2017年06月30日

日本経済の歴史を概観する(4/13)

(4)大和政権の成立と部民制の確立

 前回は、日本列島に人々が移り住んできてから稲作が開始されるまでの流れを簡単に辿ってみました。

 氷期によってアジア大陸と地続きになっていた日本列島に、ナウマンゾウやオオツノジカなど、食料となる大型草食動物を追って、人々が移り住んできました。当時の人々は、狩猟や採集で生活を維持し、20〜30人ほどの血縁的集団で、食物を求めて移動しながらの生活を送っていたのでした。人間の自然への能動的な働きかけはまだごく初歩的なものでしかなく、人々の生活が自然環境に左右される度合は非常に大きなものがありました。

 氷期が終わって温暖化すると、日本列島は大陸から切り離されます。温暖化による大型草食動物の絶滅やドングリ、クリ、クルミなどの林の広がりなどの変化に対応して、人々は磨製石器や土器などを使って自然への能動的な働きかけをより深いものにしていく(狩猟や漁労、採集の質をより高いものにしていく)ことで、食料を中心とする生活資料の確保を安定的なものにして、定住生活を可能にしていったのでした。

 やがて、気候が再びやや寒冷化して諸々の食料の確保が難しくなってきていたところに、大陸から稲作が伝えられて(日本列島に住む人々が大陸から稲作を受け入れて)、日本列島の各地に普及していくことになります。稲作の開始は日本列島における社会の発展にとって大きな画期となりました。稲作の開始によって、人間が自然を計画的に大きくつくりかえていく過程がスタートしたのであり、自然と人間との関係において、いよいよ人間が優位に立ち始めたといえるからです。広大な水田を耕作するには、多くの労働力が必要でしたから、いくつかの集落が連合してムラ(農業共同体)を形成するようになっていきました。ムラには、稲の穂を貯蔵しておくための高床の倉庫がつくられ、豊作を神に祈る祭りが重んじられました。農業共同体の首長(ムラの指導者)は、こうした祭りを司るとともに、灌漑工事を指揮したり、土地や水をめぐる他のムラとの争いを指揮したりすることを通じて、権威(宗教的=政治的=経済的な権威)を高め、人々への支配を強めていったのでした。このように、農耕が開始されたことにより、諸集落の複合体たる農業共同体が形成され、多数の人々が1人の指導者の下で協働するようになり、他の共同体と対峙しながら、生活資料および生産手段の計画的な生産・分配が行われていくようになったのでした。

 さて、今回は、農業共同体の連合のなかから、日本列島の広範な地域(西日本)を支配する統一的な政権――大和政権――が成立していくまでの過程を簡単に辿ってみることにしましょう。

 前回も確認した通り、農耕社会としての安定性が強まって人口が増加してくると、農業共同体は、山間の河川流域や海岸の平野などにも、新たな耕地と集落をつくりだしていくことになります。灌漑技術の発展が、こうした耕地の拡大を可能にしました。こうした流れのなかで、農業に適した土地や水、農具をつくるのに必要な鉄の入手をめぐるムラどうしの争いが繰り返されていくことにより、強いムラが周辺のムラを従えるという構造がつくられ、各地に小さなクニ(農業共同体連合)が形成されていくことになります。こうした小国家の形成の過程で決定的に重要な要素となったのが、鉄の確保という問題でした。鉄は、耕地造成のための鉄器や木製農具の製作のために欠かせませんでしたし、他共同体との戦いのための武器のための素材ともなります。このため、農業共同体連合の首長(クニの王)は、他共同体との争いに勝ち抜きつつ、農業生産を維持・発展させていくために、鉄の産地・輸送路を確保し、鉄器を生産する技術者集団を統制することに努めたのでした(前回も触れた通り、弥生時代中期以降、鉄の国内生産が行われるようになっても、その加工を担ったのは、朝鮮・中国から渡来した技術者集団でした)。

 こうした流れのなかで、4世紀初頭、鉄の入手に有利だった瀬戸内海地方をおさえたのが、大和(現在の奈良県)地方の農業共同体連合である大和政権(大和王権)でした。大和政権の首長が大王(おおきみ)であり、後の天皇につながります。大和政権は、玄海砂丘の砂鉄をおさえる北九州の勢力、中国山地の砂鉄をおさえる出雲・吉備の勢力などと対抗しつつ、それらを圧倒していき、朝鮮・中国との交流に力を注ぎました。大和政権は、4世紀の中頃には、日本列島の西半分をほぼ支配下におさめ、さらには鉄資源の供給源であった朝鮮半島南部への進出をも図りました。また、西日本よりもかなり遅れて稲作をスタートさせた東日本の首長層は、急増していく鉄の需要に促されて、大和政権との結びつきを強めていかざるをえませんでした。このような過程を経て、大和における首長連合政権としての大和政権が、日本列島の各地の首長(豪族)を従えることで成立したものを大和国家といいます。

 それでは、日本列島の多くの部分を支配するに至った大和政権は、経済の根本問題――無限に増大しようとする社会的欲求を最大限に満たし続けるために社会的総労働をどのように配分していけばよいか、という問題――を、どのように解決したのでしょうか。

 それは、端的にいえば、部民制(べみんせい)という仕組みを構築することによって、でした。大和政権は、各地方の小国家(クニ)やその連合体を服属させるに際して、その首長である豪族に対して、鉄などの資源や先進的な技術を与えることと引きかえに、その豪族が支配している土地や人々の一部を割いて部(べ)を編成させ、王権が必要とするものを生産して納めさせるようにしました。これが部民制です。この部民制は、大和政権に結集した大和地方の農業共同体の首長たちが、武力や生産の担い手である民衆の集団を部(べ)として組織し、自らは伴造(とものみやつこ)としてこれを統率したのが原型となっています。

 部民には大きくわけて、特定の技術者集団を編成した品部(しなべ/ともべ)と、農業共同体の成員をそのまま編成した田部(たべ)とがありました。

 技術者集団の編成形態としての部には、刀剣などを鍛造した鍛治部(かぬちべ)、織物を織った漢織部(あやはとりべ)・呉織部(くれはとりべ)、埴輪や土師器(土器)をつくった土師部、須恵器(陶質の土器)をつくった陶部(すえつくりべ)などがありました。彼らは日常的には農業共同体に属しつつ、同時に一定の手工業生産に従い、その生産物を貢上する形をとりました。朝鮮・中国の技術者集団を畿内各地に定住させて部民とすることも少なくありませんでした。このような特定技術者集団としての部民は、大和政権の支配層が必要とする諸々の手工業製品を貢上させるための社会的分業のあり方にほかなりませんでした。大和政権は、諸々の先進的技術をもった労働力を独占的に掌握し、支配層の諸々の欲求を満たし続けるために、品部という形態で配置したわけです。

 一方、農民(諸農業共同体の成員)の部民化は、各地に屯倉(みやけ)と呼ばれる大和政権の倉庫を設け、その地域の農民(農業共同体)に稲を納めるよう義務づけるという形で進められました。屯倉は河内・和泉の各地を中心に設置され、その倉庫に納めるべき稲の生産を義務づけられた農民が田部とされました。農業共同体ぐるみで田部とされるのが基本的な形態でした。

 屯倉の設置は、大和政権の支配層が必要とする稲を直接に確保することのみならず、統一的な国家としての維持・発展のために必須の諸事業、すなわち、大規模な治水灌漑事業や古墳の築造をはじめとする土木工事のために、部民の労働力を動員していくことをも目的としていました。

 このように、日本列島における初の統一政権である大和政権は、各地の豪族(農業共同体連合としての小国家の首長)を媒介に、諸々の労働力を「部民」として組織した上で従属させることで、中央の支配層の人々の諸々の欲求を満たしていくと同時に、統一国家としての維持・発展を図っていったのです。


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2017年06月29日

日本経済の歴史を概観する(3/13)

(3)農耕の開始と農業共同体の成立

 本稿は、これからの日本経済の進むべき方向を考えていくための前提として、日本経済の構造がどのような歴史的な過程によってつくられてきたのかを問うものであり、無限に増大していく社会的欲求を最大限に満たし続けていくために有限な社会的総労働をどのように配分していけばよいのか、という問題がどのように解決されてきたのか、という観点から、縄文時代から現代までの歴史を概観していこうとするものです。

 さて、今回は、この日本列島における人々が移り住んできてから、農業を始めるに至るまでの流れを簡単に辿ってみることにしましょう。

 現生人類(ホモ・サピエンス)は、十数万年前にアフリカに登場し、世界中に広がっていったとされています。こうした流れのなかで、氷期による海面の後退でアジア大陸と地続きになっていた日本列島にも、人々が移り住んでくることになります。当時の人々は、20〜30人ほどの血縁的集団をつくり、食物を求めて移動しながらの生活を送っていたのであり、ナウマンゾウやオオツノジカ、あるいはマンモスやヘラジカなど、食料となる大型草食動物を追って、アジア大陸から日本列島へ移り住んできたといわれています。当時の人々は、打製石器(石を打ち砕いてつくった石器)を主要な道具として使い、男性は主として狩猟や漁労に携わり、女性は主として植物性の食物の採集に携わるという分業を成立させていました。前回確認した通り、人間は自然に能動的に働きかけて生活資料をつくりだす存在ですが、この段階においてはそれはごく初歩的なものでしかなく、自然環境によって人々の生活は大きく左右されていたのです。

 約1万2000年前、最終氷期が終わって温暖化により海面が上昇すると、日本列島はアジア大陸から切り離され、日本列島に暮らす人々は、独自の道を歩んでいくことになります。気候の温暖化によって、それまで人々の重要な食料であった大型草食動物が絶滅してしまったことは、人々の生存の維持にとって大きな困難をもたらすものでした。一方で、温暖化によって、ドングリやクリ、クルミなど、食糧になりうる実をつける樹木の林が大きく広がることにもなりました。魚介類も豊富になりました。人々は新たな食料を求めて、シカ、イノシシ、ウサギなど動きの速い中小動物を捕らえるための弓矢、魚類を捕らえるための網や槍、木の実や根茎を食物とするための石臼や杵をつくるようになっていきました。さらに、それまでの打製石器に代わってより加工度の高い磨製石器(石を磨き上げてつくった石器)が主要な道具として使われるようになり、食物の保存や煮炊きのために土器が使われるようにもなりました(この土器には縄目の文様がつけられていることから縄文式土器と呼ばれており、縄文時代という名もこの土器に由来します)。人々は、このような試行錯誤を通じて、自然への能動的な働きかけをより深いものにしていくことで、狩猟や漁労、採集の質をより高いものにしていきました。その結果、食料を中心とする生活資料の確保がより確実に行われるようになり、人々の生活は以前よりも安定したものになっていったのでした。とはいえ、人々の生活が自然環境によって左右される度合はまだまだ大きく、自然の異変によって食料が減少してしまうことで、生存を脅かされることも少なくなかったものと思われます。

 人々は、狩猟や漁労、採集に都合のよい森林や海・川からあまり遠くない小高い丘の上に定住するようになりました。住居としては、当初は自然の洞窟が利用されていましたが、次第に竪穴住居が一般的になっていきました。縄文後期の集落は、4〜5人を収容する竪穴数戸から十数戸、人数にしてせいぜい40〜50人程度のものでした。

 紀元前4世紀頃になると、大陸から九州の北部に稲作が伝えられてきます。重要なのは、単に水稲のみが伝えられたのではなく、木製農具・鉄器・貯蔵用の壺など、食糧の計画的な生産と貯蔵を可能とする一連の用具と知識とが伝えられたということです。食料の計画的な生産と貯蔵によって、人々の生活は一変し、格段に安定的なものになっていきました。この時代には、ロクロの使用や高温による焼成など土器の製作技術が大きく進歩し、弥生式土器と呼ばれている石褐色で文様の控えめな土器が大量に生産されるようになりました(この土器の名によって、この時代は弥生時代と呼ばれます)。土器は、米を煮炊きしたり、食物を盛ったり、貯蔵したりするために利用されました。

 この稲作の開始は、日本列島における社会の発展にとって、大きな結節点になったといえます。それまでは、人間から自然への能動的な働きかけといっても、それは自然環境を大きくつくりかえるようなものではなく、自然によって与えられたものを消費する動物的なあり方とそれほど大きな差はなかったともいえるものでした。しかし、農耕の開始によって、人間が自然を計画的に大きくつくりかえていく過程がスタートしたのであり、自然と人間との関係において、いよいよ人間が優位に立ち始めたといえるのです。その背景として、縄文時代の末期には気候が寒冷化したために食料の確保が難しくなっており、自然への能動的な働きかけを画期的に深めていかなければ生活の水準を維持できなくなっていた、という事情があったことも見逃すわけにはいきません。ちなみに、稲作(弥生文化)の東日本への普及は遅れましたが、それは東日本の方が自然環境が豊かで、狩猟や漁労の対象となる獲物(冷水を好むサケやマスなど)が豊富に存在したからだと思われます。

 さて、稲作の開始は、集落のあり方にも大きな変化をもたらしました。稲作には水を欠かすことができませんが、当時、灌漑技術は未熟でしたから、人々はそれまで住んでいた小高い丘から、湿潤な平野部に住居を移していくことになったのでした。また、広大な水田を耕作するには、多くの労働力が必要です。そのため、いくつかの集落が連合してムラ(農業共同体)を形成するようにもなっていったのです。ムラには、稲の穂を貯蔵しておくための高床の倉庫がつくられ、豊作を神に祈る祭りが重んじられるようになっていきました。農業共同体の首長(ムラの指導者)は、こうした祭りを司るとともに、灌漑工事を指揮したり、土地や水をめぐる他のムラとの争いを指揮したりすることを通じて、権威(宗教的=政治的=経済的な権威)を高め、人々への支配を強めていきました。

 生産手段としては、まず木製農具、さらに木製農具を製作するための、また土地を造成するための鉄器が重要でした。通常の農作業に必要な木製農具はそれぞれの集落が保有していましたが、耕地の造成や木器の製作に欠かせない鉄器は、農業共同体の首長が独占していました。鉄器は当初、全て朝鮮半島からのもので、国内では生産されていませんでしたが、やがて朝鮮半島から運ばれてきた鉄素材が国内で加工されるようになり、その量は飛躍的に増大していきました。とはいえ、国内で鉄素材の加工に携わった技術者は、朝鮮・中国からの渡来人であったと考えられています。こうした技術者を確保し統制することができたのは、中国や朝鮮と交渉をもつことのできた有力な農業共同体連合の首長=王層です。技術者たちはこうした首長層の強力な統制下におかれ、共同体の抱え職人として存在していたのでした。このほか、地理的条件に規定された社会的分業として、製塩がありました。塩の交換もまた首長層の手を通じて行われていました。

 弥生時代の中期以降、農耕社会としての安定性が強まって人口が増加してくると、農業共同体は、山間の河川流域や海岸の平野などにも、新たな耕地と集落をつくりだしていくことになります。灌漑技術の発展が、こうした耕地の拡大を可能にしました。こうした過程のなかで、自然的条件、鉄製利器の入手条件、人口の大小などに規定されて、農業共同体間の優劣が生じ、共同体間の連合と闘争が反復的にひきおこされ、やがては邪馬台国に見られるような政治的な統合が進められていくことになったのでした。

 このように、農耕が開始されたことで、諸集落の複合体たる農業共同体が形成され、多数の人々が1人の指導者の下で協働するようになり、他の共同体と対峙しながら、生活資料および生産手段の計画的な生産・分配が行われていくようになったのです。
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2017年06月28日

日本経済の歴史を概観する(2/13)

(2)日本経済の未来を展望するために日本経済の歴史を問う

 前回は、日本経済の現状について、簡単に検討してみました。端的には、いわゆる「アベノミクス景気」が戦後3番目の長さになったとされるものの、それが非常に緩やかで「低温」なものでしかなく、日本経済が長期にわたる低迷から脱しきれたとはとてもいえないような状況だ、ということでした。それどころか、金融市場がバブル的な活況を呈する一方で、実体経済は疲弊して貧困と格差が広がり、財政危機も深刻化するばかりであることを考えるならば、「アベノミクス」は日本経済を再生するどころか、日本経済の危機をますます深化させているといわなければならないのだ、ということでした。

