2017年08月22日

ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う(5/5)

(5)教育の必要性と可能性の論理を学ぶべきである

 本稿は『人間不平等起原論』を取り上げ、それが『学問芸術論』からどのように発展しており、どのような歴史的意義をもっているのか、またそこから学ぶべきものは何か、とりわけ教育学の構築に向けて掬い取るべき論理は何かを明らかにしようとするものです。

 ここでこれまでの流れを振り返ってみましょう。

 最初に、ルソーが自然状態において人間はどのようなものであると説いているのかを確認しました。ルソーは理性に先立つ2つの原理として、安寧と自己保存の欲求(自己愛)、そして、憐れみという内的衝動(憐憫の情)があるのだと説いています。つまり、人間は自分自身を大切にしようとする傾向と、相手を大切にしようとする傾向という2つの対立する傾向をもつ矛盾した存在なのだということでした。そして、これこそ『学問芸術論』で強調されていた良心の声の源泉であるということでした。ただし、このような2つの原理は動物一般に当てはまるものですから、人間のみに当てはまる原理は何かということを見ていきました。これについて、ルソーは人間の行為は本能に基づくのではなく自由行為であること、さらに、自己を改善(完成)する能力があること、この2つを挙げていたのでした。こうした人間観でもって、自然状態では人間は相争う状態にあったというホッブズの主張を批判しているのでした。自然状態では自分の生活を営むために必要な物資はごく限られていたため(それだけ欲求が小さかったため)他者の生活を害することは最も小さかったし、また憐れみの情があるために他者を虐げてまで自らの幸福を追求しようとする気持ちは和らげられたはずだというのでした。

 続いて、このような自然状態の人間がどのようにして変質していったのかを見てきました。自然状態においては個々人がバラバラで生活していたけれども、共同利害に基づいて集合する中で、他者に認められたいという欲求(自尊心)が新たに生まれるようになったということでした。次いで、冶金や農業が行われるようになり、その社会の中での私有が認められるようになると、自然的素質に恵まれたものがより多くの財産を獲得するようになり不平等が成立したのでした。そこから次第に、他人を見下ろしたい(=他者から大きな尊敬を受けたい)という欲求が生まれ、必要以上に財産を増やそうとするようになった、また財産や財産を獲得するための自然的素質をもっているふりをするようになったのだということでした。つまりは、欲求の拡大の中で存在と外観のズレが生まれたのだということでした。そもそも存在(本質)と外観(現象)のズレということは、上流階級のあり方としてルソーが『学問芸術論』で批判していたものでしたが、そのようなあり方がどのようにして生まれてきたのかという問題意識がここに明確に現れているということでした。

 最後に、富者と貧者が生まれた後、社会や法律がどのようにして成立したのかという点についてルソーの見解を見てきました。他人を見下ろしたいという欲求から、必要以上に財産を増やそうという欲求は所有する土地の拡大を伴うものであったため、やがて他者の土地とぶつかることになったのでした。そうすると、貧者は生きていくために富者に従うか、あるいは富者から奪うかをしなければならなくなり、一方、富者は、支配することを体験すると、その快楽からより隣人たちを征服し、隷属させようとしたために、無秩序な戦闘状態が生まれたのだということでした。このような戦闘状態は、富者にとって大きな負担となるものであったこと、また、自分たちの財産は力によって獲得されたものである以上、力によって剥奪されても文句を言うことはできなかったということ、この2つの理由から、富者は「もっともらしい理由」をつけて自らの支配を正当化し、団結を促して、戦闘状態を食い止めようとしたのだ、これが社会や法律の起原なのだということでした。一方で、貧者も仲裁者や主人なしには自分の自由を確保できなかったため、この呼びかけに応じたのであり、あくまでも自分の自由の確保のために社会や法律の成立を認めたのだということでした。この点こそ、ルソーが最も強調したところであることを確認しました。

 ここまでルソーが『人間不平等起原論』でどのようなことを説いているのかを見てきました。『学問芸術論』からの発展ということで言えば、社会的に認められたいという欲求に従うのではなく、自らの良心の声に従って生きるべきだという主張が「自由」という概念で把握された点が挙げられるでしょう。ルソーは当時の上流階級のあり方に対するアンチテーゼとして、人間のあるべき姿、人間の本質を「自由」という形で把握することになったのです。そして、この自由の実現という観点から社会や法律の成立の意味を説こうとしたことは、自らの人間一般論で人間の歴史に筋を通そうとしたものであり、非常に学問的なアタマの働かせ方であったと言えるでしょう。

 このような把握が後にヘーゲルへと受け継がれていくことになります。ヘーゲルはこの世界の歴史を絶対精神の自己運動の過程として捉え、その中でも人間の歴史を(絶対精神の本質である)自由が実現されていく過程として捉えたのですが、そのベースとなる「人間は自由である」という人間観はまさにルソーから受け継いだものだと言えるでしょう(注)。

