2010年12月31日

ベートーヴェン「第九」の歴史的位置を問う(3/3)

(3)「第九」の長大さと声楽の導入は「苦悩を克服して歓喜へ」に説得力をもたせるためのものであった

 前回は、ベートーヴェンの第九交響曲が、「苦悩を克服して歓喜へ」という一つのストーリで全曲を統一するという「運命」交響曲での試みの延長線上にあるものだということを確認しました。

 それが具体的にいかなるものであったのか、まずは、ベートーヴェンの第九交響曲の作曲過程をたどってみることにしましょう。

 第九交響曲は、もともと二つの異なる交響曲の構想を一つに統合することで生れたものだといわれています。この「二つの異なる交響曲」のうち、一つは従来どおり純器楽による交響曲だったのですが、もう一つは声楽を導入したまったく新しいタイプの交響曲でした。後者は「ドイツ交響曲」と名付けられ、ドイツの民族意識を高揚させるような作品となるはずでした。実は、この「ドイツ交響曲」において、シラーの「歓喜に寄す」を歌い上げる音楽を使うことが計画されていたのです。

 ところが、ベートーヴェンは、この二つの交響曲の構想を一つに統合し、「歓喜に寄す」にもとづく音楽を、純器楽の交響曲として計画されていた交響曲の第4楽章にもってくることで、「苦悩を克服して歓喜へ」というストーリーをもった交響曲の結論部分と位置づけることにしたのです(もともと純器楽の交響曲の第4楽章として作曲されていた音楽は弦楽四重奏曲第15番の第5楽章に流用されたといわれています)。

 この第4楽章は、たしかに圧倒的な喜びの賛歌です。しかし、この楽章だけが単独の音楽として存在しているならば、その感動は薄いものとなってしまうでしょう。やはり、この喜びをつかむまでに幾多の困難を克服してきたのであるな、という感慨を伴うことによってこそ、いっそう深く感動的なものとなるのではないでしょうか。少なくとも、ベートーヴェンはそのように考えたからこそ、あえて二つの交響曲の構想を一つに統合するという決断をしたのだと考えられるのです。つまり、この第九交響曲においては、第1楽章、第2楽章、第3楽章の音楽は、第4楽章の「歓喜に寄す」にもとづく賛歌を引き立たせるために位置づけられるようになったのだ、といえるのです。

 それでは、以上のような観点から、第九交響曲のそれぞれの楽章がどのような音楽であるのか、確認していきましょう。

 第1楽章は、暗く闘争的な音楽です。深い霧(弦楽器がかすかな音量で細かい音を刻む)のなかから第1主題が断片的にあらわれはじめ、諸断片が次第に集合しながら急速に膨れ上がり威圧的ともいえる堂々たる全体像を見せるに至るという、きわめて印象的な開始をもっています。第2主題は、穏やかな性格の美しいものですが、この楽章の主導権は、あくまでも闘争的な第1主題が握っています。展開部はもちろん再現部の後のコーダにおいても、この第1主題が徹底して主題労作され、圧倒的な悲劇的な高揚を創りだすのです。作曲家であり指揮者でもあったワーグナーは、この第1楽章について、運命にたいする人間の闘いを描いたものであると位置づけました。

 第2楽章は、スケルツォ(3拍子の急速なテンポによる突進するような音楽)です。ワーグナーは、この第2楽章について、狂乱的な歓楽を描いたものだと位置づけました。通常の交響曲の構成では、第2楽章には、(第1楽章がもたらした緊張を緩和するために)緩やかなテンポの音楽(緩徐楽章といいます)が置かれ、第3楽章にスケルツォが来るのですが、第九交響曲では、この順番が入れ替わっています。これは、第4楽章の衝撃的な開始(後述します)を印象付けるための工夫にほかなりません。

 第3楽章は、一転して、緩やかなテンポによる非常に美しい音楽となります。ワーグナーは、愛と希望を描いたものとして位置づけています。この楽章には、二つの主題が登場しますが、いずれも穏やかな性格をもったもので、あくまで静かに夢見るように流れていきます。しかし、最後の方で、突如として、あたかも「夢想にふけって現実逃避をしたままでよいのか」と警告するかのように、金管楽器の鋭いファンファーレが鳴り響きます。このあと、音楽は一応は再び穏やかさを取り戻してこの楽章を終えるのですが、どこか不安の影がつきまとうような音楽となってしまっており、これが第4楽章の嵐のような開始を導く重要な伏線となっているのです。

