3楽章構成で演奏時間70分を超えるこの曲は、ベートーヴェンによって確立された「暗から明へ」という交響曲の王道を行く、真に交響曲らしい交響曲であった、ということができるでしょう。
まず、全体として、どのような流れの音楽であったのか、簡単にまとめておきましょう。
「運命」を描いたという第1楽章は、不気味な低音の蠢きによって開始されました。序奏的な部分が静まったところで弦楽器によって奏でられる旋律がこの交響曲の核となるもののようで、ここから派生したと思われる主題が、第2楽章や第3楽章にも登場していました。第1楽章をつうじて不協和音と耽美的な響きとが交錯しますが、全体としてはかなりゆったりとしたテンポによる、非常に重苦しい音楽です。
今回初めて演奏された第2楽章は、「絶望」を描いた音楽とされています。事前には、ブルックナーのような壮大なアダージョ楽章を想像していたのですが、ブルックナーのアダージョのように、一つの頂点を目指して徐々に息長く盛り上がっていく、という感じの音楽ではなく、様々な楽想が次々と浮かんでくる感じの音楽でした。全体として、第1楽章の延長のような雰囲気で、それほど明確な性格の対称はないように感じました。
なお、第2楽章の真ん中あたりで、打楽器の激しいリズムを伴ったかなり急速なテンポの音楽が登場したので、これがスケルツォ的な役割を担うことで、交響曲全体としてセザール・フランクの交響曲ニ短調のような構造(スケルツォ楽章を欠いた3楽章構成だが第2楽章の中間部がスケルツォ的な性格を持つ)になっているのかとも思いましたが、すぐに静まってしまったために、そういう訳ではないのかもしれません。
「希望」を描いたという第3楽章が、この交響曲の最大の聴き所ではないか、と感じました。第1楽章や第2楽章が、非常に重苦しく抑圧されたような音楽だったのに対して、ここでエネルギーが一挙に解放されて、圧倒的なクライマックスに達するのです。急速なテンポによって悲痛極まりない闘争的な音楽が大きく高揚し、これが静まった後で、一筋の光が差し込むような祈りの音楽が静かに始まり、これが次第に力強さを増して、鐘の音を伴った壮大な頂点を築いて、全曲を締めくくるのです(広島初演時よりは早めのテンポによる、ややあっさりとした表現になっていたように感じましたが)。
この佐村河内守氏の交響曲第1番を、大きく交響曲の歴史の中に位置づけて捉えてみましょう。
先に「交響曲の歴史を社会的認識から問う」という小論(6月25日〜29日に掲載)において論じたように、そもそも交響曲なる表現形式が創出された背景には、近代社会になってキリスト教の絶対的な権威が薄れていく状況下で、「人間いかに生きるべきか」ということが真剣に問われるようになったことがありました。すなわち、交響曲とは、世界の見方にもかかわるような大きな問いかけにもとづいて、体系的に組み上げられた論理的な構築物に他ならないのです。中でも、ベートーヴェンによって確立された「苦悩を克服して歓喜へ(暗から明へ)」という図式が、19世紀という時代に、交響曲という表現形式が発展していく上での軸として、決定的に重要な役割を果しました。
しかし、社会関係が複雑化して、解決困難な諸々の課題を抱え込むようになるにしたがって、対立する要素の調和や闘争の果ての勝利がそれほど簡単には信じられなくなってきたことが、交響曲という表現形式を肥大化の末に衰退させていくことになりました。19世紀末(20世紀初頭)に活躍したマーラーを最後にして、交響曲らしい交響曲はほとんど作曲されなくなっていったのです。交響曲を名乗る作品であっても、交響曲という表現形式でしか表現できない内容が盛り込まれているとは到底いえないものが多くなっていったのが、20世紀でした。これは、世界全体のあり方を体系的に解くものであるはずの哲学がヘーゲルを最後に衰退してしまい、およそ哲学とは言えない内容のシロモノが哲学を名乗る、という20世紀の学問の世界の状況を想起させます。
このような観点からすれば、佐村河内守氏の交響曲第1番は、交響曲という表現形式でしか表現できない認識内容が盛り込まれた、真に交響曲の名に値する交響曲である、と断言してよいでしょう。それを端的に示す言葉が、当日配布されたプログラムに掲載された作曲者の言葉の中にあります。
「シンフォニーと名付ける以上、世界にとって最も重大な主題を激しい発作の合間を縫い、自らの血で祈りを込めて書き上げる音楽が、15分足らずの曲で良いはずがありません。
原爆の絶対悪という『闇』と、平和への『祈り』の闘いの音楽に長大さは必要不可欠でした」
佐村河内守氏にとって、肉体も精神も破壊されてしまうほどの自らの病苦と原爆の絶対悪という「闇」を重ね合わせて作曲するということは、文字通り命を懸けた闘争です。だからこそ、闘争の果てに勝利の光を展望する、交響曲という表現形式が絶対に必要だったわけです。決して、何となく形だけ交響曲にしてみました、というような音楽ではないのです。
とはいえ、同じく「暗から明へ」という図式に則っているとはいうものの、ベートーヴェンの交響曲第5番や第9番と佐村河内氏の交響曲第1番とでは、やはり大きく異なる部分もあります。ベートーヴェンの交響曲における「暗から明へ」は、苦しい闘争の果てに過酷な運命を決定的にねじ伏せ、間違いなく勝利を確定させた上で、高らかに凱歌を奏でる、といったものです。これに対して、佐村河内氏の方は、容易には勝利できそうにない苦しい闘争の中にあっても勝利への確信を決して失わない、そのこと自体が希望であることを示す、といったものです。ベートーヴェンの交響曲第5番の終結部分が、まさにこれで闘いは終わったぞ、という充足感を与えるものであるのに対して、佐村河内氏の交響曲第1番の終結部分は、これからもまだ闘いは続くだろうが諦めずに頑張ろう、と聴く者を鼓舞するようなものになっているのです。ここに、「暗から明へ」という交響曲の王道ともいうべき図式の、21世紀的な深化がみられる、ということができます。
このように、佐村河内守氏の交響曲第1番は、21世紀においても交響曲という表現形式が立派に生命力を持ちうるという可能性を示した力作であった、といってよいでしょう。
※ゴーストライター騒動を受け、2014年3月5日に以下の追記を行いましたので、ご参照下さい。
http://dialectic.seesaa.net/article/158838831.html