2011年03月31日

2011年3月例会報告:南郷継正『武道哲学講義V』読書会(1/5)

(1)『武道哲学講義V』の概要

 3月某日,京都市内で例会を行いました。今回扱ったテキストは,『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集第六巻』(現代社)に収められている『武道哲学講義V』です。この『武道哲学講義V』の目次は以下です。


■武道哲学講義V 「学問体系とはなにか」――『精神現象学 序論』を読み解く――
 
第1部 『精神現象学 序論』を読めるためには

(1) はじめに
 @本講義の主題は『精神現象学序論』はいかなる内容か,である
 A本物のヘーゲルの学問は,体系的に学ぶならば難解ではない
 B弁証法的唯物論と唯物論的弁証法から「絶対精神」の構造は解かれなければならない

(2) 歴史的にみた弁証法の学び
 @ヘーゲルを読むには,歴史的な弁証法の実力(弁証法成立の過程的構造の解明)が必要である
 A学問レベルでの弁証法がモノにならない人たちは,ではどうなるのだろうか
 Bカントやヘーゲルの学問過程の欠陥は,学問成立に必須な討論相手がいなかったことである
 C学問としての弁証法の学びの過程では,細かな事実にとらわれては駄目になる
 Dカント,ヘーゲルの弁証法の実力を問う

(3) 『精神現象学序論』で読みとるべきことはなにか
 @学問の出立時に把持すべきこと
 A弁証法を学ぶに必要な事実の上限を説く
 B論文の冒頭には,一般的にでもまず解答を書かなければならない
 C『序論』は「本論である『精神現象学』に対する批判」への反論である
 Dヘーゲルは『序論』でなにを説きたかったのか
 E『序論』の学力は論理のレベルであり,理論レベルとはなっていない
 Fヘーゲルは学問体系創出のための「論理学」が,なぜ書けなかったのか
 Gヘーゲルの学問は,絶対精神が自然・社会・精神へ向かう自己運動である
 H社会的認識は絶対精神の自己運動の一つの形態である
 I哲学者としてのヘーゲルはなぜ失敗したか
 J『序論』を読むための認識論の基礎を説く
 Kヘーゲルはカント,フィヒテ,シェリングからなにを受けついだのか



 この目次を読めば,本講義で説かれているおおよその内容がわかるかと思います。しかし今回は,当日なされた報告も参考にして,もう少し詳しく要約しておきたいと思います。次回以降,出された感想や論点を紹介し,それに関わって討論した内容をまとめていきます。


『精神現象学 序論』を読めるためには

(1) はじめに

 本講義の主題は,ヘーゲルの『精神現象学 序論』はいかなる内容か,である。ヘーゲルは『精神現象学 序論』のなかで,「哲学を学問の形式に近づけること,いいかえれば,哲学を『知識に向かう愛』という名から脱却させて,現実的な学問(学問というものは,現実の世界の歴史性,体系性を観念的な論理性として体系化することである)になるという目標に,近づけること」と,自らの目標を見事なレベルで宣言しながらも,それをなしとげられなかった。そこで,私がその「ヘーゲルの目標の高み」をほぼ達成できるところまできた現在,ヘーゲルのめざした学問とはいったいなんであったのか,なぜヘーゲルはそれをなしとげることができなかったのか,そしてそこをふまえて,私たちが学問を体系化するとはいかなることなのかを,『精神現象学 序論』を読みとくことによって,明らかにしていきたい,ということである。

 難解であるとされているヘーゲルの学問であるが,実は体系的に学ぶならば難解ではないのである。その際,導きの糸となるものは,絶対精神の生成発展性の理解である。

 エンゲルスのように「絶対精神」を事実レベルでとらえ,「バカげきった熱病者の幻覚」などといって葬り去ってはいけない。そうではなく,学問レベルでとらえ,唯物論の立場を否定することによってヘーゲルに観念的に実体化するプロセスを経て,弁証法的唯物論と唯物論的弁証法から「絶対精神」の構造を解かなければならないのである。


