2017年05月29日

改訂版 心理療法における外在化の意義を問う(3/5)

(3)外在化は観念的対象化のための手段である

 前回は,認知行動療法とべてるの家,そして東豊氏の「虫退治」のアプローチで共通してみられる外在化という心理療法の技法を紹介しました。外在化とは,当事者の内にあった心の問題を外に出すことによって,問題を当事者から切り離すことであるということでした。こうすることによって,援助者と当事者(とさらに他のメンバー)が共同して,一つの問題に取り組むという姿勢を確立することができるのでした。

 このような前回の説明は,現象論的な説明(外から見えるあり方をそのまま説くもの)といえます。今回は,この外在化のプロセスを構造に分け入って,認識論的に説いてみたいと思います。

 端的に結論からいうならば,外在化は観念的な対象化のための一つの手段である,ということができます。少し説明します。

 まずこの中に出てくる「対象化」とは何でしょうか? これは「対象でなかったモノを対象と化す」という意味です。ここでいう対象というのは認識にとっての対象のことです。では,認識にとっての対象とはどういうことでしょうか?

 ここで対象と認識(と表現)の関係を復習しておきましょう。この三者の中で,認識はどのような位置を占めるのでしょうか。端的にいうと,対象と認識の間に位置づけられます。つまり,「対象→認識→表現」という過程的構造があるのです。たとえば,目の前の杉の木を写生する場合,対象とは目の前の杉の木ですし,認識とはそれを目(五感覚器官の一つ)で見て頭の中に写しとった杉の木の像のことです。さらに表現とは,その頭の中の杉の木の像を物質的な形に投影して,キャンバスの上に描いた絵のことです。逆からいうならば,描かれた杉の木の背後には,作者の認識が,さらにその背後には現実に存在する杉の木という対象がひそんでいるわけです。したがってこの場合,認識にとっての対象とは目の前に存在する杉の木のことです。このように,認識として頭の中に反映する元のモノを「対象」というわけです。

 このように考えれば,対象化の意味も分かってくると思います。「対象でなかったモノを対象と化す」ということは,すなわち,「対象→認識→表現」という過程的構造のスタート地点に,そのモノを置く,ということです。写生の例でいえば,特定の杉の木の前に座って,自分(の認識)にとって都合のよい位置にその杉の木を置く,ということになるでしょう。

 では次に,「観念的な対象化」とはどういうことでしょうか? これは現実的・客観的には対象化していないけれども,頭の中の操作として,対象化したことにする,あるモノを認識の対象の位置に設定する,ということです。これに関して,弁証法の基本書では次のような例が挙げられています。

「この労働力を買うと,雇傭関係が成立しますが,これは契約というかたちをとります。……『月給二万円ならやとおう』『それでけっこうです』と買い手と売り手と両者の意志が一致すれば,ほかに何を考え何をのぞんでいるかはともかく,この点では共通の意志が成立します。意志はそれぞれの当事者の頭の中に主観的なものとして生れるのであって,頭からぬけだして外部に存在することはできません。しかしこのときの当事者は,共通の意志を個人的に勝手に変えてはならぬものとして固定化し,さらに観念的に当事者の外部にあって当事者を拘束する意志のかたちに客観化し,その意志に従うことになるのです。これを意志の観念的な対象化とよびます。私たちの日常生活で,『明日三時にいつものところで会いましょう』『ええ,いいですわ』と約束するのも,やはり意志の観念的な対象化です。」(三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』pp.181-182)


 ここでは契約と約束の例が挙げられていますが,「当事者の頭の中に主観的なものとして生れ」たモノを「観念的に当事者の外部にあ」るモノとして「客観化」することを観念的な対象化と呼ぶのだ,ということです。確かに,「こうしろ」「こうしてはいけない」とうような契約や約束は,対象の位置から発せられる命令というように主観的には受け取れますが,しかし,実際にこのような命令を発するモノが当事者の外部に,客観的に存在しているわけではありません。このように頭の中だけで行われるという意味で「観念的な」対象化というわけです。人間の認識には,現実に客観的に対象として存在していないモノでも,観念的に対象化する能力が備わっているのです。

 以上を踏まえて,「外在化は観念的な対象化の一つの手段である」というのはどういうことでしょうか?

