2017年07月02日

日本経済の歴史を概観する(6/13)

(6)荘園公領制の成立

 本稿は、これからの日本経済の進むべき方向を考えていくための前提として、日本経済の構造がどのような歴史的な過程によってつくられてきたのかを問うものであり、無限に増大していく社会的欲求を最大限に満たし続けていくために有限な社会的総労働をどのように配分していけばよいのか、という問題がどのように解決されてきたのか、という観点から、縄文時代から現代までの歴史を概観していこうとするものです。

 前回までの3回にわたっては、日本列島に人々が移り住んできてから、日本列島の大半を支配する統一的な国家が成立してくるまでの流れを辿ってきました。ここで簡単に振り返っておくことにしましょう。

 氷期によってアジア大陸と地続きになっていた日本列島に移り住んできた人々は、狩猟や採集で生活を維持し、20〜30人ほどの血縁的集団で、食物を求めて移動しながらの生活を送っていました。人間の自然への能動的な働きかけはまだごく初歩的なもので、人々の生活は自然環境に大きく左右されていました。氷期が終わって温暖化すると、大型草食動物の絶滅やドングリ、クリ、クルミなどの林の広がりなどの変化に対応して、人々は磨製石器や土器などを使って自然への能動的な働きかけをより深いものにしていく(狩猟や漁労、採集の質をより高いものにしていく)ことで、食料を中心とする生活資料の確保を安定的なものにして、定住生活を可能にしていきました。やがて、気候が再びやや寒冷化して諸々の食料の確保が難しくなってきていたところに、大陸から稲作が伝えられて、日本列島の各地に普及していくことになりました。広大な水田を耕作するには、多くの労働力が必要でしたから、いくつかの集落が連合してムラ(農業共同体)を形成するようになっていきました。農業共同体の首長(ムラの指導者)は、豊作を神に祈る祭りを司るとともに、灌漑工事を指揮したり、土地や水をめぐる他のムラとの争いを指揮したりすることを通じて、権威(宗教的=政治的=経済的な権威)を高め、人々への支配を強めていきました。農業共同体どうしの争いのなかから、日本列島の各地に農業共同体連合(小国家)が形成され、大和地方の小国家=農業共同体連合(大和政権)が各地方の小国家を従属させる形で、統一的な政権(大和政権)が成立します。大和政権は、経済の根本問題――無限に増大しようとする社会的欲求を最大限に満たし続けるために社会的総労働をどのように配分していけばよいか、という問題――を、部民制(べみんせい)という仕組みを構築することで解決しました。これは、大和政権が、各地方の小国家(クニ)やその連合体を服属させるに際して、その首長である豪族に対して、鉄などの資源や先進的な技術を与えることと引きかえに、その豪族が支配している土地や人々の一部を割いて部(べ)を編成させ、王権が必要とするものを生産して納めさせるようにしたものです。しかし、大和政権の支配は、豪族を長とするそれぞれの農業共同体の内部にまでは及んではいませんでしたし、豪族の支配する農業共同体連合の内部からは、鉄製農具の普及による農業生産力の発展につれて、新たに小豪族となる有力農民層も登場してきていました。唐や新羅といった大陸の強国に対抗するためにも、新興の有力農民層の台頭に対応しつつ、地方豪族への統制力を一段と強化する必要が出てきたのでした。そこで築かれたのが律令制であり、それまで各地の豪族が私有していた土地や人民を全て国家のものにする(「公地公民」)という中央集権的な体制でした。律令制国家は、経済の根本問題を班田制という形で解決しました。個人を課税の単位とし、労働力再生産の場として口分田を割り当てることで、支配層の諸々の欲求を満たすために、また国家の維持・発展にとって必要な事業のために、労働力を徴発していくことのできる仕組みを構築したのでした。支配層の特殊な欲求を満たすために、特定の手工業技術者集団が官営工房として抱え込まれていたことも見逃せません。

 律令制下においては、土地を基準とする租の負担は比較的に軽かったものの、調・庸などの現物を納めさせる人頭税や各種の労役の負担は非常に重かったために、農民の労働意欲は削がれていきました。税負担を逃れるため、口分田を捨てて他の土地に移る者も増えるなどして、個人を課税単位として労役を課すという仕組みは、次第に機能しなくなっていったのです。10世紀に入ると、班田も行われなくなりました。

