2017年09月28日

経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス(3/13)

(3)「天文学史」――自然哲学史の総括による科学方法論の獲得

 本稿は、現代の課題に応えうる学問体系の構築に向かっていくことこそアダム・スミスの遺産を現代に活かしていく道である、という問題意識から、『道徳感情論』と『国富論』という二大著作だけにとどまらないスミスの学問的構想(哲学体系)の全体像について、描き出すことを試みています。

 今回は、そもそもスミスはどのような問題意識をもって学問への道へと出立したのか、確認しておきましょう。

 アダム・スミスは、1723年6月5日、スコットランド東海岸にある港町カーコーディに生れました。スミスの生れたスコットランドは、もともとイングランドとは別の国だった――ただし1603年にスコットランド国王がイングランド国王を兼ねて以降は、共通の国王の下に別個の議会が存在する「同君連合」を形成していました――のですが、1707年、スコットランド議会がイングランドとの合同条約を批准したことにより、正式にイングランドと合同してひとつの国家を形成することになります。当時のスコットランドは、イングランドと比べるとかなり経済の発展が遅れていました。スコットランド国内をみても、豊かな平地(南部)と貧しい高地(北部)という地域間格差を抱えていました。しかし、イングランドとの合邦を契機に、植民地アメリカとの貿易を含むイングランド市場に全面的に参加する道が拓かれたことによって、スコットランドは急速に経済的な発展をとげていくことになったのでした。一般的にいって、資本主義経済の勃興による繁栄は、自由で進歩的な社会の雰囲気をつくりだしていきます。諸産業の発展によって台頭してきた商工業者層が、旧来の封建的な体制をつくりかえていくための精神的な武器として、「自由」と「理性」とを掲げるようになっていくからです。こうした状況は、スミスが生きた18世紀のスコットランドにも当てはまります。当時のスコットランドにおいては、商業化された社会における人間性や道徳のあり方について考察を深めていった「スコットランド啓蒙」と呼ばれる思想的な流れが存在していたのです。ここでは、富と徳との関係――両者は絶対的に対立するものか、それとも調和させることが可能なものか――という問題が大きく浮上してきていました。

 こうした時代背景のもと、スミスは1737年(14歳)に、スコットランド随一の商業都市グラスゴウのグラスゴウ大学へ入学しました。スミスはここで、道徳哲学教授のフランシス・ハチスン(Francis Hutcheson 1694〜1746)に学ぶことになります。当時の道徳哲学とは、狭い意味での倫理学というようなものではなく、人間論を基礎とした社会科学一般といった内容を含んだものでした。ハチスンの道徳哲学は、自然神学(自然の法則性を人間の理性によって把握することで創造主である神の叡智を知ろうとする神学)を基礎にして、道徳感覚の原理(人間には道徳的な善悪を感じ取る感覚が備わっているという論)によって倫理学と法学とを展開していこうとするものでした。スミスは、このハチスンの道徳哲学講義に決定的な影響を受け、自身も独自の道徳哲学体系の構築を志すようになります。

 その頃、道徳哲学者たちに大きな刺激を与えていたのは、前世紀の17世紀末に確立されたニュートンの力学体系でした。これは、万有引力というひとつの基本的な原理によって、天体の運動から地上の物体の運動まで、自然界の諸々の出来事に見事に筋をとおして説明したものでした。人類の認識の発展史という観点からいえば、自然の個々の現象それぞれを神の意志と直結させてしまうような説明では納得できなくなってきて、感覚的・経験的になじみのある、理解しやすい原理であらゆる現象に筋をとおして統一的に説明できるようにしたい、という強い欲求が芽生えてきたことの現れだともいえるでしょう。さらにいえば、目には何も見えないけれども確かに何らかの法則的な力が普遍的に働いているのだ、ということを確信できるだけの認識のレベルに当時の人類は到達したのであって、そうしたレベルを体現していたのがニュートンにほかならない、といえるかもしれません。ここで重要なのは、このニュートン力学が、当時のスコットランドの道徳哲学者たちに、人間がつくる社会の領域についてもニュートン力学のような体系を打ち立てることが可能なのではないか、という意識をもたらしていたことです。端的には、“道徳哲学のニュートンたらん”というのが、スコットランド啓蒙の道徳哲学者たちの共通の野心であった、ということができるのです。このような野心を若きスミスも抱くようになっていったのでした。

 スミスは、1740年(17歳)前後に、イングランドのオックスフォード大学に留学します。しかし、オックスフォード大学はグラスゴウ大学と比して保守的な傾向と停滞した雰囲気をもっていたためにスミスは幻滅し、しだいに充実した蔵書数を誇る図書館に逃避して、プラトンやアリストテレスなど、古代ギリシャの文献に読み耽るようになっていきました。こうしたなかでスミスは、同郷(スコットランド)の先輩にあたるデイヴィッド・ヒューム(David Hume 1711〜1776)の『人間本性論』(A Treatise of Human Nature 1739)を読むことになったのです。

 ここでヒュームは、因果律(原因と結果のつながり)は世界に客観的に存在するものではなくて、主観的な信念にすぎない、という議論を展開していました。すなわち、人間がある出来事の次に別の出来事が起きるという経験をくり返すなかで、前者を原因と名づけ後者を結果と名づけるようになるだけであり、客観的な世界のなかには2つの出来事のつながりなど発見できない(原因と結果のつながりは人間の心のなか〔主観〕だけにあり、現実の世界〔客観〕には存在しない)、というわけです。こうしたヒュームの議論は、自然科学的な認識の確実性(客観的な世界のあり方を正しく認識できるはず!)に大きな疑問を呈するものにほかなりませんでした。恩師ハチスンの道徳哲学講義に決定的な影響を受け、自身も独自の道徳哲学体系の構築を志すようになっていたスミスにとって、科学的認識の確実性を否定してしまうかのようなヒュームの議論は、大きな不安を抱かせるものであったことは想像に難くありません。

