2017年09月23日

新しい国家資格・公認心理師を問う(4/5)

(4)公認心理師の意義と限界

 前回は、公認心理師を臨床心理士と比較して、その類似点と相違点を指摘した。業務内容は似ているものの、その養成の課程において、公認心理師は、臨床心理学以外の心理学の諸々の領域も重視していることが大きく臨床心理士養成と異なっている点であることを説いた。

 さて今回は、前々回と前回の内容を踏まえて、新たに創設された国家資格である公認心理師について、その意義と限界を考察していきたいと思う。

 まず、公認心理師の意義についてである。何といっても、心理職の国家資格がつくられたこと自体に、大きな意義があるといえる。連載第1回で触れたように、時代の大きな流れの中で、心理的支援を必要としている人は、確実に増えてきている。そのような現状において、しっかりと国家が認めた心理職の資格がつくられたということは、心理職の質の担保という意味で、非常に大きな意味があるだろう。たとえば、病院での保険診療として、心理職が行なう認知行動療法が認められる可能性も高まったと考えられる。現在、病院で保険診療として認められている認知行動療法を実施できるのは、医師と看護師のみである。しかし、実際上、認知行動療法を実施しているのは、大半が心理職なのである。それなのに、心理職の認知行動療法が、保険診療として認められていないのは、これまで、心理職には国家資格がなかったこともその一因であると思われる。今回、公認心理師が新設されたことによって、保険診療として、心理職による質の高い認知行動療法が提供できるようになる可能性が増したといえるだろう。

 公認心理師のもう一つの意義は、臨床心理士に比べると、非常に幅広く心理学の知見を学ぶ必要があるし、支援する領域についても、主要な5つの領域(医療、教育、福祉、産業、司法)をひととおり学ぶ必要があるという点が挙げられる。要するに、偏った知識で、部分しか理解していないようなものは、公認心理師にはなれないのである。そのような意味で、公認心理師は、臨床心理士よりもレベルが上がると筆者は見ている。

 このようにいうと、自らのアイデンティティが臨床心理士であるような方から、次のような反論があるかもしれない。すなわち、「現在臨床心理士になるためには、指定の大学院を修了する必要がある。そして、大学院を修了した年に資格試験を受験し、合格すれば翌年から資格を取得できるのであるから、臨床心理士になるためには、学部4年間と大学院2年間、それに修了後の1年を合わせて7年必要である。ところが、公認心理師は、場合によっては学部卒業だけでなれてしまうので、心理職のレベルが下がることが懸念される。その意味で臨床心理士は、心理職の上級資格として、生き続けるだろう」と。

 しかし、このような反論は、事実を正確に捉えていない暴論だといえると思う。前回確認したように、確かに臨床心理士になるためには、大学卒業後、指定の大学院を修了する必要があるのだが、大学に関しては、何学部でもかまわないのである。したがって、この学部の4年間を臨床心理士養成に必要な期間としてカウントするというのは、かなり無理がある。そもそも、現状においては心理学部や心理学科などというのはごく限られており、発表されたような公認心理師になるために必要な20以上の科目を履修している臨床心理士など、ごく少数だといってよい。それに、公認心理師養成も、メインルートは大学院修了までのコースである。大学院のカリキュラムを比較しても、履修科目の幅広さや実習時間の長さからして、むしろ、臨床心理士養成のカリキュラムよりも公認心理師養成のカリキュラムの方が、充実しているといえるくらいである。したがって筆者は、臨床心理士が心理職の上級資格として生き残っていくことはないのではないかと、現時点では考えている。

 公認心理師資格の創設は、以上のような意義があるものの、大きな限界も存在していると考えられる。そこで以下では、公認心理師の限界について考察していきたい。

 まず、公認心理師に欠けたるものの中で、最も重大なものを指摘しておく。それは、人間の心理に関する統一理論がないということである。すなわち、科学的認識論の不在である。これはどういうことか。

 先にも触れたように、公認心理師になるためには、学部の段階で20以上の心理学に関わる科目を履修する必要がある。このこと自体は、心理に関わる一般教養的なものを学ぶという意味では、臨床心理士よりも前進していると筆者は評価している。しかし、人間の心理に関する統一理論=科学的認識論がないために、それぞれの科目がバラバラなものとして存在しており、学生はそれぞれの科目を、ほとんど何の関係もないものとして学ばされることになるのである。これによって、どのようなことが生じるか。

 第一に、学ぶ量が増えていく。それぞれのつながりがよく分からないのであるから、それぞれをバラバラに覚えていくことになる。たとえば、認知心理学で記憶について学び、発達心理学で愛着について学び、社会心理学で印象形成について学ぶ。しかし、これらの間には、ほとんど何の関係もないものとして説かれているので、3つを独立に覚えていくことになるのである。さらに、新しい研究によって新しい知見が蓄積されていくので、どんどんと覚えるべき知識が増えていくのである。

 第二に、学んでも学んでも、結局心理とは何なのか、もっと一般的にいうと、人間の認識とは何であるのか、ということが分からないままなのである。これは、医学生が、心臓、肺、肝臓、腸、皮膚、筋肉、骨、脳、神経などをバラバラに学んでも、結局人間とは何かが分からないのと、論理的には同様である。すなわち、人間の認識のある側面をバラバラに学んだとしても、そもそも認識とは何かという本質を踏まえていなければ、認識についてのトータルな理解が深まっていかないのである。結果、部分部分の知識の寄せ集めに終わってしまい、認識とは何かが分からないままになってしまうのである。