(2) 歴史的にみた弁証法の学び

 ヘーゲルの著作の全文・全頁はすべて弁証法的に説かれているから,ヘーゲルを読むには歴史的な弁証法の実力(弁証法成立の過程的構造の解明)が必要である。弁証法の実力のない諸君は,『弁証法はどういう科学か』の内容を三浦つとむの弁証法のレベルでしっかりと実力化したうえで,『全集第二巻』の「第二部 学問としての弁証法の復権」から『全集第一巻』の「『全集』の読者への挨拶」に戻るとよいだろう。

 三浦つとむの弁証法は,初級クラス用であり,日常生活に役にたつレベルではあるが,学問レベルには程遠い。三浦つとむや滝村隆一のように,学問レベルでの弁証法がモノにならない人たちは,自分の専門分野の体系的学問化ができないことになるのである。

 では,学問レベルの弁証法をモノにするには,どうすればよいのであろうか。それは,本当に一から手ほどきして育てる弟子との討論をとおして,相手と自分の双方の学問的不足分をお互いに徐々に埋めていくことである。本当の学問への道とは,社会関係,社会的反映に基づいてのみ歩きとおせるものであり,育てるべき弟子抜きの自分一人の研鑚ではまず不可能に近い。カントやヘーゲルの学問過程の欠陥は,このような学問成立に必須な討論相手がいなかったことなのである。

 学問としての弁証法の学びの過程では,細かな事実にとらわれては駄目になる。古代の弁証法は,現象形態の一般性レベルを上限として方法化されたのであるから,弁証法とは,アバウトのもの,おおよそのもの,すなわち一般性のものであり,ほとんど具体性がないものとして学びはじめることが大切なのである。多くの資料ではなく,数少ない資料(事実)から本当の姿を見抜く実力(頭脳活動力=論理能力)こそが大事なのであり,そのためにこその,弁証法的実力の培いなのである。

 カントの弁証法の実力はエンゲルスには程遠く,人間の認識の構造がまったくわからなかったため,対立物の統一までしかいけなかった。カントは若くして自然科学から学習を重ねてはいっているが,学問の道に自然科学からはいった人たちは,デカルトを始めとして,みんな駄目になっている。ヘーゲルも『精神現象学』以前に自然研究に没頭した過去があり(『惑星軌道論』),そこをふまえて純粋観念論に陥ってしまったため,認識の原点,精神の原点をたずねるところまでいけなかった。


(3) 『精神現象学 序論』で読みとるべきことはなにか

 学者は出発点で自分がもった体系性(準備の道具)以上には学問は構築できない。だから学問の出立時に,大きな志,大きな体系性,すなわち学問の一般性を把持すべきなのである。

 私の場合は,学問の生まれかわり,哲学の生まれかわりと思った幻かもしれない学問レベルの弁証法をかかげ,恩師三浦つとむの説く弁証法に論理的にあうもののみに心を傾け,それしか本当には学ばなかった。第二の恩師滝村隆一からは,学問形成の大きな柱となる構造論(学問論理の二重構造)を学んだ。それは,対象とする事実の論理を必ず二重に分けることである。たとえば,自分の専門分野で,学問体系を構築するために必要な事実と,たんに仕事として集めるべき事実とは,分けなければならない。弁証法をモノにするということは,弁証法を認識的かつ脳細胞的の二重構造的に技化することであるから,それに必要な事実だけを学んでみて,それを弁証法的にとらえ返すことから始めればよい。そのために必要不可欠な知識・事実は,どんなに多くても,各個別の分野それぞれに百個もあれば十分である。弁証法の三法則をわかるのに必要な事実は,十〜二十もあれば十分なのである。

 ヘーゲルの場合は,マルクスと同様,肝心のことを書かないで学問レベルへと出立したために,結局,本物の学問レベルの著作をモノすことができなかった。本来,論文の冒頭には一般的にでもまず解答を書かなければならない。自分の学問への出立になる著作には,自分が論理的・理論的に説こうとしている内実を概念レベルでしっかりと説いておかなければならないのである。そうしないと,肝心の概念規定レベルの答がでてこない頭脳活動に量質転化してしまう。最初に答をだすことができない者は,結局最後まで答がだせない頭脳になってしまう。

