2010年10月4日、東京第5検察審査会は、民主党の元代表である小沢一郎氏の政治資金規正法違反の容疑――具体的には、政治資金収支報告書への虚偽記載について秘書と共謀したとの容疑――について、「起訴議決」を公表した。検察の捜査によって不起訴となった小沢氏は、「市民参加」の検察審査会によって、強制的に裁判にかけられる見通しとなったのである。
しかし、この東京第5検察審査会による議決日が、菅直人氏と小沢一郎氏が対決し菅氏が再選された民主党代表選挙投票日の9月14日であったことが波紋を引き起こした。一体なぜわざわざこのような日に議決したのか。しかも、他の案件での起訴議決の公表が即日なされているにもかかわらず、この案件に限ってなぜ公表まで3週間もかかったのか。
そもそも、専門的立場から審査員に助言するとされる審査補助員に吉田繁実弁護士が決まったと報道されたのが9月8日のことであり、議決は10月下旬になると見られていた。このため、9月21日に大阪地検特捜部の証拠改竄事件が発覚して前田恒彦検事が逮捕され、検察の調書の信用性が大きく揺らいだ――前田検事は小沢氏の第一公設秘書の大久保隆規氏の取調べを担当していた――ことが、小沢氏に有利に働くのではないかとの観測もあったのである。それだけに、9月14日の議決というのは、驚きをもって受け止められた。
また、この「起訴議決」を行った11人の審査員について公表された平均年齢が異常に低かったこと(当初「30.9歳」と公表された)が問題となった。これは、4月27日の第1回目の「起訴相当」議決の際に公表されていたのが「34.3歳」という非常に低い平均年齢であったことと合わせて、「起訴」という結論に誘導しやすいように審査員が恣意的に選ばれていたのではないか、との疑念を生じさせることになったのである。
審査員の平均年齢が低すぎるのではないか、との指摘に晒された検察審査会事務局は、何を血迷ったか、審査員の平均年齢について不自然極まりない訂正をくり返すこととなった。37歳の審査員の年齢を足し忘れていたとして「33.91歳」に訂正したかと思えば、さらに就任時でなく議決時の年齢で計算をやり直したとして「34.55歳」に再訂正したのである。足し算・割り算すらまともにできません、と言わんばかりの醜態を晒したのである。
さらには、二見伸明氏(元公明党副委員長、1994年に羽田孜内閣で運輸大臣を務め、新進党解党後は公明党に戻らずに小沢氏が党首を務める自由党に移った)の問い合わせに対して、検察審査会事務局側が会議の議事録は存在しないと回答した(「THE JOURNAL」内「二見伸明の『誇り高き自由人として』」10月12日付の記事)ことが伝えられるに及んで、インターネット上では、現実には存在しない幽霊審査員で架空の議決をしたのではないか、との疑惑すら囁かれるに至ったのである。
検察審査会の議決をめぐるこれら諸々の疑惑は、民主党代表選挙に小沢一郎氏が出馬することが確定的となった8月末の段階で、小沢政権の成立を阻むため遅くとも9月14日までに「起訴議決」をする、というストーリーが何者かによって描かれたのではないか、との推測を浮上させずにはおかないものである。
具体的には、代表選挙当日の「起訴議決」は、菅支持か小沢支持かで揺れていた民主党議員を菅氏支持へと流し固めるための極秘情報として使われると同時に、仮に小沢氏が民主党代表に選ばれてしまった場合には即日の議決公表によって総理大臣への就任を阻むための材料として使われようとしていたのではないか、と推測されるのである。
そのように考えれば、検察審査会をめぐる諸々の疑惑については、9月14日に間に合わせるために、極めて短かい期間で集中的に審議して議決する、あるいは審議して議決したことにしてしまうという動きの過程で図らずも生じてしまったものとして、筋を通して把握することが可能となるのである。
しかし、この「起訴議決」は、決して代表選挙をめぐる民主党内の権力抗争だけに結びつけて捉えられるべき性質の問題ではあり得ない。この「起訴議決」の意味を探るには、少なくとも、2009年3月3日に小沢氏の公設第一秘書であった大久保隆規氏が準大手ゼネコンの西松建設からの政治献金に関して検察に任意の事情聴取を受け、その場で突然「政治資金規正法違反容疑」で逮捕されて以来の流れを見ておかなければならないのである。
つまり、この間の検察・検察審査会やマスコミの動き、より具体的には、検察がゼネコンから小沢氏への不正献金を見込んで大々的に捜査したものの証拠を掴めず起訴を断念した「事件」について検察審査会が政治資金収支報告書への虚偽記載という微罪で起訴したことや、マスコミが検察からのリーク情報を垂れ流しにしつつ、“小沢叩き”とでも言うべき論調で「小沢=犯罪人」というイメージづくりに狂奔してきたことを見るならば、こうした動きの背後に、何としても小沢一郎氏を政治的に抹殺してしまおうという何者かの意志が存在しているのではないか、「小沢失脚」謀略とでも言うべきものが存在しているのではないか、との疑問を持たざるを得ないのである。