2017年08月25日

夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想(3/5)

(3)『弁証法はどういう科学か』旧版のあとがきの意義

 前回は,『“夢”講義(4)』で説かれている「学問は原点からの歴史性に学んでこそ措定できる」ということに関わって,なぜ原点からの歴史性に学ぶ必要があるのかの理由を考察した。原点からの歴史性に学ぶ必要があるのは,原点において,そのものの本質的なものが形成されるためであり,さらに,物事の発展は,前段階の実力の上に上書きされる形でなされていくためであった。その後,認識論の歴史性について,特に心理学誕生の謎について本書で説かれていることを確認した。

 さて今回は,本書で説かれている弁証法の基本に関わって,2,3のテーマを取り上げたい。

 まずは,前回も少し触れた弁証法の歴史的過程についてである。「弁証法なるものがどんな赤ちゃんとして誕生し,その赤ちゃんがどう幼児になり,またどう青年へと変化・発展していったのか」(p.136)を,本書の流れに沿って簡単に見ておきたい。

 はじめに,読者からの質問で出てきた「弁証法というのは,『弁論すなわち議論・討論・論争を通じて相手の論の欠陥を暴きだし,自分の論の正しさの証を立てること,すなわち,弁じて証明することだった』」という言葉を取り上げ,これはよくてプラトンの時代までのことであり,このような中身の弁証法はアリストテレス以後はほとんど顔を出さなくなっていくと説かれている。しかもこれは,弁証法といわれる現象形態でしかなく,弁証法なるものの実態や実体ではないとされている。では,その実態・実体とはなんであったのかというと,それは,学問(というより論理体系レベルのもの)の創出できる論理的な実力形成への歩き方の方法であったのだ,と説かれている。

 この古代ギリシャの弁証法は,中世において定式化,公式化されて,学問形成への問答集として大成されたが,これは大失敗であったと説かれている。というのは,答えが初めから分かっている,現代の大学入試のような問答集だったからであるとされている。当時の弁証法は,問答法としての形式を借用しただけの現象形態にすぎないものだったのである。本来はそうではなく,実態構造・過程を学ばなければならなかったのであり,討論が大切なのではなく,討論できるだけの実力が大事なのであると説かれている。

 学問を創出する実力養成のための弁証法(弁証の方法)は中世以降,堕落させられていたが,やがてその実力の実態を学んで自分の学問力にしたのが大哲学者カントであり,いわゆる「二律背反」の措定がそうであると説かれている。ヘーゲルはこのカントの「二律背反」の構造にしっかりと学んで,本物の弁証法を理論的に駆使できる実力をつけていき,このヘーゲルの学問的実力の中身を,弁証法を駆使しての実力であるとみごとに見抜いたエンゲルスが,この過程を一般化して,「弁証法とは,自然,人間社会,および思惟の一般的な運動=発展法則にかんする科学」であるとしたのである,ということである。最後に,このような弁証法の歴史的な過程性=発展的構造論を実力化してきたからこそ,「いのちの歴史」を措定できたのだ,と説かれている。

 ここで説かれていることをごくシンプルにいってしまうと,弁証法は歴史的にはさまざまな姿形をとっているが,その実態・実体は,弁証法の原点たる古代ギリシャ時代に見るがごとく,学問(というより論理体系レベルのもの)の創出できる論理的な実力形成への歩き方の方法である,ということであろう。それが,時代時代によって変化・発展していき,さまざまな姿形として現象してきている,ということであろう。古代ギリシャで誕生した学問を創出する実力を養成するための弁証法という本質的な部分が,それ以後の弁証法にも貫かれているのであり,この本質的な部分をしっかりと理解しながら弁証法の歴史を辿り返していくことこそが,弁証法的な実力を養成するためには必要だといえると思う。

 さて,二つ目のテーマとしては,直接と直接的同一性の論理的区別という問題を取り上げたい。本書では,直接的同一性とは,直接に同一であるということではないと説かれている。「直接に同一」と「直接的な同一の性質」とは大きく異なるのであり,これは「人間」と「人間的」の関係と同様だと説かれている(pp.180-181)。さらに別の箇所では,「中学生レベルで説くと,直接とは,あるものが切り離すことのできない他の性質を必然的に持っている時に使います」(p.201)と解説されている。

