をまともに保存していくためであることを忘れてはならず、他方では、缶詰の缶があるからこそ食料がまともに保存されるのだということを忘れてはならないのだ、というわけです。

 現在、領土問題をめぐって「愛国心」やナショナリズムばかりがことさらに煽られ、一歩間違えば本当に戦争に突入してしまいかねないような危険な情況になってきています。缶詰の缶を軽視(敵視)してきた戦後民主主義への感情的な反発から、ちょうどそれを裏返しにして缶の大切さばかりを強調する一面的な言説が氾濫しているようにも思われます。それだけに、亀井静香氏の以下の発言は、傾聴に値するものだといえるでしょう。

「国を愛するというのは、当たり前のことだ。誰もが持っている感情であり、いちいち取り立てて言うようなことじゃないし、一部の保守派言論人たちだけが独占するようなものじゃない。/自分たちの郷土を素晴らしいところにしていくために努力することが愛国だ。『国の中身』をどうするかが最も大切だ。国は器。中身のない空っぽの器には意味がない。ナンセンスだ。/『愛国心だ、愛国心だ』と、ことさらに強調されるときには、何かよこしまな意図がある場合が多い。かつて、日本は愛国心を煽り、理性的な思考を停止してしまった。戦前の政府は、愛国という、誰も抵抗できない言葉でその政策を正当化、美化し、人びとを戦争に駆り立てた。政府に従わない人間に『あいつは愛国心がない』と批判した。」(『月刊日本』11月号、「愛国心で理性を停止させるな」)http://gekkan-nippon.com/?p=4456


 安倍晋三氏の再登板、「日本維新の会」や石原新党結成の動きなど、日本政治の右翼化が急速に進行しているという情況のなかで、主権者たる国民が日本という国家の進むべき道についてまともに主体的な判断を下していくためには、「国家は社会の実存形態である」との本質的な規定をしっかりと押さえ、「国は器。中身のない空っぽの器には意味がない」という視点をしっかりと堅持しておかなければならないのです。

 しかし、国家の本質的な規定がなされたとはいえ、人類の学問的な発展の歴史からみれば、学的国家論の本格的な構築はまだまだこれからの課題であるといわなければならないでしょう。学的国家論の構築のためには、過去のすぐれた文化遺産を発展的に継承していく努力が欠かせません。私たちが学ぶべき文化遺産としてまずあげるべきなのは、やはり滝村隆一さんの諸著作をおいてほかにないでしょう。ただし、“革命のための国家論”として出発したという滝村国家論の特性をふまえるならば、日本弁証法論理学研究会によって規定された国家本質論を念頭において、あくまでもそれにつながる要素を浮かび上がらせていこう、という目的意識的な問いかけをもって学んでいく必要があるといえます。読者のみなさんが、本稿を手がかりとして、滝村さんの著作、なかでもまずは「国家の一般的な本質論」を集成したものと位置づけられた『マルクス主義国家論』に挑戦されることを願います。

(了)
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 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言