 こうしてみると,『精神現象学 序論』は,ヘーゲルの学問的実力にとっては,まだ書いてはいけない段階であった。それをなぜ書いたかの謎解きは,以下のようなものではないかと私は推測している。すなわち,学問分野への就職のための論文として書いた『精神現象学』本論がおそらくシェリングの批判とともに突き返されたことにたいして,腹だちまぎれにその審査員(?)にたいしてモロモロの彼らの学説の欠点を並びたてて書いたのが『序論』だった,ということである。

 『序論』全頁が「本論」への批判にたいする反論なのである。本論では,「学問に至る,人間の学問的精神としての歩み」というようなものを書きたかったはずであるが,就職論文としてはそれではボツになるので,適当に書いて提出したのである。それを批判されてアタマにきて書いたのが『序論』だったと推測するわけである。しかしヘーゲルとしては,まだ学問レベルの論文が書ける実力が整ってはいなかっただけに,結果として,批判者に対して悪態をついただけで終わってしまっている。

 ヘーゲルは,哲学を「知識に向かう愛」から脱却して,「学問の形式に近づける」と書いているが,それがいったいどういうことなのかについては,一言も書いてはいない。ただひたすらに,自分のアタマのなかにあることを必死になって書いており,それだけに体系性も理論性もない。すなわち,『序論』の学力は論理のレベルであり,理論レベルとはなっていないのである。

 ヘーゲルは学問体系創出のための「論理学」が,なぜ書けなかったのか。端的にはそれは,ヘーゲルが観念論者だったため,学問としての認識論を勉強することが不可能だったからである。ヘーゲルは哲学なるものもあるものであると思ってしまっていたので,体系化すれば真の哲学は姿をあらわすことになる,と思ってしまっていたのである。

 ヘーゲルによれば,絶対精神の自己運動の流れの一つが,学問の発展史である。これが『哲学史』の中身であり,これを担う絶対精神の分身としての人間たちがでてくることになる。ヘーゲルの学問は,絶対精神が自然・社会・精神へ向かう自己運動であり,この絶対精神なるものの円環運動は,永遠に発展していくことになっている。

 絶対精神の自己運動とは,これが社会の場合であれば,「社会的認識」そのものとなる。つまり,簡単にいえば社会情勢の一般化ということである。国家論を書くばあい,それらに大きく関わってきているカウツキーやレーニンなどを絶対精神の自己運動のそれぞれとしてみてとる,国家の流れも革命の流れも実によくわかるようになるはずである。

 哲学者としてのヘーゲルが失敗したのは,学問を全体として一人の学問であるとの見解を,つまり,学問とは社会的認識の文化の頂点であるとの認識を,しっかりといつまでも把持できていなかったからである。そのために,『哲学史』を書くときに,個々の哲学者の個々の見解にあまりにものめりこみすぎたきらいがあった。『歴史哲学』でも同じあやまちをしでかし,あまりにもギリシャ・ローマにのめりこんでしまって,以後の発展を説けなくなってしまったのである。集めた事実の一般性を大きくふまえなければ,絶対精神の社会的運動としてふまえることを忘れてしまっては,学問にならないのである。

 ここで少し,『序論』を読むための認識論の基礎を説いておく。それは,像というとても大切な言葉についてである。像には,事実的像と,学問的像,すなわち論理的像の二重構造がある。理論的研鑚をしたい人は,具体の像を描いたら,それを具体性として把握しなおし,さらに一般性としての像を描くというように,その像を必ずそれなりに一般化しなければならない。

 さて,学問というのはすべて時代の学問であり,その時代の少し前の学者の学問内容を無視して成立するわけはない。ヘーゲルは,絶対精神も,弁証法の構造も,学問的成果の基礎となるもののすべてをカントから受けついだ。ヘーゲルの『序論』をフィヒテ,シェリングの哲学論と対話させて読むと,つまりまさしく弁証論として両者を対話させてみると,『序論』の本当の謎が解けてくるのである。

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 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
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 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
 ・2015年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』プラトン 弁証法、自然哲学、精神の哲学
 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う