前回は、小沢「起訴議決」の対象となった土地取得と代金支払いとの時期のズレは、土地の取得を代金の支払い時点(2004年10月)でなく、登記の完了時点(2005年1月)で計上したに過ぎないものであり、これ自体には何の犯罪性も見い出すことはできない、との公認会計士の見解を紹介した。
しかし、新聞やテレビなどのマスコミはこのような事情については決して報道しようとしない。記載時期のズレは何らかのやましいことを隠すために違いない、との邪推に基づいた妄想の類を無責任にも垂れ流すだけなのであり、これが議決書にも色濃く反映しているのである。
それでは、議決書が“やましいことがあったに違いない”と疑う根拠らしきものを検討してみることにしよう。
議決書は、まず、土地購入資金4億円についての小沢氏の説明が、当初の「銀行借り入れ」から「自己資金」などへと変遷したことについて、「著しく不合理なものであって、到底信用することができない」と断じている。
しかし、同じ一つの対象でも焦点を当てる角度次第で様々な姿を見せる、というのは、弁証法のイロハのイである。たとえば、あるサラリーマンが銀行で住宅ローンを組んで住宅を購入し、毎月の給料からローンを返済しているとしたら、彼は銀行ローンで家を買ったとも言えるし、自分の給料で買ったとも言えるだろう。彼が一方で「銀行のローンで購入しました」と言い、他方で「自分の給料で買ったんです」と言ったにしても、彼の発言を著しく不合理だとか到底信用できないとか言うべきではないだろう。
問題となっている陸山会の土地購入については、小沢氏個人が立て替えた資金で土地を購入した後で、陸山会が銀行ローンを組んで小沢氏に返済するとともに、陸山会は政治献金をもって銀行への返済に充てる、という流れが存在した。だとすれば、小沢氏の説明が「銀行借り入れ」から「自己資金」などへ変遷したことをもって、ただちに著しく不合理だとか到底信用できないなどと言うことはできないはずである。
これは、むしろ見方によっては、小沢氏が、その時々のマスコミ記者たちによる異なる角度からの質問について、丁寧に「説明責任」を果たしてきた結果であるとすら言えるものであって、これを、マスコミ記者たちは「何か隠そうとしているに違いない」という先入見を持って、受験秀才特有の形而上学的なアタマで受け止めるから、不合理だとか信用できないとして反映してくるに過ぎないのである。議決書もまた、このような虚像に影響されている。要するに、「小沢はカネに汚い」という創られたイメージをもとに、形而上学的なアタマでもって、愚にもつかないケチ付けをしているに過ぎないのである。
もう一つ、議決書が“やましいことがあったに違いない”と疑う根拠として指摘するのは、小沢氏が土地購入資金として4億円を自己の手持資金から出したと供述していることである。この件について、議決書は「そうであれば、本件土地購入資金として銀行から4億円を借入れる必要は全くなかったわけであるから、年間約450万円もの金利負担を伴う4億円もの債務負担行為……(中略)……は、極めて不合理・不自然である」と決め付けている。
しかし、これもまたまったくの言いがかりであるという他ない。例え手持資金があったとしても、不確実な将来のために手もとにすぐに使える資金を残しておきたい、と考えるのは決して不合理なことではない。事業者であれば、例え手持資金があっても、運転資金の枯渇を避けるために、必要な資金は可能な限り借入で賄った方が合理的なのであり、この場合、金利負担は運転資金の枯渇を避けるための一種の保険料のようなものだと捉えることができるのである。サラリーマンであっても、不動産購入のために手持資金を使わずに銀行でローンをくむことなど日常茶飯事であろう。
それでは、なぜ議決書(およびそれに影響を与えたマスコミの報道)は、これだけ無茶な言いがかりをつけてきているのだろうか。
その背景には、そもそも土地購入のために陸山会が小沢氏から借り入れた4億円に、ゼネコンによるヤミ献金が使われたのではないか、との憶測がある。
その有力な根拠とされたのは、水谷建設元会長の水谷功氏の「胆沢ダムの工事を受注するための見返りに、都内のホテルで石川議員に5000万円を紙袋に入れて渡した」という証言である。検察は当初、4億円の内にこの5000万円が含まれていると見立てていた。しかし、結局、大々的な捜査を行ったにもかかわらず、何の証拠も掴むことができなかったのである。
そもそも、この水谷証言なるものは、佐藤栄佐久前福島県知事の「汚職事件」――これ自体、原発反対派の知事を陥れるために捏造された事件だとの疑いが濃厚である――の裁判において、信頼性に疑問符をつけられた代物である。しかも、この水谷氏の聴取には証拠改竄事件で逮捕された前田検事が関わっていたという曰く付きである。水谷証言なるものは、ゼネコンから小沢氏への裏献金を疑う根拠には到底なりえない。
マスコミがさも大疑獄事件であるかのように大騒ぎしている小沢氏の「政治とカネ」疑惑なるものは、所詮この程度の根拠薄弱な妄想の類に過ぎないのである。