 しかし、それでもなお、日本がいまだに世界有数の経済大国であることに変わりはありません。少し時代をさかのぼってみれば――「失われた30年」といわれますが、その30年ほどさかのぼってみれば――1980年代の日本経済は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれるほどの繁栄を謳歌していたのでした。もう少し時代をさかのぼってみれば、第二次世界大戦の荒廃から急速に立ち直った高度経済成長は奇跡ともいわれましたし、さらに時代をさかのぼってみるならば、明治維新以降、1930年代頃までの経済発展にもめざましいものがありました。19世紀の半ばまで、アジアの東の端の小さな島国でしかなかった日本が、世界有数の経済大国への道を歩むことができたのは一体なぜなのでしょうか。

 一方で、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称された1980年代の頃においてすら、日本はヨーロッパ諸国などに比べると国民の生活に余裕がない「生活小国」である、との指摘がなされることがしばしばありました。貧困と格差の拡大が叫ばれる現在、こうした指摘のもつ重さは増しているといわなければなりません。日本が、経済大国としての繁栄を謳歌してきた一方で、「生活小国」と指摘されるような側面もまた存在させ続けてきたのは一体なぜなのでしょうか。このことは、日本が「失われた30年」といわれるほどの長期低迷に陥ってしまったことと何らかの関係があるのでしょうか。

 これからの日本経済の進むべき方向を考えていく上では、これらの問いに答えを見つけることが欠かせません。そのためには、日本経済の構造がどのような歴史的な過程によってつくられてきたのかが問われなければならないのです。

 本稿では、このような問題意識の上に立って、日本経済の歴史を概観していくことにします。しかし、経済の歴史をみていくためには、あらかじめ、簡単にでも「経済とは何か」を明らかにしておかなければなりません。本稿では仮に、「経済とは、無限に増大していく社会的欲求を最大限に満たし続けるべく、有限な社会的総労働を適切に配分していくことであり、そのことと直接に国家の維持・発展を図っていくことである」と定義しておくことにします。

 若干の解説を加えておきましょう。

 人間もその他の生物と同じように、生きていくために必要なものを外部の自然環境からとり入れています。しかし、他の生物が自然から与えられたものを消費するだけで、自然に受動的に生きているのにたいして、人間は能動的に自然に働きかけて、生活資料を生産しています。人間の実践によって自然がつくりかえられ(自然の人間化)、そのつくりかえられた自然によって人間もまたつくりかえられていく(人間の自然化)という過程があります。

 人間が自然に対して能動的に働きかけることができるのは、いうまでもなく、その発達した頭脳のおかげです。人間の頭脳は、他の動物の脳とは異なって、外界の単純な反映に加えて、想像・予想という形で外界の直接的な反映からは相対的に独立した像、すなわち認識を描くことができます。動物が本能にもとづいて行動するのに対して、人間は認識にもとづいて行動します。動物の本能は、その動物が関わる限りでの外界のみを対象とするものであり、有限なものです。これに対して、人間の認識は、感覚器官で直接に捉えることのできないもの――事物の内部の構造とか、過去や未来の様子など――についても対象とすることができます。対象とする世界が無限の広がり、多様性をもつだけに、人間の認識は無限の発展性をもちます。

 このような認識によって行動する人間は、対象をこのように変化させよう(変化させたい)という目的像を描き、この像にしたがって外界に働きかけて意図的に変化させる(自然を人間化する)、すなわち労働することができるわけです。人間が労働するのは、何らかの欲求を満たすためにほかなりません。欲求を満たすために労働という形でわざわざエネルギーを支出するのは、その労働の結果として、その労働をしなかった場合には満たされなかった欲求が満たされること、いいかえれば、労働によるエネルギーの支出を補ってあまりある大きな効用が得られることを期待するからにほかなりません。例えば、木や石を加工して弓矢を製作するのは、素手では捕まえることのできなかった動きの速い小動物を捕まえられるようになることを期待するからであり、目の前の麦粒を直接食べずに地面に蒔くのは、目の前にある小麦の何倍もの小麦が収穫として得られることを期待するからなのです。

 ここで決定的に重要なのは、こうした労働は、あくまでも集団によって行われる協働である、ということです。あらゆる生命体は、集団を形成することによって、地球環境との関係で生存を維持していますが、人間もまた例外ではありません。ただし、人間以外の生物の集団が本能によって統括されているのに対して、人間の集団(社会)は規範と呼ばれる社会的な認識によって統括されることになります。ここでいう規範とは、集団的な生活における諸々の必要性から形成されてきた、行動についてのルールのことです。こうした規範が成立しているからこそ、共通の目的をもって自然に働きかけるという協働が可能になっているわけです。こうした協働を行う人間の集団がすなわち社会なのですが、ひとつの社会は、他の社会と対峙することで、国家という枠組みをもつことになります。人間の社会的な生活は、国家という枠組みにおいて維持され、発展していくものなのです。

 さて、人間の欲求は、当初は基礎的な生命の維持にかかわるレベルがほとんどであり、ごく基本的な衣・食・住の生活資料を確保すればよく、そのための労働の過程も単純なものでした。しかし、基礎的な生命の維持が安定的に満たされるようになるに応じて、欲求は次第に多様化していきます。無限の発展性をもった認識によって行動する人間は、他の生物のように単に生存を維持するだけでなく、物質的・精神的により豊かな(質の高い)文化的な生活へとレベルを上げていこうとするのです。欲求が多様化すれば、それに応じてそれらを満たすための労働も多様化し、様々なレベルでの分業が発展していくことになります。

 しかし、社会における欲求が無限といってよいほどの発展性をもつのに対して、それらを満たすための手段である社会的な総労働――これには、対象化された労働(労働の結果として形になったもの)としての消費対象や生産手段も含まれます――は有限です。ここに、無限に増大していく社会的欲求を最大限に満たし続けていくためには、有限な社会的総労働をどのように配分していけばよいのか、という問題が生じてくることになります。この社会的欲求の土台として、生存の維持(基礎的な生命の維持)がなければならないのはいうまでもないでしょう。こうした社会的総労働の配分を、国家という枠組みにおいてどのように行っていくか、より詳しくいえば、基本的な生命の維持を可能としつつ、文化的な発展による欲求の多様化を最大限に満たし続けるためには、社会の総労働をどのように配分していけばよいのか――これが経済の歴史における基本的な問題なのです。

 本稿では、こうした問題がどのように解決されてきたのか、という観点から、日本列島における人々の生活が始まってから現代に至るまでの歴史を概観していくことにしましょう。
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2017年06月27日

日本経済の歴史を概観する(1/13)

(1)「アベノミクス」で危機を深める日本経済

 2012年末に発足した安倍政権は、「デフレからの脱却」と「富の拡大」を掲げて、「アベノミクス」と呼ばれる経済政策を進めてきました。この「アベノミクス」は、「大胆な金融緩和」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」という「3本の矢」からなるとされました(*)。このような経済政策の効果があってのことか、2012年の12月に始まった景気の拡大――いわゆる「アベノミクス景気」――は、2017年3月までで52ヶ月となり、1986年12月〜1991年2月の51ヶ月間だったバブル経済期を抜いて戦後3番目の長さになった、といわれています。この景気拡大が今年9月まで続けば、高度経済成長期の1965年11月〜1970年7月の57ヶ月間に及んだ「いざなぎ景気」も抜くことになる、といわれています(ちなみに、戦後最長の景気拡大は小泉政権時代の2002年2月〜2008年2月の73ヶ月間)。このことだけとってみれば、「アベノミクス」は成功しているといってもよさそうです。

 しかしながら、この「アベノミクス景気」なるものに対しては、景気回復の実感が乏しい、という指摘がしばしばなされていることを見逃すわけにはいきません。例えば、「アベノミクス景気」が戦後3番目の長さになったことを報じた「日本経済新聞」の記事では次のように書かれています。

「2012年12月に始まった「アベノミクス景気」が、1990年前後のバブル経済期を抜いて戦後3番目の長さになった。世界経済の金融危機からの回復に歩調を合わせ、円安による企業の収益増や公共事業が景気を支えている。ただ、過去の回復局面と比べると内外需の伸びは弱い。雇用環境は良くても賃金の伸びは限られ、「低温」の回復は実感が乏しい。……
 これまでの回復は緩やかで「低温」だ。戦後最長の回復期だった00年代の輸出は8割伸びたが、今回は2割増。設備投資も1割増と00年代の伸びの半分だ。賃金の伸びは乏しく、個人消費は横ばい圏を脱しきれない。
 「アベノミクス景気」を象徴するのが公共投資だ。東日本大震災からの復興予算や相次ぐ経済対策で、回復の期間中に1割ほど増えた。小泉政権の予算削減で3割減った00年代とは対照的だ。
 「低温」の背景には、中期的な経済成長の実力である潜在成長率の低下も背景にある。内閣府の推計で16年は0.8%。人口減少で労働力が増えず、企業が国内の設備投資に慎重なためで、景気回復の足腰が弱い。」(「日本経済新聞」4月6日付 朝刊)


 内需(個人消費・設備投資)、外需(輸出)の伸びが弱いために、景気回復は「低温」で実感が乏しい、という指摘です。とくに、「賃金の伸びは乏しく、個人消費は横ばい圏を脱しきれない」という指摘は重大です。個人消費の動向が人々の生活実感と直結するものであることはいうまでもありません。賃金が上がらないために生活を切り詰めなければならない、という状況で、景気の回復を実感しろといわれても、それは無理な相談というものでしょう。GDPの約6割を占める個人消費が低迷しているからこそ、景気回復の足腰は弱く、実感が伴わない、ということになっているわけです。

 2016年7月(景気の拡大はすでに40ヶ月を超えていました)の参議院選挙においては、こうした「アベノミクス」による景気回復の実感の乏しさが大きな争点のひとつとなりました。この参議院選挙に関連して行われた各種の世論調査では、景気の回復を実感していないとの回答が全体の7割から8割に上っていました。こうした状況に対して、安倍首相は、税収の増加(2016年度の税収は2012年度に比べて21兆円増えた)や就業者数の増加(2012年から2015年までに約110万人増えた)など、いくつかの指標でもって「アベノミクス」の成果を強調しつつ、「アベノミクス」はまだまだ「道半ば」なのだと説明したのでした。

 こうした安倍首相の主張に対しては、選挙戦のなかで、民進党や日本共産党など野党の側から厳しい批判が行われました。例えば、21兆円の税収増については、2008年のリーマン・ショックや2011年の東日本大震災による景気後退で税収が激減していた状態から見れば回復してきている、という程度のものでしかなく、しかも2014年に実施された消費税増税による9兆円分が含まれていることが指摘されました。また、就業者数の増加についても、非正規雇用が167万人増える一方、正規雇用が36万人も減少するなど、雇用の質が確実に劣化してきていることが指摘されたのでした。

 これは、安倍首相のいうとおり、「道半ば」ということなのでしょうか。そもそも「道半ば」というのはどういうことなのでしょうか。安倍首相が進もうとしている「道」はどういう道なのでしょうか。首相官邸ホームページの「アベノミクス「3本の矢」」というページには、次のように書かれています。


「企業の業績改善は、雇用の拡大や所得の上昇につながり、さらなる消費の増加をもたらすことが期待されます。こうした「経済の好循環」を実現し、景気回復の実感を全国津々浦々に届けます。」


 要するに、企業の業績改善が第一であり、それが起点になって雇用の拡大や所得の上昇につながっていく……という波及経路=「道」が想定されているわけです。富裕層や大企業が豊かになれば、貧しい層にも富が滴り落ちてくるはずだという、いわゆる「トリクルダウン」の考え方です。「道半ば」ということは、企業の業績は改善したけれども、それが雇用の拡大や所得の上昇にはつながっていない、ということを認めるものにほかなりません。

 「アベノミクス」による円安や株高で、輸出大企業や富裕層は確かに大いに潤ったかもしれないが、その甘い汁が庶民に滴り落ちてくることはなかった――このような批判が生じてくるのも当然のことでしょう。安倍首相が、特定秘密保護法(2013年)や安保法制(2015年)など、国民的に大きく賛否が割れた問題に一応の決着がつくたびに、経済優先の姿勢を強調して局面転換を図ってきたことを想起するならば、「アベノミクス」なるものの実態は、異次元の金融緩和で円安と株高を演出し、景気回復への国民の期待感を煽って、政権への支持を確保しようという政治的思惑の強いものだったのではないか、とも思われてきます。株価の下支えを狙って年金積立金を株式市場に流し込んだ結果、巨額の損失を出してしまったというニュースもありましたが、そもそも「アベノミクス」なるものが、国民生活の改善とか国民経済の健全な再生産とかをまともに考えた政策であったのかどうかも、疑わしくもなってきます。

 アメリカの経済誌『フォーブス』の集計によれば、「日本の超富裕層」上位40人の資産総額は2012年の7.2兆円から2016年の15.4兆円へと2倍以上に増えました。一方で、日銀の調査によれば、貯蓄が全くないという世帯が3割にも達しています。日銀の異次元緩和(国債買取)のもとで、国債の発行額は増え続けています。「アベノミクス景気」が戦後3番目の景気拡大になったといっても、金融市場がバブル的な活況を呈する一方で、実体経済は疲弊して貧困と格差が広がり、財政危機も深刻化するばかりであることは否定できません。そもそも、「アベノミクス」による景気拡大といっても、それが非常に緩やかで「低温」なものでしかなく、日本経済が長期にわたる低迷から脱しきれたとはとてもいえないような状況があります。日本経済は「失われた20年」どころか「失われた30年」に向かいつつある、との指摘も散見されるのです。「アベノミクス」は日本経済を再生するどころか、日本経済の危機をますます深化させているといわなければなりません。

(*)金融緩和、財政出動はいわゆるケインズ的政策であるのに対して、成長戦略は新自由主義的政策である。この「アベノミクス」なるものは、思想的系譜の全く異なる諸政策をごった煮にしたものであり、明確な方向性を欠いているというほかない。従来の経済政策が完全に行き詰まっているものの、為政者としては、ともかく日本経済の長期的低迷からの脱却への期待を煽って国民の支持を獲得するしかない、という状況のなかでの足掻きのようなものであるといえよう。これは大きくいえば、第二次世界大戦後、いわゆる「パクス・アメリカーナ」の下で資本主義経済が安定的に成長してきた状況が崩れていくなかで、経済政策・社会政策のみならず外交政策・安全保障政策をも含めて、各国が多かれ少なかれ混迷の度合いを含めていることと同じ流れにあるものだといえるだろう。
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2017年06月26日

掲載予告:日本経済の歴史を概観する

 本ブログでは、明日より「日本経済の歴史を概観する」と題した論稿を掲載していきます。

 現在、日本経済の再生を掲げた「アベノミクス」が進められるもとで、景気回復が進んでいるといわれる一方、その景気回復は極めて緩やかなもので実感に乏しいではないか、労働者の賃金はほとんど伸びておらず、個人消費も増えていないではないか、という指摘もなされています。総じていえば、「アベノミクス」が日本経済の長期低迷状態を打ち破ったとはとてもいえない状況であり、日本経済は「失われた20年」から「失われた30年」に突入しつつあるのではないか、とも思われます。

 しかし、それでもなお、日本がいまだに世界有数の経済大国であることに変わりはありません。少し時代をさかのぼってみれば、1980年代の日本経済は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれるほどの繁栄を謳歌していたのでした。もう少し時代をさかのぼってみれば、第二次世界大戦の荒廃から急速に立ち直った高度経済成長は奇跡ともいわれましたし、さらに時代をさかのぼってみるならば、明治維新以降、1930年代頃までの経済発展にもめざましいものがありました。19世紀の半ばまで、アジアの東の端の小さな島国でしかなかった日本が、世界有数の経済大国への道を歩むことができたのは一体なぜなのでしょうか。

 一方で、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称された1980年代の頃においてすら、日本はヨーロッパ諸国などに比べると国民の生活に余裕がない「生活小国」である、との指摘がなされることがしばしばありました。貧困と格差の拡大が叫ばれる現在、こうした指摘のもつ重さは増しているといわなければなりません。日本が、経済大国としての繁栄を謳歌してきた一方で、「生活小国」と指摘されるような側面もまた存在させ続けてきたのは一体なぜなのでしょうか。このことは、日本が「失われた30年」といわれるほどの長期低迷に陥ってしまったことと何らかの関係があるのでしょうか。

