前々回と前回にわたって、小沢一郎氏が日本の政治の現状をどう把握し、どのような改革を提起しているのか、国内的な政治構造と外交とに分けて確認した。端的には、「自立した国民による自立した国家」とまとめることができるであろう。
これは、「聖徳太子」以来の「コンセンサス社会」という条件の上に、外政的には「アメリカの傘」への依存、内政的には「富の再配分」への集中によって形成されてきたところの、戦後日本社会(国家)の特殊な構造を根本的に変革(解体・再編)することを志すものに他ならない。
戦後日本社会の構造をもう少しだけ具体的に解くならば、以下のようになろう。
大枠としては、「アメリカの傘」によって、外交・防衛など、国家の存立に直接関わる問題に向きあう必要がなかった、という条件がある。この大枠の中で、財界を構成する大企業が富の生産を担い、この富を税として徴収した上で農民や自営業者へと再配分していく過程を政治家と官僚が担ったのである。こうして、いわゆる「政官財」という“鉄の三角形”の癒着構造が形成されていくことになった。この“鉄の三角形”は、マスコミ、御用学者たちの存在によって補完され(御用学者たちが「政官財」の支配を支える「理論」をつくりだし、これをマスコミが利用しながら国民世論をつくっていく)、ここに“鉄の五角形”が形成されたのである。
こうした“鉄の五角形”をさらに上部から統括したのが“宗主国”であるアメリカ(より具体的には、デイヴィッド・ロックフェラーなど米国を実質的に支配する国際金融資本家たち)であった。アメリカ(より具体的には直接に対日支配を担う「ジャパン・ハンドラーズ」とも呼ばれる人々)は、政治家・官僚・財界人・マスコミ人・御用学者とそれぞれのレベルで結びつき、米国の対日支配を貫徹しようとしてきたのである。
小沢氏が提起する「自立した国民による自立した国家」への改革は、このような「“鉄の五角形”+アメリカ」による利権の絡み合った癒着構造を根本的に破壊してしまおうとするものに他ならない。ここに、小沢氏がこれら既得権益層に徹底的に嫌われる最大の根拠がある。
今回の検察審査会の「起訴議決」に至るまでの“小沢潰し”とでも言うべき一連の動きについて、これら諸勢力の思惑が働いているのではないか、との指摘がなされている。いくつか具体的に見ておくことにしよう。
一連の“小沢潰し”の動きの発端となったのは、2009年3月3日、公設第一秘書であった大久保隆規氏が、準大手ゼネコンの西松建設からの政治献金に関して検察に任意の事情聴取を受け、その場で突然「政治資金規正法違反容疑」で逮捕されたことである。実は、この直前の2月24日に、小沢氏は「アメリカの極東におけるプレゼンスは第7艦隊で十分だ。アメリカに唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持たなければならない」との趣旨の発言をしていた。この発言の直後に大久保秘書が逮捕されたことについて、羽田孜内閣で運輸大臣を務めた二見伸明氏は「ああ、これはCIA(=米国政府)の仕事だな、と思った」と述べている(世川行介『泣かない小沢一郎(あいつ)が憎らしい』同時代社、2010年8月)。
当時は、自民党・麻生政権の支持率が著しく低迷しており、近く行われる総選挙による政権交代がほぼ確実視され、小沢政権の誕生の可能性が高いと見られていた時期であった。要するに、小沢政権の成立を阻むために、アメリカの意志によって、“小沢潰し”の一連の動きが具体的に発動されたのだ、と見ることができるのである。
この“小沢潰し”の過程を実際に担ったのは、何と言っても検察、より正確に言えば、アメリカの強い影響下にあるとされる東京地検特捜部――その前身はGHQによってつくられた「隠匿退蔵物資事件捜査部」であり、上層部に在アメリカ日本大使館の一等書記官経験者が多い――であった。
しかし、検察は、単にアメリカ政府の意を受けただけでなく、独自の利害関係から、“小沢潰し”にのめり込んでいったと思われる節がある。このあたりの事情について、ジャーナリストの伊藤博敏氏は、そもそも小沢氏が検察に狙われたのは検察の人事を政治の側が押さえる仕組みをつくることで「政治主導」を「法務・検察」にも導入しようとしていたからではないか、より具体的には、検事総長の内閣同意制、検事正の公選制、録画録音を含む捜査の可視化といった検察改革の構想を持っていたからではないか、という見方を示している(「現代ビジネス」 伊藤博敏「ニュースの深層」9月23日)。
“小沢潰し”達成のための世論形成という点では、検察のリーク情報に依存して動いてきたマスコミが果たしてきた役割も見過ごせない。マスコミもまた、単にアメリカ政府や検察の意志に従っていただけではなくて、“小沢潰し”には独自の利害関係を持っていたと見られるのである。
第一に、小沢氏が、官僚や財界の意志を垂れ流すための窓口となってきた記者クラブの既得権益を認めず、フリージャーナリストにまで記者会見を開放してきたばかりか、記者クラブメディアの記者の不勉強振りについて一貫して厳しい姿勢を取り続けてきたことである。
第二に、小沢氏が、クロスオーナーシップ(同一の資本による新聞とテレビの系列化)の禁止を主張してきたことである。同一の資本による新聞・テレビの系列化は、官僚や財界の意志による言論の統制を容易にする仕組みに他ならず、言論の多様性を確保するためには、クロスオーナーシップ禁止が欠かせない。しかし、クロスオーナーシップの禁止は、経営状態が悪化した新聞社が系列テレビ局の収入によって辛うじて支えられている状態を直撃するのである。
小沢氏のこうした改革の構想は、マスコミにとっては絶対に叩き潰しておきたいものであったと考えられるのである。
このように、小沢氏の提起する改革は、戦後日本においてアメリカへの従属の下で形成されてきた既得権益層の利害と徹底的に衝突するものだったのである。ここに「小沢失脚」謀略とでも言うべき動きが生じてきた根拠があると見るべきであろう。