 今回は、こうした事情によって律令制の公地公民の原則が崩れて、荘園公領制と呼ばれる新たな体制が形成されてくるまでの流れを辿ってみることにしましょう。

 個人を課税単位にして労役を課すという仕組みが機能しなくなるなかで、土地を課税単位として収穫物の一部を納めさせる仕組みづくりが模索されるようになっていきました。これは人頭税から土地税へという徴税方式の大転換にほかなりません。国司は公領(国衙領)を名(みょう)に編成し、名を単位に徴税を行うようになりました。名の耕作を有力農民に請負わせて、現物で年貢を納めさせるようにしたのです。名の請作にあたった者を田堵(たと)と呼びます。このような状況のなかで、中央政府は、国司に対して一定の納税を請負わせる半面、国司の国内支配には大幅な裁量を認めるようになっていきます。

 10世紀に入ると、貴族や寺社の権威を背景にして、中央政府や国司から租税を免除される荘園が増加してきていました。有力農民が、自らの開墾した土地を中央の貴族や寺社に寄進することで、重い税負担から逃れるようになっていったのです。開発を行った有力農民は、荘官となって実質的に土地を支配し、零細農民を隷属させて耕作しました。在地の領主としての荘官は、中央の領主の保護を受けるかわりに、中央の領主に対して一定の年貢を納めるようになりました。寄進を受けた寺社や貴族は、自らの力が政府権力の圧迫をはねつけるほど強くなかった場合、より有力な寺社や貴族へ寄進を重ねることもありました。

 荘園の増加が国の税収を圧迫しているとみた中央政府は、たびたび荘園整理令を出して、成立の由来がはっきりしない荘園を停止するとともに、新規の荘園の設置を取り締まりました。しかし、この荘園整理令は、成立の由来がはっきりしているなど一定の基準を満たした荘園を公認するという側面をもっていたことを見逃すわけにはいきません。これは、荘園の増加という現実に対応して、それを国家的な秩序の体系のなかに組み込んでいくことが模索されるようになってきたことを意味します。例えば、長久の荘園整理令(1040年)は、内裏造営を名目に、公領と荘園の区別なく一国を平均的に課税(このように課税されたものを「一国平均役」といいます)するための前提として行われたものでした。要するに、荘園を公認することで、荘園にも課税できるような新しい仕組みを創り出すことが目指されていたわけです。

 一方で、荘園とはならなかった土地、すなわち公領においても、11世紀の後半以降、大きな変化が進行していくことになりました。内裏造営など特定の事業を行うための一国平均役などの対応はあったにしても、全体としてみれば、荘園の増加によって中央政府の税収が減少していく傾向にあったことは否定できません。このため、上級貴族(高級官僚)に棒給を払うのが困難になってきた政府は、彼らに特定の国の国司を自由に任免する権利を付与し、その国の税収を自分の収入としてもよいことにしたのです。これを知行国制とよんでいます。この結果、公領もまた知行国主の事実上の私有地となっていきました。

 このようにして、平安時代の末期以降、公領もまた荘園と同じような重層的な土地支配の構造をもつようになりました。荘園・公領のいずれにおいても、在地領主が零細農民から剰余生産物を取り立てて中央領主に年貢として納めるという関係が成立し、ひとつの土地に複数の人の権利が重なり合う構造がつくられていったのです。これを荘園公領制と呼んでいます。

 それでは、荘園公領制の下では、経済の根本問題――無限に増大しようとする社会的欲求を最大限に満たし続けるために社会的総労働をどのように配分していけばよいか、という問題――は、どのように解決されていたのでしょうか。

 まず、中央貴族や寺社の神官・僧侶などの支配層は、各地の荘園あるいは知行国から在地領主によって送られてくる年貢によって、日々の生活を成り立たせていました。それに加えて、諸々の欲求を満たすための奢侈品を入手すべく、官営工房の流れを汲む手工業者集団を私的に従属させるようになり、これを座へと編成していきました。一方で、在地領主は、定期市を開設して流通への支配を強め、商人や手工業者の掌握に努めました。年貢を納めた上で残った剰余生産物については、市場に放出することで、自給不可能な物資(塩など)と交換しました。

 このように、中央政府が農民の労働力を直接的に掌握し、剰余労働・剰余生産物を独占的に集めて必要に応じて各所に分配するという律令体制下の中央集権的な経済の構造は、平安時代の中期以降、農民の労働意欲の減退のために崩れてしまい、経済の根本問題は、諸々の労働主体の発展を取り込んだ有力者たちが、それぞれ独自に自己の諸需要を満たすための供給基盤をもつようになっていく、という形で、解決されることになっていたのでした。
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 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言