2011年01月01日

年頭言:主体性確立のために「弁証法・認識論」の学びを(1/5)

(1)年の変わり目に大目的・大志をたてる意義とは

 読者のみなさん、新しい年を迎えました。われわれ京都弁証認識論研究会が、このブログを開設してはじめて迎える新年です。この2011年という年は、21世紀最初の10年を終え、新たな10年がはじまる区切りの年でもあります。

 通例、年頭に当たっては、今年一年間の目標をしっかりと描くことが大切だとされています。われわれ自身もまた、このことがきわめて大切なことであると考えています。

 それがなぜなのかということについて、何よりもまず指摘しなければならないのは、(あらためていうまでもないことですが)この世界のなかで目標をたて、志をたてることのできる唯一の存在がわれわれ人間だからだ、ということです。

 しかし、このことにくわえて、ここでとくに強調して論じておきたいのは、先ほどの「年頭に当たって」という文言のなかに含まれている論理構造なのです。それは、そもそも人間はなぜ、ことさらに年の変わり目に大きな目標をたてようとする(たてなければならない)のか、という問題です。

 このことは、人類による時間および暦法の発明ということに深くかかわっています。

 そもそも時間とは、決して、この現実の世界のなかに客観的な実体として存在しているものではありません。現実の世界から個別的に「ハイ、これが時間ですよ」というふうに取り出せるようなものではないのです。現実の世界に存在するのは(根本的にいえば)ただ絶えず運動(変化・発展)している物質のみ、です(*)。いいかえるならば、このことは、現実に運動(変化・発展)している物質のあり方から離れたところに(年とか月とか日とかいった)時間なる実体が存在しているわけではない、ということを意味します。

 では、時間とはいったい何かといえば、このような現実の世界における諸々の物質の運動(変化・発展)のあり方を把握していくための尺度として、人類が創出していった概念にほかならないのです。すなわち、人類は、物質の運動のあり方に着目することにより「時間」なる概念を発明し、暦法(時間の流れを年・月・週・日といった単位で数えられるようにするための方法)を発明したのだ、ということができるわけです。

 さて、それでは、この時間および暦法の発明は、人類の歴史においていかなる意味をもったのでしょうか。

 ここで重要なのは、先に説いた「物質の運動」の把握において核心となったのは、人類が自らの目的意識的な働きかけによって起こした物質の運動(変化・発展)のあり方――たとえば、ある作物の種を蒔いたとして収穫できるほどに生長させるまでにどれくらいかかるか――を把握していくこと、端的には労働の成果を計測していくことであった、ということです。つまり、時間および暦法の発明によってこそ、人類は(自身の労働の結果としての)物質の運動(変化・発展)の流れを把握していくための確かな尺度を手に入れることができたのだということであり、またこのような尺度を手に入れることによってこそ、将来にたいする確かな見通しをもてるようになっていったのだ、ということです。後者の「将来にたいする確かな見通し」ということは、もっと踏み込んでいうならば、目的意識的に見通しをもとうとするようになっていったのだということであり、その見通し(目標)を確実に達成しようという努力を行うようになっていったのだということでもあります。

 ここで重要な契機となったのが、暦法によって時間の流れが区切られているところ、具体的にいえば、新しい年のはじめとか、もっと大きくいえば、新しい世紀のはじめとかといったものにほかなりませんでした。人類は、このような時間の流れが区切られているところ(具体的には世紀の変わり目や年の変わり目)において、何らかの大きな目的(目標)・大きな志をたてることを、いわば習慣化してきたのです。人類は、このような習慣化によってこそ、大きな進歩を成し遂げてきたのだ、ということができます。このような観点からするならば、暦法の発明は人類の歴史を進歩させる巨大な原動力となったといっても過言ではありません。

 それだけに、われわれ京都弁証法認識論研究会においても、2011年という新しい年、しかも21世紀最初の10年を終え新たな10年がはじまるという区切りの年のはじめにあたって、人類の歴史の歩みを視野に入れたレベルでの大目的・大志をあらためて確認するとともに、そこに向かって情熱を燃やし続けていく決意を表明しておくべきでしょう。

 このような決意表明の一貫として、本日より、ブログのタイトル、リード文、デザインを一新しました。これは、これまでのわれわれ自身の歩みをしっかりとふり返りつつ、新たな発展へ向かって歩んでいけるように、という願いを込めてのことです。

 われわれ京都弁証法認識論研究会は、なぜブログにこのようなタイトルを掲げることにしたのか、その前提として、いかなる大目的・大志をたてたのか、次回以降に説いていくことにしたいと思います。

*少し難しい話になりますが、これが、世界のあり方をどうみるかという世界観の一つである唯物論の立場なのです(ちなみに、世界観とは、物質を根源的な存在とみなし世界の創造を認めない唯物論と、精神を根源的な存在とみなし物質的な世界が過去のある時点で創造されたのだとする観念論の二つに分かれます)。宮崎県立看護大学教授であった加藤幸信さんは、かつて、この唯物論の立場から、「時間とはある一定の物質の運動の具体化の一般性」「空間とはある一定の物質の静止の具体化の一般性」と述べています(講演録「学問の発達の歴史」、『綜合看護』1996年3号)。
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 ・必要な事実を取り出すとは――一会員による『医学教育 概論(2)』の感想
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 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
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 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
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 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
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 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
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 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
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 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
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 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う