2017年07月14日

2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹(5/10)

(5)カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹 要約C

 前回は、感性的直観によって与えられた多様なもの(経験の対象)だけが統覚によって客観的に統一されるのだということが説明された部分の要約を紹介しました。カントは、経験的な直観における多様な表象が、判断という悟性の機能によって統覚のもとに取り込まれて客観的な統一を与えられることを指摘する一方で、このように純粋悟性概念(カテゴリー)が適用されるのはあくまでも経験の対象(経験的直観における多様な表象)のみであり、それ以外のところに純粋悟性概念を適用しようとしても、対象に関する無内容な概念にしかならず、客観的な実在性をもたない単なる思考形式にしかならない、と指摘していたのでした。

 さて、要約の紹介の最後となる今回は、カテゴリーに従って直観における多様なものを結合する総合をなす産出的構想力について、また、思惟する主観である「私」と思惟された客観としての「私」の関係、また、現象としての「私」と私自体との関係について、さらに、法則は自然における多様なものの結合を自然から得てこないにもかかわらずどうして自然をア・プリオリに規定しうるか、という問題について、説明されている部分の要約を紹介することにしましょう。

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感官の対象一般へのカテゴリーの適用について

 純粋悟性概念は、悟性だけによって直観の対象一般に関係する。しかし、だからこそ純粋悟性概念は単なる思考形式にすぎず、これによってはまだ一定の対象は与えられない。しかし、我々には感性的直観のある形式がア・プリオリに具わっており、この形式は表象能力(感性)の受容性を基礎とする。それだから自発性としての悟性は、与えられた表象の含む多様なものに基づき、統覚の総合的統一に従って内感を規定することができるし、また感性的直観においてア・プリオリに与えられた多様なものを結合するところの統覚の総合的統一を、我々(人間)の直観の一切の対象が必然的に従わねばならない条件と考えることができるのである。単なる思考形式としてのカテゴリーは、このようにして初めて客観的実在性をもつことになる。換言すればカテゴリーは、直観において我々に与え得る対象――といっても、単なる現象としての対象へ適用されるようになるのである。
 感性的直観における多様なもののこうした総合は、ア・プリオリにのみ可能でありまた必然的であるが、これは形象的総合と名づけられ、直観における多様なもの一般に関して単なるカテゴリーにおいて思惟されるような悟性的結合から区別される。
 形象的総合は、統覚の根源的-総合的統一にのみ、すなわちカテゴリーにおいて思惟される先験的統一にのみ関係する場合には、純粋に知性的な総合から区別されて構想力の先験的総合と呼ばれねばならない。構想力とは、対象が現に存在していなくても、対象を直観的に表象する能力である。我々の直観は全て感性的直観であるから、構想力は感性に属する。しかしまた構想力による総合は、自発性の働きである。構想力の総合は、感官をその形式に関して、統覚の統一に従ってア・プリオリに規定することができる。その限りにおいて構想力は、感性をア・プリオリに規定する能力である。構想力がカテゴリーに従って直観における多様なものを結合するところの総合は、構想力の先験的総合でなければならない。構想力が自発的である限り、私はこうした構想力を産出構想力とも名づけて、再生的構想力から区別する。再生的構想力による総合は、経験的法則すなわち連想の法則のみに従うものだから、ア・プリオリな認識の可能を説明するには全く役に立たない。

 内感は我々自身を我々の意識に現示するが、我々自体があるがままに示すのではなくて、我々が我々自身に現われるままにしか示さないのはどうしてであるかといえば、それは我々が、内的に触発される仕方でしか自分自身を直観することができないからである。悟性は内感において、多様なものの結合をそのまま見出すのではなく、内感を触発することによってこの結合をつくり出す。思惟する「私」は、自分自身を直観する「私」と異なっているにもかかわらず、しかも同じ主観として、自分自身を直観する「私」と同一であるのはどうしてなのか。すなわち、私はどうして、知性者であり思惟する主観である私が私自身を同時に思惟された客観として認め、しかもこの客観は直観に与えられた「私」でもあるが、ただ私に現われるままの(現象としての)私であって、悟性によって思惟される私自体ではない、といいうるのか。我々が外感について我々が外的に触発される限りにおいてのみ対象を認識すると認めるならば、我々はただ我々自身によって内的に触発されるままに我々自身を直観する、ということも認めなければならない。

