2017年09月07日

2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推(3/10)

(3)カント『純粋理性批判』経験の類推 要約A

 前回は、経験の類推の概説的な部分と、第一の類推についての要約を紹介しました。そもそも我々の経験は知覚が時間によって整序されることによって成り立っているものであり、その時間は常住不変性、継起および同時的存在という3つの様態があるから、経験の類推もそれに応じて3つになるということで、第一の類推に入っていったのでした。第一の類推は、実体の常住不変性の原則というもので、時間が成り立つ根底には何ら変化しないものが存在しており、それが実体なのだということを説いていました。

 今回は、第二の類推の部分の前半の要約について紹介したいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

B 第二の類推

因果律に従う時間的継起の原則
 一切の変化は原因と結果とを結合する法則に従って生起する

証明

 時間において継起する一切の現象は全て変化にほかならない。換言すれば、実体の規定の継時的な存在と非存在とである。しかしこの場合も実体は常住不変であり、実体そのものに生起や消滅があるわけではない。第一の類推の原則はこのことを明らかにしたが、これは、現象の一切の変易(継起)は変化にほかならない、とも言い表し得る。

 私は、現象が時間において相次いで継起することを知覚する。私は時間における2つの知覚を結びつけるわけであるが、結合は単なる感官や直観のなし得るところではない。結合は構想力の総合能力の所産であり、構想力が内感を時間関係に関して規定するのである。ところが構想力は、ひとつの状態が時間的に他の状態よりも前にあるようにも結合できるし、またその後に来るように結合することもできる。時間自体は知覚されないし、時間に関して何が前にあり何がこれに続くかを客観についていわば経験的に規定することは不可能だからである。単なる知覚だけでは、相次ぐ現象の客観的関係は結局規定され得ない。この関係が規定されたものとして認識されるためには、両状態の間の関係は、これらの状態のうちのどれが前に置かれどれが後に置かれなければならず、逆であってはならないということが、この関係によって必然的に規定されている、と考えなければならない。この場合、総合的統一の必然性を有する概念は、原因と結果との関係の概念である。すなわち原因は、結果を原因に次いで継起するものとして、時間において規定する。我々は、現象の継起を、従ってまた一切の変化を、原因性の法則〔因果律〕に従わせることによってのみ経験、すなわち現象の経験的認識すらも可能ならしめるのである。従ってまた経験の対象としての現象自身も、この法則に従ってのみ可能となるのである。

 現象における多様なものの覚知は常に継時的であるが、こうした表象が対象〔客観〕においても継起するかどうか。我々は、どんな表象でも、我々がそれを意識している限りにおいて、客観と名づけてよい。しかし現象(表象としての)がそれぞれ客観であるというのではなくて、ただ1個の客観を表わすとしたら、客観という語が現象に関して何を意味するのか、もっと深い研究を必要とする。現象は物自体ではないにせよ、それにもかかわらず認識の素材として我々に与えられる唯一のものである。だから私は、覚知における多様なものの表象は常に継時的に現われるにしても、現象そのものにおける多様なものにはどのような時間的結合が与えられるかを証示せねばならない。例えば、私の眼前にある家屋の現象に含まれている多様なものの覚知は継時的である。しかしこの家屋そのものの含む多様なものもまたそれ自体継起的であるかといえばそうではない。そこで私が用いている対象という概念を先験的意味にまで高めると、この家屋はもはや物自体ではなくて単なる現象にすぎなくなる(家屋は表象であって、この表象の先験的対象は我々には知られていないことになる)。ならば私は、現象そのもの(物自体ではない)における多様なものはどのように結合されているか、という問題をどう解するのか。私に与えられている現象は、継時的な覚知に存する表象の総括であるにもかかわらず、表象の対象と見なされるのであり、私が覚知における表象から引き出した客観という概念は、この対象と一致せねばならない。するとすぐに、認識と客観の一致が真理だから、ここで経験的真理を成立させる形式的条件が問題になる。現象は現象における多様なものを結合する仕方を必然的にするような規則に従うことによってのみ、表象の対象すなわち客観と見なされ得るのである。要するに、現象において、覚知のこうした必然的規則の条件を含むところのものがすなわち客観なのである。

 何かあるものが生起するというのは、現在の状態を含んでいない現象がそれよりも前に存在するのでなければ、経験的に知覚され得ない。だから出来事の覚知は、ある知覚に続いて起きた別の知覚にほかならない。しかし、このことは覚知の一切の総合についても、先に家屋の現象で例示した通りであり、出来事の覚知はこれによってはまだ他の覚知から区別され得ない。先に知覚した状態をA、これに続く状態をBとすれば、覚知においてBはただAに続いて起きるだけであるが、しかし知覚ということになると、AがBについで継起するなどということは不可能で、AはBよりも前にしかあり得ない、ということである。例えば、川を下る船を見ていると、下流におけるこの船の位置の知覚は、上流におけるこの船の位置の知覚に次いで継起する。この現象の覚知において、船が最初下流にあり、その後で上流にあるものとして知覚されるということは不可能である。家屋の例ならば、覚知における知覚は、家屋の頂上からはじまり土台で終わることも、また下方からはじめて上方で終わることもできた。このような知覚の系列では、多様なものを経験的に結合するためにどこから始めるべきかという仕方を必然的にする一定の秩序は存在しない。ところが生起するところのものの知覚においては、我々はこの規則に出くわすのである。この規則が相次いで継起する知覚の秩序を必然的にするのである。

 この場合、覚知の主観的継起は現象の客観的継起から導かれなければならない。さもなければ、主観的継起は全く不定なものになり、ある現象と他の現象とが区別されなくなる。主観的継起だけでは、客観における多様なものの必然的結合を証示するわけにはいかないから、客観的継起は、現象における多様なものの秩序によって成立することになる。生起するあるものの知覚は、こうした秩序に準拠しひとつの規則に従って、他のものに次いで継起するのである。

 我々が、何かあるものの生起を経験的に知るというときには、何らかのあるものがこの生起よりも前にあり、生起するものは規則に従って、このものに次いで継起するということを前提しているのである。こういうことがなければ私は客観について、それが実際に継起するとはいえないだろう。私の主観的総合を客観的ならしめるというのは、このことがいつでも規則に従って行われるということなのである。

 このことは、我々の悟性使用の進み方についていわれてきた一般の見解と矛盾する。こうした見解では、我々は多くの出来事がそれぞれそれより前にある現象に次いで一様に継起するのを知覚し、比較することによってのみ、初めてある規則――すなわち、それに従ってある出来事が常にある現象に次いで継起する規則を発見する手がかりを得、原因の概念を構成する機会がようやく与えられるという段取りになる。しかしこういう見方では、原因の概念が全く経験的な概念にすぎなくなり、この概念が与えるところの規則、すなわち生起する一切のものは全て原因を有するという規則は、経験そのものと同じく偶然的なものになる。出来事の系列を規定する規則の表象、すなわち原因の概念の論理的明晰ということは、我々が経験においてこの規則を使用した場合に初めて可能になる。
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 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言