2017年10月03日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(8/13)

(8)『国富論』――社会の完成形態としての商業社会の究明

 前回は、スミスの『法学講義』がどのような内容をもったものであったのか、簡単に確認しておいたわけですが、ここで大きな問題として浮上してくるのは、『法学講義』と『国富論』(正式なタイトルは『国の富の本質と原因にかんする研究』、原題:An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)との関係という問題です。晩年のスミスは、『道徳感情論』第6版(1790年)の序文において、次のように述べています。

「この著作の初版の最終パラグラフで私は、別の論考において、法と統治の一般的諸原理について説明に努めるとともに、この一般的諸原理が社会のそれぞれ異なる時代ないし時期に応じてそれぞれこうむることになった種々の大変革について、たんに正義(司法 justice)にかんする事柄にとどまらず、生活行政(police)や公収入、および軍備にかかわる事柄、さらには法の対象となる他のすべての事柄も含めて、説明に努めるつもりである、と述べておいた。『国の富の本質と原因にかんする研究』において、私はこの約束を部分的に、少なくとも生活行政、公収入、軍備にかんする限り、実行することができた。残っている法学の理論については、長年にわたって想を練ってきたのだが、この著作の改訂を妨げてきたのと同じ仕事のために、その実行を妨げられてきた。私は、すっかり歳をとってしまったので、この大著を満足のいくように仕上げる望みがほぼ断たれてしまったことは認めざるをえない。しかし、それでもなお、この構想を完全に放棄してしまったわけではないし、できる限りのことをするという義務は負い続けたいと思っている。そのため、このパラグラフについては、三十年以上も前に出版されたとき――そのとき私は、そこで宣言したすべてを実行できることに何の疑いも抱いていなかったのであった――のままに残しておいた。」(『道徳感情論』第6版への序文。筆者訳)


 この文章は、約束を果たせそうにないことへのスミスの強烈な無念の思いと、それでも死ぬまでできる限りの努力はつづけたいという誠実な気持ちとが痛いほど伝わってくるものですが、同時に、『法学講義』と『国富論』の関係について大きな問題を提起するものでもあります。それは、スミスが『道徳感情論』の末尾で『法と統治の一般的諸原理と歴史』と題されるべき著作を予告しながら、その前半部分については後回しにし、後半部分だけを独立させて『国富論』として執筆・出版したのはなぜなのか、という問題にほかなりません。

 この問題を考えるためには、『法学講義』の第1部(正義論)と第2部(生活行政論、公収入論、軍部論)との関係について、あらためて検討してみる必要があります。前回確認したとおり、第1部の正義論においては、狩猟→牧畜→農業→商業という社会の4つの発展段階をつうじて「公平な観察者」による共感が積み重ねられながら正義が確立されていく歴史的過程がたどられ、第2部においては、正義が揺るぎなく確立された商業社会段階において社会(国家)のどのような発展が可能になっていくのか、生活行政・公収入、軍備の各領域を視野に入れながら論じられていました。そもそもスミスのいう正義とは、他人の身体や財産を不当に侵害しないということですから、正義が歴史的に確立していく過程は、具体的には、所有権が確立されていく過程として描かれることになります。ここでスミスが導入したのが「公平な観察者」でした。しかし、「公平な観察者」の判断はその時代時代の具体的な社会環境によって大きく左右されてしまうものです。そういう「公平な観察者」の判断をいくら積み重ねていったところで、正義(所有権)の絶対的な確立という地点には到達できないのではないか――『法学講義』の展開のなかで、スミスはこうした難問に直面させられたものと思われます。スミスは、難問解決への糸口を何とか見いだそうと苦闘したあげく、正義(所有権)の絶対的な確立というゴールの姿を明確にすることこそが、そのゴールに到達するまでの道すじを究明するヒントになるのではないか、と考えるに至ったからこそ、法学体系の後半を『国富論』として先行させることになったものと思われるのです。

 この『国富論』は、以下のような5つの篇から構成されています(各篇のタイトルはそれぞれのテーマを簡潔に示すために筆者が便宜的につけたものです)。

《スミス『国富論』の構成》
第1篇 分業論
第2篇 資本蓄積論
第3篇 経済史の批判的検討
第4篇 重商主義批判
第5篇 財政論

 このうち、第1篇(正式のタイトルは「労働の生産力における改善の要因と、労働生産物が異なった階級へと分配されていく際の自然な順序について」)は、社会における分業(原語は the division of labor であり、社会的総労働を分割して異なる生産部門へと配分していく、といったイメージが読み取れます)の形成について、交換を媒介する手段としての貨幣について、交換比率を規定する自然価格の内実(労働生産物の諸階級への分配)について、論じられています。この第1篇は、お互いの所有物を自由に交換しあうことを可能にする条件――所有権という具体的な形をとった正義――が確立された商業社会(商品交換社会)こそ真に人間らしい社会のあり方(社会の完成形態)だ、というスミスの信念を理論的に根拠づけようとしたものだといえます(*)。