 これからの日本経済の進むべき方向を考えていく上では、これらの問いに答えを見つけることが欠かせないといえるでしょう。そのためには、日本経済の構造がどのような歴史的な過程によってつくられてきたのかが問われなければなりません。

 本稿では、このような問題意識を踏まえつつ、日本列島における人々の生活が始まってから現代に至るまでの経済の歴史を概観していくことにします。

 以下、目次(予定)です。

序論
(1)「アベノミクス」で危機を深める日本経済
(2)日本経済の未来を展望するために日本経済の歴史を問う
1、稲作のはじまりから律令制の成立まで
(3)農耕の開始と農業共同体の成立
(4)大和王権の成立と部民制の確立
(5)律令制の確立と動揺
2、荘園公領制から大名領国制、幕藩制へ
(6)荘園公領制の成立
(7)荘園公領制の解体と大名領国制の形成
(8)幕藩制の成立と発展
3、日本資本主義の成立と発展
(9)日本資本主義の成立過程
(10)戦時統制経済から戦後改革へ
(11)高度経済成長とその終焉
結論
(12)これまでの日本経済の歴史を振り返ると
(13)国民経済という視点で変革の構想を
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2017年06月25日

教育の政治的中立性を問う(5/5)

(5)弁証法的なアタマづくりこそが求められている

 本稿は、政治的な問題が多数生まれている現代において、こうした政治的な問題を学校現場でどのように扱えばよいのかについて、そもそも教育の政治的中立性とは何かということを踏まえながら検討していこうとするものです。

 ここでこれまでの流れを振り返っておきましょう。

 まず、そもそも教育の政治的中立性とはどういうことかを検討しました。そもそも教育とは社会の維持・発展のための社会的個人としての人間を育てることであり、その社会の一員としてしっかり生きていける人間を育てることでした。この社会という概念に含まれる最も大きなものは国家であり、それぞれの国家はそこに所属する人間に対して、その国家で生きていけるように教育します。それぞれの国家がそれぞれの国家で生きていけるように教育をするのですから、必ずその国家特有の価値観が教えられることになるのであり、純粋な中立性というものは存在しないのでした。一方、政治的中立性とは政治的な問題に関して中立であるということであり、これが成り立つためには、政治的な問題に対して、Aという見解が存在する一方で、そのアンチテーゼとしてBという見解が存在しており、両者がしっかりと並び立っていることが必要だということでした。これが可能な社会というのは民主主義社会であり、民主主義社会で生きていく人間としては、一方の見解を鵜呑みにするのではなく、両方の見解を視野に入れた上で、自らの立場を決定することが求められるのであり、だからこそ教育の政治的中立性ということが問われるのだということでした。

 続いて、本格的な政治教育、つまり、政治的な問題に関して両方の見解を視野に入れた上で、自分の立場を決定できるようにする教育はいつ頃から始めるのがよいのかという問題について検討しました。結論的には中学生の時期から始めるのが妥当であり、それは思春期が関わっているということでした。そもそも思春期とは、認識と実体とが相互浸透的な過激的変化をとげながら、大人へ向けて急速に成長していく時期でした。この時期になると、論理能力が向上し、自分自身が正しいとする価値観に基づいて考えられるようになってくるということでした。そもそも国家レベルの政治的な問題を扱う場合、日常生活レベルの体験・経験を超えて考える力が必要になりますし、どちらが正しいかについて本当の意味で自分の立場で決定するためには、教師の見解にとらわれない必要があります。そのような条件を満たすのが思春期を迎えた中学生からなのだということでした。

 最後に、どのような形で教育していけばよいのかを検討しました。まず前提となるのは、「一般的に2つの対立する立場が存在する」ということを体験としてわからせることであり、子ども同士のトラブルや、学級会の話し合いで自分とは異なる見解とその背後にある考え方を理解させることが必要になるということでした。とりわけ学級会は、子どもにとっての社会である学級の維持・発展に関わる問題を議論する場であり、国家レベルの政治的な問題を扱うための土台となるものだということを指摘しました。その上で、国家レベルの政治的な問題を扱う場合でも、賛成・反対両方の立場の見解を理解できるようにすること、とりわけ自分の考えとは違う立場に立って議論をするディベートの形態が有効だということを主張しました。

 以上を簡単にまとめるならば、教育の政治的中立性が問われるのは、政治的な問題に関わって異なる2つの見解の両方を視野に入れた上で自分の立場を決定できるようにすることが目標とされるからであり、そのような人間を育てるためには、自分の身近な問題を題材として自分とは異なった見解が存在することを体験としてわからせること、そうした土台の上で政治的な問題を題材として討論する過程が必要だということです。このようにして、弁証法的なアタマを創ることが求められているのだと言えるでしょう。

 南郷先生は自らが古代ギリシャの弁証法(旧弁証法)の実力をどうやって身につけたかということに関わって、小学・中学時代の思い出を次のように語っておられます。

「小学時代でも多分にそうであったが、中学時代の私は、友人と呼べる関係を持った同級生はほとんどいなかったといってよい。
 私が会話する相手は、毎日といってよいくらいにイジメの真っ只中で生きていた小学時代は学校の中にだけ私をかばってくれる友が僅かにいただけであり、イジメとはまったく無縁の意気軒昂的人生の真っ只中の中学時代は学校の中と通学列車の中での一〜二人くらいの友がいただけであった。それだけにこの時代は駅から降りて自宅まで、また自宅から駅までの三十分もの時間はたった一人の私自身の頭脳を創出する時間であった。
 このたった一人の時間を私は、それこそ、何年にもわたって自分一人で二重性を把持しての闘論をなしつづけていったことである。(中略)
 その内実は、駅を出てほんの数分もすれば、説いたように、わが家まではたった一人の帰り道となる。それで、ただちに自分を二人に分けて(当然ながら観念的二重化そのものである)、自分Aと友人Bとして、何ごとかを問わず、必ず問題化してしまうのである。Aがあることを問題化して「○○である」との解答を出せば、Bはただちに「それは絶対に○○ではない。なぜなら真の解答は××なのだから」と反駁するのである。
 そうすれば、Aはまたただちに「○○」であることの証明をする。それに対してBはこれまた即座に「いや、やはり○○ではなく××なのだ」と、考えつくかぎりの論の展開をなす…といった具合に、である。」(日本弁証法論理学研究会編『学城(11号)』2014年、p.189)


 つまり、アタマの中に自分と友人という異なる2人を創りだし、問題に関して闘論していたということです。このような過程を積み重ねていたからこそ、旧弁証法の実力が身についたということです。まさにこのような過程を辿らせる必要があるのです。

 しかし、南郷先生のように、いきなり自分のアタマの中に観念的な論争相手を創出することは難しいですから、現実的な論争相手を設定する必要があります。その論争相手との討論(闘論)を繰り返す中で、徐々に自分のアタマの中に論争相手を想定できるようになり(例えば「こう言ったら、こんなふうに反論してくるな」ということが予想できるようになる)、異なる見解をしっかり自分の視野に入れることができるようになるのです。
 このように見てくると、冒頭で掲げた塚本幼稚園のような教育のあり方は、大きな問題だと言えるでしょう。幼稚園児に安保法制など中身がわかるはずはありませんし、当然その是非を判断する力もありません。それにも関わらず「安保法制通過、よかったです」と言うのは、幼稚園の指導者がそう言っているからにすぎないのであり、結局、1つの政治的主張を絶対的に正しいと教えるものでしかありません。これは教育の政治的中立性が問われている民主主義国家の日本には全くそぐわないものだと言えます。

 それにも関わらず、そのことをまともに指摘しない安倍政権も同じように問題視されるべきでしょう。結局彼らは、政治的中立性という理念に基づいてその是非を論じているのではなく、自らの政治的主張に合致するかどうかという観点で是非を論じているにすぎないのだと言えます。だからこそ、「安保法制を廃止にすべき」という主張は密告フォームという形で大きく問題視するのに対して、「安保法制通過、よかったです」という主張については言及を避けるという態度になるのです。

 そもそも古代ギリシャにおいて弁証法(対話)が始まったのは、ソクラテスから「統治者たる賢人の“考え”に対して、“教え”に対して、これまでは絶対レベルで服従するのが当然の社会であったのが、そこに『え?なぜだ』『なぜそうなるのか?』『そうではないはずだ……』と疑問を呈し始め」(悠季真理『哲学・論理学研究』現代社、2015年、p.170)るようになったからでした。統治者の考えに疑問を抱き、異論をぶつけるというところから弁証法が始まったのです。

 弁証法的なアタマづくりといったときには、この原点を忘れてはなりません。統治者の考えが本当に社会全体のことを考えたものなのかどうかを判断し、時には異論を投げかけ、自分たちでよりよい社会を創っていこうとすること、そのためにこそ弁証法的なアタマづくりが求められるのであり、そのような国民を育成できてこそ真の民主主義国家だと言えるのです。このような国民の育成の実現を目指して、今後も自らの研鑽を進めていきたいと思います。
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2017年06月24日

教育の政治的中立性を問う(4/5)

(4)両者の立場を俯瞰させる教育が求められる

 前回は、本格的な政治教育はいつから始めるのがよいのかという点について検討しました。そもそも国家レベルの政治的な問題を把握するためにはそれなりに論理能力が必要であること、また、政治的な問題の場合、教師の立場も出てしまい、思春期を迎える以前の小学生では教師の見解が絶対になってしまって、本当に意味で自分の立場を決定することはできないこと、この2つの理由により、中学生から始めるのが妥当であるということでした。

 では、政治的な問題に関して両方の見解を視野に入れた上で、自分の立場を決定できるようにするためには、どのような教育が必要になるのでしょうか。今回はこの点について検討してみたいと思います。

 まず前提となるのは、「一般的に2つの対立する立場が存在する」ということを体験としてわからせることです。自分は自分なりの理屈で考えたり行動したりしているけれども、相手も相手なりの理屈で考えたり行動したりしているのだということをわからせることです。

 以前、私が担任している4年生のクラスで、このようなトラブルがありました。給食の準備が終わった後、1人の女の子(Aさん)が泣いているのです。Aさんは給食当番でスープを入れる担当で、B君と一緒に盛りつけをしていました。話を聞いてみると、「スープに入っていた肉団子、みんな1個ずつ入れるようにしようと言っているのに、B君が『先生のは2つにする』って勝手に決めて2つ入れた」ということでした。B君に話を聞くと、「だって先生は大人だし、たくさん食べるから」ということでした。Aさんは平等という価値観に基づいて考えています。それに対して、B君は、子どもと大人という違いに着目して行動をしたわけです。どちらもそれなりの理屈があるわけです。このトラブルに関しては、それぞれに理屈があったことを確認させた上で、お互いが納得して決めるようにすること、どうしても決められなければ、別にどちらでもいいのだからじゃんけんでもして決めるようにすることを伝えました。

 また、私が担任しているクラスでは定期的にお楽しみ会をしていて、どんな遊びをするか計画しているのですが、その中で「ハンカチ落とし」をするかどうかをめぐって、次のようなやりとりがありました。

「ハンカチ落としに反対です。仲のいい人同士でやって、回ってこない人がいたりするからです。」
「その意見に反論します。それはルールを決めればいいんじゃないですか。例えば、男は女に落として、女は男に落とすというふうにすればどうですか。」
「それでもまわってこない人がいると思います。」
「いくつかのグループに分けてやったらどうですか。」
「お楽しみ会はみんなの仲がよくなるためにすることだから、グループに分けない方がいいと思います。」
「そもそも見ているだけでも楽しいから、仮に回ってこなくてもいいのではないですか。」


 ここでは、ハンカチ落としに反対の立場の子どもは「全員に回ってこない。回ってこないと楽しくない」という考えに基づいて発言しています。一方、賛成の立場の子どもは「ルールを決めればいいし、仮に回ってこなくても楽しい」という考えに基づいて発言しています。どちらも一理あるものだと言えるでしょう。
 そもそも子どもにとっては学級こそ自分が生きている社会であり、お楽しみ会でどんな遊びをするかということは、その学級という小社会の維持・発展に関わる政治的な問題であるわけです。したがって、このように学級会で議論をするという経験は、国家レベルの政治的な問題を扱う上で土台になるものだと言えるでしょう。

 このような体験・経験をとおして、「自分とは違う考え方があるし、それはそれで一理あるのだ。だから両方の見解を踏まえた上でどうするか(どうすればよかったか)を考えていかないといけないのだ」ということをわからせることが、本格的な政治教育を行う上で前提になります。そうでなければ、自分の見解が正しいと主張するばかりになってしまうからです。

 中学生以降で(国家レベルの)政治的な問題を扱う場合でも、同じような形で教育していくことが求められるでしょう。お楽しみ会の遊びなどに比べると、非常に抽象的で実感の湧きにくいものですから、基礎的・基本的なことはしっかりと教えた上で、賛成の立場、反対の立場、両方の見解をぶつけあって、それぞれに根拠があるということを理解させることが必要になります。

 ただし、自分が正しいと思う立場に立って考えると、どうしても感情が入ってしまって、自分と反対の見解を冷静に受け入れられないという側面が出てきます。そこで、ディベートのように、自分の考えとは反対の立場に立って、その立場で議論をしてみるということ、例えば、自分がある問題に対して賛成の立場なら、反対の立場に立って賛成の立場を批判してみるという経験も積ませる必要があるでしょう。このような経験があってこそ、対立する2つの立場を俯瞰的に眺めることができるようになるのです。

 以上をまとめるならば、まずは対立する2つの見解、自分とは違う見解が存在するということをわからせること、そして子どもがイメージしやすい学級という小社会の維持・発展に関わる問題で議論をする経験を積むこと、その延長線上で国家レベルの政治的な問題を扱うようにすること、その際、一度自分の見解を否定して相手の立場に立ってみる経験を積ませること、このような教育のあり方が求められるということです。
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2017年06月23日

教育の政治的中立性を問う(3/5)

(3)本格的な政治教育は中学生からが妥当である

 前回は、教育の政治的中立性とはどういうことかを確認しました。そもそも教育とは社会で生きていける人間を育てることです。したがって、国家が行う教育は、個人をその国家で生きていけるようにするものでなければなりません。では、どのような国家において教育の政治的中立性が問われるのかと言えば、ある政治的な問題に対して、Aという見解とそのアンチテーゼであるBという見解が並び立っているような社会、つまり民主主義社会においてこそ問われるのだということでした。そのような社会では、両方の見解を視野に入れた上で、自分の立場を決定できる人間が求められるのであり、そのような人間の育成が求められるからこそ、教育の政治的中立性ということが問われるのだということでした。

 今回は、本格的な政治教育、つまり、政治的な問題に関して両方の見解を視野に入れた上で、自分の立場を決定できるようにする教育はいつ頃から始めるのがよいのかという問題について考えてみたいと思います。

 結論から言うならば、これは思春期を迎えた中学生の時期から始めるのが妥当だと言えるでしょう。

 そもそも思春期とはどのような時期だったでしょうか。南郷継正先生は次のように説いておられます。

「中学生(思春期)の五感器官に関わる論理構造は端的には以下のごとくであった。中学生は思春期とあって子供から大人への脱皮期間であり、準備期間である。それだけに、その実体の成長が子供時代と大きく変ってくる面がある。実体的には大人としての体へと変化することであるが、そのことによって、認識と実体とが相互浸透的な過激的変化をとげながらの大人へ向けての成長が、急速的となっていく。」(『武道と認識の理論U』三一書房、1991年、p.195)


「この思春期は大人へなりにいく最初の重大な時期であり、その個としての人間にとっては初体験期であり、かつ、最初にして最後の重大時期である。体が大人になった高校生では、絶対に味わうべくもない思春期である。これは単に、認識の思春期にとどまらず、実体の思春期であり、実体の思春期にとどまらない認識の思春期である。」(『武道と認識の理論V』三一書房、1995年、p.127)


 つまり思春期とは、認識と実体とが相互浸透的な過激的変化をとげながら、大人へ向けて急速に成長していく時期だということです。

 先日、私が勤務している小学校を卒業して、現在中学1年生になっている子どもに出会ったのですが、小学生の頃から大きく変化していることに驚きました。背は伸び、声変わりもし、部活で肌は浅黒くなっており、かわいらしかった小学生時代に比べると、非常にたくましくなった印象を受けたのです。