 それは,心の問題を外在化することによって,実際には当事者の心の中にしかない問題を,あたかも当事者の外部にあって当事者が眺めることができる位置に客観的に存在しているかのように置くことができるようになる,ということです。心の問題を紙に書いて外在化したり,「幻聴さん」と呼んで擬人化することで外在化したり,あるいは不登校の原因を「怠け虫」にあるとして外在化したりしても,実際に心の問題が客観的に外部に存在するわけでもないし,幻聴さんという人物や「怠け虫」という虫が客観的に存在するようになるわけでもありません。しかし,そうすることによって,自分の心の問題をしっかり認識できるようになるわけです。つまり,心の問題を認識の対象と化すことができるようになるのです。このように,外在化は,心の問題を観念的に対象化するための一つの有力な手段なのです。

 心の問題を抱える当事者は,その心の問題に巻き込まれて,いわば「なにがなんだか分からない(ことすらもなにがなんだか分からない)」生まれたばかりの赤ん坊と同じように,なにがなんだか分からない状態で苦しんでいます。統合失調症の患者の中には,病識(自分が病気だという自覚)がない方もおられます。すなわち,問題を問題として認識できていないのです。ところが,外在化によって心の問題を観念的に対象化すれば,文字通り,心の問題を問題として認識することができるようになるわけです。

 外在化する以前は,心の問題が見えない状態(認識の対象ではない状態)になっています。これは,自分が心の問題と近すぎて,それに巻き込まれているからです。これはちょうど,地上にいる人間が,そのままの状態では地球を対象化できないのと論理的には同じことです。地上にいる人間は,いわば地球の(ごく小さな)一部分なのであって,地球と自分が一体化しています。ですから,自分たちが立っている場所が,実は地球という球体をした惑星である,などということは認識できないのです。地球だということを認識するためには,すなわち,地球を対象化するためには,宇宙船に乗って地球から離れ,ある程度の距離をとって自分たちのいた場所を眺める必要があります。海を泳いでいる魚も,自分たちの泳いでいるところが「海」であるとは認識していないでしょう。飛び魚のように海から空中へ飛び出して初めて,自分たちが泳いでいたところが海であったと認識することができるのです。

 先の写生の例でも同じことがいえます。杉の大木が目の前5pの位置にあったら,それを杉の木だと認識することはできるでしょうか? おそらくできません。少なくとも,写生の対象として,芸術的認識の対象としてとらえることはできないでしょう。この場合,50メートルなり100メートルなりさがった位置でないと,杉の木を対象化することはできないのです。

 このように,一般的にいうと,あるモノを対象化する際には,そこから一定の距離をとる必要があるのです。心の問題を外在化することによって,当事者と問題を切り離すということは,実はこの対象化に必要な距離をとることを意味しているのです。距離をとることができるからこそ,外在化によって心の問題の観念的な対象化が実現できるということもできるわけです。

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 ・文法家列伝:宮下眞二編
 ・改訂版 心理療法における外在化の意義を問う
 ・マルクス思想の原点を問う
 ・2017年5月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的論理学の構想その他
 ・弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想
 ・教育の政治的中立性を問う
 ・日本経済の歴史を概観する
 ・2017年6月例会報告:カント『純粋理性批判』純粋悟性概念の演繹
 ・一会員による『学城』第15号の感想
 ・改訂版 続・心理療法における外在化の意義を問う
 ・2017年7月例会報告:カント『純粋理性批判』原則の分析論 緒言〜第2章第3節2
 ・ルソー『人間不平等起原論』の歴史的意義を問う
 ・夢の解明に必須の学問を学ぶ――一会員による『“夢”講義(4)』の感想
 ・ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む
 ・現代日本の政治家の“失言”を問う
 ・2017年8月例会報告:カント『純粋理性批判』経験の類推
 ・障害児の子育ての1年間を振り返る
 ・新しい国家資格・公認心理師を問う
 ・経済学の原点を問う――哲学者としてのアダム・スミス
 ・2017年9月例会報告:カント『純粋理性批判』経験的思惟一般の公準その他
 ・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・過程的構造とは何か――一会員による『“夢”講義(5)』の感想
 ・〔改訂版〕新自由主義における「自由」を問う
 ・2017年10月例会報告:カント『純粋理性批判』反省概念の二義性
 ・続・徒然なるままに――40歳を迎えて
 ・教育実習生に説く人間観の歴史
 ・2017年11月例会報告:カント『純粋理性批判』先験的弁証論 緒言・第一篇
 ・南郷継正の人生は弁証法の弁証法的発展である――一会員による『“夢”講義(6)』の感想
 ・改訂版・初学者に説く経済学の歴史
 ・2017年12月例会報告:カント『純粋理性批判』序文と緒言