2012年02月24日

バッハ「マタイ受難曲」の構造を解く(13/13)


(13)学問への道における「マタイ受難曲」鑑賞の意義とは

 前回は、本稿での論の流れを簡単にまとめるとともに、バッハの「マタイ受難曲」が、宗教色のきわめて濃い音楽作品でありながら、キリスト教の信仰をもたない人にたいしても深い感動をあたえるのはなぜなのか、という本稿の問題提起について、簡潔に結論をあたえることを試みました。

 端的には、第一に、バッハが、イエス・キリストの受難について、特殊な宗教の枠を超えた普遍的な意義をもつところまで深く掘り下げて考察しえたからであり、第二に、バッハが自身の思想が到達したレベルまで鑑賞者の認識を導いていくために、徹底した認識の「のぼりおり」のくり返しを可能とする3層構造を創出しえたからだ、ということでした。

 本稿を終えるにあたって、ぜひとも触れておきたいのは、バッハ「マタイ受難曲」を鑑賞することが学問への道を志す者にとっていかなる意義をもつのか、という問題です。ここで、学問への道というのは、事実の集積レベルの研究者(現象としては大学教員など)への道などといった低レベルのものではなく、この現実の世界の森羅万象をアタマのなかで論理的に統括する体系を構築していく過程のことにほかなりません。

 われわれ京都弁証法認識論研究会は、唯物論の立場から学問の構築を志しているわけですから、イエス・キリストの受難はこれこれこういう意義があったのだ、というキリスト教の信仰レベルの理解にとどまっていることはできません。そこを媒介としつつも、バッハの思想を普遍的な意義をもちうるところにまで掘り下げてつかんでいく、あえていえば、唯物論の立場からいささか強引に読みかえてでもみずからの人生の糧としていく、という姿勢が必要になるわけです。

 この観点から、連載第11回において紹介した、ペテロの否認の場面を受けるコラールにおいて示される思想――神の子イエスが受難によってわれわれの罪を購ってくれたのだから、われわれは自身の深い罪を自覚しつつも神の恵みと愛を信じて真摯に生きていこう――について考えてみることにしましょう。これは、神の恵みと愛についての絶対的な確信をみずからの内にしっかりと把持することによってこそ、自身の罪深さの痛切な自覚によっても絶望することなく真摯に人生を歩んでいくことができる、という思想であるといってよいでしょう。このような思想は、学問への道を歩もうとするわれわれにとって、いかなる意義をもちうるものなのでしょうか。

 この問題を考えていく上で大きな手がかりとなるのは、南郷継正先生が、『南郷継正 武道哲学 講義・講義全集 第九巻』において言及しているヘーゲルの「就任演説」です。南郷継正先生は、ヘーゲルがこの演説で本当は何を訴えたかったのか、と問うて、つぎのように述べています。

「人間はいかなる艱難に出会うともいかなる絶望の淵に沈みかかることがあろうとも、その瞬間にすら、まともに自らを信じることである。別言すれば、何時いかなる時にも、真正面から自らの内に存在していよう偉大なる自らの精神を確信し、信頼することである。そこを忘却したり、そこを等閑視したりするようなことがあれば、人間は自らを偉大にすることはできないし、いかに人間が客観的に偉大であろうとも偉大であり続けることはできないのだ」(『南郷継正 武道哲学 講義・講義全集 第九巻』p.223)

 これは、端的には、艱難に耐えていくためにはみずからの内にある絶対的なものを信じるしかない、絶対的な存在への確信を支えとするしかない、ということを意味しています。それほどまでに、学問への道を歩んでいくことはつらく厳しいことなのだ、ということなのです。