 本書で挙げられている具体例を,以下にまとめてみよう。

直接:
 実体は直接に機能である(p.173)
 ヒトは直接に哺乳類です(p.201)

直接的同一性:
 ココロとアタマは,簡単に説けば直接的な同一性を保って働き続けてきています(o.180)
 武道と武術とは直接的同一性である(p.202)


 この両者の区別は,三浦つとむですらつけられていないと指摘されているだけに,われわれにとっても,そもそも問題意識になかった。したがって,今後,新たにこの区別をしっかりとつけていかなければならない。しかし,直接の方は説明もあって何となく理解できるが,直接的同一性の方があやしい。

 実体は機能という切り離すことのできない性質を必然的に持っている,ヒトは哺乳類という切り離すことのできない性質を必然的に持っている,というのは(何となくであっても)分かる。また,ココロはアタマという切り離すことのできない性質を必然的に持っているとはいえない,武道は武術という切り離すことのできない性質を必然的に持っているとはいえない,というのも分かる。しかしそれなら,直接的同一性とはどういうことなのか。

 「人間」と「人間的」の区別を参考にすると,直接的同一性とは,「直接の性質にふさわしい同一性」とか「直接の性質をもった同一性」とか「直接らしい恰好をした同一性」とかいうことになろう。また,武道と武術に関する記述からは,「同じものでもあり,かつ,異なるものでもある」(p.202)場合を「直接的同一性」と呼ぶのかもしれない,ということが分かる。現時点ではこのくらいの理解にしておいて,具体的な事実で考えていきながら,熟成させていきたい。

 弁証法に関わって最後に取り上げたいテーマは,これが最も重要だと筆者は考えているのであるが,『弁証法はどういう科学か』旧版のあとがきについてである。1968年に出た現行の『弁証法はどういう科学か』(講談社現代新書)には,まえがきはあってもあとがきはない。ところが,1955年に出版された『弁証法はどういう科学か』の旧版(ミリオン・ブックス版)にはあとがきがあるのである。この旧版のあとがきについて,本書では,「この「あとがき」を読んでから弁証法の深い学習に入るばあいと,この「あとがき」を知らないで学習に入るばあいとでは,その実力のつき方が全く異なっていく」,「はっきり述べて,私はこの「あとがき」の文言がなかったならば,恩師三浦つとむの著作との精神レベルでの交流はなかった」(p.166)などと説かれており,その重大性が強調されている。非常に重要なので,本書では全文引用されているが,特に大事な部分を中心に引用したい。

「弁証法というものに興味を持って,この本を手にした読者の大多数は,知識のための知識ではなくて,現実にぶつかっている問題を処理するのに役立つ理論を要求しておられることと思います。ある有名な婦人雑誌では,料理や裁縫の原稿ができてくると,まず社の中の人たちが実際にこしらえて食べたり着たりしてみて,充分役立つことをたしかめてから発表する,と聞きました。これは読者の要求に責任を持ってこたえる態度です。わたしは,弁証法の本を書く場合にも,やはりこれと同じような態度でなければならないと考えています。外国人がうまいと主張しているからきっとうまいにちがいないと,自分ではこしらえたことも食べたこともない料理を宣伝し,他人にすすめるとしたら,ずいぶん無責任な話ではないでしょうか。……やはり経験者でなければ失敗を防ぐためのカンドコロが分かりませんが,それをおしえてくれないと本に書いたとおりにやってみたがどうもうまくいかない,という結果に終りがちです。……

 弁証法の教科書には,翻訳,国産いろいろありますが,わたしが弁証法を研究に役立ててみてわかったことは,哲学者の書いた本には大切なところが相当ぬけおちているという事実でした。……相互浸透の具体的な構造がほとんど無視されていることや,ヘーゲルの否定の否定を批判しただけで唯物弁証法のそれが無視されていることなども,ずいぶん不当な扱いかただと思いました。これでは弁証法を充分に役立てることができません。……

