2011年05月24日

三浦つとむ弁証法の歴史的意義を問う(13/13)

(13)「日常生活に役立つレベルの弁証法」は正当に評価すべきである

 前回は、本稿でのこれまでの論の流れをふり返ることで、三浦つとむさんの弁証法は、人間を支配する「神」に対抗するための科学として創出されたものであり、敗戦後、「天皇=神」という絶対的な価値観が崩壊して日本人が生きる指針を失ってしまった時代に、何らかの「神」的な存在にすがる(支配される)のではなく、ほかならぬ自分自身の力で未来を切り拓いていくための武器として、啓蒙的なレベルで説き続けられたものである、という結論を確認しました。

 本稿を終えるにあたって、最後にあらためて強調しておきたいのは、三浦つとむさんの弁証法が、日常生活に役にたつレベルのものであったことの長所は、やはり正当に評価されなければならない、ということです。このことは、南郷継正先生の『武道哲学講義V』(『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第六巻』)における三浦つとむさんの弁証法への批判的な言及――具体的には、学問体系の構築のためには学問的レベルでの弁証法の学びが必要になってくるのに三浦つとむさんは諺・金言レベルでとどまってしまった、結果として専門分野で学問体系を創ることができなかったということ――をどのようなものとして位置づけてとらえておけばよいか、という問題にかかわります。

 この問題については、連載の第11回でも簡単に触れました。端的には、南郷継正先生が指摘しておられる点は必ずしも三浦弁証法の短所としてだけとらえられるべきものではなく、見方によっては長所ともとらえられるのではないか、つまり、特定の専門分野に過度にのめりこむことなく日常生活に役立つというレベルで説き続けたからこそ、どんな専門分野にすすもうとする人にも学べるという一般性をもったレベルで弁証法の基本的な姿を提示することができたのではないか、ということでした。この観点から注目したのは、南郷継正先生による次の文言です。

「わが恩師滝村隆一の言にあるように、エンゲルスや三浦つとむの弁証法はたしかに幼稚ではある。でも、それでも滝村国家論の主要な柱と化していることを忘れてはならない。だからそれだからこそ、初級者には『弁証法はどういう科学か』は、逆に不可欠なのである。簡単には、算数の学びなくして数学(微分・積分)の学びは不可能に近いからである。」(南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第六巻』p.300)

 このように、いかな学問志望者にとっても三浦弁証法の学びは必須の過程である、いくら初歩的だからといって決してバカにしてはならない、ということができるわけでした。

 このことは、大きく、学問の発展の歴史という観点からとらえ返しておく必要があるでしょう。

 端的には、学問の歴史の流れでみれば、問題解決の武器としての弁証法を創出する人と、それを実際に使用してそれぞれの専門分野で学問的体系化を成しとげていく人とが異なるのは当然である、ということです。つまり、学問の歴史に残る偉人といってよい三浦つとむさんにおいての弁証法は、たとえば南郷継正先生(および南郷学派の先生方)が弁証法を武器として「いのちの歴史」を究明したり学問としての国家論体系を構築したりしていくのとは、おのずと位置づけが異なるのです。私たちは、学問とはあくまでも時代の学問である、という観点をつねに堅持しておかなければなりません。三浦つとむさんの弁証法が日常生活に役立つレベルのものであったのは、価値観の喪失という情況をいかに打開していくかという時代の要請に見事にこたえるものであったのであり、この点はいくら高く評価してもしすぎることはないのです。学問の発展の歴史という観点からみても、「神」的な存在にすがることを否定し、現実の世界が突きつけてくる問題をあくまでも自分の力で解決していくのだという姿勢を確立する必要があったという意味では、あの時代の日本(敗戦後の日本)における弁証法はこのような啓蒙的なレベルのものでよかったのだ、といえるのです。

 ただし、現代の日本において自分の専門分野で本当に学問的な体系化を志すならば、このような啓蒙的なレベルの弁証法の学びだけでは不足しますから、南郷継正先生によって学問体系レベルにまで発展させられた弁証法をしっかりと学びとることによって補っていかなければならない、ということができるわけです。