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 表象の含む多様なもの一般において、したがってまた統覚の総合的、根源的統一において私が意識するところの私自身は、私が私自身に現われるままにでもなければ、また私自体があるがままにでもない。むしろ私は「私は存在する」ということを意識しているのである。こうした表象は思惟であって直観ではない。私の現実的存在の規定は、一方では内感の形式に従い、また他方では私の結合する多様なものが内的直観において与えられる特殊な仕方に従ってのみ成立しうる。それだから私が私自身についてもつ認識は「あるがままの私」の認識ではなく、私が私自身に「現われるままの私」の認識である。

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純粋悟性概念の一般的に可能な経験的使用の先験的演繹

 我々の感官に現われ得る限りの対象をカテゴリーによって、しかも対象を直観する形式によってではなく対象を結合する法則に従って、ア・プリオリに認識しうること、それどころか自然に法則をいわば指定しうることを説明する段になった。
 私がここにいう覚知の総合とは、経験的直観における多様なものの合成を意味し、知覚(直観の経験的意識)を可能にするものである。覚知の総合は、感性的直観の形式である空間表象および時間表象に合致しなければならない。しかし、空間および時間は直観そのものとしてもア・プリオリに表象されるが、この場合、直観における多様なものの統一という規定を含む。だから、多様なものの総合的統一はもとより、空間・時間の形式によって規定されたものとして表象されるもの一切が従わなければならない覚知の総合の条件として、すでにア・プリオリに、こうした直観と同時に与えられているのである。しかしこの総合的統一は、与えられた直観一般における多様なものの結合の統一が、根源的意識においてカテゴリーに従いつつ、我々の感性的直観に適用されたものにほかならない。ゆえに一切の総合がすべてカテゴリーに従うのである。そして経験は、結合された知覚にもとづく認識であるから、カテゴリーは経験を可能ならしめる条件であり、したがってまた一切の対象にア・プリオリに妥当するのである。

 カテゴリーは、現象に――したがって一切の現象の総括としての自然に法則をア・プリオリに指定する概念である。自然法則は、自然から導来されもしなければ、自然を範として従うわけでもないのに、かえって自然の方がこの法則に従わなければならないということ、換言すれば、法則は自然における多様なものの結合を自然から得てこないにもかかわらず、どうして自然をア・プリオリに規定しうるかということが、どうして理解できるのか。
 自然における現象の法則が、悟性とそのア・プリオリな形式とに―換言すれば、多様なものを結合する悟性能力とに合致せねばならないということは、現象そのものが感性的直観のア・プリオリな形式に合致せねばならぬということとまったく同じであって、いささかも不思議はない。法則は現象のうちに存在するのではなくて、およそ悟性を有する限りのこの同じ主観に関係してのみ存在するということと同じだからである。自然の一切の現象もまた、その結合に関しては、カテゴリーに従わなければならない。要するに自然の必然的合法性の根源的根拠としてのカテゴリーに依存しているのである。

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悟性概念のこうした先験的演繹から生じた結論

 我々は、カテゴリーによるのでなければ、対象を思惟することができない。またこの概念すなわちカテゴリーに対応する直観によるのでなければ、思惟された対象を認識することができない。ところで我々の直観は、全て感性的直観である。またこの認識は、認識の対象が与えられている限り、経験的直観である。しかし経験的認識は経験である。ゆえに我々は可能的経験の対象についてしかア・プリオリな認識をもつことができない。

この演繹の要約

 純粋悟性概念は、空間および時間における現象の規定一般としての経験を可能ならしめる原理である。この演繹はこうした原理としての純粋悟性概念の解明である。また統覚の根源的、総合的統一は、感性の根源的形式としての空間および時間に関する悟性形式である。この演繹は、最後に経験をこうした総合的統一の原理によって解明したものである。
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 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言