前回は、本稿のこれまでの流れを振り返るとともに、“小沢潰し”とでも言うべき動きの今後の展開について、既得権益層は、あらゆる手段を使って小沢氏を政治的に抹殺しようとしてくるに違いないこと、具体的には、指定弁護人による家宅捜索と「小沢逮捕」によって「小沢一郎=犯罪者」というイメージを決定的なものにするとともに、有罪判決に持ち込む危険性があることを見た。
それでは、このような謀略が淡々と進められていくことを阻むことになりそうな要素は存在しないのであろうか。
ないことはない。それは何かと言えば、この「小沢失脚」謀略が、利益分配政治の打破を掲げる小沢氏と既得権益層との激烈な闘争の過程での必然的な現象であることを掴んだ強固な小沢支持層の存在である。
こうした層が、国民のごく少数にとどまる限りは、既得権益層は、何も恐れることはなく、淡々と謀略を進めていくことができるであろう。しかし、こうした層が、大きく広がりうるだけの可能性を秘めているとすれば、既得権益層は慎重にならざるを得ないのである。あまりに露骨なやり方で――その極限が暗殺という手段である――小沢氏の政治生命を奪ってしまったとすれば、「鉄の五角形+アメリカ」の支配構造を打破しなければならないと考える人々の間で、小沢氏は改革の途上における殉教者のごとき存在となり、これらの人々の精神的な結集の拠り所として、極めて強力に機能することになってしまうだろうからである。
それでは、小沢支持層は、こうした既得権益層の謀略的な動きを抑える程の力を持ちうるのであろうか。
現在、検察とマスコミの横暴に対してデモ行進が連続的に行われており、組織的動員などなかったにもかかわらず、いずれも1000人を超える参加者を集めている。この動きについては、検察とマスコミを直接の実行者とする“小沢潰し”の動きに抗して、優れた国民的政治家である小沢一郎氏を守りたいとの思いが大きな動機となっていることは間違いない。一人の政治家のために国民がこのような自発的な行動を起こすのは前代未聞と言ってもよいだろう。インターネットを駆使することで、こうした行動を全国各地に広げつつあるという点で、小沢支持層は無視することのできない存在となりつつあると言えるかもしれない。
このことに加えて、「脱小沢」を掲げた菅政権の失政が、相対的に小沢氏の政治的な存在感を高めるように作用していることも考慮に入れておくべきだろう。
この点では、小沢氏が、11月3日、インターネットサイト「ニコニコ動画」の「ニコニコ生放送」に出演した際の発言が象徴的であった。小沢氏は、尖閣事件での菅政権の失策について、「自分なら船長を釈放しなかった」「検察に(超法規的な)政治判断をさせたら法治国家でなくなってしまう」などと厳しく批判するとともに、北方領土問題についても「私はゴルバチョフ(元ソ連大統領)に『北方領土を一方的に侵略して占領したのはソビエトだ』と言った」というエピソードを披露した。その上で、「日本政府としての主張をきちんとしないといけない。彼らは自己主張しない人間を軽蔑する」「外交は首脳どうしが直接会ってやるべき。面と向かってしゃべらず、悪口を言うから、信用をなくす」と苦言を呈したのである。要するに、豊富な外交経験を持ち各国首脳と太いパイプを誇っている点で、菅首相や前原外相などとの政治家としての格の違いを見せつけたのである。
こうしたことが度重なれば、「いくら菅さんが『クリーンでオープン』でも、国家の最高責任者を務めるだけの実力がなければダメだ。少々カネに汚くても実力のある小沢さんに総理をやってもらった方がよいのでは……?」と考える人々が増えてこないとも限らないのである。言うまでもなく、これは極めて健全な考え方である。
とは言うものの、このような小沢支持層の拡大の可能性を過大評価するわけにもいかない。国民の圧倒的な多数は、マスコミを通じて強烈に刷り込まれた「小沢一郎=悪」というイメージからそう簡単に抜け出すことはできないであろうし、加えて支配層は、菅・仙石政権の失態が「小沢待望論」の高まりにつながらないような対策を打ってきているのである。それは、反小沢派の「ポスト菅」候補の押し出しである。
現在、マスコミの攻撃の矛先は、仙石官房長官を中心とした菅直人政権そのものに向けられつつある。注意すべきなのは、この間の一連の外交的な失態の第一の責任者(本来なら罷免されて当然!)である前原誠司外務大臣がほとんど批判の対象となっていないことである。それどころか、「世論調査」で首相にしたい政治家のトップが前原氏になったと「前原待望論」を煽っているのである。
そもそも、今回の尖閣事件の背景には、日中関係を険悪化させることで沖縄米軍基地などの対日利権を確保しようというアメリカの思惑の存在が強く疑われる。前原外相は、そのようなアメリカの思惑に沿って、事態を意図的に混乱させてきたのではないかと考えられるのである。そうであるならば、現在のマスコミの動きは、不安定な菅・仙石政権を崩壊させて、忠実な対米従属派である前原誠司氏を内閣総理大臣に据えようという計画が具体的に進行していることを示しているものと見るべきであろう。
支配層の思惑は、単に小沢氏の影響を政権から排するという段階(菅・仙石政権)から、より忠実に自らの意向を反映させうる政権を求める段階に移行しつつあるのだ、と見るべきである。支配層の利害からすれば、鳩山・小沢政権の「マイナス」から菅・仙石政権によって「ゼロ」まで戻したが、これを「プラス」に転じるために「前原政権」が求められている、というのが現局面であろう。
しかし、「前原政権」は日本国民にとって最悪の選択である。そもそも、日本という国の将来を考えるならば、今年9月の民主党代表選挙の際に、菅直人氏などではなく、卓越した改革構想とともにそれを実現するだけの政治的実力を兼ね備えた小沢一郎氏を選出して、内閣総理大臣につけるべきであった。小沢支持層は、現局面においても、小沢氏が早期に裁判で無罪を勝ち取って(あるいは裁判闘争中であってもよい)内閣総理大臣の座につくことを望んでいるであろうが、その可能性はゼロではない(決して諦めてしまう必要はない)にしろ、やはり極めて厳しいことは直視しておくべきであろう。
それでもなお、「小沢失脚」謀略(加えて、現局面で言えば「前原待望論」)の真相、すなわち、これら一連の動きの背後にある日本の支配構造について徹底的に暴き続けていかなければならない。すべては変化するというのが弁証法の教えである。「鉄の五角形+アメリカ」による日本支配の構造も、永久不変のものではあるまい。しかし、この構造を根本から崩すためには、何世代にも渡る激烈な闘争が必要なのかもしれない。そうであるならば、何よりも重要なのは、国民の間にこのような支配構造についての理解を広げていくことであり、国民自身の手によって、小沢一郎氏の志を継いでこのような支配構造と闘おうとする優れた政治家を育てていくことなのである。
(了)
小沢潰しの醜い鉄板みたいな支配構造をなんとかしよう。
主権者たる国民にとって大切なのは、小沢問題を通して日本社会(国家)の構造を掴むことだと思います。この小論がそのために少しでも役立てられれば幸いです。