 また、このような実体の変化のみならず、認識においても変化が起こっていることを感じました。中学校の先生に関わって「数学の先生はわかりやすいけど、理科の先生は何を言っているかわからん」「うちの担任は朝からハイテンションでうっとうしい」「あの先生はみんなから○○ってあだ名で呼ばれてる」などと言っていたのです。小学校においては教師というのは神的な存在であり、その行いに対して疑問を抱くことは基本的にはありません。しかし思春期を迎えた中学生になると、あくまでも自分と同じ人間として捉え、良くも悪くも教師を批判する場面も出てくるようになってくるのです。

 このように教師に対して従順であった小学生は、思春期を迎えると、自分なりの見解を主張するようになってくるのですが、その背後には論理能力が向上しているということが挙げられます。例えば、中学生ぐらいになると「先生はひいきをする」と教師を批判することがありますが、これは「全員に対して平等に接しないといけない」という論理でもって教師の言動を見ることができるようになっているのだと言えるでしょう。教師だから正しいというのではなく、何らかの価値観に照らして正しいかどうかを自分で判断ができるようになっているということです。

 ここまで見てくると、なぜ本格的な政治教育は中学生頃から始めるのがよいのかが見えてくるでしょう。

 第一に、相当な論理能力(抽象能力)が必要になるからです。消費税増税の是非や憲法改正の是非などの政治的な問題というのは国家レベルの問題です。あくまでも自分の日常生活レベルの体験・経験をもとに考える小学生にとっては、切実さを感じにくい問題です。これを小学生で扱うのは無理があると言えるでしょう。このような問題を扱えるだけの論理能力(抽象能力)が育ってくるのはおよそ思春期を迎える頃であるから、中学生から始めるのが望ましいということです。

 第二に、本当の意味で自分の立場を決定するということは中学生でないと難しいからです。小学生の場合、教師は神的な存在として、その言動は絶対的なものだと捉えられます。政治的な問題の場合、教師自身の見解もあり、どうしてもそれが授業に現れてしまいますから、子どもたちは教師自身の立場を敏感に感じとり、それに合わせる形で判断をしてしまいます。子ども自身は、自分で正しいと判断したつもりでしょうが、その「正しい」の根拠は結局「先生がそうだから」ということにしかならないのです。それに比べれば、中学生は教師を同じ人間として相対的に捉えられるようになっていますから、本当の意味で自分の立場を決定することも可能になってきます。

 以上の理由により、本格的な政治教育は中学生からが妥当だと言えるでしょう。
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2017年06月22日

教育の政治的中立性を問う(2/5)

(2)教育の政治的中立性とはどういうことか

 本稿は、政治的な問題が多数生まれている現代において、こうした政治的な問題を学校現場でどのように扱えばよいのかについて、そもそも教育の政治的中立性とは何かということを踏まえながら検討していこうとするものです。

 今回は、そもそも教育の政治的中立性とはどういうことかを考えてみたいと思います。ここには教育と政治的中立性という2つの概念がありますから、1つずつ検討してみましょう。

 まず教育という概念ですが、そもそも教育とは社会の維持・発展のための社会的個人としての人間を育てることです。もう少し簡単に言うならば、その社会の一員としてしっかり生きていける人間を育てることです。例えば、教師として育てるのであれば、学校という小社会で生きていけるようにすることが教育だということです。学校では授業をしないといけないですし、与えられた校務をしっかりとこなさないといけません。また、同僚との関係性もそれなりに良好に保つことが求められます。そうしたことができるだけの人間に育てるということが、教師として教育するということになります。

 この社会という概念に含まれる最も大きなものは国家です。したがって、それぞれの国家はそこに所属する人間に対して、その国家で生きていけるように教育します。例えば日本であれば、日本という国家で生きていけるように子どもたちを教育するのです。箸を使ってご飯を食べられるようにしたり、家では靴を脱ぐようにしたり、日本語を使えるようにしたり、日本の歴史や文化を学ばせたりするわけです。義務教育とは、日本人として生きていけるように教育をするものだと言えるでしょう。

 これが例えば北朝鮮であれば、北朝鮮で生きていけるように教育がなされるわけです。朝鮮語が教えられ、北朝鮮の文化を学ばされます。北朝鮮の場合、もし最高指導者に反抗するようなことがあれば、銃殺されてしまいますから、絶対に服従しなければなりません。したがって、最高指導者は絶対でありそれには従うように教育がなされます。これは善悪の問題ではなく、北朝鮮の教育としてはそうでなければならないということです。

 仮に「イスラム国」のような場合でしたら、まずイスラム教がしっかりと教えられるでしょう。そもそもイスラム教徒でなければ、「イスラム国」では生きていけないからです。また戦闘訓練なども行われることになるでしょう。そのような力がなければ、「イスラム国」の人間としては生きていくことができないからです。

 このように、それぞれの国家がそれぞれの国家で生きていけるように教育をするのです。こうしてみると、必ずその国家特有の価値観が教えられることになるということがわかります。決して、その国家を離れて、世界に共通する普遍的価値のようなものが教えられるわけではないのです。あくまでもその国家で生きていくために、その国家として身につけておいてほしい価値観が教えられるのです。その意味では、教育は中立ではありえません。教育は必ずその国家の立場から行われるのです。

 続いて、政治的中立性という概念について検討してみましょう。

 これは要するに政治的な問題に関して中立であるということになるでしょう。そもそも中立という立場が存在するためには条件があります。中立というのは、文字通り捉えると「何かと何かの中に立つ」ということになります。もう少し論理的に捉えるならば、何かと何かをより高い視点から眺めるということになります。したがって、中立が成り立つためには、その何かと何かが存在していなければなりません。つまり、政治的な問題に対して、Aという見解が存在する一方で、そのアンチテーゼとしてBという見解が存在しており、両者がしっかりと並び立っていることが必要だということです。例えば、消費税の問題に対して、「増税すべきだ」という立場と「減税すべきだ」という立場の両方がしっかりと存在していることが必要だということです。このような状態であるからこそ、中立という立場が存在しうるのです。

 このような立場は、例えば北朝鮮で成り立ちうるでしょうか。北朝鮮では最高指導者の見解こそが絶対であり、それにアンチテーゼを投げかけようものなら、射殺されてしまうことになります。このような社会においては、対立する2つの見解が並び立つことはなく、したがって、教育の政治的中立性ということが問題になることはありません。これは「イスラム国」でも同じことが言えるでしょう。イスラム教の教えを絶対的なものだと考えている国では、それにアンチテーゼを投げかけるようなことは考えられません。

 こうして見てくると、政治的中立性が存在しうる社会というのは、ある見解に対してアンチテーゼを投げかけることが可能な、ある程度成熟した社会であり、具体的に言えば、民主主義社会であるということがわかります。

 対立する見解が並び立つ社会(民主主義社会)において、個々の人間は、一方の見解を鵜呑みにするのではなく、両方の見解を視野に入れた上で、自らの立場を決定することが求められます。したがって、教育もそのような人間を育てるものでなければなりません。一方の見解を押しつけるのではなく、両方を見た上で自分のアタマで判断できるようにするものでなければなりません。このような教育が求められる社会であるからこそ、教育の政治的中立性ということが問われるのだと言えるでしょう。
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2017年06月21日

教育の政治的中立性を問う(1/5)

目次
(1)教育の政治的中立性が問われている
(2)教育の政治的中立性とはどういうことか
(3)本格的な政治教育は中学生からが妥当である
(4)両者の立場を俯瞰させる教育が求められる
(5)弁証法的なアタマづくりこそが求められている
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(1)教育の政治的中立性が問われている

 今年の2月から3月にかけて、森友学園の問題がニュースで大きく取り上げられていました。直接的なきっかけは、瑞穂の国記念小学校(安倍晋三記念小学校)に対して国有地が不当に安く払い下げられていたのではないかという疑惑でしたが、その疑惑について追及される中で、塚本幼稚園での行きすぎた教育の中身も広く知られることとなりました。運動会において幼稚園児が、「安倍首相ガンバレ、安倍首相ガンバレ、安保法制通過、よかったです」と叫ぶ映像は多くの方の記憶に残っているのではないかと思います。

 こうした教育の是非が国会で問われたとき、安倍首相は「適切ではない」としつつも、「教育の詳細については、全く承知をしていない」と述べ、松野文部科学相は、教育基本法で禁じる政治活動にあたるかどうかについて「大阪府が判断することだ」と評価を避けました。

 この問題と合わせて見ておきたいのは、2016年7月に自民党のHPにて設けられていた「学校教育における政治的中立性についての実態調査」というタイトルのページです。すでに削除済みですが、そこでは次のように説明がなされていました。

「党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には『教育の政治的中立はありえない』、あるいは『子供たちを戦場に送るな』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。
 学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。
 そこで、この度、学校教育における政治的中立性についての実態調査を実施することといたしました。皆さまのご協力をお願いいたします。」


 つまり、教育の政治的中立性を保ち、偏向教育を防ぐために、「教育の政治的中立はありえない」「子供たちを戦場に送るな」などと主張し中立性を逸脱した教育を行う先生がいたら投稿してくださいと呼びかけているのです。これは「密告フォーム」とも呼ばれ、注目を集めました。

 その後、突如このHPは見られなくなり、再度閲覧できるようになったときには、「『子供たちを戦場に送るな』と主張し中立性を逸脱した教育を行う」という文言が「『安保法制は廃止にすべき』と主張し中立性を逸脱した教育を行う」に変更されていたのでした。

 この説明を読む限り、「安保法制を廃止にすべき」という主張を子どもに教えることは、教育の政治的中立性に反するということになります。それならば、「安保法制の通過はよかった」という主張を子どもに教えることも、同じように教育の政治的中立性に反することになるはずです。塚本幼稚園の事例は、この密告フォームの対象となる典型例だと言えるでしょう。

 それにも関わらず、安倍首相や松野文科大臣は自らの明確な回答は避けたのです。これは一体どういうことなのでしょうか。そもそも教育の政治的中立性とはどういうことなのでしょうか。

 教育の政治的中立性の根拠となっている文言は、教育基本法第8条(政治教育)です。

「第8条 (政治教育) 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」


 つまり、特定の政党を支持したり、反対したりするための政治教育を行ってはならないということです。

 近年、日本では政党間で大きく意見が対立する問題が数多く生じてきています。例えば、消費税増税の是非、共謀罪の是非、憲法改正の是非などです。さらには領土問題のように国家間の対立を招いている問題もあります。このように多くの政治的な問題(その社会全体の維持・発展に大きく関わる問題)が生まれている中で、さらに18歳選挙権も導入された現状において、政治的な問題を教育現場でどのように扱うべきかということは大きなテーマとなっていると言えるでしょう。そもそも小学校・中学校・高校のいつ頃からこうした問題を教えるべきなのか、教えるとすればどのような形で教えるべきなのか、教師は自分の立場を表明してもいいのかなど、様々な問題が存在しています。

 そこで本稿では、そもそも教育の政治的中立性とはどういうことかを明らかにするとともに、学校現場で政治的な問題をどのように扱うべきなのか(いつから行うべきなのか、またどのような形態で行うべきなのか)という点について検討していきたいと思います。
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2017年06月20日

弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想(5/5)

(5)一から多への発展を捉える

 本稿は,今年,京都弁証法認識論研究会で組織的に取り組むことにしている南郷継正『“夢”講義』シリーズの第3巻に学び,特に弁証法的頭脳活動の成果であろうと思われる3つの問題を取り上げて,筆者なりに理解したことを文章化することによって整理し,少しでも自分の実力と化していくことを目的に,これまで説いてきた。ここで,これまでの内容を振り返ってみたい。

 初めに,脳の統括の問題を取り上げた。人間の脳には,体全体を統括する働きと自分の脳の中に像を創り出す働きの,大きな二つの働きがあるとされていた。また,脳は自分自身をも統括しているとして,脳自体の統括にも2つの働きがあると説かれていた。それは,脳自体の生理状態と運動状態の統括と脳がそれによって誕生させる認識すなわち像の統括の2つであった。このように,脳は体全体を統括することと脳自体を統括することを同時に行っており,これが「二重性(二重構造)」と呼ばれていた。しかし,これとは別に,脳の統括自体も運動そのものであり,昼間と夜間では変化すると説かれており,その昼間と夜間の異なる統括のあり方が二重性=二重構造として把握されていたのであった。さらに,夢は認識の一つであるが,その認識とは脳の働きの一つに過ぎず,生命体全体の体系的な統括をするためにこそ,脳による認識の統括があるのであり,脳の全体系的な統括のなかで,認識が働かされて(生成発展させられて)いるのであるからして,夢の問題を解くためには,脳の全体系的な統括という働きをきちんと解明しなければならないと説かれていた。この後,人間の脳の統括は四重構造の性質をもつとして,@〔運動の統括×生理の統括=脳の全体統括〕,A〔感覚器官×像=脳の統括〕,B〔脳の統括=脳の生理×運動×認識〕という,3つの公式が紹介されていた。体全体の統括と脳自身の統括の二重性=二重構造というのは,この公式でいうと,@AとBの二重性=二重構造ということになり,それぞれの統括はさらに,昼間と夜間では変化するのであり,それぞれ昼間と夜間という二重性=二重構造が存在するといえるのであった。これで合計四重構造になると説かれていた。このような多重性=多重構造の把握をごく自然になしうることこそ,弁証法的頭脳活動の本領なのであり,世界の二重星=二重構造を見抜けず,片方のみしか見ることができないような非弁証法的な頭脳活動を克服するべく研鑽していかなければならないと説いておいた。

 次に,『“夢”講義(3)』に掲載されている『“夢”講義』の感想文を取り上げ,そこで説かれている真の学的方法について考えた。この感想文では,南郷継正は,いかなる問題を解く場合でも,「原点」に立ち返り,そこからの生成発展が,くり返しくり返し説かれているのであり,夢をその直接的形態のみで扱うのではなく,夢を原点から問い直して,すべての歴史が夢へと収斂する形で一点に流れ込むように展開するという真の学的方法でもって,夢を解明したと説かれていた。「そこに至るすべての歴史が夢へと収斂する形で一点に流れ込むように展開する」というのは人間に関するあらゆる問題を解明する場合に必要な手続きであり,そういえるのは,宇宙=物質が,人間という生命体に流れ込むように発展してきたという歴史的事実があるからであろうと説いておいた。続いてこの感想文では,『“夢”講義』は「認識論を認識学へ」と向かわせるための方法論が説かれていると指摘したうえで,認識論を認識学へと向かわせるためには,何が認識となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く必要があり,そのためには弁証法的な学力を養成しなければならない,換言すれば,弁証法という土台の上に認識論を構築しなければならない,と説かれていた。弁証法は学問構築の過程で誕生したのであるから,あらゆる学問はそれを構築するためには弁証法的な学力が必要なのだといえるだろうとしておいた。また,「何が認識となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」という言葉に関しても,他の分野でも同様のことがいえると確認した。すなわち,経済学・教育学・言語学の構築を志すのであれば,何が経済・教育・言語となっていったのかの生成発展の過程的な構造を説く必要があり,もどき経済・もどき教育・もどき言語のような発想が,その解明のヒントになると説いておいた。最後に,原点からの出立とそこからの生成発展のくり返しの辿り返しについて,くり返す必要があるのは弁証法的な頭の働かせ方を技化するためであり,どんな領域でも,「桃太郎のくり返し」よろしく,基本的・基礎的な物事の飽きることのないほどの「くり返し」を嫌がってはいけないということを確認した。

