前回は、激烈な“小沢潰し”の動きの存在が、日本の支配構造――政官財の“鉄の三角形”に御用学者とマスコミを加えた“鉄の五角形”をアメリカが上から統括しているという構造――を浮き彫りにしていること、こうした構造を掴みつつある少数ながらも強固な小沢支持層が形成されてきていることを見た。
重要なのは、こうした小沢支持層が、戦後政治の構造を規定してきた保守対革新という枠組みを超えたところに形成されていることであり、とりわけ特徴的なのは、いわゆる左派的な立場から小沢氏支持に転じる人々が、どうやら少なくないらしいことである。
もともと小沢氏が、1993年に『日本改造計画』を著すとともに、自民党を飛び出して非自民連立の細川政権を樹立した頃には、「政治改革」(=保守二大政党制につながる小選挙区制の導入)をテコに、日本の軍事大国化(自衛隊の海外派遣)と新自由主義的改革(規制緩和と民営化の推進)を強力に推進する実力を持った政治家として、マスコミからは歓迎される一方で、左派的な人々からは強い警戒感を持たれていたものである。
この頃には、1955年体制、すなわち、利益配分をめぐる自民党と社会党との馴れ合い構造を壊すという点で、小沢氏の志す改革と支配層――“鉄の五角形”の中核たる財界とアメリカ――との利害が一致していた、少なくとも決定的な齟齬はなかった、と見るべきであろう。
しかし、財界が望んだのは、利益配分構造の打破ならぬ財界に有利な形での再編、すなわち、高度成長の終焉に対応して、労働者や農民や自営業者に配分する富を減らし大企業の一層の利潤追求のために資源を集中させていく体制を確立することでしかなかった。また、アメリカが望んだのは、場合によっては国連を無視した単独行動も厭わずに自国の利益を追求していくことであり、こうした行動に日本を軍事的に協力させていくことであった。自衛隊の海外派遣やその条件整備のための憲法9条改定の動きなども、あくまでこうしたアメリカの世界戦略の枠内で要請され認められるものに過ぎなかったのである。
「コンセンサス社会」の土台の上に築かれた利益配分構造を打破して“自立した国民による自立した国家”を建設し、国連重視の外交姿勢によって世界平和に貢献していこうとする小沢氏の理念は、こうした支配層の思惑とはもともと相容れないものであった。この食い違いは、5年に渡る長期政権となった小泉政権に対して、小沢氏が一貫して野党の立場から厳しい対決姿勢を取り続けたことを媒介として、決定的なものへと深化し、また表面化していくことになった。
すなわち、外交については、小沢氏は、一貫した国連重視の立場から、小泉政権の対米追従のみならず、国連を無視しての単独行動でイラク戦争を起こしたアメリカの姿勢そのものを厳しく批判するに至った。また、内政については、「小泉政治とは市場原理・自由競争の名のもとに、セーフティネットの仕組みについて何の対策も講ずることなく、ごく一部の勝ち組を優遇し、大多数の負け組みに負担を押し付ける政治に他ならない」(『小沢主義』集英社)と厳しく批判するに至ったのである。
こうした小沢氏の「変化」こそが、左派的な層からの小沢支持者を生む直接の要因になったものと思われるのである。
しかし、こうした小沢氏の「変化」を“左転向”“左傾化”だとするのは皮相な見方であろう。というのも、「コンセンサス社会」の土台の上に築かれた利益配分構造を打破して“自立した国民による自立した国家”を建設し、「国連重視」を掲げた外交によって世界平和に貢献していこうとする小沢氏の理念そのものは、一貫して揺らいでいないからである。小沢氏は「変わらずに生き残るには、みずから変わらなければならない」という言葉を好んで口にするが、まさにこの言葉のとおり、自身の改革構想の根本理念を変えないために、具体的な枝葉の部分を、国際政治、国内政治の激動に対応させる形で、変えてきたわけである。
外交政策の面での「変化」については、以前にも取り上げたので、ここでは、経済政策・社会政策の面での「変化」の性格について検討しておこう。
小沢氏は保守政治家として初めて「セーフティネット」を政策の柱に据えたとされているが、このことの意味について、「小沢研究20年」とされる政治記者の渡辺乾介氏は、次のように指摘する(『週刊ポスト』2010年9月17日号)。
「小沢氏は選挙応援の際、大票田の都市部ではなく、過疎地域を重視することで知られている。
中央政府の官僚統制が行き過ぎた結果、既得権による富の偏在が起きて地方の疲弊や国民格差の広がりを生み、社会を疲弊させたと考えているからです。
社会や経済の活力を取り戻す為には、先ずセーフティネットを充実させて既得権を持たない国民を支援し、同時に官僚統制による既得権をなくすことが必要だというわけです。
いわば国民を平等な条件で競争させる為のセーフティネットということです」
つまり、小沢氏の政策的な体系においては、セーフティネットは国民の自立を促す手段に他ならないわけである。この点で、官僚統制や国民の「お上意識」の温存と結びつきやすい従来の左翼的なセーフティーネット論とは一線を画している。小沢氏が新自由主義的政策からバラマキ政策へと180度転換したかのように捉えるのは、皮相な見方なのである。
以上を要するに、「もう、右翼だの左翼だのといったカビの生えたイデオロギー分類につきあう必要もない」(近藤成美「マルクス国家論の原点を問う」『学城』第1号)現代において、従来の右翼(保守)・左翼(革新)の対決の枠を超えた、真の国民的な政治家として、小沢氏が登場してきているのだ、と言えるであろう。このことが、従来の左右の立場の違いを超えて、強固な小沢支持層が形成されてきている最大の根拠である。