 ここに関連して第三に、真に知識を身につけて、それを使いこなして支援することが難しくなる。バラバラなままの知識では、非常に限定された条件のもとでは活用できるかもしれないが、知識が体系として理解されていないので、実際に使おうとしてもなかなか使えない、ということになってしまう。科学的認識論がないために、心理学のもろもろの知見を、筋を通して理解して使いこなすということができないのである。

 以上のように、公認心理師に統一理論としての科学的認識論が欠けているために、さまざまな弊害が生じてくることが予想されるのである。

 科学的認識論が欠けていることと密接に関わるが、別の問題点として、上達論がないという点も限界の一つとして挙げられる。すなわち、心理職としてきちんと仕事ができるようになるためには、学部の1〜2年生ではどのようなことを身に付け、3〜4年生では何を習得し、大学院の修了時点ではどのようなスキルが身に付いているべきなのか、そしてそれらはどのように訓練すれば可能なのか、といったことに対して、明確な答えが出せないのである。このようなことに答えを出すためには、まず、学ぶべきものがもう少し論理的に整序されている必要があり、そのためにこそ、先ほど説いたような科学的な認識論が必要なのである。

 公認心理師のカリキュラムについては、以前筆者が、「心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想(5/5)」の中で、アバウトに提示したことがあった。それを以下に引用する。

「以上を踏まえて、もし筆者が公認心理師のカリキュラムを作るとしたら、どのようなものになるのか、アバウトではあっても考えて提示してみたい。

 まず、学部の1年生2年生の間は、専門の学びに突入する前の一般教養の学びを重視する。心理士は人間の認識を扱う職種であるから、人間の認識を理解することがその専門性となるべきではあるが、その前提をまずは学ばせるのである。この前提には二重構造があると思う。一つは、人間の認識に至る歴史性の学びである。人間の認識は、初めからあったものでもなければ、何の必然性もなく突然生じたものでもない。物質の生成・変化・発展の流れの中で、必然性をもって誕生してきたものである。この物質の発展の必然性を、すなわち「生命の歴史」を、しっかり学ばせることである。「過程も含めて全体である」(ヘーゲル)のだから、認識が誕生するに至った過程をしっかり理解しておかないと、認識そのものの理解が不十分なものとなってしまうと考えられる。もう一つの前提は、自然と社会の学びである。認識とは外界の反映によって成立するものであり、その外界は自然的外界と社会的外界の二つであるから、認識を理解するためにはそれら自然的・社会的外界のことをしっかりと理解しておく必要があるのである。これらと並行して、時代の心、社会の心、人の心を描いた文学作品をたくさん読ませるようにする。

 学部の3年生4年生では、認識論の基礎をしっかり身につけられるようにする。具体的には、認識学原論として、そもそも認識とは何か、どのように生成発展していくのか、ということをきちんと学ばせる。認識の正常な(健康な)生成発展の過程を、観念的二重化や問いかけ的反映という基本的な論理でもって筋を通して把握できるようにしていくのである。それに合わせて、科学的認識論で整序した(臨床)心理学や精神医学の文化遺産をしっかりと学ばせるようにする。その際、しっかりと事実から論理を導き出せるような頭脳創りも行っていく。卒業研究は、統計学の基礎をしっかりと理解し、使いこなせるようになることを目的とし、内容のオリジナリティにはそれほどこだわる必要がないだろう。『統計学という名の魔法の杖 ― 看護のための弁証法的統計学入門』(現代社)によって、統計学の発展の歴史を学ぶとともに、t検定を徹底的に技化できればそれで十分だといえる。

 大学院の修士課程の2年間は、心理臨床の技を創出する教育課程と位置づければいいであろう。心理検査の具体的な実施・解釈技法や心理面接の諸技法を、認識とは何かからしっかりと筋を通して学び、先生方の陪席を通して、あるいはロールプレイや事例検討を通して、徹底的に訓練する期間とすればいいであろう。気分障害や不安障害など、心理的介入が特に効果的と思われる精神疾患については、精神疾患の認識論的な理解に基づいた介入方法を、これまた認識論的にしっかりと筋を通して理解していくことも求められる。また、医療、教育、産業、司法、福祉領域など、心理士が活動する領域を一般的に押さえたあと、自分の志望する領域の特殊性について、ある程度の専門知識の学びと専門的な技能の訓練を行う必要もあるだろう。修士論文は、しっかりとした研究方法に則った、それなりにオリジナリティのある論文が求められよう。」


 これについては、現時点でも付け加えるものはない。このように科学的認識論を柱として、段階的に知識や技を習得していけるように、適切に配列されなければならないだろう。

 この中で特に大切なのに等閑視されているのは、学部の1年生や2年生段階の一般教養の学びであろう。すなわち、認識誕生に至るまでの過程を描いた「生命の歴史」の学び、認識の対象たる自然や社会についての自然科学・社会科学の学び、そして、感性的に心を捉えられるようにするための文学作品の学びである。このようなものは、発表された公認心理師養成のカリキュラムでも大きく欠けているところであるから、きちんとした実力を養成したい学生は、特に念頭に置いて学びを進めていく必要があるといえるだろう。

 以上今回は、公認心理師の意義と限界について考察した。

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 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言