 最後に,赤ちゃんの夜泣きと患者さんの辛い夢の共通性という問題を取り上げた。これは,端的にいうと夢を見る実力ということであった。『“夢”講義(3)』では,この夢を見る実力がどのようなプロセスで生成発展してきたかの謎解きがなされており,そのプロセスを辿り返したのであった。まず,生命体はその歴史において生きる環境を大きく変えていったことによって脳の体全体を統括する機能が発展していき,それにともなってもう一つの機能である像を創り出すという機能も発展していき,脳が描く像はより運動的・構造的に発展していったのだと説かれていた。そして,単なる外界の反映である像しか描けなかったのに,サルの段階で樹上生活を行なったため,反映でもあり,反映でもないという「もどき像」をも描けるようになり,これが問いかけ的認識の原始形態となっていき,やがて問いかけ的認識が相対的に独立化した結果,像がきちんと二重化するようになった,そのころからヒトは“夢”をみることができるようになっていったのであり,これが個体発生でいうと赤ちゃんが夜泣きを始める段階に相当する,と説かれていた。また,サルの樹上生活については,地上で反映させて形成されていった像と,樹上で反映されて形成されるようになった像との相克の像のあり方の一つが,対象をいわば目的的にみる目となり,最終的に,「あれはこうだ!」という自分の主観から,自分勝手に対象をみてしまう認識の誕生につながったのであり,これが夢の大本(根本原因)であると説かれていた。すなわち,夢はヒトが目的をもつようになった結果,みることができるようになったものであり,目的をもつとは,外界を媒介的にでも映せるようになり,外界からの直接の像と外界からの媒介の像を二つに分けて考えられる実力をもったということであるとされていた。このように,夢を見る実力がどのようについてきたかの過程的構造が解明できたからこそ,赤ちゃんの夜泣きを防ぐ方法と悪夢で苦しむ患者さんに対する看護の方法をしっかり提示でき,その共通性を雰囲気と動作の二つで五感器官に働きかけることであると見抜けたのだと説いておいた。

 このように見てくると,弁証法的頭脳活動とは,端的にいうと,一から多への発展を捉えるものであるといえる。すなわち,現在の対象の二重性=二重構造(多重性=多重構造)を見抜くだけではなく,その二重性がどのようして原点たる「一」から生成発展してきたのかの過程的構造をもしっかり把握できるようなものだといえるだろう。脳の統括といえば,すぐにそれには二重性=二重構造があるはずだとして,その構造に分け入っていく,人間の認識といえば,すぐにそれには二重性があるはずだとして,その構造に分け入っていく。そして,それだけではなく,その構造を真に解明するために,その二重性に至った生成発展のプロセスを,すなわち,何が「脳の統括」や「認識」となってきたのかの生成発展の過程的構造を射程に入れて,その解明に進んでいく。これこそが真の学的方法であり,このような学的方法を実践できるためには,対象の矛盾(対立物の統一)を捉え,対象を運動変化している一断面として捉えることができるほどの,弁証法の実力が必要となってくる。このような弁証法の実力を養成しないかぎり,専門分野の学問体系を構築することなど,決してできないのだ,逆にいうと,このような弁証法の実力を養成すれば,本書で展開されているような学的な論の展開が可能となるのだ,ということが本稿を認め,本書で展開されている弁証法的頭脳活動の成果を味わうことによって,ますます確信できていったことである。

 そのような弁証法的頭脳活動が可能となるためには,どのようにすればよいか。それは,本書でも説かれていたとおり,弁証法の基本的な頭の働かせ方を意識して,それをくり返しくり返し辿り返すことであろう。具体的には,弁証法の基本書としての三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』を,改めて原点として設定し,そこに戻って,またそこから学び直すとともに,南郷継正の『“夢”講義』シリーズも,くり返しくり返し読み込んでいく必要があるだろう。それて並行して,専門分野についても,例えば対象の二重性を考えてみたり,何がその対象となってきたのかの生成発展の構造を考えてみたりして,弁証法的に捉えられるように訓練していかねばならない。そうして,弁証法的な頭の働かせ方とはこのようなものだということが,特別意識しなくても勝手にできるようになることこそが,目指すべき目標であるといえるだろう。

 そのような目標に到達するために,今後もしっかりと弁証法学びを継続していく決意である。


(了)
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2017年06月19日

弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想(4/5)

(4)夜泣きと辛い夢の共通性とは何か

 前回は,『“夢”講義(3)』の弁証法的頭脳活動の成果として真の学的方法をとりあげ,本書に開催されている感想文を手がかりに考察した。真の学的方法とは,そこに至るすべての歴史が夢へと収斂する形で一点に流れ込むように展開することであり,何が認識となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説くのに必要な弁証法的な学力を養成することこそが大切である,ということであった。また,このような弁証法的な学力を技化するためには,くり返しの上のくり返しの学びが必要であることも確認した。

 さて今回は,赤ちゃんの夜泣きと患者さんの辛い夢の共通性という問題を取り上げたい。この共通性とは,端的にいうと,夢を見る実力ということである。『“夢”講義(3)』では,この夢を見る実力がどのようなプロセスで生成発展してきたかの謎解きがなされており,一応この第3巻で,その謎解きが完了しているといってもいい。今回は,この夢を見る実力の生成発展のプロセスを辿り返してみたい。

 本書では,「第3編 学問的に「夢とはなにか」を説くための礎石」「第1章 夢の学問的な解明に必須の過程を説く」「第3節 「いのちの歴史」から説く人間の認識への発展過程」において,いつものように,これまでの論の展開を要約しつつ(真の学的方法!),人間が夢を見る実力をつけていったプロセスが説かれている。

 「生命の歴史」において,脳が誕生した魚類段階から両生類段階へ,そして哺乳類段階へと生命体が発展するに伴って,生きる環境が大きく変化していく。そのことによって,脳が大きく変化していくのである。より過酷な環境で生きられるように,脳の全身を統括する機能が発展せざるを得ず,脳の実体としての実力も増していく。そうすると,当然に脳の全身の統括ではないもう一つの働き,すなわち像を描くという働きにも影響が出て,脳が描く像はより運動的・構造的に発展していく。やがて哺乳類のトップとしてサルが誕生し,樹木での生活を余儀なくされると,サルの脳とその反映像は大きく発展させられることとなるとしたうえで,次のように説かれている。

「端的には,それまでの脳が描く認識=像は,外界の反映でしかない(しかも本能としての脳が反映させるだけの)像だったモノが,樹上生活・樹木生活の過程的構造のゆえをもって,外界からの反映の像は当然のこととして,二重・三重の多重像を描く実力をつけた結果,外界からのまともな反映ではない像,すなわち,反映でもあり,反映でもないという『もどき像』をも描く実力をもった,ということです。

 この『もどき像』が脳のなかで発生するにつれて,サルはその像をたしかめる方向へと運動しはじめることになり,これがいわゆる問いかけ的認識の原始形態(原形)となっていったのです。

 この問いかけ的認識が相対的に独立化して,本当の“問いかけ”が完成し,像がきちんと二重化するようになったころから,ヒト(人類)は“夢”をみることができるようになっていったのです。これがヒトが“夢”をみることができるようになった段階であり,人間の発達段階からいうと,赤ちゃんが夢をみる=夜泣きのころの脳の発達=発育の中身のレベルが,ヒトの認識の夜明け段階といえます。」(p.85)


 ここでは,単なる外界の反映である像しか描けなかったのに,樹上生活のために,反映でもあり,反映でもないという「もどき像」をも描けるようになり,これが問いかけ的認識の原始形態となっていき,やがて問いかけ的認識が相対的に独立化した結果,像がきちんと二重化するようになった,そのころからヒトは“夢”をみることができるようになっていったのであり,これが個体発生でいうと赤ちゃんが夜泣きを始める段階に相当する,ということが説かれている。

 ここで説かれている内容を,像の生成発展だけを独立化して取り上げてみるならば,以下のようなプロセスとなるだろう。

外界の反映でしかない像
  ↓
二重・三重の多重像
  ↓
外界からのまともな反映ではない像=もどき像
  ↓
問いかけ的認識の原始形態
  ↓
本当の“問いかけ”=像の二重化


 すなわち,サルまでの段階では,単なる外界の反映でしかなかった像が,サルの樹上生活を経ることによって,ついには二重化した像にまで発展したのである。ここの歴史的な像の生成発展については,すぐ後の部分では,次のように説かれている。

「このように地上で反映させて形成されていった像と,樹上で反映されて形成されるようになった像との相克が,あるとき突然に,ある時代のあるレベルのサルにおきはじめます。

 この相克を解決するために,サルは地上へおりることを決心(?)し,やがてこれらがヒト的サル(類人猿)へと進化し,そこから人への進化が始まっていくのです。

 これらの相克の像のありかたの一つが,対象をいわば目的的にみる目となり,対象を自分で(主観的・自分勝手的に)描いた形でとらえられるようになり……して,結果,問いかけの像=問いかけ的認識すなわち『あれはなんだ?』ではなく,『あれはこうだ!』として自分の主観から,自分勝手に対象をみて(とらえて)しまう認識の誕生をみることになっていくのです。これが夢の大本(根本原因)なのです。

 つまり,夢はヒトが目的をもつようになった結果,みることができるようになったモノであること,そしてその目的をもつということは,認識論的・像的に説くと,ヒトの脳のなかで,それまでは外界からの直接の反映でしか映せなかった像が,外界を媒介的にでも映せるようになった結果,外界からの直接の像と外界からの媒介の像との二重性を帯びるようになり,あげく,それを二つに分けられる実力がつきはじめ,そしてそこからしだいしだいにヒトから人間になるにつれて,分けて考えられる実力を脳はもってしまったのだ,ということなのです。」(p.87-88)


 ここでは,地上で反映させて形成されていった像と,樹上で反映されて形成されるようになった像との相克の像のあり方の一つが,対象をいわば目的的にみる目となり,最終的に,「あれはこうだ!」という自分の主観から,自分勝手に対象をみてしまう認識の誕生につながったのであり,これが夢の大本(根本原因)であると説かれている。換言すれば,夢はヒトが目的をもつようになった結果,みることができるようになったものであり,目的をもつとは,外界を媒介的にでも映せるようになり,外界からの直接の像と外界からの媒介の像を二つに分けて考えられる実力をもったということであるとされている。

 ごく単純化していえば,像が,外界の直接の反映像と,そうでない媒介の像に二重化したのであり,媒介の像の方が,あるときには問いかけ像となり,あるときには目的像となり,そしてあるときには夢となる,ということであろう。認識=像が二重化することは三浦つとむも説いていたが,どのようなプロセスを経て像が二重化するようになったのかを解明したのは,本書が史上初なのではないか。このような過程的構造を明らかにしたのは,まさに弁証法的頭脳活動の技の冴えといえるだろう。

 以上見たように,生命の歴史において認識=像が二重化したために,ヒトは夢をみることができるようになったのであり,個体発生でいうと,これがちょうど夜泣きが発生する段階に相当する。このころの赤ん坊は,眠っていて直接の反映像としてはそれほどの像を描いていないにもかかわらず,媒介の像として,何が何だかわからないような像を勝手に描いてしまえる実力がついてしまったため,その描いた像をみて,突発的に泣きじゃくるというようなことになるのであろう。また患者さんは,眠っていても過去の体験から媒介された像を勝手に描いてしまう。これが辛い悪夢であり,疼痛の原因となっているものである,ということだと理解した。

 本書の最後の方の部分,すなわち「第5編 看護の夢の事例を「いのちの歴史」から解く」「第2章 赤ちゃんの夜泣きと夢の過程的構造を説く」「第4節 夜泣きを防ぐ赤ちゃんの睡眠中の育てかたを説く」では,夜泣きを防ぐ対応の方法が説かれている。それは,雰囲気と動作の二つで赤ちゃんの五感器官を育てることであり,具体的にはお母さんがのんびりとした歌を歌ってあげながら,赤ちゃんが好むようなスキンシップを行っていくことであると説かれている。

 これは,『“夢”講義(1)』から登場する看護学生Dさん(神庭純子氏)が疼痛と悪夢に苦しむ患者さんに行った看護と論理的には同じものであろう。看護学生Dさんは,ケアをとおしてコミュニケーションを図ろう,話をゆっくりお聞きして気持ちを知ることにしようとの方針のもと,痛みの訴えがある部分をゆっくりさすりながら話に耳を傾けたということであった。これも雰囲気と動作の二つで患者さんの五感器官や神経に働きかけ,患者さんの認識を整えることによって,悪夢を防止することにつながったのだと考えられる。

 このように夜泣きや悪夢に対する根本的な対処法を提示でき,両者の共通性を説けるのは,やはり南郷継正がそもそも夢とは何かを,その原点から,学問的な方法で弁証法的に解明しえたからこそといえるだろう。ここでも,弁証法的な頭脳活動の見事さを感じることができた。

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2017年06月18日

弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想(3/5)

(3)真の学的方法とは何か

 前回は,『“夢”講義(3)』で説かれている弁証法的頭脳活動の成果として脳の統括の問題を取り上げ,2つの二重性=二重構造で合計四重構造の性質をもっていることを確認したうえで,すべての事物・事象を二重性として捉えられるような弁証法的な頭脳を創ることの大切さを強調した。

 さて今回は,本書に掲載されている『“夢”講義』の感想文を取り上げ,そこで説かれている真の学的方法とは何かについて検討したい。

 問題の感想文は,「第3編 学問的に「夢とはなにか」を説くための礎石」「第2章 学問的でない夢の専門家の実力を説く」「第4節 『“夢”講義』感想文―夢を学問的に説くとはいかなることか」に収められている。この節は全文,読者の感想文である旨が注記されている。「この読者は若くして某一流大学の教授となった,その専門分野では世界的レベルでの権威とされている方」(p.105)であり,感想文中には「DNA」とか「DNA理論」とかいう言葉がくり返し出てくるから,この感想文は本田克也氏の手になるものであろう。

 感想文では,「この『夢講義』においては,いかなる問題を解く場合でも,『原点』に立ち返り,そこからの生成発展が,繰り返し繰り返し説かれている」(p.106)と指摘され,これまでのすべての研究者はそのような夢に至る生成発展に着目できなかったために,夢を解明することができなかったのだと説かれている。その上で,次のように説かれている。

「いったい,これまで誰が,このような偉大なる展開をなしえたであろうか。例えば“夢”について論じようと志した人間は少なくない。精神分析のフロイトやユングはもとより,多くの心理学者,脳生理学者,生物学者がこの謎に挑んできた。しかし,すべての研究者は,夢をその直接的形態でのみ扱う以上には出られず,ついには袋小路に迷い込んでしまっているのである。

 しかし南郷継正はそうではなかった。夢をそれ自体として見れば脳が勝手に描く像にすぎないとしながらも,これを原点から問い直して,これは優れて人間の認識の発展の言うなれば一つの現象形態なのであるから,そこに至るすべての歴史が夢へと収斂する形で一点に流れ込むように展開することこそが,夢の解明になるという,真の学的方法すらも,この『夢講義』では提示されているのである。」(p.108)


 ここでは,南郷継正は,夢をその直接的形態のみで扱うのではなく,夢を原点から問い直して,すべての歴史が夢へと収斂する形で一点に流れ込むように展開するという真の学的方法でもって,夢を解明したと説かれている。

 確かに,前回も少し触れたように,夢は認識の一つであるから,認識とは何かを,その生成発展に遡って解明し,さらに,認識とは脳の働きの一つであり,もう一つの働きである全身の統括のためにこそ,認識が存在するのであるから,脳の働き全体や,それを支える脳の実体の生成発展を辿り返すことによって,夢を解明しようとしているのが『“夢”講義』であるといえる。

 それにしても「そこに至るすべての歴史が夢へと収斂する形で一点に流れ込むように展開する」というのはすごい言葉である。これは夢のみならず,人間に関わるあらゆる問題を解明する場合に必要な手続きであるといえるのではないか。そして,そのようなことがいえるのは,結局,宇宙=物質が,人間という生命体に流れ込むように発展してきたという歴史的事実があるからであろう。すなわち,人間はもともと人間として存在していたのではなく,物質の発展の流れの終着点として,いわば究極の物質として誕生したものであるから,そのプロセスを辿り返さないと,人間の問題は解けないということであろう。

 続けて感想文では,『“夢”講義』は「認識論を認識学へ」と向かわせるための方法論が説かれていると指摘したうえで,次のように説かれている。

「ならば認識論を認識学にするための鍵はどこにあるのか。逆から言えば,これまでの認識論者はなぜ認識学の構築に失敗したのかの秘密も,ここに暴かれているように思える。

 おそらくこれまでのすべての認識論者,あるいは心理学者は,できあがった認識をそれ自体の運動としてとらえることに終始してしまい,何が認識となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説くのに必要な,弁証法的な学力を養成してこなかったのだ。したがって『夢』に至るその生成発展のプロセスを問うことができなかったのだ。もっと言えば弁証法の土台の上に認識論を築くことができなかった,つまり認識論構築の土台を失ったままに認識論を構築しようとしたから空中楼閣に終わって崩れ去ってしまったのだ,ということが見えてくるのである。

 もしこう言ってよければ,認識論の土台は弁証法にあるということを史上初めて証明されているかのようにも思えるのが,この南郷継正の『夢講義』であるともいえるのである。」(pp.111-112)