 つづく第2篇(正式のタイトルは「資本〔ストック〕の性質、蓄積、用途について」)は、労働者を雇用するためにはあらかじめ資本(生産手段となるもの)が蓄積されていなければならない、という見地をふまえつつ、どの生産部門への資本投下がどの程度まで富の増大に寄与するのか、検討されています。その結果として、国民の富(生活資料)の増大にもっとも寄与するのは農業であって、ついで国内製造業、国内商業とつづき、国民の富の増大にもっとも寄与することが少ないのは外国貿易であることがあきらかにされます。ここで大きな意味をもってくるのが、慎慮の徳――『道徳感情論』において、自分の将来の幸福のために現在の欲求を抑える徳として説かれた徳――です。資本所有者が慎慮の徳を備えている場合、それぞれの部門において予想される利潤が極端に異ならない限り、投資の安全さや確実さを考慮に入れて、外国貿易より国内商業、国内商業より製造業、製造業より農業に、自分の資本を投下しようとするはずだ、ということになるのです。

 このように、『道徳感情論』をふまえた法学体系の一部として『国富論』を捉えた場合、第1篇においては正義の徳が、第2篇においては慎慮の徳が、大きな役割を果たしていると指摘することができます。正義の徳が自由で平等な経済主体が活躍する舞台を整備し、慎慮の徳が個々の経済主体の行動を規定しているのです。お互いの財産(所有物)を不当に侵害しないという正義が絶対的な枠組みとして確立されているなかで、個々の経済主体(資本所有者)が慎慮の徳にしたがって行動するならば、おのずから国民の富を最大化するような形で社会的総資本の配分が達成されていく――これが、『国富論』の第1篇および第2篇における議論なのです。

 しかし、スミスが眼にしていた現実の社会のあり方は、そのような理想(理論的に描かれた商品交換社会)とは少なからず距離がありました。現実の社会のあり方を批判的に分析するとともに、理想的な状態の実現を阻んでいる要因を考察したのが、つづく第3篇(正式のタイトルは「国の違いによる富裕の発展過程の違いについて」)と第4篇(正式のタイトルは「政治経済学の諸々の体系について」)です。第3篇では、西ローマ帝国以来のヨーロッパ経済史が批判的に検討され、農業→製造業→国内商業→外国貿易という産業の自然な発展の順序が、国家権力の恣意的な介入によって、往々にして逆転させられてしまったことが論じられています。第4篇では、このような恣意的な介入の根拠となった重商主義の理論が厳しく批判されます。

 しかし、スミスは、政府が特定産業を優遇するような恣意的な介入を行うことは否定したもの、政府に果たすべき役割があることを否定したわけではありません。この問題を扱うのが、第5篇(正式なタイトルは「統治者あるいは公共社会(the Sovereign or Commonwealth)の収入について」)です。ここでは、政府のなすべき仕事について(経費論)、政府の仕事に必要な財源の調達について(租税論・公債論)、市場の自然で自由な動きとの関連を意識した財政論として議論されていくのです。ここでスミスが、政府のやるべき仕事としてあげているのは、国防、司法行政、公共事業の3つです。このうち、国防は国家の存立そのものにかかわるものとして富裕に先だって重要なものであるとされ、司法行政は正義の制度的枠組みを守るものとしてその重要性が強調されています。また、政府がやらなければならない公共事業として教育行政が論じられ、文明社会の二面性――商業社会が生活習慣を洗練していくという積極面と、分業の発展が労働者階級の視野を狭くし勇武の精神を失わせていくという消極面――を視野に入れつつ、国民の徳を陶冶していくために基礎的な教育が重要であることが強調されていくのです。

 以上、法学体系の一部としての『国富論』という観点から、その構成を概観してみました。端的には、第1篇と第2篇が自然的自由の体系の基礎となる市場(経済社会)についての論をなし、第5篇が自然的自由の体系を上から統括する政府についての論をなす一方、第3篇が現実の経済社会のあり方についての批判、第4篇が現実の経済社会のあり方を規定した政府の政策およびそれに影響を与えた重商主義にたいする批判をなす、とまとめることができます。

(*)『法学講義』では、共感の原理(立場の交換論)と重ねあわせるようにして、人間が交換性向というべきものをもっていることが論じられています。ここからスミスは、お互いの所有物を自由に交換しあうことを可能にするような条件――所有権という具体的な形をとった正義――が確立された社会こそ、真に人間らしい社会のあり方だと考えていたと推測することができます。だとすれば、『法学講義』第1部の課題は、正義が所有権という具体的な形で確立されていく理論的・歴史的な根拠を解明しておくことだったと考えることができます。

※『国富論』の構成は以下のように図示することができます。

『国富論』全体像.jpg


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 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言
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