 スミスは、この不安を何とか解消しようとして、古代ギリシャからニュートン力学の形成に至るまで、人類がどのようにして自然にかんする科学的認識を発展させてきたのか、その歴史的な歩みを究明してみようと思い立ったものと推測されます。学問への道を歩みはじめたばかりの青年スミスは、みずからの学問への道を確かなものにするために、自然科学的認識の確実性そのものを検討して確認しておく必要に迫られたわけです。こうした思索が結実したのが、1748年(スミス25歳)前後にまとめられたと考えられる「哲学的研究を導き指導する諸原理」(The Principles which Lead and Direct Philosophical Enquiries)という共通タイトルを冠された3つの論文(「――天文学の歴史による例証」「――古代自然学の歴史による例証」「――古代論理学と古代形而上学の歴史による例証」)です。それでは、これら3つの論文では、どのような論が展開されているのでしょうか?

 これら3論文では、哲学が「自然の結合諸原理の科学」(「天文学の歴史による例証」)、あるいは「世界で生じるさまざまな変化のすべてを結合しようと努力する科学」(「古代論理学と古代形而上学の歴史による例証」)であると定義され、その出発点が驚駭(*)という感情にあることが論じられています。つまり、新奇の現象、あるいは、通常ではありえないような事物・事象のつながりに出会ったときに抱かれることになる「どうしてこんなところにこんなものが!?」という驚きの念こそが、哲学の出発点にほかならないのだ、ということです。

 もう少し詳しくみてみることにしましょう。スミスは、2つの出来事の連続がくり返し観察されるならば、それらは空想(fancy)において結合される(観念連合が形成される)ようになり、一方の観念から他方の観念へと想像力がなめらかに移行するようになる、といいます。しかし、諸現象が習慣的な連関とまったく異なる順序で現れるならば、想像力は先行する現象から後続する現象へ、なめらかに移行することはできません。スミスによれば、哲学とは、こうしたバラバラな諸現象を媒介する「中間的諸事象という結合の鎖」を想定することで想像力のなめらかな移行を可能にし、対象の不可解さから生ずる不安を解消しようと努力するところから生じたものにほかならないのです。まさに「哲学は、想像力に語りかける学芸のひとつ」(「天文学の歴史による例証」)だというわけです。

 スミスは、こうした哲学の性格を確認するために、古代ギリシャ以降、天体現象を統一的に説明するために様々な「体系(system)」が模索されてきたこと、より具体的には、太陽の運動、月の運動、星の運動というバラバラな天体諸現象を統一的に説明するための「中間的諸事象の鎖」が様々に想定されてきたことを論じています。スミスは、天文学の歴史をざっと概観することによって、既存の「体系(system)」では説明できない新奇の現象――例えば、恒星の規則的な運動とは大きく異なる惑星の一見不規則な運動――に直面させられたとき、既知の現象と新奇の現象とを結びつけて統一的に説明できるような新しい結合原理にもとづく新しい「体系(system)」が構築されていくという過程が繰り返されることによって、人間が天体現象についての認識を段々と深めていったことを明らかにしたのでした。

 ようするに、人間は、新奇の現象に出会ったことから生じる不安を鎮めるために、想像力を使って新奇の現象と既知の現象とをつなげて理解できるような何らかの結合原理を創り出そうとするのですが、バラバラな諸現象が人間のアタマのなかで結合原理を媒介にしてつなげられればそれで終わり、ということではありません(この点が、心のなかにおける諸観念の連合を客観的世界のあり方と切り離して論じたヒュームの議論と決定的に異なります)。その結合原理が妥当なものかどうかは、あくまでも現実の諸現象とつき合わせることによって、検証されていかなければならないのです。仮に、また別な新奇の現象が登場することによって既存の結合原理の不充分さが露呈してしまったならば、より確かな結合原理が想定され新しい体系の構築が模索されていくことになります。人類は、このような過程をくり返すことで、客観的世界に存在する法則性についての認識をより確かなものにしてきたわけです。スミスは、以上のような過程的構造を古代ギリシャ以来の自然哲学(**)の発展史からあきらかにすることによって、人間の認識が客観的世界(自然)の法則性を把握していくことは可能であることを主張したのでした。

 このようにスミスは、ヒュームの因果律批判をきっかけにして、ニュートン力学の形成というひとつの頂点にむかって発展してきた自然哲学(天文学)の歴史を深く突っ込んで追究していきました。ここからスミスは、想像による結合原理の想定と事実によるその検証という科学的認識成立の過程的構造を明確につかむことになりました。若き日のスミスが取り組んだ自然哲学史の研究は、学芸(哲学、文学、詩、修辞など)の哲学的歴史――スミスによる哲学の定義にしたがえば、バラバラな諸現象のすべてをひとつの原理で結合して把握するような歴史のことです――というスミスの学問的構想の一方の大きな柱の発端となるとともに、もう一方の大きな柱となる道徳哲学(社会科学)の構築という課題に向けて、確かな武器となる科学方法論(具体的には結合原理という発想)を提供するものとなったのでした。

(*)原語は wonder であり、通常は「驚異」と訳されていますが、ここではスミスが人類の学問的出発点を問おうとしていたことを重視して、「驚駭」としました。

(**)ここでいう自然哲学(natural philosophy)は、自然科学(natural science)とほぼ同じ意味ですが、自然科学という語は19世紀以降に使われるようになるもので、スミスの時代までは自然哲学という語が普通でした。ニュートンの主著『プリンキピア』の正式名称も『自然哲学の数学的諸原理』です。
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 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言