 ヘーゲルは、観念論の立場に立つ学者であり、われわれは唯物論の立場に立つ学問志望者です。しかし、学問への道の途上における諸々の艱難に耐えていくために、信ずるに値する絶対的な存在をみずからの内にしっかりと把持しておかなければならないということは、観念論であろうが唯物論であろうが、共通して存在しなければならない構造なのです。もっとも、観念論の立場から学問への道を志す場合と、唯物論の立場から学問への道を志す場合とでは、確信とすべき絶対的な存在の正体が異なる、ということになるわけですが。

 ちなみに、ヘーゲルにとっての絶対的な存在とは、ヘーゲルの哲学体系の要である「絶対精神」のことにほかなりません。ヘーゲル哲学においては、絶対精神なるものが、この世界の根源的な存在であり、自己運動によって宇宙の本質をつかみとるところにまで発展していくものとして設定されています。「人間は精神であるから……」という文言の「精神」とは、この「絶対精神」のことです。ヘーゲルにとって自分自身が絶対精神(の発展した形態)にほかならないのだから、自分が宇宙の本質をつかみうることは、最初からあきらかなのです。ヘーゲルにおいては、学問への道の終点(ゴール)が、最初からはっきりと見えているようなものであり、どんなに苦しくてもこの道を歩んでいけばよいと確信することができる、ということなのです。これが、就任演説の論理構造です。

 南郷継正先生は、唯物論の立場でヘーゲル「就任演説」と同じ内容を同じ高みで説けるのか、という読者の質問にたいして、説ける! と答えておられるのですが、その詳細な内容については論じておられません。現象レベルでいえば、大志・情熱・誇りの把持、ということができるのでしょうが(*1)、ここで、「マタイ受難曲」鑑賞の意義にかかわって確認しておきたいのは、信ずるに値する絶対的な存在をしっかりとみずからの内に把持することによってこそ、諸々の艱難辛苦に直面しても決して絶望することなく学問への道を歩んでいくことができる、という(観念論の立場からであれ唯物論の立場からであれ学問への道において共通して存在しなければならない)論理構造です。これは、本稿においてつかんだバッハの思想――神の恵みと愛についての絶対的な信念をみずからの内にしっかりと把持することによってこそ、自身の罪深さについての痛切な自覚によっても絶望することなく、真摯に人生を歩んでいくことができるという思想――とまさに共通する論理構造をもつものだということができるのです(*2)。

 そうであるからこそ、バッハの「マタイ受難曲」を真剣に鑑賞することによって、われわれは、大志・情熱・誇りを絶やすことなく真摯に努力できているか、真剣な反省を否応なしに迫られることになるのです。ここに、学問への道におけるバッハ「マタイ受難曲」鑑賞の重要な意義を見いだすことが可能であるといえるでしょう。

(*1)それがいかなる過程的構造をもって創出されるものであるのか検討することは学問への道におけるきわめて重要な課題ですが、本稿で扱うべき範囲を超えるので、詳細な論の展開は、別の機会とします。われわれが現時点で考えている内容を結論的に述べれば、つぎのようになります。すなわち、偉大なる先達・先人と自分自身とを、弁証法を土台として発展的に流れている大きな文化の歴史において、ひとつにつながったものとしてとらえることにより、弁証法を魂レベルで把持していくこと、です。

(*2)ちなみに、この論理構造を「就任演説」で説いたヘーゲルについては、プロテスタンティズムの強い影響を受けていたことがしばしば指摘されています。その影響の度合いは、「彼の哲学はプロテスタント信仰そのものの哲学化であった」(中埜肇『ヘーゲル』中公新書、p.34)とされるほどです。また、ヘーゲルが、1829年3月11日、フェリックス・メンデルスゾーンによってなされた「マタイ受難曲」の歴史的な復活上演を聴いていたというのも興味深い事実です(「マタイ受難曲」は、バッハの死後、長いあいだ忘れさられていたのでした)。ヘーゲルは『美学』において、バッハについて、「その壮大で、真にプロテスタント的な、芯の強い、しかも練習をつんだ天才性はやっと近頃になって再び完全な評価を受けるようになった」 と言及しています。
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 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言