 しかし、このことを、三浦つとむさんの弁証法と南郷継正先生の弁証法の二つの異なる弁証法があるというように形而上学的に把握してはなりません。学問の発展の歴史においては、前者から後者へと、ひとつにつながった発展の流れが確固として存在しているのです。

 本稿のそもそもの問題意識は、三浦つとむさんをいわば「絶対精神の自己運動」としてとらえる、ということでした。これは、学問の発展の歴史とは「絶対精神の自己運動」の過程にほかならないのだ、という見方にかかわります。この見方からすれば、歴史上の偉大な学者たちはすべて、ひとつの絶対精神をその時代、その時代において体現する存在なのだ、ということになります。つまり、わかりやすくいうならば、「絶対精神の自己運動」としての学問の歴史というのは、あたかも一人の人物の認識の発展過程であるかのようにとらえるもの(あくまでも、たとえ話! です)なのです。

 この観点からすれば、三浦つとむさんは敗戦後の日本において「絶対精神の自己運動」を見事に体現した偉大な学者だったのであり、その役割を南郷継正先生へと引き継いでいったのだ、というようにとらえられなければなりません(*)。南郷継正先生が三浦つとむさんの弁証法に批判的に言及するのは、絶対精神が自分自身の過去をふり返ってみているようなもの、いいかえれば、立派な大人になった人物が自分の若い頃をふり返って「まだまだ未熟な部分があったな」とふり返ってみているようなものである、ととらえておくべきでしょう。

 ここで私たちが想起しなければならないのは、「個体発生は系統発生をくり返す」という命題にほかなりません。つまり、学問の体系化を志す私たちは、三浦つとむさんから南郷継正先生へという学問の系統発生の過程を、みずからの認識において、個体発生の過程として、くり返さなければならないのです。このような過程をたどってこそ、私たち自身が「絶対精神の自己運動」として、三浦つとむさんから南郷継正先生へと受け継がれてきた学問発展の歴史を、しっかりと引き継いで新しい時代に実らせていくという役割をはたすことができるでしょう。この人類史的な課題を何としてもやり遂げるために、三浦弁証法から南郷弁証法へという流れをしっかりとみずからのものにすべく学び続けていくという決意を表明して、本稿を終えたいと思います。

*「絶対精神の自己運動」としての学問発達の歴史という観点からすれば、20世紀後半の日本に先行して大きな発展が成し遂げられた19世紀前半のドイツにおいても、フィヒテからシェリング、ヘーゲルへというドイツ観念論の発展の流れが、ナポレオン占領下に端を発していることに着目すべきかもしれません。19世紀前半のドイツには、敗戦によって他国に蹂躙された国家を復興させていくためにこそ学問の再興がもとめられた、という点で、20世紀後半の日本との共通点をみることができるのです。この問題もふくめて、古代ギリシャ以来の「絶対精神の自己運動」としての学問(哲学)発展史がどのような構造をもっているのかについては、近々、本ブログにおいてしっかりと説いていく(解いていく)ことをお約束しておきます。ご期待ください。

(了)
posted by kyoto.dialectic at 05:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
13回にわたり三浦弁証法と三浦弁証法から南郷学派への歴史性までも説いていただき、まずは感謝したいと思います。読みごたえ十分でした。戦争で自信も誇りも失った日本人・日本民族に対する三浦さんの思いが伝わってくる思いです。主体性という言葉は重いですね。
それから、弁証法を日常生活で活かすことから学問へ、という上達論的な把握も何度でも押さえておきたい重要な論理であると思いました。次の展開が楽しみです。期待しています。
Posted by 無限 at 2011年05月25日 22:43
無限様、コメントありがとうございます。
現在の日本人、また日本という国家(日本民族)のあり方を思うとき、主体性という言葉はいまなお非常に重い意味を持つと感じます。
三浦弁証法から南郷学派への発展の流れをしっかりと発展的に継承して、我々自身の手で、日本社会のあり方を変革しうるところにまで具体化していかなければならないのだと考えています。
Posted by S・K(京都弁証法認識論研究会) at 2011年05月26日 23:41
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 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言