 すなわち,認識論を認識学へと向かわせるためには,何が認識となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く必要があり,そのためには弁証法的な学力を養成しなければならない,換言すれば,弁証法という土台の上に認識論を構築しなければならない,ということである。

 基本的には,先の引用部分と同じことが説かれていると考えていいだろう。従来の研究者は,「夢をその直接的形態でのみ扱う」=「できあがった認識をそれ自体の運動としてとらえる」ことしかしていなかったが,本来は,「原点から問い直して」「何が認識となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」必要があるということである。そして,そのような生成発展の過程的な構造を説くためには,弁証法的な学力を養成しなければならないのであり,弁証法という土台の上に構築してこそ,認識論は認識学として成立するのだと説かれている。もう少し一般化すれば,これはどんな学問にも当てはまる論理だといえるだろう。すなわち,いかなる学問であれ,それを構築するためには弁証法的な学力が必要なのであり,いってみれば弁証法という土台の上に構築しないと,空中楼閣に終わって崩れ去ってしまうのである。これは歴史的に見ても,弁証法が学問構築の過程で誕生したことと無関係ではあるまい。

 今回の引用文中にある「何が認識となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」という言葉も,すごい言葉である。このような言語表現ができるところに,この読者(おそらく本田克也氏)の実力の高みを感じることができる。これこそ,認識学を構築するための真の学的方法なのであるから,これは他の分野でも同様であるといえる。たとえば,経済学の構築を志すのであれば,「何が経済となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」必要があり,教育学の構築を志すのであれば,「何が教育となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」必要がある。言語学の構築を志すのであれば,「何が言語となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」必要があるのであり,これらの過程的構造を説けるほどの弁証法的な学力を養成しなければならないのである。

 私の専門に関わるもう少し狭いテーマでいうならば,たとえば心理療法や心理検査を学問的に説こうとする場合,「何が心理療法となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」必要があるし,「何が心理検査となってきたのかの生成発展の過程的な構造を説く」必要がある。本感想文で触れられている「もどき像」の誕生という論理を借用すれば,心理療法が誕生する直前の段階では,「もどき心理療法」のようなものがあったはずであるし,心理検査が誕生する直前の段階では,「もどき心理検査」なるものが存在したはずである。このように考えていくと,心理療法や心理検査を研究していく際の観点が明らかになってくるし,心理療法や心理検査が歴史性を帯びたものとして,これまでとは違ったふうに見えてくるというものである。

 さて,感想文の最後には,「『原点からの出立とそこからの生成発展の繰り返しの辿り返し』,そのことこそが『夢講義』に連綿と流れている学的精神であると思う」(p.115)と認められている。確かに本書では,くり返しくり返し,原点から説き直されている。そもそも認識とは何か,生命体は単細胞からどのようにして人間にまで至ったのか,などということが,本当にしつこいくらいくり返して説かれている。前回見た脳の統括の問題も,たとえば94頁以降に,またまとめて説き直されている。こういう箇所は無数にある。

 このようにいうと,「原点からの辿り返しは分かったが,それをなぜくり返す必要があるのか?」との疑問が読者から出されるかもしれない。それは端的にいうと,そのような原点からの生成発展を辿るという弁証法的な頭の働かせ方を技化するためである。バスケットのシュートフォームをくり返しくり返し練習し,少し上達しても崩れを防ぐために定期的にフォームをチェックしてまたくり返すのと同じことである。ここに関しては,「秀才といわれる人たちの欠陥は,自分にとってやさしいと思える物事については,どうしてもくり返しの学習を嫌がることです」(p.187)としたうえで,次のように説かれているので,それを紹介して,今回は終わりにしたい。

「何事においても,技が上達したいなら,あるいは頭脳のはたらきを見事にしたいのなら,けっして,この基本的・基礎的な物事の飽きることのないほどの『くり返し』を嫌がってはいけません。それほどに『桃太郎のくり返し』は,学問構築を志す人たちは当然のこと,スポーツや武道を一流にと志す人たちにとっても,とても大事なことなのです。この『桃太郎のくり返し』のことを『量質転化化』をはかることだ,すなわち『弁証法』の説く『量質転化』の問題と同じことだとわかることは,とても大事なことなのです。」(p.188)

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2017年06月17日

弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想(2/5)

(2)脳の統括の多重構造とはいかなるものか

 本稿は,『“夢”講義(3)』を組織として集団的に読み込み,その中に説かれている弁証法的頭脳活動の成果を取り上げて論じていく論考である。今回は,本書の初めの方から説かれ続けている脳の統括の問題を取り上げたい。

 まず,本書の流れにしたがって,脳の統括について触れられている部分を見ていく。

 「第1編 生理学から説く「夢とはなにか」」の「第1章 認識の発展の過程的構造を脳から説く」「第2節 人間の脳には大きな二つのはたらきがある」では,脳の二つの働きとして,「体全体を統括するというはたらき」と「自分の脳のなかに像を創りだすはたらき」(p.17)の二つが挙げられている。もちろん,この二つの働きには,相互に関連するところがあるはずである。たとえば,食をとるという運動を行うために,外界の対象を五感覚器官を通して反映し,像を創りだし,その像に基づいて体を動かして対象を食べるというような関連である。すなわち,体を統括するためにこそ像を描くのであり,その描いた像に基づいて体を統括していくということである。

 次に,同じ第1編の「第2章 夢の解明に必要な「昼間の生理学」と「夜間の生理学」を説く」「第2節 脳自体の統括の二つのはたらきとは」では,脳は自分自身をも統括しているとして,脳自体の統括の二つの働きが説かれている。それは,「脳自体の生理状態と運動状態の統括」と「脳がそれによって誕生させる認識すなわち像の統括」(p.25)である。

 続く「第3節 脳の統括は当然に弁証法性をもつ」の冒頭では,今までの内容が次のようにまとめられている。

「脳は,脳自体の全体として大きな二つのはたらきを統括しつづけるものでした。

 しかし大変なことに,この脳は自分自身を全体として統括しているばかりでなく,脳自体が存在している体全体(全身)をも統括していることは常識です。ですから,脳は自分自身の統括体系の外側(これはヒユです)で,その自分自身をも含めた体全体(全身)の統括も行なっていることになります。

 すなわち脳は自分自身の統括と体全体との統括の二重性(二重構造)を,あたかも一つの構造のものとして時々刻々統括する(しなければならない)という大事業を欠かさずに行なっているわけです。」(p.27)


 ここでは先にみたように,脳は体全体を統括することと脳自体を統括することを同時に行っており,これが「二重性(二重構造)」と呼ばれている。脳は統括器官であるが,体全体から見れば部分に過ぎない。したがって,脳は全体を統括しつつ,部分たる自分自身も統括している。この全体の統括と部分の統括が「二重性(二重構造)」と呼ばれているといえるだろう。

 しかし,別の二重性=二重構造も指摘されている。今見た第3節から,次の「第4節 活動している「昼間の生理学」と休息している「夜間の生理学」」にかけての部分では,次のように説かれている。

「それで,脳が体と自分自身を統括するということは,体の運動と自分自身の運動を統括するにとどまらず,自分自身のその二重の統括すらも運動そのものであるということです。「これが運動ということは,これは変化している!」ということなのです。

 そこで,まずここでの運動すなわち変化の大きな部分を見てみることにしましょう。

 それが,再三説いている昼間の生理学と夜間の生理学なのです。すなわち,脳の,体と脳自身の統括には二重性=二重構造がある! ということなのです。」(pp.28-29)


 ここでは,脳の統括自体も運動そのものであり,昼間と夜間では変化すると説かれており,その昼間と夜間の異なる統括のあり方が二重性=二重構造として把握されている。脳の統括について,同じ二重性=二重構造という言葉が使われていても,先に見たのは体全体の統括と脳自身の統括の二重性=二重構造であったのに対して,ここで説かれているのは,統括のあり方が昼間と夜間では異なるという二重性=二重構造なのであった。このあたり,ぼんやりとした像を描いて分かったような気になったり,同じ二重性=二重構造なのだから同じことを説いているはずだと決めてかかったりしてはいけない。

 さらに,「第3編 学問的に「夢とはなにか」を説くための礎石」「第1章 夢の学問的な解明に必須の過程を説く」「第2節 夢を唯物論的に説くには脳の解明が必須である」では,夢は認識の一つであるが,その認識とは脳の働きの一つに過ぎず,生命体全体の体系的な統括をするためにこそ,脳による認識の統括があるのであり,脳の全体系的な統括のなかで,認識が働かされて(生成発展させられて)いるのであるからして,夢の問題を解くためには,脳の全体系的な統括という働きをきちんと解明しなければならないと説かれている。この部分は,先に触れた脳の二つの働き,すなわち「体全体を統括するというはたらき」と「自分の脳のなかに像を創りだすはたらき」の関連について説かれている個所であるといえるだろう。端的にいうと,前者の方がメインであり,後者は前者のためにこそ存在するという位置づけである,といえる。夢の問題を解くに際して,大きな視点からとらえ返し,認識の問題だとするだけではなく,さらに脳の統括における認識の位置づけを問題にして,それらを全体的・体系的に説かないと,部分たる認識の問題,夢の問題は説けないということである。

 さて,第3編の「第3章 夢に関わって人間の脳の統括の過程的構造を説く」「第1節 人間の脳の統括は四重構造の性質をもつ」では,脳の統括の問題が総括されているといえる。簡単には,節のタイトルにあるように「人間の脳の統括は四重構造の性質をもつ」ということである。では,その四重構造とは何か。これをしっかりと確認しておかなければならない。

 まず,この説では,脳の統括に関わって,次の三つの公式が登場する。

@〔運動の統括×生理の統括=脳の全体統括〕
A〔感覚器官×像=脳の統括〕
B〔脳の統括=脳の生理×運動×認識〕

 @が一番初めに人間の脳に大きな二つの働きがあるとして説かれていたうちの一つ,すなわち,体全体を統括する働きのことを表していると考えられる。そしてAが,もう一つの働き,すなわち,自分の脳の仲に像を創りだす働きのことであろう。Bは,脳の自分自身の統括のことであり,その中で「脳の生理×運動」が「脳自体の生理状態と運動状態の統括」を意味し,「×認識」の部分が「脳がそれによって誕生させる認識すなわち像の統括」を意味していると考えてよさそうである。

 そうすると,先に見た2つの二重性=二重構造のうち,前者,すなわち,体全体の統括と脳自身の統括の二重性=二重構造というのは,この公式でいうと,@AとBの二重性=二重構造ということになるだろう。

 さらに,体全体の統括である@Aと脳自身の統括であるBは,昼間と夜間では変化するのであり,それぞれ昼間と夜間という二重性=二重構造が存在するといえるのである。ここに関しては,次のように説かれている。

「脳が体(の運動と生理)と自分自身(の運動と生理)を統括するということは,体の運動と自分自身の運動を統括することにとどまらず,自分自身のその二重の統括すらも運動形態そのものであるということです。また,これが運動形態であるということは,これは一般的な変化をなしながら,それと直接に部分としても変化していくという形態を把持しているということなのです。

 これこそが,先に説いた昼間の生理学と夜間の生理学の大切な中身なのです。すなわち脳の,体と脳自身の統括には二重性=二重構造があるのですが,これ自身にも昼間の生理学としてのものと,夜間の生理学としてのものとの二重性があり,合計四重構造の性質をもっているのだということを,読者のみなさんははっきりと自覚できなければなりません。」(p.118-119)


 すなわち,脳の統括は,体の統括と脳自身の統括の二重性=二重構造があるだけでなく,それぞれについて昼間の生理学としてのものと夜間の生理学としてのものの二重性=二重構造があり,合計で四重構造になっているということである。

 このような多重性・重層性の把握は,著者である南郷継正にとっては,まさに勝手に(自動的に)なし得るものであり,これこそが弁証法的頭脳活動のなせる業であるのではないか。われわれはともすれば,脳の統括のうち,体の統括のみを見て,脳自身の統括は見落としがちなのではないか。あるいはまた,脳の統括のうち,昼間の生理学としてのもののみを見て,夜間の生理学としてのものを見落としがちなのではないか。これはまさに,世界の二重性=二重構造を見抜けない非弁証法的頭脳活動のなせる業である。われわれは一刻も早く,すべての事物・事象を二重性として把握できるような弁証法的な頭脳活動に向けて,『“夢”講義』に学び続けなければならないのだと,決意を新たにした次第である。

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2017年06月16日

弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想(1/5)

目次

(1)弁証法的頭脳活動で創られた『“夢”講義』
(2)脳の統括の多重構造とはいかなるものか
(3)真の学的方法とは何か
(4)夜泣きと辛い夢の共通性とは何か
(5)一から多への発展を捉える

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(1)弁証法的頭脳活動で創られた『“夢”講義』

 本稿は,南郷継正『なんごうつぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への“夢”講義――看護と武道の認識論 第3巻』(以下,『“夢”講義(3)』と略す)を集団的に読み込み,学んだ内容を認めることによって,本書の内容をしっかりと自分の実力と化すことを目的としたものである。

 われわれのブログの「年頭言」にも記したように,今年は,京都弁証法認識論研究会として,集団的に『“夢”講義』に取り組むことを,活動の一つの柱としている。これまで,2月と4月にそれぞれ第1巻と第2巻の感想を掲載した。今回は3回目であり,『“夢”講義』は全6巻であるから,ようやく半分の折り返し地点に辿り着いたことになる。

 本書を読んでの率直な感想は,これこそが弁証法的頭脳活動のなせる業だ! というものであった。弁証法的頭脳を駆使して,見事に生理学から夢とは何かや思春期の論理構造などが説かれているのである。では,弁証法的頭脳活動とは何か。本書では,弁証法の学びは,自動車の運転の学びと同じようなものであり,「教習所の運転コースから市街地へでていき,そこから郊外の道を走り,やがては高速道路へと,そこを経たら,いうなれば山道,がけっぷちの道,といったあらゆる道路を易から難へと訓練し続けてようやくにして一人前」(pp.172-173)になれるとした後,次のように説かれている。

「この学問的弁証法の実力を培っていったのが,古代ではアリストテレスであり,近代では高速道路だけを走ったカントであり,高速道路以外の道をもまともに踏破できたのがヘーゲルなのだと思ってもらえばいい。なお現代では,私の恩師三浦つとむは,生活道路上の走りかたでは達人であった,といってよいであろう。

 さて,ではそうなったばあいに最初に説いた脳の実体とその機能という関わりからいえば,どういうことになるかというと,結論から説くなら,脳の実体の二重化かつ脳の機能の二重化となってきているものである。

 具体的に説けば,脳のはたらきである認識が,弁証法を駆使できるレベルを超して,認識そのものが弁証法性を帯びて,あたかも認識が弁証法的認識であるかのように,(観念的に)実体化していく状態を通過するなかで,それが相互浸透されて脳の実体そのものが,脳として,つまり脳の認識を創りだす能力そのものの機能が,弁証法化するという事態にまで発展していけるのである。

 すなわち,認識が弁証法的に考えようと思わなくても,勝手に弁証法的に考えてしまっている,すなわち,弁証法的な考えかたを自分で意図的に止めないかぎりは,必ず弁証法的に認識を創りだし,弁証法的な認識を創りだす,そういう脳の実体に量質転化化しているのである。」(pp.173-174)


 ここでは,認識が弁証法的認識であるかのように観念的に実体化し,それが脳の実体と相互浸透する中で,脳の認識を創りだす能力そのものの機能が弁証法化する結果,勝手に弁証法的に考えてしま脳の実体に量質転化化しているレベルが弁証法的な頭脳の実体の構造であると説かれている。このような頭脳を駆使することが,弁証法的頭脳活動であるといっていいだろう。要するに弁証法的頭脳活動とは,考えれば必然的に弁証法的に考えてしまうのであり,意図的にやめない限り,どうしても弁証法的な頭の働かせ方をし,弁証法的に対象の構造を明らかにして,弁証法的な論の展開をして文章を書いていくことになる,というレベルの頭脳活動だといっていいだろう。

 本書では,まさしくそのような弁証法的頭脳活動が展開されており,これこそが重層弁証法の威力なのだと感動を覚えることが非常に多い。

 そこで本稿では,本書で説かれている弁証法的頭脳活動の成果を3つ取り上げ,筆者なりに理解したことを文章化することによって整理し,少しでも自分の実力と化していきたいと考えている。初めに取り上げるのは,脳の統括の問題であり,次に,真の学問的方法について考察する。最後に,患者さんの辛い夢の問題を検討する予定である。