 先に述べたように、第4楽章は、この交響曲の結論(「苦悩を克服しての歓喜」)として、勝利の賛歌を歌い上げる部分ですが、重要なのは、いきなり歓喜の歌が歌い始められる(そうなれば、あまりに唐突な印象をあたえることでしょう)のではなく、冒頭に、第1楽章から第3楽章までの音楽と「歓喜に寄す」を歌う音楽とを媒介する部分がおかれていることです。

 つまり、第4楽章は、第3楽章の平安な世界を突如として破る猛烈の嵐のように急速なテンポで開始されると、まず、第1楽章、第2楽章、第3楽章の音楽がそれぞれ断片的に再現されるとともに、それらが一つ一つ否定されていくという過程をたどるのです。この否定は、チェロとコントラバスの威圧的な強奏によってなされます。やがて、木管楽器が有名な「喜びの歌」のメロディーの断片を提示すると、それまで威圧的な態度で以前の音楽を否定してきたチェロとコントラバスが、「それだ!」といわんばかりに喜びの表情を示し、「喜びの歌」を静かに静かに奏ではじめるのです。そして周りの楽器も次第に声を合わせるようにくわわって力を増していき、圧倒的なクライマックスに到達するのです。
 ここまでは純器楽(オーケストラのみ)の音楽なのですが、ここで突如として、第4楽章の冒頭の嵐のような音楽が戻ってきます。そして、先の威圧的なチェロとコントラバスの否定のメロディーで、バリトンが「おお友よ、このような音ではない! もっと心地よく、もっと喜びに満ちた歌を歌おうではないか!」 と歌いだします。こうして、先ほどのチェロとコントラバスが、過去の音楽を否定するものであったことが、言葉によって明確に示されたわけです(ちなみに、これはシラーの詩ではなくベートーヴェン自身によるものです)。その後は、4人の独唱と合唱がくわわって「歓喜に寄す」が何度も変奏されながら歌われていき、大団円となります。

 以上のような音楽の流れをふまえて、第九交響曲の二大特徴――長大さと声楽の導入――にいかなる必然性があったのか、考えてみることにしましょう。

 端的に結論からいえば、第九交響曲において長大さや声楽の導入が必要とされたのは、ベートーヴェン(および彼と同時代の人々)が直面させられた苦悩がそう簡単に解決できそうもないほどに深いものであったからだといえます。苦悩の克服過程を描くのにこれだけの長大さが必要とされたのは、難しい問題を論理的に説こうとすると、丁寧な論理展開が必要となるために、必然的に説明が長くなってしまうのと似ているといってよいでしょうし、声楽の導入については、音楽そのものによる時間をかけた論理展開にくわえて、言葉の力をも借りなければ苦悩の克服過程を説得的に描くことができなかったからである、とみることができるのです。

 先にみたとおり、第九交響曲において、苦悩を克服して歓喜の歌に至る結節点に当たるのが、「おお友よ、このような音ではない! もっと心地よく、もっと喜びに満ちた歌を歌おうではないか!」 というバリトンの独唱でした。つまり、声楽(言葉)を導入することによって、苦悩から歓喜への一大転換をより説得的に成し遂げようとしたのだ、ということができるのです(*)。

 第九交響曲に長大さと声楽の導入をもたらしたもの、すなわち、直面する苦悩がそう簡単に解決できそうにもないという懐疑は、19世紀、産業革命の進展によって社会が解決困難な新しい問題を無数に抱え込んでいき従来の価値観が崩壊していくなかで、いっそう深刻なものとなっていきました。このような懐疑をどのように扱うかが、ベートーヴェンにつづく19世紀の交響曲作曲家にとっての大きな課題となったのです。ここから、人間の諸々の感情の流れをよりナマナマしく克明に描くことが試みられるようになっていくのと同時に、闘争から勝利への過程に説得力をもたせるために、論理的な構成を強化して曲全体に統一感を持たせる諸々の工夫(声楽の導入もその極限的な試みの一つです)がなされるようになっていくわけですが、こうした試みの萌芽は、すべて第九交響曲にあるといっても過言ではないのです。

(*)もっとも、このような言葉の導入は、悪くいえば、本来は純粋に音楽の力で表現すべきところを言葉の力を借りてしまったものである、ということもできます。このことを指摘した音楽評論家の許光俊氏は、これはベートーヴェンの音楽の敗北を意味するものではないか、と批判的に論じています(『クラシックを聴け!』ポプラ文庫)。

(了)
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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言