 弁証法について何の知識もない人でもよく分かること,生活に研究にすぐ役立つ実用的なものであること,しかももっとも高い学問的な水準を示すものであること,――これらの条件をすべて満足させることは理想ですが,その実現はなかなか困難です。この本のように紙数に制限のある小冊子ではなおさらです。でもわたしはこのような本を書くことが長い間の望みでしたから,理想の実現のためにできるだけ努力を払ったつもりです。……翻訳の教科書などでは弁証法がどんなに役立つ道具であるかを最上級のほめ言葉を使って長々とのべていますが,この小冊子では道具の構造や使い方かたに叙述の重点を置いて効能書を簡単にしました。」
(pp.167-169)


 ここでは,三浦つとむが実際に弁証法を使って成果をあげた経験者であり,自分で責任をもって,充分に役に立つことを確かめていること,弁証法を十分に役立てるために大切なところ(相互浸透の具体的な構造など)をしっかりと説いたこと,分かりやすく実用的で学問的に高水準な本を目指したこと,弁証法という道具の構造や使いかたに重点を置いて説いたこと,などが説かれている。

 これを読むと,三浦つとむの志の高さや気概,責任感・使命感の強さなどが痛いほど伝わってくる。そしてまた,外国の権威に盲従するのではなく,自ら自力・独力で弁証法を使いこなすまでの研鑽をなし,権威を恐れずにその誤りを批判して憚らない主体性というものも感じられるのである。同時に,自分が使ってみてその効果を確かめた弁証法であるから,自信をもってお勧めできる,だから読者は安心して学びに集中してほしい,というような三浦つとむの思いも伝わってくるのである。特に,「対立物の相互浸透」については,これまで「対立物の統一と闘争」などと歪曲して捉えられていたために,きちんとした解説がなされたことがなかったので,三浦つとむはあえてかなりのページ数を割いて,丁寧に,具体的に,相互浸透の構造を解説したのだと思われる。

 このように説くと,新版のまえがきでも,「わたしも自分の社会科学の研究にこの弁証法を使ってみて,それがどんなにすばらしい武器であるかを実感することができました。これまでの学者が越えられなかった理論の壁を,弁証法を使って簡単に打ち破り,学問的に未知の分野に深く切りこんでいくことができたからこそ,多くの人たちにこのすばらしい武器のことを知ってもらいたい,これを使って成果をあげてほしいと願って,この本を書くことにしたのです」とあるように,同じような内容を説いているではないか,という反論があるかもしれない。

 しかし,新版で説かれている内容は,旧版と比較すると,やや物足りない印象を受ける。旧版でにじみ出ているような責任感や使命感は読み取るのがなかなか難しいし,権威を恐れず批判するというような主体性も,直接的に文言として現れているとはいえない。もちろん,新版のまえがきでは,弁証法は科学であるという側面が強調されており,これはこれで重要な内容であり,著作の入り口としては非常に優れていると考えられるが,しかし,これを読んだからといって,「人生,意気に感ず」レベルで動かされるということはないであろう。

 すなわち,旧版のあとがきを読まずに学習を進めた場合には,『弁証法はどういう科学か』を,数ある哲学書の一つとして,one of themとしてスマートに読了して終わり,ということにもなりかねないが,旧版のあとがきに深く学んで学習をしていった場合は,「人生,意気に感ず」レベルでの学習となり,まさに弁証法の唯一無二の基本書として,only oneの存在としてこの書に学ぶことになるだろう。こうしてこそ,三浦つとむが「恩師」になるのであるし,「恩師三浦つとむの著作との精神レベルでの交流」が可能となっていくのであると考えられる。

 われわれはある時期まで,『弁証法はどういう科学か』旧版のあとがきを読まずに『弁証法はどういう科学か』に学んできたが,幸いなことに,恩師から,この書は「世界最高の論理学が説かれている書である」として推薦され,折に触れてあとがきに説かれているような三浦つとむの使命感や主体性についても講義を受けてきた。しかしそれでも,今後とも,このあとがきに深く深く学び続けながら,弁証法の研鑽を継続していきたいと決意した次第である。

 以上,今回は,弁証法に関わる内容について考察した。

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 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言