 また、その中身に目を向けると、欲求の拡大という視点で人間の歴史を把握しようとしている点が注目に値すると言えるでしょう。自然状態においてはごく限られた欲求しかなかったため、自己の生活の維持が他者の生活を脅かすようなことはなかったのですが、他者との関わりが生じてきて自らの生活のあり方が変化するに伴って、その欲求が徐々に拡大していったのだとルソーは説いています。ルソーはこのような欲求をマイナスとして捉えているようにも感じられますが、これはもう少し抽象化して捉えるならば、生活の変化とそれに伴う社会的認識の変化・発展に目を向けているということです。このように、ルソーの指摘は社会的認識の変化・発展として捉える南郷学派の歴史観につながるものだと言えるでしょう。

 このように、人間の歴史の見方について、その後のヘーゲルや南郷学派の主張につながる基本的な枠組みを提示したものがこの『人間不平等起原論』だと言えるでしょう。

 もっともそこには限界も存在しています。例えば、ルソーは人間には自己保存の欲求と憐れみの情があると主張していますが、なぜこのような相対立する傾向をもつのかは明らかにされていません。これがあることが前提として議論が進んでいます。「自然状態における人間は、…たとえ親子であっても一緒に生活することはなかったのだ」ともありますが、本当にそう言えるのかも疑問に感じるところです。また、なぜ人間だけが本能による支配を受けず自由なのかという点についても説かれていません。ここを説くためには、そもそも生命体がどのようにして誕生したのか、またその生命体はどのような過程を経て人間へと至ったのかを解明することが必要になります。進化論がまだ唱えられていなかった時代において、ルソーがその解明にまで至らなかったのは当然だと言えるでしょう。この点については、すでに『看護のための「いのちの歴史」の物語』が発刊されている現代において、筆者自身が取り組んでいかなければならないものだと考えています。

 では、教育学の構築に向けては、『人間不平等起原論』からどのような論理を掬い取るべきなのでしょうか。端的に言えば、教育の必要性と可能性についての論理をここでしっかり把握しておくべきだと言えるでしょう。

 ルソーは人間は本能に従うのではなく自由な存在なのだと主張していました。予め定められた本能に従うのではなく自由であるからこそ、人間は外界の変化に対応する形で自らをより発展させていくことができるわけです。このように人間には自らを改善する能力があるということもルソーが掲げた人間観の1つでした。自らを改善する能力があるからこそ、人類というレベルで捉えるならば、歴史を形成することが可能になるわけです。つまり、時代が経つにつれて、どんどん文化遺産を積み上げていくということです。したがって、新しい時代に生きる人間に対しては、その文化遺産を継承させる必要が生まれてきます。そうでなければ、歴史を前に推しすすめていくことができません。ここに教育の必要性が生じてくるのです。

 一方、教育の可能性とはどういうことでしょうか。人間は自らを改善していく能力があるということを、個の人間に着目して捉えるならば、どんどん成長していく可能性をもっているということです。このような可能性をもった存在であるからこそ、教育が成立しうるのだということです。これが教育の可能性ということです。

 このように、教育の必要性と可能性についての基本的な論理(人間観)を提示したことが教育学の観点からは評価することができるでしょう。筆者自身の教育学体系の中にもこのようなルソーの論理をしっかりと取り込んでいきたいと思います。

(注)
もっともルソーとヘーゲルにはその自由がどのようにして実現するかという捉え方については、相違点もあります。ヘーゲルはルソーの『人間不平等起原論』の記述を引用して、次のように指摘しています。

「『根本的な課題はこうである。各人の生命と財産を全体的な共同の力で保全し保護するとともに、全体とむすびつく各個人が自分以外のだれにも服従せず、自然状態にあったときとおなじように自由であるような、そういう結合の形式を見出すこと。それが社会契約の解決すべき課題である。』社会契約とはこのような結合のことであり、各人は自分の意思で契約をむすぶことになります。抽象的に表現されるかぎりで、この原理はまことに正当なものです。が、一歩踏みこむと、すぐにあいまいな点が見えてくる。人間が自由である、というのは、いうまでもなく、人間の実体をなす本性であって、その本性は国家のなかで放棄されるどころか、むしろ、国家のなかではじめて現実に形成される。本性上の自由や自由の資質といったものは現実の自由ではなく、国家によってはじめて自由は現実化するのです。」(ヘーゲル、長谷川宏訳『哲学史』(下巻)p.371、河出書房、1993年)

 つまり、ルソーは、人間はもともと自由であり、それが侵されないような国家の在り方を考えなければならないという主張であったのに対して、ヘーゲルは国家の中でこそ人間の自由は実現するのだと主張しているのです。
 このように自由の実現における国家の役割という点については両者の間に相違点がありますが、そもそも人間は自由なのだと捉える点は共通しているといえるでしょう。
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 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言