 ではいつものように,最後に本書の目次を示しておく。



なんごうつぐまさが説く
看護学科・心理学科学生への“夢”講義(3)


【 第1編 】 生理学から説く「夢とはなにか」

第1章 認識の発展の過程的構造を脳から説く

 第1節 “夢”講義は,みなさんそれぞれの夢の実現のためにこそ
 第2節 人間の脳には大きな二つのはたらきがある
 第3節 認識は五感覚器官・脳の成長との相互規定性で発展する

第2章 夢の解明に必要な「昼間の生理学」と「夜間の生理学」を説く

 第1節 夢は睡眠中に脳が勝手に描くものである
 第2節 脳自体の統括の二つのはたらきとは
 第3節 脳の統括は当然に弁証法性をもつ
 第4節 活動している「昼間の生理学」と休息している「夜間の生理学」

第3章 労働と睡眠の関係を説く

 第1節 人間の睡眠は労働による疲労の回復のためである
 第2節 学問的に説く労働とはなにか
 第3節 「疲れ」と「疲労」は違うものである
 第4節 「疲労」は哺乳類としての運動からの逸脱による

【 第2編 】 生理学から説く「思春期の論理構造」

第1章 「心の闇」を認識論的に説く

 第1節 「心の闇」がおこした事件
 第2節 「心の闇」は赤ん坊の頃から育つ
 第3節 他人にも自分にもみえない育ちのゆがみ

第2章 「心の闇」を脳の生理構造から説く

 第1節 脳は反映した像を自分流に発展させる実力をもっている
 第2節 思春期の脳の特殊性
 第3節 生活環境の違いで脳の創られかたが違ってくる
 第4節 思春期の脳への「ネット社会」の影響
 第5節 「狂想」へと転化させる思春期の脳
 第6節 心のゆがみは「心の教育」だけでは治せない

【 第3編 】 学問的に「夢とはなにか」を説くための礎石

第1章 夢の学問的な解明に必須の過程を説く

 第1節 観念論の立場では夢の学問的解明は不可能である
 第2節 夢を唯物論的に説くには脳の解明が必須である
 第3節 「いのちの歴史」から説く人間の認識への発展過程
 第4節 人間の認識=像は外界の反映と相対的独立に発展する
 第5節 脳は神経を介して労働と睡眠の異なった統括をする

第2章 学問的でない夢の専門家の実力を説く

 第1節 夢に関する専門家の見解を問う
 第2節 人類の歴史的な文化を学ぶことなしに夢は説けない
 第3節 夢の解明は脳が夢を描かされる過程的構造を説くことである
 第4節 『“夢”講義』感想文―夢を学問的に説くとはいかなることか

第3章 夢に関わって人間の脳の統括の過程的構造を説く

 第1節 人間の脳の統括は四重構造の性質をもつ
 第2節 労働により日々ゆがめられる人間の体と「ツボ健康法」を問う
 第3節 「ツボ」「経絡」に関する専門家の見解を問う
 第4節 「ツボ」「経絡」は動物体と人間体の相克により誕生したものである
 第5節 労働の過程的構造に夢の問題を解く鍵がある

【 第4編 】 学問に必須の「認識論」「弁証法」とその上達の構造を説く

第1章 認識論における海保静子の業績を説く

 第1節 認識論の理論的実践家としての海保静子
 第2節 認識論は弁証法とともに学問成立に必須のものである
 第3節 恩師三浦つとむの認識論の内実を問う
 第4節 認識の問題が解けない三浦つとむの認識論
 第5節 海保静子に「認識とは何か」の像の展開を学ぶ

第2章 講義録「弁証法の上達の構造を問う」

 第1節 学問としての弁証法が技化した頭脳による「目次」立てを説く
 第2節 学問構築に必要な大志・野望は空想的認識の一種である
 第3節 学問構築には対象の全体像の把握と弁証法の学びが必須である
 第4節 歴史上弁証法の全体像を提示できた学者はいない
 第5節 弁証法の実力をつける過程的構造を説く
 第6節 弁証法は脳の実体が量質転化するまで学ばなければならない
 第7節 「弁証法の上達の構造」における落とし穴とはなにか

【 第5編 】 看護の夢の事例を「いのちの歴史」から解く

第1章 人間が夢をみるに至る発達・教育の過程を説く

 第1節 辛い夢をみる事例
 第2節 上達に必須の「量質転化」の構造を説く
 第3節 サルにおける「問いかけ的認識」の芽ばえとはなにか
 第4節 人間における外界の直接の反映は誕生時のみである
 第5節 人間は外界を勝手に描く能力を教育されながら育ってくる
 第6節 外界を反映する神経系のはたらきは労働のありかたで異なる

第2章 赤ちゃんの夜泣きと夢の過程的構造を説く

 第1節 夜泣きは夢をみる実力をつけたことから始まる
 第2節 辛い夢を理解するために必要なことはなにか
 第3節 夜泣きは発育途上の脳の実力をこえた外界の反映による
 第4節 夜泣きを防ぐ赤ちゃんの睡眠中の育てかたを説く
 第5節 夜泣きと辛い夢との関係への解答

第3章 夢の事例を脳の神経と認識の統括から説く

 第1節 足のウラの鍛錬は頭脳活動を活発にする
 第2節 脳が誕生する魚類への生命体の運動形態の発展過程を説く
 第3節 魚類の脳は四重構造の統括をするために誕生したのである
 第4節 人間の脳は認識活動の統括をも行なうのである
 第5節 辛い夢をみる患者の実体と認識に働きかけた見事な看護を説く


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2017年06月15日

2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他(10/10)

(10)参加者の感想の紹介

 前回までに、例会で報告されたレジュメを紹介したあと、カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他の要約を4回に分けて掲載し、次いで、参加者から提起された論点について、どのように議論をしてどのような(一応の)結論に到達したのかを紹介してきました。

 最終回となる今回は、例会を受けての参加者の感想を掲載しておきたいと思います。

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 今回は、カント『純粋理性批判』先験的論理学の初めの部分を扱った。チューターとして、論点の提示、各会員から提示された論点の整理、論点への見解の執筆、各会員の論点への見解の整理を行い、例会当日を迎えた。

 当日の進行では、特に先験的論理学とはどのようなものか、一般論理学や純粋論理学とどのように異なるのか、といった論点に関して、自分のアタマの中を整理し切れず混乱してしまって、大きく時間を費やすことになってしまった。事前に自分なりの解答をしっかりと用意しておくという基本的な事柄がきちんと実践できていなかったのだと大きく反省されられた。

 また、他の部分でも、各会員が示した見解を確認していくという作業を行ったのみで、今回の範囲での大きな学びに繋がっていくような議論を提起することも出来なかった。

 とはいえ、今回の範囲は非常に難解で、この部分だけを読んで理解できるものではないようにも思うので、次回以降、今回の内容に関わっての論が展開されていくようであれば、今回の内容に立ち返って、合わせて考えていくようにすることで、少しでも認識の構造を明らかにしていこうとしたカントの描いた像を掴めるように努力していきたいと思う。

 次回は「純粋悟性概念の演繹について」という範囲を扱うことになるが、事前の準備を怠ることなくしっかりと自分の見解を用意して臨めるようにしておきたいと思う。

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 今回の範囲は、なかなか難解であった。論理学について、カントは大きく整理しているのであるが、一般論理学と先験的論理学の差異について明確なイメージを描くことができたとはなかなか言いにくいものがある。また、純粋悟性概念についても同様である。ここに関わって、判断も総合も表象を統一するものだという説明がなされていたように思うが、この違いは一体何なのかという点についても、あまり明確には理解できなかったと感じている。

 次回の範囲は今回の内容も踏まえたものであるので、もしかすると次回の範囲を読み込む中で、今回の内容も理解を深めていくことができるかもしれない。そういう期待をもって、次回に向けて準備をしたいと思う。

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 今回の例会では,時間の関係で論点に対する見解を作成することができなかった。その影響もあって,今回の範囲はきちんと理解できた感じがせず,他の会員の発言も,まあ,そういうものかなというくらいでしか受け取れなかった。これではせっかく例会を行っている意味がないし,今後,『純粋理性批判』を読み進めていくうえでも支障が出る。そのようなことがないように,今後はしっかり論点に対する自己の見解を書き切るようにするとともに,これまでの部分もしっかり復習しながら読み進めていきたい。

 今回の範囲では,カテゴリーという有名な概念が登場したが,これが判断の機能から導出されたことはしっかりと押さえておくべきだと思った。また,「構想力」という概念も登場したが,これは以前の例会で,ヘーゲルの絶対精神につながる重要な概念だと指摘している研究者の説を確認した。多様な表象を綜合するのが構想力だと今回の範囲では説明されていたが,綜合と判断はどう違うのか,構想力と悟性はどのような関係なのかといったことが,いまいちはっきりしていない。ひょっとしたら,自然と唯物論的な認識論の枠組みでカントを理解しようとしているために,自分の他人化ならぬ自分の自分化レベルでカントを理解してしまっており,それが,筋を通して理解できていない要因なのかもしれない。

 今後はいったん,唯物論の立場を否定して,しっかりとカントの観念論の立場に立って,カントの論の展開を応用に意識していかなければならないと感じた。

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 5月例会は、報告レジュメの担当であった。毎月、該当範囲の要約作業を行っているのだが、この5月例会に向けては、実に数ヶ月ぶりに、論点の提起までに要約作業を終えることができた。しかし、これまで読み進めてきた範囲よりもかなり難解だったという印象がある。先験的論理学とはどういうもので従来の論理学とはどのように異なっているのか、判断という悟性の機能とカテゴリー(純粋悟性概念)との関係はどうなっているのか、また、これらはヘーゲルの立場からはどのように批判されるのか、等々、なかなか明確なイメージが描き切れなかった。報告レジュメについては、難解な個所であるだけに、あくまでも『純粋理性批判』の全体像を見失わないように、また、ヒュームやヘーゲルとの関連など哲学史の大きな流れのなかで位置付ける視点を失わないように、という問題意識でまとめることを試みた。当日の議論については、かなり錯綜してしまって、率直にいって消化不良だった感も否めないが(私自身、徹底した読み込みが不足していたことも大きい)、今後読み進めていく部分で理解を深めていければ、と思う。また、緒言からの丁寧な読み直しにも取り組んでいきたい。

(了)
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2017年06月14日

2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他(9/10)

(9)論点3:純粋悟性概念とはどのようなものか

 前回は、純粋悟性概念を導き出す手引きに関する議論について見ていきました。ここでは主に、判断が表象を統一する機能であり、判断における統一の機能を完全に余すところなく表示しさえすれば、悟性の一切の機能(純粋悟性概念)は経験的要素を交えずに純粋に残らず発見できるということが展開されていることを確認しました。

 さて今回は、3つ目の論点として、純粋悟性概念とはどのようなものかに関する論点を見ていきたいと思います。

論点3:純粋悟性概念とはどのようなものか

 カントは、純粋悟性概念すなわちカテゴリーに関して、どのようなものだと述べているか。また、カントは判断の機能からカテゴリー表を導いているが、判断とはどのようなもので、判断と純粋悟性概念はどのような関係にあるのか。このカテゴリー表について、ヘーゲルはどのように評価しているか。唯物論の立場から評価するならば、どのようなことがいえるか。

 この論点に関しては、まず、カントがカテゴリーをどのようなものだと述べているかに関して議論しました。ある会員は、「カントは、対象についての多様な表象から認識を構成する作用を総合と名づけ、総合は構想力の作用である、とする。カントによれば、種々の表象を分析によってひとつの概念に包括するのは一般的論理学の仕事であるが、表象の純粋総合を概念に形成するのは先験的論理学の仕事である」とした上で、「純粋総合に統一を与える概念は、悟性にもとづく。種々の表象に統一を与えるという判断の機能が、直観によって与えられた種々の表象の単なる総合そのものにもまた統一を与えるのであるが、この統一を一般的に表現したものがすなわち純粋悟性概念(カテゴリー)である、とカントは説明している」と述べました。この見解に対しては、具体的にはどういうことかという疑問が呈せられました。これに対して見解を述べた会員は、カントの文章をほとんどそのまま使って見解を書いたことを認めた上で、要するに、多様な表象を総合するのが構想力であって、綜合を概念にするのが純粋悟性概念だということであると説明しました。他の会員は、判断には統一するという機能があって、その機能が直観が与える材料にも統一を与えるということではないか、それが純粋悟性概念だというのではないかと発言しました。

 ここで、判断の問題が出てきたために、次の議論に移っていきました。それは、カントが判断をどのようなものとして捉え、判断と純粋悟性概念はどのような関係にあるとしているかという問題についてです。この点に関しては、判断が種々の表象を統一する機能を持つものであり、悟性の一切の作用を還元できるものであるということは共通認識となりました。また、先に出された、「種々の表象に統一を与えるという判断の機能が、直観によって与えられた種々の表象の単なる総合そのものにもまた統一を与える」とはどういうことかについては、判断も純粋悟性概念も統一という共通の機能があるという点を確認しました。

 次に、ヘーゲルがカントのカテゴリー表をどのように評価しているかについてです。この論点については概ね見解が共通していて、第一のカテゴリーは積極的(肯定的)であり、第二は第一を否定するもので、第三は両者の総合だといっているのは、概念の偉大なる本能である、という評価をヘーゲルは与えている一方で、これらのカテゴリーを経験的に取り上げるだけで、統一からこれらの差別を必然性をもって発展させることができていないという批判も行っているということでした。

 最後に、カントのカテゴリー表について、唯物論の立場から評価すればどうなるかという問題についてです。この問題についても概ね見解が一致していました。すなわち、カントはカテゴリーが対象をア・プリオリに思惟する条件だと捉えているが、これは論理がなければ対象についての認識が成立しないという唯物論(的認識論)の主張につながるものと評価することができる一方で、そのカテゴリーがもともと具わっているとした点は、認識は対象の反映であり像であるとする唯物論(的認識論)の立場からは批判されるべきだ、あくまでも対象を反映した像を原点として、そこから抽象されて形成された論理像として捉えられなければならない、ということでした。

 以上のような議論を行い、今回の例会における論点についての議論を終了しました。
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2017年06月13日

2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他(8/10)

(8)論点2:全ての純粋悟性概念を残らず発見する方法とはどのようなものか

 前回は1つ目の論点、すなわちカントが論理学をどのように把握していたかに関する論点についての討論を見ていきました。カントは、認識にもともと備わっている純粋悟性概念だけを扱う先験的論理学を展開しているのだということ、これはアリストテレスの論理学を発展させたものであって、認識の成立条件を考察するものだということでした。

 さて今回は、2つ目の論点として挙げられた、純粋悟性概念を導き出す手引きに関する論点について見ていきたいと思います。

論点2:全ての純粋悟性概念を残らず発見する方法とはどのようなものか

 カントは、「先験的哲学は、純粋悟性概念を一個の原理に従って残らず発見するという利点をもっているが、しかしまたそうする責務をももつのである。かかる概念は、絶対的統一体としての悟性から、夾雑物をひとつも交えずに純粋に生じるものであり、従ってこれらの概念自身もまた一個の概念或いは理念に従って互いに関連していなければならない」(p.140)と述べているが、これはどういうことか。純粋悟性概念を一個の原理に従って残らず発見する方法はどのようなものだと説明されているか。

 この論点に関しては、時間の関係もあり、また概ね見解が一致していたこともあって、軽く確認する程度で済ませました。

 まず、引用されたカントの文章については、次のような見解が出されました。すなわち、カントによれば、直観や感性に属するのではなく思惟と悟性とに属し、経験的概念ではない純粋悟性概念を完全に、余すところなく把握することは、先験的哲学によって可能となるのであるが、単に可能であるという段階で留まるべきではなくて、それは先験的哲学の責務であるというのである、そして、ア・プリオリな概念の生みの親である悟性を出発点として、ここから一切の経験的要素を交えることなく純粋悟性概念を分析していく必要があるわけだが、ここでアリストテレスのように、何の原理もなく探し求めていくというのではなくて、判断する能力という1個の原理から生み出していく、それも個々の純粋悟性概念が体系的に的確に分類されることを持って完全性を保証する形で探求していく必要がある、というのがこの引用文の趣旨であるということでした。この見解については、概ね賛同されました。

 次に、純粋悟性概念を一個の原理に従って残らず発見する方法はどのようなものかという問題についてですが、これは概ね見解が一致しました。つまり、悟性の一切の作用は判断に還元できる(悟性は判断の能力である)のであり、判断は表象を統一する機能であるから、判断における統一の機能を完全にあますところなく表示しさえすれば、悟性の一切の機能(純粋悟性概念)は経験的要素を交えずに純粋に残らず発見できる、ということでした。そして、この主張に基づいて、判断一般からその一切の内容を度外視して判断の悟性形式だけに着目することによって、カントは12個の判断様式を導きだし、これに基づいてカテゴリー表を創り出したということでした。

 簡単ですが、以上でこの論点に関する議論を終えました。
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2017年06月12日

2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他(7/10)

(7)論点1:カントのいわゆる論理学とはどのようなものか

 前回は、カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他の部分のうち、ポイントとなる部分を改めて振り返った後、5月例会で提出された3つの論点を紹介しました。

 今回から、その3つの論点について順次検討した内容を紹介していきたいと思います。まず1つ目の論点として挙げられたのは、カントが論理学をどのように捉えていたのかを問う論点です。

論点1:カントのいわゆる論理学とはどのようなものか

 カントは論理学をどのようなものとして整理しているのか。特に先験的論理学はその中にどのように位置づけられているか、一般論理学や先験的論理学を分析論と弁証論に区分する必要性はどのようなものか、カントの論理学はアリストテレスの論理学とはどのような関係にあるのか、またヘーゲルの論理学はこれらとどのように異なっているのかを中心に議論したい。

 この論点については、まず、カントが論理学をどのようなものとして整理しているのかについて確認しました。この点については、各自の見解に大きな差異はありませんでした。まとめると、論理学は悟性が認識の一切の対象とその差別を度外視して、悟性自身と悟性の形式だけを問題にするものであり、与えられた知識を判定するための前提となるものであって、感性を扱う感性論と対をなすものだということでした。

 次に、先験的論理学の位置づけについてです。まず全員に共通していたのが、論理学を一般的な悟性使用についての論理学である一般論理学と、特殊な対象へ悟性を使用するための論理学とに区分し、前者である一般論理学をさらに、我々が悟性を使用する場合の一切の経験的条件(感覚の影響、想像力の活動、記憶の法則、習慣の力、情意的傾向等々)を一切度外視し、悟性および理性の使用の形式的方面だけに関係し、内容の如何を問わない純粋論理学と、これらの経験的条件を考慮した応用論理学とに分けているという把握でした。このカントの分類を確認した上で、先験的論理学とはどういうものかについて議論しました。この点についても大きな見解の相違はありませんでした。すなわち、先験的論理学とは、要するに我々が対象をア・プリオリに思惟するための条件であり、経験的起源も感性的起源も全く持たない純粋悟性概念に関する学であるということでした。

 ここでチューターから、今議論した先験的論理学というものは、先に区分された一般論理学や純粋論理学とどのような関係にあるのか、という疑問が呈せられました。この論点については、特殊な対象へ悟性を使用するための論理学である個々の学のオルガノンとはどういうものかをまずはイメージすべきであるとか、応用論理学は心理学だということをヒントに考えるべきではないかとか、一般論理学は認識の起源を問題にしないが先験的論理学は認識の起源を問うという違いがあるのではないかとか、諸々の意見が出されました。結局、一般論理学では雑多な概念を扱うが、先験的論理学では認識にもともと備わっている概念だけを扱うという違いがある、という共通理解を確認するまでで(時間の関係もあって)切り上げました。

 一般論理学や先験的論理学を分析論と弁証論に区分する必要性については、以下のような共通した理解が示されました。すなわち、一般論理学であれ、先験的論理学であれ、論理学が問題にできる真理というものは形式に関するものであって、内容に関するものではあり得ない、だからある認識が真理であるための形式を明らかにするのが論理学であって、このことをカントは分析論と呼んでいるのである。一方で、この分析論を誤用して、ある認識が形式的に真理であるという規準に過ぎない分析論でもって実質的真理を与え得るかのように純粋悟性の使用を説明するとすると、これは弁証法的仮象であって、この弁証法的仮象を批判する部分が弁証論である、ということでした。

 カントの論理学がアリストテレスの論理学とはどのような関係にあるのかに関しては、カントの論理学がアリストテレスの論理学を踏まえつつも、人間の認識が成立する条件という観点から深めて、人間の悟性のア・プリオリな形式を明らかにしようとするものであったこと、アリストテレスのカテゴリーは何らかの原理に基づいて体系的に配置されたものではないのに対して、カントのカテゴリーは判断する能力という1個の原理に基づいて導き出されたものであって、全体が4つの綱目から成り、さらに各綱目を形成する3つのカテゴリーについても第1のカテゴリーと第2のカテゴリーを結合して第3のカテゴリーが生じるといった体系性があることを確認しました。なお、この議論の中で、ある会員がアリストテレスの論理学に関して、「ノウハウレベルのものだった」と述べたことに対して、別の会員からは、アリストテレスの論理学をノウハウレベルだったという理解で分かった気になってしまってはいけないのではないかと指摘し、その見解に全員がうなずきました。

 最後に、ヘーゲルの論理学はこれらカントおよびアリストテレスの論理学とどのように異なっているのかという問題についてです。この論点については、アリストテレスやカントの論理学があくまでも人間の思惟に関する法則を明らかにしようとしていたのに対して、ヘーゲルの論理学は、思惟=存在という大前提を強調して、この世界の創造に先立つ神の思考(この世界の設計図を描くようなもの)として、思惟法則であると同時に(直接に)客観的世界それ自体がもつ法則を明らかにするものとして位置づけられているという見解が出されました。これに関連して、「この世界の創造に先立つ」という部分について、へーゲルの論理学は、絶対精神が自然に外化する前、時間及び空間という規定を獲得する前であり、絶対精神が自然から精神へという客観的なものから主観的なものへの発展過程を辿る前に、その基本的な設計図を描き上げてしまうものであるという説明もなされました。また、端的には運動性が大きく異なるとして、カントにしてもアリストテレスにしても、個々のカテゴリーが他と明確に区別され対立する形になっているが、ヘーゲルの論理学においては、絶対精神の自己運動という形で個々の概念の運動過程として論理学が展開されているのであって、単に10個や12個のカテゴリーに関してだけではなくて、世界の森羅万象に絶対精神の自己運動という設計図でもって筋を通し切った点が、ヘーゲルの論理学の大きな特徴であるという見解も出されました。どの見解についても、大筋で全うなものだということになりました。

 以上でこの論点に対する議論を終了しました。
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2017年06月11日

2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他(6/10)

(6)改めての要約と論点の提示

 前回までの4回にわたって、カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他の要約を紹介してきました。ここで改めて、そのポイントとなるところを振り返っておきたいと思います。

 まずカントは、感性の規則一般に関する学である感性論を、悟性一般の規則に関する学である論理学から区別します。そして論理学については、その目的によって、一般的な悟性使用の論理学である一般論理学と、特殊な悟性使用の論理学である個々の学のオルガノンとに区別するのです。さらにカントは、一般論理学を純粋論理学と応用論理学とに分類し、前者は我々が悟性を使用する場合の一切の経験的条件を全て度外視するものであるのに対して、後者は心理学の提示する主観的、経験的条件のもので悟性を使用する規則に関する学だと主張するのです。

 さらにカントは、対象にア・プリオリに関係するような概念を想定し、我々が対象を全くア・プリオリに思惟するための条件であるところの純粋悟性に関する学を先験的論理学と呼びます。そしてカントは、一般論理学も先験的論理学も分析論と弁証論とに区分するのです。分析論とは、悟性による認識の形式に関する仕事全体をその要素に分解して、これを我々の認識を吟味する一切の論理的判定の原理として提示するもので、弁証論とは、この分析論が論理的判定の規準でしかないのに、客観的主張を実際に作り出せるものだとして誤用された場合の欺瞞を暴露し、その弁証法的仮象の批判に関する学だとされていました。

 続いてカントは、全ての純粋悟性概念を残らず発見する手引きについて説明していきます。まずカントは、判断について、我々の表象を統一する機能であり、悟性の一切の作用を判断に還元することができると主張します。その上で、判断における統一の機能を完全に余すところなく表示しさえすれば、悟性の一切の機能は残らず発見できるとして、判断における思惟の機能を4綱目に区分し、さらにまた各綱目が3個の判断様式を含むものだとして、合計12個の判断様式を提示するのです。

 最後にカントは、表象の純粋総合を概念に形成することを教えるのが先験的論理学であるとした上で、判断の含む種々な表象に統一を与えるのと同じ機能が、直観の含む種々な表象の単なる総合そのものにもまた統一を与えるのであって、この統一を一般的に表現したものとして、12個の純粋悟性概念を導き出すのでした。

 以上のような内容について、例会では大きく3つの論点が提示されました。そして、各論点をめぐって様々な議論・討論がなされていきました。そこで今回は、その3つの論点を紹介したいと思います。次回以降、それぞれの論点をめぐってなされた討論過程と、その結果どのような(一応の)結論に到達したのかということを詳しく紹介していく予定です。

論点1:カントのいわゆる論理学とはどのようなものか

 カントは論理学をどのようなものとして整理しているのか。特に先験的論理学はその中にどのように位置づけられているか、一般論理学や先験的論理学を分析論と弁証論に区分する必要性はどのようなものか、カントの論理学はアリストテレスの論理学とはどのような関係にあるのか、またヘーゲルの論理学はこれらとどのように異なっているのかを中心に議論したい。

論点2:全ての純粋悟性概念を残らず発見する方法とはどのようなものか

 カントは、「先験的哲学は、純粋悟性概念を一個の原理に従って残らず発見するという利点をもっているが、しかしまたそうする責務をももつのである。かかる概念は、絶対的統一体としての悟性から、夾雑物をひとつも交えずに純粋に生じるものであり、従ってこれらの概念自身もまた一個の概念或いは理念に従って互いに関連していなければならない」(p.140)と述べているが、これはどういうことか。純粋悟性概念を一個の原理に従って残らず発見する方法はどのようなものだと説明されているか。

論点3:純粋悟性概念とはどのようなものか

 カントは、純粋悟性概念すなわちカテゴリーに関して、どのようなものだと述べているか。また、カントは判断の機能からカテゴリー表を導いているが、判断とはどのようなもので、判断と純粋悟性概念はどのような関係にあるのか。このカテゴリー表について、ヘーゲルはどのように評価しているか。唯物論の立場から評価するならば、どのようなことがいえるか。
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 ・一会員による2013年の振り返りと2014年の展望
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 ・2014年3月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第12〜14章
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 ・現代の言語道具説批判2――言語道具説とは何か
 ・2014年7月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第34〜38章
 ・道徳教育の観点から見る中世の教育と教育思想
 ・もう一人の自分を育てる心理療法
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 ・アダム・スミス「外部感覚論」を読む
 ・文法家列伝:ジョン・ロック編
 ・一会員による『学城』第11号の感想
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 ・2014年9月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第41〜43章
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 ・全てを強烈な目的意識に収斂させる――一会員による『医学教育概論の実践』の感想
 ・2014年10月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第44〜45章
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 ・シュリーマン『古代への情熱』から何を学ぶか
 ・2014年11月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』第46章
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 ・「戦後70年」を迎える日本をどうみるか
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 ・文法家列伝:時枝誠記編
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 ・学問上達論とは何か――一会員による『哲学・論理学研究(1)』の感想
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 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部第4章の要約
 ・一会員による『学城』第2号の感想
 ・フロイト『精神分析入門』を読む(下)
 ・夏目漱石を読むD――道草、明暗
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 ・ナイチンゲール看護論を心理臨床に活かす――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(1)』の感想
 ・文法家列伝:時枝誠記編(補論)
 ・英語教育改革を問う―『英語化は愚民化』書評―
 ・2015年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレスの形而上学,自然哲学
 ・2年間の育児を振り返る
 ・2015年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』アリストテレス(精神の哲学・論理学)
 ・年頭言:歴史的岐路における道標としての学問の創出を目指して
 ・安保法制をめぐる議論から日本の課題を問う
 ・図式化にはどのような効用があるのか
 ・看護師と臨床心理士に共通した学び方――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(2)』の感想
 ・2016年1月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ストア派の哲学、エピクロスの哲学
 ・ケネー『経済表』を読む
 ・SSTを技化の論理で説く
 ・一会員による『学城』第13号の感想
 ・2016年2月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新アカデメイア派、スケプシス派
 ・心理士教育はいかにあるべきか――一会員による『医学教育 概論(6)』の感想
 ・仮説実験授業を問う―アクティブ・ラーニングの観点から―
 ・一会員による『学城』第3号の感想
 ・新大学生に与える
 ・2016年3月例会報告:ヘーゲル『哲学史』新プラトン派
 ・6年目教師としての1年間を実践記録で振り返る―学級崩壊への過程を説く
 ・2016年4月例会報告:ヘーゲル『哲学史』中世哲学序論〜スコラ哲学
 ・専門家のあり方を問う――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(3)』の感想
 ・比較言語学誕生の歴史的必然性を問う
 ・『吉本隆明の経済学』を読む
 ・2016年5月例会報告:ヘーゲル『哲学史』学問の復興
 ・ブリーフセラピーを認識論的に説く
 ・夏目漱石の思想を問う
 ・コメニウスの歴史的意義を問う―『大教授学』をとおして
 ・オバマ米大統領の「広島演説」を問う
 ・2016年6月例会報告:ヘーゲル『哲学史』近代哲学の黎明
 ・心理士の上達に必須の条件――一会員による『初学者のための『看護覚え書』(4)』の感想
 ・夏目漱石の中・長編小説を読む
 ・2016年7月例会報告:ヘーゲル『哲学史』デカルト・スピノザ
 ・改訂版・観念的二重化への道
 ・ロックの教育論から何を学ぶべきか
 ・文法家列伝:ソシュール編
 ・2016年8月例会報告:ヘーゲル『哲学史』「悟性形而上学」第二部・第三部
 ・どうすれば科学的な実践が可能となるか――一会員による『科学的な看護実践とは何か(上)』の感想
 ・夏目漱石『明暗』の構造と結末を問う
 ・ルソーの教育論の歴史的意義を問う
 ・2016年9月例会報告:ヘーゲル『哲学史』バークリー〜ドイツの啓蒙思潮
 ・高校生に説く立憲主義の歴史
 ・三浦つとむ『認識と言語の理論』を読む
 ・2016年10月例会報告:ヘーゲル『哲学史』ヤコービ、カント
 ・専門家教育には何が必要か――一会員による『科学的な看護実践とは何か(下)』の感想
 ・アダム・スミス『国富論』を読む
 ・2016年11月例会報告:ヘーゲル『哲学史』フィヒテ,シェリング,結語
 ・3年間の育児を振り返る
 ・近代教育学の成立過程を概観する
 ・2016年12月例会報告:ヘーゲル『哲学史』のまとめ
 ・年頭言:機関誌の発刊を目指して
 ・激動する世界情勢を問う
 ・『障害児教育の方法論を問う』から何を学ぶべきか―一会員による感想
 ・一会員による『学城』第4号の感想
 ・2017年1月例会報告:シュヴェーグラー『西洋哲学史』、ヘーゲル『哲学史』におけるカント『純粋理性批判』
 ・斎藤公子の保育実践とその背景を問う
 ・認識の形成がうまくいくための条件とは何か?――一会員による『“夢”講義(1)』の感想
 ・本来の科学的な教育とは何か
 ・2017年2月例会報告:カント『純粋理性批判』序文
 ・システムズアプローチを弁証法から説く
 ・一会員による『学城』第14号の感想
 ・ルソー『学問芸術論』を読む
 ・新大学生に説く「大学では何を如何に学ぶべきか」
 ・2017年3月例会報告:カント『純粋理性批判』緒言
 ・斉藤喜博から何を学ぶべきか
 ・重層弁証法を学ぶ――一会員による『“夢”講義(2)』の感想
 ・小中一貫教育を問う
 ・ヘーゲル『哲学史』を読む
 ・2017年4月例会報告: カント『純粋理性批判』先験的感性論
 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言
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